――拳の応酬。二人の激突を端的に表現するとすれば、それが一番しっくり来るだろうか。レオンが繰り出した拳を防ぎ、ときにはその身に受けながらも怯むことなく、お返しとばかりに殴り返していく。
「ああぁぁぁッ!!」
「っ!」
左、右と続いて、下方から繰り出されるレオンの左拳。最初の二段はその身に受けつつも体勢を崩さず、アッパー気味の拳を両腕で捉え、ジェイクはがっちりとホールドする。
「てめぇっ……!!」
「うああああぁぁぁっ!」
そのまま右腕のみで掴みなおし、空いた拳をレオンの顔面に何度も打ち付けていく。一撃、二撃、三撃――四撃目を繰り出そうとしたところで、レオンの腕が伸び、受け止められてしまう。お互いに両腕が組み合わさり、拳を振るえない――そんな中、先に動いたのはレオンである。
「おらぁっ!!」
「ぐぅっ!!?」
半ば反射的な動きでレオンの膝が持ち上がり、ジェイクの腹部に膝を叩き付けた。鳩尾――人体急所の一つに受けた衝撃は、これまで果敢に攻めていたジェイクが息を呑み、思わず後ずさってしまうほどの威力があった。
「――っ………っ!!」
――しかし、後ずさったのは半歩にも満たない短い距離。俯けた顔を持ち上げ、レオンを睨むその瞳には確かな力が宿っている。その目を見て、まだ倒れないと察したのかレオンは続けざまに膝を叩き付けようとして――
「っ――!」
「くそ……っ!」
足が持ち上がり、一瞬レオンが片足立ちになるその刹那、掴んでいる右腕を放し、レオンの体に手を当てる。そしてさらに彼の方へと近寄り、その片足を絡ませた。それによってレオンはバランスを崩し、追い打ちをかけるかのように地面に叩き付ける。
「がっ!? ぐぅっ……!」
辛うじて首を起こし、後頭部から地面に激突することは避けたものの、それでも背中で受けた衝撃は凄まじく、肺の中の空気が吐き出された。意識が飛びそうになる――気合いでつなぎ止めたレオンの光景には、馬乗りになってマウントをとる弟分の姿。
これはまずい――自身に馬乗りとなって拳を振り下ろそうとするジェイクの腕を掴み、そのまま力比べとなって互いにもがいていく。だが、体勢的に馬乗りとなっているジェイクの方が圧倒的に有利なのは明白であった。
「くぅぅ…………ぁぁぁぁああああぁぁぁっ!!」
「なっ!?」
このままではやがて押し切られる――ジェイクの下でもがくレオンは自由に動く両足を踏ん張らせて、ジェイクごと自身の体を動かした。突然の動きに、レオンの上に乗っていた彼はバランスを崩す。その一瞬生じた隙に、レオンは体を捻り馬乗り状態を脱出。
「ちぃっ……!」
「くそっ……!」
そのままジェイクを引き倒し、今度はこちらがマウントを取ろうとしたもののあえなく失敗。互いにごろごろと地面を転がりながら距離を取り、すぐさま立ち上がって二人はかけ出した。
「うおおぉぉぉぉぉっ!!」
「らああぁぁぁ――がっ!?」
叫び、二人は拳を振りかぶりながらかけ出して――拳ではなく、レオンの右足がジェイクの体を捉えた。
――フェイント……!!――
「――おらぁっ!!」
蹴りの勢いを利用してレオンはさらに体を回転させ、今度は左足による回し蹴りを叩き込む。回転による遠心力が乗ったその蹴り技は、防ごうと構えたジェイクの防御を崩した上で一撃が入る。
