未確認生物から女の子を守った結果――   作:対魔忍佐々木小次郎

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第六話

『──やあ、初めましてご先祖様の同胞さん。僕は……◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎・◾︎◾︎◾︎。気軽にアルって呼んでくれてもいいよ』

 

「……あ?」

 

 掘り返した記憶が掠れるような感覚。

 鮮明に焼き付いていたはずの確かな思い出が思い出せない。

 

 ────殺せ。

 

 あり得ない。

 どれだけ大きな出来事だったと思ってるんだ。それこそ、それまでの人生で培った価値観を土台ごとひっくり返されるレベルだ。

 忘れようとして忘れられる事ではないし、何より俺は忘れようと思った事なんて一度もない。

 

 ────殺せ。

 

 だから、ちょっと疲れちゃって、上手く思い出せなかっただけ。

 アイツの事を俺をしっかり覚えている。

 やけに前衛的なファッションも、嫌味ったらしい口調も……うん、覚えてる。あの口の端を吊り上げた自信に満ち溢れた笑みも思い出せる。

 

 ────殺せ。

 

 そうだ、最初は……そう、裏山だ。

 親と喧嘩して家出した俺は裏山に登って星を見ていた。

 そうしたらいきなりアイツが現れて……よし、思い出せる。

 白衣をはためかせて、鋭利な巨大な刃物で切断されたような部屋っぽいものを背景にアイツは笑ったんだ。

 

 ────殺せ。

 

 それからどうしたんだっけ……そうだ、それから俺はアイツと行動するようになったんだ。

 いや、アイツは部屋っぽいの……研究室って言ってたか、そこに篭りっきりだったから俺が日々訪ねてたが正しいけど。

 ロボットの薀蓄を聞いたり、コーヒーにしかめっ面をしたり、やけに実践的なレースゲームで対戦したりして……待て。

 待て、待て待て待て。

 そんなどうでもいい事よりもっと大切な何かがあっただろう? 

 

 ────殺せ、殺せ。

 

 アイツは此処とは違う世界から来た、自称天才の憎ったらしいやつで。

 最後俺はアイツに命を助けられて……。

 

「……おい、冗談じゃねえぞ」

 

 思わず漏れた呟きは震え、肌寒い風に乗って空へ溶ける。

 思い出してしまった……いや、思い出せない事を思い出してしまった恐怖が凍えるような冷たさを持って指先を浸す。

 

 分かる。

 アイツが何を言ったのか、何を話したのか、何をして過ごしたのか。

 瞼の裏にだって思い描ける。なのに、分からない。

 

 俺は死にかけたはずなのに、何故死にかけたのかという具体的な事実が何ひとつ分からない。

 

 ────殺せ、殺せ! 

 

 あまりにも、不自然だった。

 戦争が起こった。結果、自分は死にかけた。

 そこまでは分かる。戦争の原因から終戦の要因まで。分かるが、その間の事が全く思い出せない。

 確かに経験した筈だ。だって、俺はずっとアイツのそばにいた筈なんだから。

 

 恐ろしいのは、今に至るまでそれをおかしいと一度も思わなかった事だ。

 明らかな記憶の欠落。いっそ不自然なまでのエピソードの欠如。

 なのに、今の今まで、それが自然だと俺は本気で思い込んでいた。

 

 ────殺せ! 殺し尽くせ! 

 

「ああっ! くそっ、鬱陶しい!!」

 

 ゴンッ、と肉と骨がぶつかり衝撃が脳を揺らす。

 拳と額から骨が剥き出しになりどぷりと血が流れるも、逆再生をするように直ぐに元の姿を取り戻した。

 文字通り頭が割れるような痛みを伝える神経が思考をクリアにしてくれる。

 

 ……酷く、なってきていた。

 眩暈がする。吐き気がする。──見えるもの全てを、壊したくなる。

 この腹の奥底からマグマのように湧き上がる戦闘欲求は母艦で分離をした時からずっと感じていた。

 顕著になったのは宇宙人Cと一戦交えたとき。

 抑えきれなくなったのはシェルター前に配置された軍人たちと相対したとき。

 

 あのとき、どす黒く重いナニカが俺を塗りつぶした。

 

 ────殺せ。

 

 自分が自分で無くなるような恐怖。

 疑いようもなく精神の暴走状態だった。

 自我と呼べるようなものを辛うじて保てていたのは彼女の存在が大きい。

 

 なら、彼女のいない今は? 

 俺は、戻って来れるのか? 

 

 形だけの疑問だ。答えは直ぐにでていた。

 恐らく戻って来られない。もう一度暴走すれば、今度こそ俺は行くところまで行く。

 本物の厄災になってしまう。

 

 ────殺せ、殺せ。

 

 本当の目的を思い出せ。

 求めるものはなんだ? それは彼女の安全に他ならない。

 なら、殺しはマズイ。

 今後の身の振り方なんか考える余裕はなかったが、真に安全を考えるのならこれからを念頭において行動する必要がある。

 このまま地球にいるにしても、彼女と一緒にドラグとやらに行くにしても、どちらにせよ殺せば殺すほどその選択肢が遠のいていくのは自明の理だ。同族を殺されたという嫌悪感は当たり前のように大きい。

 永遠に戦い続ける事は出来ない。何処かで終わらせなければいけない。

 このまま宇宙船を掻っ払って二人で宇宙へ逃げるという手もない事はないが、それはあまりにも先がなかった。

 

 ────殺せ! 殺し尽くせ! 

 

 うるせえ!!! 

 くそ、思考が乱される。ちょっとぐらい静かにしやがれ! 

 力を使う度に頻度が増え欲求がデカくなってきてやがる。抑え込むのも楽じゃねえんだぞ。

 ああ、それで、そうだ、今後だ。

 兎に角、戦争を止めない事には始まらない。

 ああ、そうだ、そうだった。戦争を止めるために、俺はここまで来たんだった。

 

 そこまで思考が至ったとき、耳が痛くなる高音を撒き散らしながら高速で接近する飛行船の艦隊を目端で捉えた。

 地球側の船でざっと6隻か。相変わらず戦力を小出しにしてくる意味はわからんが都合がいい事には変わりない。

 

 ────殺せ、殺せ! 殺して殺して殺し尽くせ! 

 

 学習しない馬鹿どもだ。

 俺に何隻沈められたかも数えられないらしい。

 ちょろちょろされるのも面倒だ。それに、あいつらは俺と彼女を殺して、吐き気を催す人体実験とやらをする腹づもり。

 ああ、なんて酷いやつらだ。奴らには人の心ってもんがない。

 

 ────殺せ! 殺し尽くせ! 全てを壊せ! 潰せ! 破壊しろ!! 