「――っ」
その重い一撃――打ち方は異なるが彼の戦技である“鳥飛び”――を受け、ジェイクは後ずさる。――だが今回も、半歩ほど後ずさっただけであった。どちらかというと痛みではなく、技の衝撃によって少し下がった、というべきか。
「――――」
レオンの重い蹴り技をやり過ごしたジェイクは、今度はこちらの番だと言わんばかりに拳を振りかざす。頑ななまでに引き下がる様子を見せない弟分に、レオンは拳を握りしめる。――不思議と、体の痛みは感じていなかった。それはきっと、向こうも同じだろう。
「あああぁぁぁぁっ!!」
「うおおおぉぉぉぉっ!!」
ジェイクが叫び、滑り込むようにレオンの間合いに入り込む。その瞬間を見逃さず、レオンは負けじと拳を突き出した。だがその拳を、ジェイクは片腕で受け止め、もう片方の拳をレオンの鳩尾に叩き込む。
「ぐっ……があぁぁぁっ!!」
その衝撃に息が詰まる――だがやはり、不思議と苦しさは感じない。急所に一撃を貰ったというのに、レオンは怯むどころか動きが緩慢になることすらなく、全力の拳を突き出した。
互いに拳をぶつけ合いながら、文字通り一歩も引かない激闘を繰り広げている。二人が戦う理由は一つ、どちらもケジメを取るために。
戦う理由は同じ――しかしその根底にある“思い”は異なっている。片や実兄の敵を討ち、自身の目の前を歩き続ける幻影を消し去るために。片や暴走しかけている弟分を止めるために。
譲れない思いを抱く者同士。その思いに突き動かされ、自身の肉体を動かしていた。例えどれほど痛みを――肉体からの危険信号を受けようとも、それぞれが抱く思いが、精神がそれを押さえ込むだろう。
――精神が肉体を凌駕している――故に二人は止まらない。目の前の障害を叩きのめすか、もしくはどちらかの肉体が“物理的限界”を向かえるか。どちらかの結末を向かえない限り、あの二人の戦いは終わらないだろう。
「――っ、レオンさん……!!」
今にも互いを殴り続けている凄惨な激闘に視線を向けて、エルガは表情を歪める。あのままでは二人ともまずい。勝っても負けても、ただでは済まない――一刻も早くあの戦いを止めなければ。しかし焦るエルガに向けて、小柄な男はするりと間合いに入り込んできた。
「――よそ見をする余裕があるのか?」
「っ!?」
一息に数度振るわれる短剣。そのどれもが、的確に急所を狙った斬撃だった。息を呑み、短槍を回転させる要領で次々に短剣を弾いていく。
「………っ!」
その急所狙いの短剣を相手に、エルガは攻勢に出ることが出来ない。短槍とはいえど、長柄の武器――密着状態を維持してくる短剣使いが相手では、槍を構える間合いが生み出せなかった。
手傷を負うことを覚悟すれば攻勢に出られるが、全ての斬撃が急所狙いとなればそれも難しい。――例え急所狙いでなくとも、男の短剣に触れてはならないとエルガの直感が告げていた。
短剣の刀身がぬめりとした鈍い光を反射している。金属による反射ではない――何かを塗ってあり、毒の類いだと推測するのは容易だった。
(この人、確実に”殺しに”来ている……!)