 

 ……あれ、さっきまで何を考えてたんだっけ。

 何か大事な事だったような……まあ、いいか。取り敢えずアレをなんとかしないとな。

 うん、大切なのは彼女が生きてることだ。あいつらはそれを脅かすんだから。

 人道に反した事を平気で行える化け物の心を持った人間どもは、人間の皮を被った化け物の相手が相応しい。

 なら、せめて俺がサクッと迅速に──。

 

「ぶっ殺してやらねえとなあ」

 

 口が三日月を描く。

 温かな何かが引き止めるように腕を引いた──気のせいだ。だって、腕ないんだし。

 ぐっと撓んだ身体が力を溜め、直後、俺は空へと身を投げ出した。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 渦中の裏山近辺から約5キロほど離れた河川敷に敷かれた簡易テント。

 その中で束になった資料を見つめる男──ロザン大佐の元へ、部下のひとりが駆け寄った。

 

「大佐! 報告します。新たに出撃した自立戦闘型飛行船6隻、沈められました!」

「対象の様子は?」

「はっ! どうやら執拗にコックピットに相当する部分を破壊しているようです。……しかし、自立式の戦闘船にわざわざ精緻なダミー人形を入れる意味が分からなかったのですがこれは一体……?」

「なに、結果の分かりきっている消耗戦に悪戯に被害を出すこともない、それだけだよ。……しかし、ふむ。だいぶ前に人間と人形の見分けはつかなくなっていたようだが……漸く直接狙いに来たか。まあ、よく持った、と賞賛するべきかな」

「それは、どういう……?」

 

 疑問符を浮かべる部下を無視して立ち上がったロザン大佐はツカツカと無線機に歩み寄り、一言、二言支持を飛ばす。

 切れた無線から手を離したロザン大佐が浮かべていたのは凶悪な笑み。

 まるで、積年の願いが成就するかのような想いと力が込められた相貌だった。

 

「予想外はあった……が、概ね想定通り。次のフェイズに行こうじゃないか。この星の言い方に倣うなら厄災になる……いや、厄災になってもらう、そのためにね」

 

 瀉きれない雪辱があった。

 眩暈がする程の忿怒があった。

 九死に一生を得た幸運があった。

 そして、どろりと渦巻く怨恨を晴らす事の出来る機会が──運命があった。

 

 全てを必死に掴んできた。

 今、ここに至るまでひとつずつ積み上げてきたのだ。

 あの日、己に刻み一度は諦めかけた怒りの刃を漸く振るう事ができる。

 

「首を洗って待っていろ、カスタル・ドラグ……! 玉座で踏ん反り返っていられるのも今のうちだ。全てのパーツを手中に収め、お前に届きうる刃を手に入れ──私はお前の首を取りに行くぞ」

 

 宣言は日ノ本から遠く離れたアメリカに出現した超大型戦闘母艦に居るであろう現ドラグ王へ。

 地球全体で同時多発的に起きたドラグの侵略行為……否、報復攻撃。

 己の研究成果の結晶である消滅弾に対応し出している事実には怒りのあまり反吐が出そうになるが、今となってはそれも些事に過ぎない。

 約十年前の時空間の接触。そして、約一年前突如として地球に現れたドラグの王族。

 砂漠でひと粒の砂を見つけるような奇跡が立て続けに起こった。しかも、その王族の力は歴史上類を見ない程に埒外のモノだった。

 歓喜にむせ震えたのを覚えている。

 さらに、その王族が人間と融合して自由に力を使えなくなり、そしてその人間が王族の力の片鱗を見せている事もいっそ出来過ぎなほどに都合が良かった。

 

 あの力なら、かの王を殺すに足りうるから。

 

 誓いは此処に。

 復讐の刃は磨かれた。

 

 後は──鞘に収め我が物とするだけだ。

 

「大佐、準備が整ったようです」

「早いな。流石、優秀だ」

 

 投げかけられた声にロザン大佐が振り向けば、開かれたテントの入り口から複数の大型車が見えた。

 自身の指示通りのモノが用意されているのを見て取ったロザン大佐の口元が歪む。

 

「では、行こうか。持ち場につけ。チェックメイトだ」

 

 号令に応じる一糸乱れぬ声が響く。

 慌しく、されど迅速に各々がやるべき役割を果たすべく動いてるのを見届け、ロザン大佐は車に乗り込む。

 

「しかし、大佐。やはり私は危険だと思うのですが」

 

 自身と同じ車に乗り隣に控えた部下の忠言に、ロザン大佐は肩を竦め首を振った。

 

「問題ない。もう彼には碌な思考能力すら残っていないだろう。身体は既に変質したが、その精神は年若い青年のものだ。アレは人間が抑えようとして抑えられるものじゃない、時期に決壊し暴走する。──なら、その前に。人類として、我々が首輪を付けてやらないとなあ。彼がこれ以上罪を重ねる前にね」

 

 ロザン大佐が見つめるのは激しい戦闘により半分以上削られた裏山の一部。

 既に周辺の住民の避難は住んでいるが、裏山周囲にもかなりの被害が出ている。

 頼もしい事だ。その力が強大であればあるほど望ましい。

 軍帽で表情を隠すように俯く。その顔は酷薄に彩られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨が降っていた。

 灰色の雲が空に蓋をし、土砂崩れが起こったかのように半壊した裏山を微雨が濡らす。

 

 巨人に踏み荒らされたような破壊痕の中心で空を見上げる男がひとり。

 バチバチと火花を散らす戦闘船だったものを背後に、ただ空を見ていた。

 雨粒が眼球を叩く事も気にする素振りはない。本来丸い瞳があるはずのそこは、亀裂が入るように縦に裂けている。

 降り注ぐ雨が水滴となり腕を伝う。その終着点は明らかに人の手とは一線を画す、鳥の足を太くし鋼の筋肉で覆ったような手。

 

 人間に近しい姿形。しかし、人間ではない──獣が、冷たい雨を浴びながら灰色の空を見上げていた。

 

「やあ、数時間ぶりだね。まだ意識はあるかね?」

「────────あ?」

 

 そんな男に投げかけられる声があった。

 ぐるりと首だけで振り返むくと、そこには軍帽の鐔に手を置くロザン大佐と、仰々しいまでの大きな盾のようなような物を武装した数十名の軍人。

 

「まだ返答ができたか。いやはや、頑張るね。よっぽど彼女が大事と見える」

 

 肩をすくめるロザン大佐。

 その声音には確かな驚きと僅かな感嘆が含まれていた。

 ただ、それも直ぐに消え失せる。

 己の目的のためロザン大佐が作戦開始の号令を発しようとした──その瞬間だった。

 

「──る、があっ!!!」

「防げぇぇええっ!!!」

 

 同時だった。

 男が砲声と共に右腕を大薙に振るい、大盾を武装した軍人たちが前に踏み出す。

 途中で細かい網目のように分解された右腕が人外の膂力により散弾銃のように撃ち出される。

 仮にも肉体がぶつかっているとは到底信じられない轟音を轟かせ着弾。

 咄嗟の反応により盾で防いだ軍人たちが交通事故に等しい衝撃により吹き飛ばされる。

 

 その刹那、軍人のひとりが男の首に叩きつけた──銀色のナニカ。

 

「ぐっ、怯むなあ!! 前に進め! この場に釘付けにしろ! ──起動ッ!!!」

 

 ロザン大佐の咆哮が俄かに騒然となった空間を貫く。

 蹴り足で地面を爆ぜさせた男が砲弾のように突っ込み、大盾部隊と正面衝突。嵐のような暴力が軍人たちを蹂躙する。

 

「お前らがいるせいで!! ぐ、あああ、あ、殺ずッ!!!!」

 

 譫言のように叫ぶ男からは既に理性と呼べるようなものを感じ取る事はできない。

 しかし、理性があろうとなかろうと振るわれる力は弩級の一言。

 瞬時に再生した右腕がブレードへと変質。質量保存の法則に中指を突き立てるようにブレードが縦横無尽に伸縮し、盾とかち合い火花を咲かせる。

 岩すら切り裂くブレードに傷ひとつ付かない大楯に焦れたのか、人外の脚部から生まれる地鳴りのような震脚が踏み足を起点に大地を四角いブロックのように切り取り、浮かび上がったそれを蹴り飛ばす。

 しかし、豪速で飛来した土塊は盾に触れた瞬間周囲にその密度を散らすように胡散した。

 その直後。

 

「──う、ああああ、うああああああああああああ!!!!」

 

 鼓膜を貫く絶叫。

 高圧電流が流れるような雷鳴が迸り……否、事実として空を紫電が走っている。

 開かれた大型車の荷台から姿を現した照射機械より暴れまわる男の頭上を到達点に空中を駆け抜けた十の紫電は、男を捉える籠のようにも見えた。

 そこから、枝分かれした無数の雷が男に降り注ぐ。

 

「あああ、ああああ!! やめろ! 俺の中に、ぐぅ、あ、入って、来るなあ!!!」

 

 首に取り付けられた銀色の輪のようなものが自動展開、万力のように挟み込む。

 片手で頭を抑えた男の悲痛な叫びは軍人たちの攻撃によるダメージのせいではない。

 男を襲うのは心という絶対のパーソナルスペースに異物が強制的に割り込むような恐怖だ。宙を流れる紫電が男を苦しませていた。

 

「ああ、違う、俺は、うあああ、ぐ、違う、違う!!!!!!」

「存外粘るなッ! 出力を上げろ!! 最悪壊れても構わん!!!」

 

 溺れる人間が空気を求めてもがくように。

 何かに縋るように振り乱した右腕はしかし、会敵の一撃と同じように破壊をまき散らすのみ。

 

 雷撃に身体を焼かれているように見えて、その実肉体的なダメージはほとんどない。正確には、今の男は多少の電撃ではびくともしないのだ。

 しかし、身を切る苦痛を滲ませた雄たけびは霧雨の隙間に響き渡る。

 

「大佐!! 想定より抵抗が激しくッ!! このままでは!?」

「見ればわかる! 消滅弾を撃て! 瀬戸際で足掻いているだけだ、些細なきっかけでたやすく傾く!!!」

 

 焦りを含ませた部下に怒声を返すロザン大佐。

 その号令を忠実に遂行する軍人たちから数十発もの消滅弾が放たれる。

 万物を削り消しとばす絶死の銃弾は、数時間前の焼き直しのように男の体表に弾かれた。

 だが、全く効果がないわけではない。

 着弾した箇所が僅かに抉れ──次の瞬間再生される。

 

 自我保持に割かれていた意識が再生能力の行使により膨れ上がった血の叫びに飲み込まれる。

 

 次々と撃ち込まれる消滅弾に綻ぶ身体を瞬時に再生し続ける男の喉が血の叫びを絞り出す。

 破壊の化身と化していた動きは止まり、両腕で頭を抑え膝をついている。

 

 明らかな変調。

 それを成したロザン大佐たち地球防衛軍が行った一連の行動は実にシンプルだ。

 

 首輪を付ける。先のロザン大佐の発言に嘘偽りは一切ない。

 全てはこの時のために一手ずつ積み重ねてきた布石。

 男に力を使わせ続け自我を摩耗させ、血に溶け込んだ殺戮衝動に飲み込まれる間際の間隙をつき洗脳、自身の手駒とする。

 取り付けられた首輪、照射され続けるシンクロトロン放射。それらは男の意識を上書きし乗っとるためのもの。

 

 全てはその先にある悲願のための手段だ。

 

「はは、ははは! いいぞ、漸くだ……! 憎悪を抱きしめ空を仰ぐしかった私が竜を落とす、その時がッ!!」

「あ、ああああああああッ!!!」

 

 両腕を広げ喝采をあげるロザン大佐の眼前。

 既に自我は吹き飛び、苦痛の咆哮を叫び続けるだけの獣に成り下がった男が最後の抵抗とばかりに右腕に変質能力の兆しが現出する。

 それを迎え撃つように構えたロザン大佐の右腕が──歪む。

 

「最後の悪あがきといったところか。無駄な事をッ!」

 

 身を切るような慟哭を放ちながら、男はロザン大佐に向けて飛びかかった。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 時は数時間ほど遡る。

 男によってひとりシェルターに入れられた姫──が、当然そのまま大人しく黙っていられる訳がなかった。

 

「ざっけんじゃないわよ!!」

 

 王族の力──権能の行使。

 個人によって仔細は異なるが、初代ドラグ王の血を継ぐモノは彼等の技術を持ってしても理解不能・原因不明の特殊な能力が発現する事がある。

 彼女に発現したソレはブラックボックスとでも言うべき未知の塊。

 歴代に同じ能力を持った王族はおらず、されどその出力は並ぶもの無し。

 敢えて名前を付けるとすれば正体不明──ドラグで最も威力の高い攻撃手段は先端兵器ではなく、一部の王族の権能、さらに細分化すれば彼女の一撃に他ならない。

 

 空間が軋みをあげ、巨大な槍の穂先へと変質した淡い金の髪の先端に絶大な破壊のエネルギーが刹那の間に収束。

 宇宙全てを探しても五指に入るであろう濃縮された破壊の力が解放の唸りをあげる。

 

 しかし、それは彼女が万全であればの話だ。

 

「嘘……でしょ……!? ごほッ、がはっ! ……ぐっ、うぅ!!」

 

 鼓膜を劈く轟音。しかし、派手な衝撃と反比例するように扉に付いたのは雨垂れが石を穿ったような小さな穴のみ。

 血塊が喉をせり上がり、吐き出す。白い床に赤い血が小さな水溜りを作るが、膝は屈せず。

 嘔吐感すら込み上げる痛みで不協和音を奏でる身体は無視した。

 

 死地である。絶死の戦場である。

 そんな場所に、大切な従者をひとりで行かせる主がどこにいる! 