「…………」
顔を引きつらせて防御と回避に専念するエルガと、無表情のまま、殺意に満ちあふれた短剣による猛攻を仕掛けてくる小柄な男。今は何とか凌げている物の、このままではいずれ短槍による防御が崩される――
「――――」
「――……っ!」
不意に、男の短剣捌きに乱れが生じる。それまで最小限の軌道で急所を狙ってきたはずの短剣が、大きく軌道を逸らした。有り体に言えば男が”空振り”してきたのだ。
好機――だがそれは、相手が”作ってくれた好機”であり、罠であることは見え見えであった。一瞬体が反応しかける物の、すんでで引き留め、攻めることはせずに距離を取る。
「――中々冷静じゃないか、若いの」
「……貴方も若く見えるけれど?」
エルガが距離を取ると、男は攻めずに彼を見据えてそう呟いた。男の発言に若干眉を寄せながらエルガは問い返す。これといった特徴のない顔立ちをしているとはいえ、まだ二十代半ば頃であろう。彼の問いかけに、男はふっと笑みを溢し、
「外見はな」
(……じゃあいくつだよ)
驚きの発言に、エルガは短槍を握りしめながら内心疑問に思う。外見は若く見える――ならば一体実年齢はいくつなのだと。そんな疑問を読み取ったわけではないだろうが、男はさらにクックックと笑みを溢しながら口を開いた。
「この稼業は長くてな。顔が割れると色々と厄介なのだよ。だから自身の顔を定期的に変えるようにしている」
「整形か」
予想外すぎる返答に顔を引きつらせるも、その戦い方と今の発言から、男の稼業がなんなのか予想が付き始めてきた。――そのどれもが、人様の為になるとは思えない稼業だが。
「……あんたは何者だ? 正直、ろくでもない奴としか思えないが……」
「何、ただの暗殺稼業を営む”人殺し”だ。人を殺すことを商売とする……お前達遊撃士とは真逆の存在」
だからこそ、と人殺しを自称した男はさり気ない動作で短剣を持っていない左腕を曲げ――そこでようやく、その手に握られていた黒光りする何かに気づく。
(――いつの間に……!)
――パシュ、と空気が抜ける音と、キィンと何かを弾く音が連続して響いた。短槍を振り上げて“銃弾”をぎりぎりで防いだエルガは、男の左手に握る拳銃に目をやった。
導力拳銃――その銃口には、筒のような長いパーツが付け加えられている。銃器に詳しくないエルガでも、そのパーツがなんなのかは分かる。消音器――銃声を押さえ、隠密生を高めるパーツ。
「――だからこそ、お前のような遊撃士は気に入らん。民間人の保護……綺麗事をのたまうお前達がな」
「……殺人と比べると数百倍マシに思えるけど」
こちらを見下すような視線を向け、反吐が出るとばかりに吐き捨てた男に、エルガはカチンと来る。瞳を細め、槍を握る手に力を込めた。しかし男は薄ら笑いを浮かべて、
「――良い子ぶるなよ、偽善者が。お前の手は、すでに”汚れている”」
「―――――」
――瞳を見開き、エルガは固まった。我を忘れたかのように押し黙る彼を見て、やはりかと初見の時に抱いていた予想が的中したことを実感する。
「言ったはずだ、この稼業は長いと。貴様からは別のにおいもするが……”血のにおい”もする」
「…………」
――スコープ越しに”遠くから見たとき”、男はエルガに対して同類という感想を抱いたのだった。自身と同じく、彼も”人殺し”だという感想を。押し黙ってしまったエルガに対して、男は饒舌となって語りかける。
「どれだけ取り繕おうと、どれだけ償おうと、罪が消えることはない。……どんな意図を持って遊撃士になったのかは知らないが、もしも贖罪のためだとしたら……それは無駄な行いだと、早々に理解した方が良い。どれだけ贖罪を果たしたとしても、その罪は常に貴様に付きまとい、破滅に導くだろう」
「………………」
槍を持つ手から力が抜ける。――戦いの最中だというのに俯き、端から見れば戦意を失いつつある様子に、男は口の端に笑みを浮かべる。彼の様子から察するに、的中とは行かずとも概ね方向性はあっていたようだ。
上手いことそこを刺激して、戦意を奪ってしまえば良い。口八丁で丸め込め――そうした理由は、あのまま短剣と拳銃で勝負を付けるのも良いが、彼の思わぬ実力を前に、それは少々厳しいと言わざるを得なかったからだ。