 

 前に突き出した右腕で空間ごと握り潰すように力を込めていく。

 呼応して現出した権能が扉を潰し抉り取ろうとするが、ミシリという音が虚しく鳴るだけだった。

 

「────────ぁ」

 

 ぷつん、と。

 シャボン玉が消えるように吹き荒れていた力が胡散する。

 代わりに、とさりと子どもが倒れるような音と小さな少女の呻き声、粘着質な液体の落下音が空間を満たした。

 パサリと覆い被さる、衝撃によって宙に舞い上がっていた自身の騎士の贈り物。

 

 目や鼻から血が流れ、喉奥からせり上がり続ける血塊が内臓を損傷してしまっている事を示す。

 即座に身体が再生を始めるが、それすらも今の彼女には負担にしかならない。

 損傷箇所が再生し、その再生能力の使用により損傷しまた再生する。

 地獄のような苦しみだ。延々と身体を焼かれ続けているに等しい。

 幸いなのは……もしくは、不幸にも。辛うじて身体が壊れるより再生するスピードの方が早い。

 耐え続けていれば、いつか動けるようになるから。

 だから、彼女は再生を辞めない。

 

「……ぅ、あぅ、……ぐ、うぅ」

 

 床に這い蹲り己の血に沈む。

 権能行使の反動により指一本と動かせず苦悶の声だけが情けなく絞り出され続ける。

 しかし、その瞳は死んでいない。

 

 彼女が選んだのは待つ事だった。

 

 三日待つ訳では断じてない。

 体力が完全に回復するのを待ち……今の自分に許された最強の一撃を持ってあの扉を吹き飛ばす。

 大型母艦で艦長相手に行使したときや先ほども、本来の十分の一以下の力しか出せていない。

 何処まで出力を上げられるかは未知数。本当に破壊できるかも分からない。

 

 それでも、ただ時を待つ。

 現時点で破壊出来ない以上それしかできなかった。それしかできない自分が情けなくて、無意識に固く結んだ唇が切れた。

 

「何やってんのよ……」

 

 それは、誰に向けられた言葉か。

 急変する事態に思考が止まり、ただ守られていた自分に対してか。

 そんな彼女を守るのだと……ひとりで行ってしまった、行かせてしまった彼に対してか。

 やっとの思いで身体を起こし、壁に背を預けるように座った彼女は己の膝に顔を埋めた。頭から被ったクロークが追随するように垂れ、引き寄せるようにぎゅっと握る。

 

 ぽろぽろ、ぽろぽろ、と。

 小さな身体が力なく震えた。声を押し殺して啜り泣くように。

 涙が溢れたのは身体が痛かったからではない。

 身体は痛い。今にも頭を掻き毟りたくなるような責め苦だ。でも、それ以上に……心が痛かった。

 

 彼女はずっと、誰かの悲鳴を感じている。

 泣きたくて、叫び出したくて、狂ってしまいそうで。でも、それを全部全部抱えて、走っているような痛酷さ。

 長い時を融合していた影響か、はたまた別の要因があるのか。彼女は分離をした今でも彼の心を側で感じている。

 

 お前を守ると言われた。

 笑っていて欲しいと言われた。

 お前の事が一番大事だと、そう言われた。

 

 自分は騎士だと。守るべき彼女が無事でいてくれさえするなら、何があっても大丈夫。耐えられるからと、そう伝えるように。

 彼女に降りかかる辛く、苦しく、悲しい事は全部自分が引き受けるから。安心して欲しいと、その微笑みが言っているようだった。

 

「……ふざけんな」

 

 ──大丈夫なわけがない。

 耐えられるわけがない。安心できるはずもない。

 

 だって、彼の心はこんなにも哭いているのだ。

 助けてくれと、痛いのだと、苦しいのだと、今にも張り裂けてしまいそうだと叫んでいる。

 

 彼は普通の、善良な人間でしかない。

 自分たちのように戦いに明け暮れていたわけでも、血で血を洗い殺意が立罩めるような命を奪い合う戦場で生きているわけでもない。

 誰よりも、何よりも彼の近くにいた彼女だからこそ断言できる。

 彼は、何処にでもいるような善性を持ったひとりの青年でしかないのだ。

 

 人を傷つけて何も思わない訳がない。

 人を殺して何も感じない訳がない。

 斬られ、撃たれ、絶えず殺意を叩きつけられて、平気なわけがない。

 

 想像するまでもなく。考える必要すらなく。

 それはきっと、自分を死に至らしめた宇宙人に恩返しがしたいと言えて。今の状況の引き金で罪悪感と贖罪で動く宇宙人と当たり前のように行動できて。自分の身体をどうしようもなく変質させてしまった宇宙人に気にするなと笑えて……そんな彼にとって不幸を呼び込む存在でしかない宇宙人と一緒にいたいと心の底から言えるような優しい彼には、己の首を絞めるように苦しい事だ。

 

 それだけではない。

 殆ど確信に近い予想。此処までの状況が物語っている。

 今の彼はどういう訳か、与えられた肉体の力が暴走して肉体が急速に変質し続けている状態だ。このまま放置するとほぼ間違いなく……第二の彼女となる。

 彼女の肉体はそれに耐えられたとしても、その器である彼は大き過ぎる力を御しきれずに自滅する。

 空気を入れすぎた風船が破裂してしまうように。

 自家用車にF1カーのエンジンを積むようなものだ。過度な出力に擦り切れ自壊は避けられない。

 血に溶け込んだ怨嗟に飲み込まれた彼は、命ある限り全てを破壊する獣へと成り下がるだろう。

 

 変質が終わったとき、果たして彼は以前の彼と呼べるような存在だろうか。

 

 だから、やらなければならない事がある。

 他の誰でもない彼女が、やらなければならない。言わなければならない。

 

 そのときをじっと待つ。

 静謐な空間で存在感を放つ、竜の顎門を正面から象った金色の紋章が施されている扉を睨みながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれだけの時が経っただろうか。

 動き出しそうになる身体を必死に抑え続けた。

 魂を擂り潰すような男の悲鳴に荒れ狂う感情を閉じ込めるように己を律し続けた。

 

 そうして、気を抜けば意識が遠のく程の衝動に寄り添い続け……遂に、時は満ちた。

 

「……」

 

 体力の完全回復。

 腹の奥底に噴火寸前のマグマのような情動を溜め込んだ一匹の竜が解き放たれる。

 

 感触を確かめるように一度拳を作り、開く。

 全盛期には程遠いが、それでも分離以降最大の力が全身に漲っている。

 

「──ここに私を入れたアイツの気持ちも、分かるわ」

 

 静かに。

 日常で親しい人と話すような気軽さで。

 滔々と紡がれた言葉は何処までも自然で、だからこそ何よりも不自然だった。

 

「守りたい。そう、言葉にしてくれたもの。何の因果か、嘘をついてるかどうかも分かるわけだし。宝物を大事にしまうように。子どもを危険な場所から遠ざけるように。此処が安全だって確信があるのならそうするのも分かる」