あのまま戦えばこちらが負ける――それはないだろう。おそらく自分が勝つ、だが時間はかかる。それは避けたいところであった。もう夜が明けている。昨日の騒動によって正規軍やTMPはまだ動けないだろうが、直に帝都中を走り回ることになるだろう。
そうなってしまえば、幼い少女を連れ回す二人の男など悪目立ちしてしまう。それに何より――“あの女狐”の機嫌もある。
「――だから偽善者なのだ。民間人の保護という綺麗事に酔い、自らの悪性から目を背け……ふとした拍子に消えない罪に気づく。そして罪から逃れるために、綺麗事を行う。欺瞞に充ちている。滑稽だとは思わんか?」
「……………」
どこか勝ち誇った表情を浮かべて問いかけてきた男に対し、エルガは何も答えない。ただ構えていた槍の穂先を少し下ろして――
「――むっ!」
――唐突に目の前に現れた”槍の穂先”を短剣で防ぐ。尋常ではない重さが、その槍には込められていた。得物が交差し合う中、向こう側にいる少年と目が合った。――純粋な怒りに染まる瞳に睨まれ、男は顔を歪める。
「――当て推量で好き勝手言いやがって。言っておくが、俺が遊撃士やっているのは贖罪じゃあない。……恩返し、それだけだ!!」
突き出した槍を引き戻し、再度男を貫こうとする。その一撃も短剣によって阻まれた物の、流れるような動作で槍を振るいエルガは一気に責め立てた。先程までの防戦一方とは異なり、彼が攻勢に回っていた。
突如激しさを増した攻撃に男は驚いた物の、すぐに内心でほくそ笑む。先程のエルガの防御は的確であり、彼の技の冴えと冷静さが現れていた。だが今の攻勢は違う。確かに槍の一撃一撃は素早く重い――だが、“雑さ”も現れている。冷静さを失っている証拠であった。
「そうか? それにしてはずいぶんとムキになっているようだが」
「―――――っ!!」
こちらの当て推量を否定するようなことを言っていた彼だが、完全に間違いと言うことではないのだろう。こうして怒りを露わにし雑な動きが出始めているのだから。短剣で槍の一撃一撃をいなしていく。
「戦いでは冷静さを失ってはいかん。常に冷静さを保ち、理性で本能を押さえつける。それが出来ない者から――」
槍の薙ぎ払いを防ぎ、突き出される穂先を弾き、唐竹割とばかりに振り下ろされる一撃を受け止めて、男は“その瞬間”をひたすら待ち続ける。そしてついにエルガが繰り出してきた、“大ぶりの一撃”、それを捌き――
(っ! しま――)
――体勢が崩れ、隙を見せてしまったエルガに男は一歩踏み込んで呟いた。冷静な声音で、事実を淡々と告げていく。
「――死んでいく」
「―――」
彼の眼前に、左手に持つ拳銃を突きつけた。目の前にある拳銃を見つめて固まるエルガ。そんな彼を見て、男は笑みを浮かべて引き金を引き――
「っ!?」
パシュ、という消音器付故の発砲音が鳴るよりも少し早く、エルガはしゃがみ込む。結果、拳銃から放たれた弾丸は、動きについて来られなかったエルガの白髪を数本持って行くことしか出来なかった。
(――なんと……! だがっ)
咄嗟の行動だろうが、しかし悪あがきに過ぎない。すぐさま銃口を下方にいるであろうエルガへと向けて。
「――なっ」
――長年暗殺業を行っていた男が、その予想外すぎる動きを見て絶句する。何せしゃがみ込んだ彼は左手を地面につき、それを軸にして急回転。一瞬にして男の背後を奪ったのであった。
「――このっ!」
「っ!」
振り向きざまに短剣で斬りつける。しかしその剣撃は、これまでの急所狙いとは異なり、破れかぶれに繰り出した一撃であり、立ち上がりながら槍を振るったエルガによって短剣ごと弾かれてしまった。残った武装は、左手の拳銃と――
「――ダメじゃないか、冷静を保たないと」
「貴様……っ!」
意識的に冷静な口調をした彼から告げられたのは痛烈な皮肉。それに表情を歪めながら拳銃の銃口を向け――それよりも早くエルガの突進突きが拳銃を貫いた。
「ぐぅっ……!」
拳銃を貫き、エルガはそのまま男を通り過ぎるように駆け抜け――そこで急ターン。踵を返して再度突進突きを繰り出す。高速で、しかも何度も繰り出される突進突きを前に、男は身を捻ってダメージを軽くすることしか出来なかった。
(なんという速さ……先程までとはまるで違う……!)
体の動きも速いが、何よりも。避けようとしても、”避けた先に穂先が突っ込んでくる”。これは――
「――無明ヲ、貫ケ――」
こみ上げてくる何かを必死に押さえつけるような、重く響く声音を残して、龍の闘気を纏った彼が突っ込んできた。おそらく最後の一撃だろう。何度も突き技を避けようとしも避けきれずにダメージを負ったが、しかし。
「っ!」
懐から”二本目の短剣”を取り出し、こちらに突っ込んでくるエルガ目掛けて投擲する。このタイミングでの投擲に、いくら早くとも反応することは――
「―――なっ」
男の目が捉えたのは、迫り来る短剣に対し、”短槍を一度手放し、体を地面と水平に倒した状態で捻り”、短剣を回避した姿だった。そして手放した短槍がまだ宙にある内に掴みなおし、なおも突っ込んでくる。今の動きをやれと言われて、咄嗟に行える自信はまるでなかった。
(――今の反応は……! そうか、これは純粋な速さではなく……っ!)
「――――――龍天裂波」
龍を纏ったエルガの一撃が、男に叩き込まれた。
「うおぉぉぉぉぉっ!!」
「らあぁぁぁぁぁっ!!」
互いに繰り出した拳が、互いの頬を捉える。もはや互いに相手の拳を避ける、防ぐなどといった防御はせずに、殴られながら殴りかかる血みどろの激闘へと変わってしまっていた。レオンもジェイクも、もう痛みなど感じていなかった。
互いに後ずさることはあっても、痛みに呻くことはない。気合いの声を、叫び声を上げながらただひたすらに拳をぶつけ合っていく。
「――……っ!」
レオンの拳をぶつけながら、ジェイクの脳裏にはこれまでの思い出が蘇っていた。実の兄であるガシャドが、フガル・スミットウェールに助けられ、彼に憧れたこと。そして兄を通して、同じようにフガルに憧れていたレオン・オーガストと出会ったこと。
兄弟の契りを交わした二人を、誇らしく見守っていたこと。ある日を境に、憧れから自立し、自分の道を歩き始めたガシャドを頼もしく思ったこと。――そして、レオンに言われた言葉。
『だからお前は……憧れるだけの俺になるな。ガシャドの兄弟と……ガシャドの兄貴と同じように、自分の道を歩け。なんたってお前は――』
『あいつの、弟なんだから』
――ガシャドの実弟――気がつけば、その肩書きが重くなっていたのもその頃だろう。極道の世界においても、舐められないように、見くびられないようにしなければならなくなっていた。
そして突如耳にした実兄である二代目暗殺事件。それと同時に、二代目若頭であったレオンも自ら組を抜けて足を洗い、堅気へと戻っていった。そんな中、初代党首であったフガル・スミットウェールに呼び出され、肩を叩かれながら言われたのだ。
『あの二人がいなくなり、三代目はタシースが襲名した。だが、彼では少々力不足……そこで二人の弟分であったお前に、タシースを支えてやって欲しい』
『――フガル代行……俺が、ですか?』
『あぁ。すでにタシースとも話はつけてある。……頼むぞ、ジェイク』
――二人が憧れた人に頼まれた以上、何としても支えてやらなければならないと、ジェイクは心に決めたのであった。
しかし二代目が暗殺された一件、その後に起きた土地の利権売却問題を通し、さらに二代目との手腕の差もあり、三代目若頭としての力不足を痛感した。
『――あーあ、二代目が生きていればなぁ』
『もしくは、”獅子”がまだいれば……クックック、噂じゃ若い娘と暮らしてんだろ? 毎日がお楽しみで羨ましいね』
囁かれる陰口。不当に貶められる兄貴分。それが堪らなく悔しかった。そんな”雑音”を黙らせるには、証明するしかなかった。
――自分は、兄を超えていると。そのためには――
『――私と、手を組みませんか?』
『――あなたの目の前には、”越えられない壁”がある。一生かけても乗り越えられない壁が。なぜそんな壁が目の前にあるのか、疑問に思ったことはありませんか?』
『答えは簡単です。なぜなら――“この世界は、そういう風に出来ているから”』
『馬鹿げているとは思いませんか? 巫山戯ているとは思いませんか? もしそう思っているのなら……貴方の力を、私にお貸しただけませんか?』
『私のことを警戒し、胡散臭いと思っているのは承知していますわ。しかし、互いに”利”がある……そうは思いません? なら”利”があるうちは、信頼はともかく信用は出来ると思うのですが』