 

 彼女の言葉に反応するものはいない。

 それを気にかける素ぶりもなく淡々と独り言を口にする。

 静謐な空間に反響する言霊。

 それはまるで、嵐の前の静けさのような不気味さを併せ持つ。

 

 もし、仮に彼女をよく知るものが今の彼女を見れば、口を揃えてこう評するだろう。

 

 ──ああ、ブチ切れてるな、と。

 

「でもね。──ただ守られるだけの存在にはなれない。決してッ!! 大切な人をひとりで死地に行かせはしない!!!」

 

 砲声は踏み込みとともに。

 溜め込まれた感情が決壊を迎え爆発する。

 

「アンタが私を大切に想ってくれるように! 守りたいと思うように!! 私だってアンタを守りたいって思うのよッ!!!」

 

 星々の光を束ねたような金の髪、それを突き破るようにツノが突き出す。

 人間の幼い少女のような見た目だった姿形が変わっていく。スケールはそのままに本来の姿へと変質していく。

 見開かれた瞳は縦に裂け、振りかぶった拳を覆うように鱗のようなものが纏う。

 

 現出した力の濁流に空間が、世界が悲鳴をあげ、濃密な力の波動が席巻する。

 

「だから──私のッ!! 邪魔を、するなあッ!!!!!」

 

 身を焦がす後悔と痛念、胸を裂く心の叫び。

 刻まれた王家の紋章。されど今のドラグの技術を持ってしても作れない、姫の知識を持ってしても正体がわからない技術力。

 目の前の扉、このシェルターは恐らく未来のドラグの王族の物だ。

 それが何で地球にあるかはわからない。分からないが、これが今、どうしようもなく目障りだ。

 

 だから、だから!!! 

 ぶち壊す。あらゆる壁を粉砕して先へ進む。

 泣き叫ぶほど苦しく痛いのに、カッコつけて笑った男の元へ行くために。

 

 あらゆる感情の詰まった心の雄叫びをあげた彼女の放った拳が扉に接触。

 爆発したかのような衝撃。

 海すら割りかねない規模の威力がたった一枚の扉にぶつけられる。

 音だけで生物を殺すほどの激音が駆け巡り、散らすように拡散させられた衝撃に空間が絶叫する。

 だが、壊れない。

 地球の技術より遥か先を歩むドラグの姫ですら正体の掴めないシェルターは、文字通り宇宙最強に数えられる一撃すら耐えきって見せた。

 

「──それが、どうしたああああッ!!!!!」

 

 一撃で壊れないのなら二撃目を打ち込めばいい。

 呼びおこせ、沸き起これ、現出せよ! 

 この身に流れる血に発現した力は絶対破壊の最強の矛。

 あらゆるものを粉砕しあらゆるものから守る無敵の劔。

 感情に呼応した血が無意識のストッパーを振り切り力を喚起する。

 

 例えこの身が潰えようと。

 更に力の出力が落ちようと。

 直ぐにでも男の元へ行かなければ何かが手遅れになる確信があった。

 心が痛い。涙が溢れる。それほど、男は苦しんでいる。

 

 今、行かなければいけないのだ。

 自分が、言ってあげなければならないのだ。

 こんな所で足踏みをしている暇はない。

 だからいい加減──。

 

「ぶっ飛びなさいッ!!!」

 

 握りしめた対の拳を叩き込む。

 拳から放出される命すら燃やした力の波動。

 その数、僅か一発。

 されど十分な一撃。

 ビシリと扉に亀裂が走り、刹那、破砕音が轟き吹き飛んだ。

 

 間髪入れず外へと飛び出し大地を踏みしめる。

 

「──っ!!」

 

 酷い光景だ。

 木々は吹き飛び、大地は荒れ果て、高度が削れ見下ろしていた家々がぐっと近づいている。

 つまり、それほどの戦闘があったことに他ならない。

 

 唇を噛んだ彼女は心の導くままに駆ける。

 口から血は溢れ、破裂した血管が腹を食い破り血を滲ませる。

 充血した瞳は視界を霞ませ頭を貫くような頭痛が苛む。

 

 幸いなことに軍人はいない。これで、走る事に集中できる。集中しなければ、まともに走れなかった。

 

 そうして懸命に懸けた先で、見つけた。

 人間の見た目から大きくかけ離れた──ドラグの民のような外見の男を。

 

「──やっと、見つけ、っ!?」

 

 男がロザン大佐に向けて驀進するべく一歩を踏み出した瞬間、彼女はロザン大佐の右腕から禍々しい力の波動を感じ取る。

 

 あれはまずい。

 あの上空に照射されている電流のようなものよりも、他のなによりもあれは悍ましい。

 

 声を上げようとして、奥歯を噛み締めた。

 完全に理性を失っている暴走状態だ。それに、声をあげたってもう間に合わない。

 

 判断は刹那。

 行動は一瞬。

 

 権能の行使。

 全力で走りながら振り払った右腕と連動するように大地が隆起し二人を遮断する。

 

「これはッ!?」

 

 突如現れた大地の壁に男が突撃した振動が周囲を震わし、驚愕を浮かべるロザン大佐。

 此処に集まっていたのか、群がってくる軍人たちを金の髪が吹き飛ばす。

 

「あ、あああああああ!! もうっ!!!」

 

 力の連続行使に身体が絶叫を上げ……無理やり意識の外から追い出した。

 

「目を──」

 

 激突した衝撃に硬直する男に向けて拳を象った金の髪を突き出す。

 並行するように権能の奔流を解放する。

 

「──覚ましなさいッ!!!」

 

 全力の一発。

 男に金の髪の拳が炸裂する。

 

 同時、二人を覆うように土のドームが形成されその姿を外界から遮断。

 数人の軍人が間髪入れず消滅弾を放つが、表面に触れた刹那に弾が吹き飛ばされる。

 

「無駄だ、あの力でコーティングされている……アレが切れない限り手出しはできない」

 

 意味のない行為だと苦々しげに吐き捨てたロザン大佐。その視線の先にある土のドームの中では、暴れまわる男を彼女が必死に抑えていた。

 

「あああああああああっ!!!」

「う、ううううっ! うああああああああっ!!!」

 

 無秩序に。体の奥底から湧き上がる衝動のまま暴れようとする男の身体に淡い金の髪が絡みつき動きを封じている。

 

「──ごめん! 私の弱さがアンタに決断をさせた!! 私の迷いがアンタに覚悟をさせた!!!」

 

 想定外の状況に翻弄された。

 罪悪感に押し潰されて、気にするなと笑える強さに甘えた。

 

 大切な事を伝えられなかった。

 

「辛いだろうけど! 苦しいだろうけど!! 私はアンタに残酷な事を言わなきゃいけない!! 他の誰でもない、私だけはアンタに言い続けなきゃいけない!!!」

 