胡散臭い“魔女の力”を借りてでも、実の兄という壁を乗り越えてみせると誓ったのだから。
「……なんで、だ……っ!」
互いが互いの拳を繰り出し、受け止め、力比べとなる中、レオンは声を振り絞りながら問いかける。
「なんでそうまでして、ガシャドを超えなきゃならねぇ……!」
「兄貴を超えなきゃ、俺は背負うものを背負いきれない……!!」
力比べは互いに拮抗状態。どちらも気を緩めることは出来ない。一歩も引けない状況の最中、半ば叫ぶような気負いで彼らは己の本心を吐露する。
「今の地位について分かった……兄貴がどれだけの物を背負い、支えてきたか……! ひねくれ者、荒くれ者、クセが強い奴ら……放っておけば、それこそ抗争を始めかねないあんな連中を、たった一人でまとめ上げていた……!!」
「知っている……! その様を、すぐ側で見てきたからな……!!」
ジェイクの圧が強まった。それに負けじと、レオンの力を込めて対抗する。――レオン自身も不思議であった。それまで全力を出していたというのに、限界を超えたこの力は一体どこから出てくるというのか。
「ならわかるはずだ……! ”あんたのせいで”舐められた俺達に、あの連中をまとめるのは不可能だって事を!」
「っ!!?」
――あんたのせいで。その一言はレオンの胸に突き刺さり、力が緩む。力比べは押し切られ、ジェイクの拳は受け止めていた彼の手を振り切ってその顔面に叩き込まれた。
やはりタシースとジェイクが傘下組織をまとめきれなくなったのは――組員から舐められるようになったのは、あのとき自分が二代目の”ケジメ”を付けなかったから。それが原因となって、彼らに余計な重荷を背負わせてしまった。戦う直前に頭に過ぎった予想が的中したことに、滾る獅子の心が静まってしまう。
「だからこそ示さなきゃならねぇんだよ、俺は二代目を超えたって証を!! これは実弟――血の繋がった兄弟である俺がやらなきゃならねぇんだ!!」
叫び、放たれる拳。レオンは防御を取ることすらなく、次々と繰り出される拳打をその身で受けていく。――まるで、それがケジメを取らずに逃げ出した自分への罰だと言わんばかりに。大鷲のかぎ爪が、獅子の急所へと吸い込まれる。
「俺は……! 俺が! ”兄貴の代わりに”……!!」
「――――」
――兄貴の代わり。その一言が、獅子の心を奮い立たせる。レオンに吸い込まれるように放たれた拳をがしっと受け止めた。
「――この馬鹿野郎が!!」
即座に叫び、反撃の一撃を叩き込んだ。その一撃を受けても、やはりジェイクは怯まない。それを承知の上で、レオンは続けて叫ぶ。
「ガシャドを超えるのはいい!! だが、アイツの代わりなんて誰にも出来ねぇんだよ!!」
「だが、それをやらねば!!」
「”二代目”の代わりなんざ、その気になりゃ誰にだって出来る!! だがな、”ガシャドの代わり”なんて、例え空の女神だろうが出来ねぇんだよ!! それが”人間”だぁ!!」
「っ!!?」
絶叫の最中に繰り出される拳。それまで全く怯まなかったジェイクが、その絶叫と共に繰り出した一撃を受けて初めて怯んだ。
能力や役割などと言った、”社会的地位”に類するものであれば、確かに代わりになる者、なれる者はいるだろう。――しかし、”人間個人の代わり”など、出来るはずがない。ジェイクの叫びは、その本心は――“二代目の代わり”などではなく、“ジェイクの代わり”になろうとしている――レオンはそう感じ取ったのであった。
「いつまでも兄の背中を追ってるんじゃねぇ!! そのまま追い続けたら、お前は”ガシャドの模造品”、それが限界だ!!」
「――――」
ガシャドの模造品――言い得て妙なその例えに、ジェイクの拳が止まる。わかっていた。口ではどれだけ超える超えると言っていても、その根底にあるのは”兄の代わり”にならなければという思い。
――皮肉な話である。兄の代わりになる以上、兄を超えることは出来ない。かといって兄を超えてしまえば、兄の代わりではなくなってしまう。目的を果たせば目標が崩れ、目標に達すれば目的を果たせない。己の中にある矛盾を、“兄貴分”の言葉によって初めて自覚する。
例えこの場を切り抜け、ナギサの力を使って兄を殺した者を見つけ出し、ケジメを付けたとして。その先に、一体何がある? 一体何を考えている?