 縛り付けていた髪が千切られる。

 動き出しを抑えるように飛びかかり馬乗りになり、身体ごと押さえつけるように金の髪が二人を包み込んで行く。

 

 言わなければならなかった事。

 男に勝手に肉体を渡した自分だからこそ、言ってあげなければいけなかった事。

 それは。

 

「──アンタは人間よ!! 私たちじゃない、ましてや化け物なんかでもない!!! 甘いものが好きで、お人好しで、優しい普通の人間ッ!!」

 

 瞳と瞳が交わる。

 方や、理性を失った獣の瞳。

 方や、縦に裂けた人外の瞳。

 鼻と鼻が触れ合う距離で、必死に呼びかける。伝える。想いが、心が届くように。

 

 例え誰に化け物と呼ばれようと。同じ人間にそう呼ばれなくなったとしても。

 自分だけは、貴方が人として自分にくれた優しさを、暖かさを叫び続ける。

 

「だから、私のようにならなくてもいいッ!! アンタはアンタで、私じゃない!!! 思い出して……!! アンタは地球の何処にでもいる人間のひとりで、そして、宇宙にひとりしかいない、私の騎士なんでしょう!?」

 

 だから、飲み込まれるなと。

 戦いに明け暮れ──いつしか呪われた王族の血の怨嗟になんか負けるなと。

 

「人を殺してしまった事、忘れろって言っても無理でしょう!? アンタはそれを一生悔やむ!! 仕方がなかったって、私たちのようには割り切れないっ!! でもね、今は頭の隅に蹴っ飛ばしなさい!! 自分をしっかり持ちなさい! アンタは誰!? 何のために、アンタは今ここにいるの!?」

 

 限界をとうの昔に超えた身体が崩れるような感覚。

 何処か遠いところで、取り返しのつかない何かが断ち切れた音がした気がした。

 それでも、死力を振り絞る。

 

 逃げるなと。向き合えと。

 ──私の知ってる貴方なら、きっと乗り越えられるからと。

 

「──だから、内に引きこもって蹲ってないで──立ちなさいっ!! 立て、立ち上がりなさい!!! 私の騎士ッ!!!」

 

 そうして。

 宇宙で一番彼に優しい涙を零し、宇宙で一番彼に厳しい声で彼女は怒鳴りつけた。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 ────殺せ! 殺せ! 眼に映るもの全てを破壊しろ!!! 

 

 ────お前は人を殺した化け物だろう? その姿を見てまだ人間だと言い張るつもりか? 

 

 頭に直接響くような声と、胸の奥底から湧き上がる声。

 常に聞こえるその二つがぐちゃぐちゃに混ざって、気が狂いそうで。

 そこに、突然俺を真っ白に塗り潰そうとしてくるナニカも加わって、俺を責め立てる。

 

 違う。俺は彼女を守るためにいるんだ。暴れたくて暴れて、殺したくて殺したわけじゃない。

 

 ──じゃあ、何で殺したんだ? 

 

 それは、殺さないと彼女を守れないからだ。

 人が危険な害獣を殺すように。危ないものは排除するのが普通だろう? 

 

 ──へえ。じゃあ、お前は殺人を楽しんでないと言うのか。

 

 当たり前だ。今は化け物でも、俺は人間として生きてきたんだ。殺人を忌避する道徳観はある。だから、向こうが襲ってくるから仕方なく──

 

 ──でも、お前は執拗に人を狙ったな? 

 

 ──────ー。

 時が止まったような気がした。

 いや、もう外のことはほとんどわからない。内面にだけ顕在化した意識だけの状態。

 ただ、それは致命的な一言だった。

 

 ──殺さないやり方もあったはずだ。行動不能に出来るだけの力がお前にはあったはずだ。よしんば殺すにしても、わざわざコックピットに乗り込んで直接手を下さなくても、例えば機体を破壊してやるだけで目的は達せられたはずだ。

 

 違う、違う! 

 余裕なんてなかった、そんな力なんてなかった!!! 

 俺は本当に精一杯で、彼女を守らなきゃってそれしか考えられなくて、だから、俺は──! 

 

 ──認めろよ。お前は必要のない殺人をわざわざ行った。良かったじゃないか。……お前は名実ともに化け物だ。

 

 その声は剥き出しの心に爪を突き立てるような悪辣さを持って、事実という刃を突き立てていく。

 反論はできなかった。

 だって、それは、紛れもなく俺が行った真実なのだから。

 

 そう思ってしまった瞬間、ピシリ、と何かに亀裂が入った気がした。

 

 ──まあ、いいじゃないか。結局のところ、お前の一番は彼女だ。だったらそれ以外どうなっても知った事じゃないだろう? 

 

 ……そう、だ。

 彼女が大事だ。

 俺は、彼女を守りたいんだ。泣いて欲しくないんだ。だから、俺は……。

 

 ──なら、邪魔なものがあるよな? 彼女に害をなすものがあるよな? 例えば……我が物顔で地球の空にのさばる宇宙船、とかな? 

 

 ……確かに、あれは邪魔だ。

 そうだよ、そもそもあいつらが来なけりゃこんな事になってなかったんだ。

 少なくとも、俺と彼女は融合したまんま、穏やかに過ごせたはずなんだ。

 そんな未来を、あいつらがぶち壊した。

 

 ──憎いよな? 許せないよな? 人の幸せな未来をぶっ壊したんだ……殺されても文句は言えないよな? 

 

 その通りだ。

 許せない。憎い。彼女を泣かせる奴らが。俺から幸せを奪った奴らが憎い。

 ──だから、殺したい。俺は、間違ってなんかなかった。

 

 怒りか、悲しみか。罪悪感か……恐怖か。

 涙が流れた気がした。

 止めどなく、溢れるように。

 何を起因にした激情か分からない。それでも、自分の中で結論が出た瞬間、涙が流れた気がしたのだ。

 

 ピシリ、と。何かに刻まれた亀裂が大きくなる。

 

 ──殺せ! 殺せ!!! 

 

 答えが出てしまえば、もう迷うことはない。

 ずっと耳元で叫んでいるこの怨嗟の声に身を任せて仕舞えばそれでいいのだから。

 ああ、反発しているときは黒い酸素を吸い込んでいるような息苦しさだったのに、受け入れると決めてこんなにも気が楽になる。

 

 なんだ、これなら。

 最初からこうしていればよかっ──。

 

『──目を覚ましなさいッ!!!』

 

 ──声が、聞こえた。

 不意に響いた愛おしい声が、容赦なく、躊躇いもなく、ひび割れた俺を殴り、ぶちのめす。

 

 その声は力強く俺を揺さぶってくる。

 

 逃げるなと。向き合えと。

 目を背けるなと。

 

 やめてくれと叫びたかった。

 痛いのだ。苦しいのだ。キツイのだ。悲しいのだ。いっぱいいっぱいの心は今にも張り裂けそうだ。

 逃げてしまいたかった。目を逸らしてしまいたかった。

 頭に響く声に従っていれば楽なんだ。これに身を任せれば、気がついた時には全てが終わっている。

 だから、俺はそう決めて──。

 

『立ち上がりなさいッ!!! 私の騎士ッ!!!』

 

 なのに、その声は。

 楽な方へ流れようとする竦んだ俺の心を、許してはくれなかった。

 断固たる拒絶の意思が込められた声が響き渡る。

 その声は、常に頭を侵していた声を吹き払ってくれるようだった。

 

 淀んでいた世界が晴れ渡る。

 明瞭になった視界の端で、さあ、早く来いとでもいうように誰かが手を指し伸ばしている気がした。

 そこに行こうとして無意識に踏み出した脚が止まる。

 

 あの手の先に行くということは、現実と向き合うという事だ。

 俺のやった事、これからやるかもしれない事、その全てを背負っていくという事だ。

 

『──早く行けよ、相棒』

 

 どん、と躊躇った俺の背中を強く押す誰かの手。

 たたらを踏むように前に踏み出して、慌てて振り返ったそこには誰もいなかった。

 

 一度小さく嘆息して、笑った。

 ひとつだけ、昔の事を思い出した。

 そう言えば、俺は誰かから身体を貰うのは彼女で二回目だった。

 今でもなんで記憶がないのか分からないけれど。アイツは天才だったのだから、きっとこれにも何か意味があったのだろう。都合よく記憶を消して、なおかつそれに違和感を覚えさせないなんて芸当ができるのはアイツぐらいだ。

 

 拳を握る。

 アイツから貰った力には随分と助けられた。彼女は驚いていて、アイツはなんて事の無いように使ってたのは不思議だけど。

 

 彼女を守る。

 そうだ。それが目的だ。

 でも、それだけじゃ無い。

 俺が本当に守りたかったのは彼女の笑顔だ。

 それが、俺の存在理由。

 

 その為にはやらなければならない。

 この身体に流れる血の怨嗟に打ち勝ち、彼女が心を痛める全ての悲劇を打ち崩し、最高のハッピーエンドを。

 声にならない想いを掲げ、俺は差し出される手の方へ踏み出し──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──遅いのよ。デートに遅刻は厳禁よ」

「──悪い、ちょっと寝てた」

 

 目が醒めると、そこは暗闇だった。

 ぼんやりと闇に相反する彼女の淡い金の髪が自分に巻き付けられている。

 安心したように彼女が身動いだ気配。次の瞬間、拘束感が消え失せ力の抜けた彼女が俺の胸にのしかかるように倒れこむ。

 

「お、おい! 大丈夫か!?」

「はは……ちょっと無理し過ぎたかも……」

 

 抱きとめるために彼女の背に回した手にねっとりと吸い付く生暖かい液体の感触。

 鼻をつく鉄の匂い。

 

 何故あのシェルター……アイツの研究室から出れたのかは分からない。

 でも、彼女が相当の無茶をしたであろう事は分かった。

 それだけの無茶をしてでも、破壊衝動に呑まれかけた俺を救いに来てくれたのだと分かった。

 

 情けなさに身体が震え、彼女を抱きとめる腕に力が篭る。

 

「……私、さ。やっぱり、戦争……して欲しくないなあ」

 

 意識が朦朧としているのか、力なく覆い被さる彼女はゆっくりと口を開く。

 

「……漫画の続きも気になるし……地球の食べ物、まだまだ食べてないものいっぱいあるし……まだ、かき氷……食べさせてもらってないもの……」

 

 そして、最後の力を振り絞るように俺の首元へ手が伸びる。

 金属の割れるような音が響き、俺の首元へ回っていた機械の輪がへし折られ外された。

 

「それに……星民のみんなが死ぬのは嫌だし……もちろん、地球人もよ……ふふ、おかしな話よね……私だって、この星を侵略する為に来たのに……」

「……何もおかしくないさ。考え方が変わるなんて、よくある事だ」

「そうかしら……そうだと、いいなあ」

 

 木漏れ日のように微笑んだ彼女。

 そして緩慢な動きで右手が俺の頰へ持ち上がり、触れる。

 高熱を出したように熱いその手から、何かが流れ込んでくる。

 

「忘れないで。私たちの力は……変化じゃなくて、変質。何かに化けるのではなく……変わるのよ。姿を変えるんじゃない……在り方を変じさせるの」

 

 玉のような汗が噴き出す身体。もう限界が近いのだろう、パタリと頰に触れていた手が落ちる。

 

「……私たちの血は、呪われてるわ。だけど、アンタなら……大丈夫。自分を、しっかり持って……」

「ああ。もう、大丈夫だ。……ありがとう。俺は、もう揺るがない」

「ふふ……そっか、安心……したわ……ごめん、私、こんな時だっていうのに、もう……眠くて……」

 

「──安心してくれ」

 

 途切れ途切れに言葉を紡ぐ彼女を抱きしめる。

 無限に湧き上がる彼女への想いを燃料に。心が。魂が燃える。

 俺という人間の一番強い芯とも呼ぶべき部分が輝きを発し脈動を始めた。

 

 人の身から外れ、意識を飲み込まれて取り返しのつかない事をした。

 それでもなお。それらを背負い彼女が笑える未来を掴むのだと。

 身体の奥底で炎が吹き上がる。

 

「ふざけた陰謀を全部ぶち壊して、この馬鹿げた戦争を止める。期待していいぜ。──お前の騎士が最高の未来を掴み寄せるから」

「昨日から、カッコつけすぎよ……ばーか。……暫くは動けないから、ちゃんと……守ってよね。私の騎士様」

「ああ。全部終わったら、かき氷を食べに行こう。美味しいところ、知ってるんだ」

 

 黒一色の空間に日差しが差し込む。

 音を立てて崩れていく土塊。

 いつのまにか雨は止んでいた。

 

「……ようやく出てきたか。随分と手を焼かせて──」

「──なあ」

 

 彼女を大切に抱えるように立ち上がった俺の背に投げかけられる言葉。

 今日だけでもう随分と聞いた男の声。ロザン大佐の落ち着いた声音。

 それを遮るように声を発した。

 

 ずっと、引っかかっていたことがある。

 大型母艦に突っ込んだときに宇宙人Bは確かに言った。

 激昂する宇宙人Aにむけて、確かにこう言ったのだ。

 

 どうせ言葉は通じない、と。

 

 彼女が地球の言語を扱えるのは俺の頭から記憶を覗いたからだ。

 俺が彼女たちの言語を直感で理解できるのは彼女と融合していた副作用みたいなものだろう。

 では、何故。

 

「──お前、なんであの時宇宙人Cが言ってた事が分かったんだ?」

「──────」

 