自問し、その答えはすぐに出て来た。――なぜなら、”何もなかった”から。ケジメを取った後、自分は何をするのか。兄を超えた、と思っていた目標を果たした先に、一体何があるのか――
「ガシャドを超えるのは良い……!! たが、”アイツになる”のはダメだ……!!それじゃ結局、アイツを超えるなんて出来やしねぇ……!!」
もう互いに、拳による応酬はなくなっていた。互いに息も絶え絶えな様子で、レオンは似たようなことをもう一度、ジェイクに言い聞かせるように伝える。彼は体を震わせ、拳を握りしめて呟く。
「……じゃあ……じゃあ俺は、どうすれば良かったんだよ……! あんた達が投げ出した”大事な物”を、守ろうとした俺は……!!」
「――自分一人で背負い込もうとすんじゃねぇよ、馬鹿たれが……!」
目の前で今にも泣きそうになっている弟分を前にして、レオンはうっすらと微笑みを浮かべた。――自身と二代目の後始末を付けるためにがんばっていた弟分へと近づいて、労るようにその肩に手を置いた。
――ずいぶんとでかくなったなぁ、コイツも――内心でわき上がる寂しさに苦笑しつつ、色々な意味ででかくなった彼に、
「……そんなお前の……お前とタシースの苦労に気づけなかった俺も、相当な馬鹿だがな……だが、相当な馬鹿でも、自分のケツは自分でふくさ」
「……あんた」
目を見開き、兄貴分を見つめるジェイクの表情には驚愕が浮かんでいた。握りしめていた拳から力が抜け、彼はレオンを見つめながら声を絞り出す。
「……サリスのお嬢さんのことは、良いのかよ……だって、大事な――」
「母親の墓前で、土下座しなきゃならねぇだろうがよ……それでも、俺にだってやらなきゃならねぇことがあるさ」
――引き取ったサリスを、ヤクザの娘としないために極道から足を洗ったレオンだったが。やはり極道として過ごした二十年は、切っても切れない関係にあるらしい。それに彼女も、最初は怒るだろうが、最後には肩をすくめて認めてくれるだろう。極道社会に入るときも、そうだったように。
「悪かったな、全部お前達に押しつけて、背負わせて。……お前が背負ってる物、少しは俺にも背負わせろ」
「――――――」
レオンが口に出した言葉に、ジェイクは瞳を見開き、動きを止めた。――それは、つまり。その先の言葉を続けようとして、その前にふぅっと深く息を吐き出したレオンが、口の端をつり上げて、
「だが……ケジメは、ケジメだ」
「――――」
――顔面に飛んできた拳を避けることも出来ずにその身で受け、それが最後となってジェイクは後ろから倒れていく。――相も変わらぬ”照れ隠し”に、安らぎと安心感を覚えながら。
あの日以来ずっと重かった肩が、ようやく軽くなった気がした。