 虚を疲れたように瞠目するロザン大佐にいよいよおれは確信を深めた。

 よくよく考えれば不自然な点も多い。

 そもそも、地球側がとんでも技術を使用しているのがおかしいのだ。

 千年だ。アイツは、人類が追いつくには千年の時間が必要だと言った。

 たまたまその現物を手に入れたから出来ました、なんて単純な話ではない。

 それを扱うためにはそれを理解する理論がいる。

 その理論の構築、発見、理解に千年の時が必要だとアイツは言ったのだ。

 千年前の人類に電子機器を渡したところで、そもそも電気と磁力の区別すらないのだから活用するのは土台無理ということに近い。

 つまり。

 地球防衛軍の軍事力とは十年前に手に入れた技術ではなく──。

 

「お前、人間じゃないだろ。どこか別の星──それこそ、技術が発達した星から来た宇宙人だ」

「────だったら、どうするというのだね?」

「地球側にもなんかめんどくせえ事情……いや私怨かもしんねえけど。ぶち壊さなきゃいけない障害が増えただけだ」

 

 彼女をそっと地面に寝かせる。

 地面を変質させてクッションに変えておいたので寝心地はそう悪いものでもないだろう。

 

「……これ、返すわよ」

「……俺としては、お前に持ってて欲しいんだけど」

「剣のない……騎士なんて、かっこ悪いじゃない……」

「……仰せのままに、お姫様」

 

 しゅるり、と。

 彼女の身体に巻かれていたクロークが解け、俺へ渡される。

 もともと俺の左腕だったそれは、所々彼女の血で赤く染まっていた。

 

「……一応、最後に聞いておくが。私と来る気は?」

「この国の諺をひとつ教えてやるよ。二度あることは三度ある──しつこいんだよクソ野郎。2度とその面見せるな」

 

 三度の問いに切り返した直後、ロザン大佐が片手を上げたのを合図に武装した軍人が躍りかかる。

 

 数にして五。

 俺は迎え撃つように一歩を踏み出した。

 

 変化ではなく、変質。

 姿を変えるのではなく、在り方を変じさせる。

 彼女の言葉が脳内を駆け巡り、俺はひとつの答えを出していた。

 

「まず、ひとつッ!」

 

 突出して飛び出してきた軍人の剣を装甲で覆われた右腕で受け止める。

 次の瞬間、瞠目した軍人を駒のように回った俺の回し蹴りが吹き飛ばす。

 

「二つッ!」

 

 巨躯を誇る肉体から繰り出される豪腕が迫る。

 振り下ろされる打撃が胴を打つ。

 だが、そこにあるのは人間の身体ではなくそれを覆う銀の鎧だ。

 弾かれ後ずさった巨軀の男を飛び蹴りで吹き飛ばした。

 

 変わる、変じさせる。

 体の中を。外を。

 戦える自分になるために。彼女を守れる自分であるために。

 

「三つッ! 四つッ!」

 

 二人同時に斬りかかってきた剣を右腕と再生した左腕で受け止めた。

 手を離したクロークがひらりと宙を舞う。

 身体をを覆うように変質した装甲は生半可な刃を通さない。

 消しとばされるなら──消し飛ばされない鎧に変じさせればいい。追いつかない分は再生で誤魔化す。

 そのまま腕を掴み二人まとめて投げ飛ばした。

 

「五つッ!」

 

 後方に控えたいた軍人に飛び膝蹴りが突き刺さる。

 最後に顔を覆うように鎧が変質。全身を覆うアーマーと化した。

 しかし凄まじい筋力だ。軍人が反応できないとか相当だぞ。

 

「撃てぇッ!!!」

 

 着地した隙をつくように空気を叩く轟音を置き去りにした砲弾が迫る。

 瞬きの間に彼我の距離を喰い殺すそれを、一閃。

 真一文字に振られた剣。元はクロークだった銀の剣が砲弾を一刀両断にした。

 

「──中々愉快な姿だ。ここは特撮の現場ではないのだが」

「言ってろよ。この姿は俺の誓いだ。彼女を守れる俺であるために、俺は俺の在り方を定義した」

 

 後方で二つの爆発による爆風に曝される中、ロザン大佐の皮肉が耳朶を打つ。

 うるせえ、ほっとけ。

 

 人の身で、人ではない力を扱う。

 詰まる所、答えは最初から出ていた。

 

「俺が彼女の騎士であるために。ドラグのお姫様を守る、人間の騎士さ」

 

 変質した鎧は約束の砦。握られた剣は誓いの刃だ。

 

「吐いてもらうぜ、ロザン大佐。どうにもお前が鍵を握ってそうだ」

 

 剣を突きつけ、宣誓する。

 口元を忌々しげに吊り上げたロザン大佐と俺が正面衝突──する、直前だった。

 

「──ばかっ、なに、やってるの……はやく、逃げないと……!」

 

 相当キツイのだろう、息も絶え絶え、といった様子で立ち上がった彼女が悲鳴のような声を上げる。

 弾かれたように振り向いた俺の目に飛び込んだてきたのは、考えるのもバカらしくなるほどの巨大な船だった。

 

「あれ、なんかデジャヴ」

「あれは……不味いっ!! 総員退避!!! 急げ!!!」

 

 一目散に撤退を始めるロザン大佐達とは逆方向に彼女をお姫様抱っこして走る。

 多分近づいてきてるんだろうけどデカすぎてよく分からん。

 

「あれなに?」

「最初に、スカイツリーを……へし折った……」

「……それって星の最高戦力の一角を成すとか言ってたやつじゃ……」

 

 さあっと血の気が引くのが分かった。

 あの軍艦に一体どれほどの先端兵器が詰め込まれているのか。

 

「違う……問題は、そこじゃない……」

 

 だが、どうやら俺の想像は的外れらしい。

 その意味を問おうとした時、高さ20メートルはあろうかという津波がいきなり目の前に現れた。

 

 比喩ではない。

 正真正銘、本物の。

 膨大な砂で形成された津波が、街を破壊しながら唸りを上げて迫ってきていた。

 

「なにこれええええええ!?」

 

 絶叫が口からまろび出る。

 冗談ではない。あんなの巻き込まれるとひとたまりもないぞ!? てか既に逃げ場がねえんだけど!? 

 

「……最初に、あの不思議な弾を撃たれた時……私たちには、効果が波及しなかったわよね。……多分、同じように艦長たちも生きてる。生きて、情報を持ち帰った。……つまり、あれは援軍なのよ……それも、王族の乗ってる、ね」

「簡潔に言えば!?」

「身ひとつで国ひとつ、簡単に潰せちゃう……宇宙人が乗ってる船が、攻めてきた」

「バカじゃねえの!? バッカじゃねえの!? お前王族なんだろ!? なんとかなんねえの!?」

「…………………………」

「このタイミングで限界来ちゃうぅっ!?」

 

 全力で走りながら、絶対に離さまいと力を込めて。

 次の瞬間、俺は視界の端に見えたシェルター……相棒の研究室に飛び込んだ。

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