英雄伝説『外伝』 刻の軌跡   作:雨の村雲

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4-03 罠

 

 

――夢を見た。

 

 

「――くそ……!」

 

短槍を地面に突き刺し、今にも倒れそうな体を必死に支えていた。体中傷だらけで、息は荒い。白髪をたなびかせるエルガは、必死の形相で暗い森の中を見回している。

 

「”アイツ”は、どこに……!!」

 

 

――夢を見た。

 

 

必死に周囲の気配を探るものの、”奴”の気配は感じられなかった。一体どこにいるというのか。目と耳を澄ましても、暗い森の中に潜み、木々が擦れる音に紛れてその姿を捉えることすら出来ない。

 

「――――っ!!?」

 

短槍を構え直し”奴”を捉えようと必死になる中、あざ笑うかのように横手の木々が激しく揺れて、”長大な針”が飛来する。その針の先端には、エルガが流した血がこびり付いていた。ぎりぎりの所で針に気づいた彼は、迎撃せんとばかりに針にむかって穂先を突き出し――

 

――針が、急激に軌道を変えた。

 

「――ぐっ!!」

 

こちらが突き出した穂先を避けるかのように鈍角を描き、エルガの体を貫く針。たまらず口から血を吐き出し、襲ってきた”奴”は彼を吹き飛ばして手荒く針を引き抜き、また暗い森の中へ滑り込んだ。

 

暗い森に身を潜め、奇襲し、回避も迎撃も困難な急所狙いの一撃を繰り出し、そしてまた身を潜める――この繰り返しだ。

 

 

――懐かしい夢を、見た。

 

 

エルガはこの陰湿な襲撃者の姿を未だに捉えられないでいる。ちらりと見えた前傾した姿から、おそらく獣の類いだと思われるが――はっきりとは分からない。とっくに死んでいるはずの傷を負ってなお、エルガは短槍を支えに立ち上がろうともがいていた。

 

「……くそったれ……!! いい加減に――」

 

いい加減にしやがれ――陰湿な襲撃者に対し毒を吐き出そうと顔を持ち上げたときに、視界にある人物が入り込む。

 

「――なっ」

 

十二、三歳ほどの少女。後ろ姿なため顔立ちはわからないが――無防備を晒す少女に、エルガは目を見開いた。

 

「――ナギ……リー……っ!?」

 

咄嗟に左手を伸ばして少女の名を呼ぼうとするも、一体”どちらの名前で呼ぶべきかのか”分からず、言いかけては口ごもり、そこでエルガは固まってしまった。――それが、致命的な失敗だった。

 

「――――ぁ………」

 

視界の隅に、前傾姿勢を保ったまま疾走する一匹の獣が目に映り、獣が有する針が、目の前の少女を貫かんとばかりに放たれて――

 

「やめろ……っ!」

 

その光景を目の当たりにして、ようやく体が動き始めたエルガ。だが負った傷は深く、そして距離があった。出来たのはただ、獣を止めようと左手を伸ばして叫ぶことだけ。

 

「やめてくれ!! 逃げろ”リーゼ姉ちゃん”!!」

 

しかしその叫びは届かず、獣の針は、少女の体を穿ったのであった。

 

 

――とても嫌な、夢を見た。

 

 

 ~~~~~

 

翌朝、早々にミリー宅を後にしたエルガの気分は最悪であった。

 

「き、気持ち悪い……うっぷ……」

 

どれだけ酒を飲まされたのか覚えていない。ずきずきと痛む頭と気怠さ、そして気持ち悪さに思わずため息をつきたくなってしまった。これが二日酔いという奴か。初めて経験したが、師匠が苦しんでいた理由がよく分かってしまった。

 

「もー二度と酒は飲まんぞ俺は……」

 

青ざめた表情を浮かべたまま歩き続けた彼は、ようやく遊撃士協会に戻ってきた。まだ早朝ではあるが、煙突から煙が上がっていることから誰かいるのだろう。扉を開けて中に入った彼は、そこでゲッと顔をしかめたのだった。

 

「――お帰りなさい、エルガ君。さて、まずは言い訳を聞きましょうか」

 

「……ち、違うんです、ダーゼフさん……」

 

にっこりと怖い笑顔を浮かべたダーゼフが、自身のことを出迎えてくれたのだった。

 

 

アスノを送り届けた後、ミリーが“悪漢”に襲われていたことをダーゼフに説明し、途中で出会ったコトナと共に彼女の自宅で一晩厄介になったことを説明し(その時、何もなかったなとしつこいぐらい聞かれた)、説教を受けた後、エルガはくたびれた様子で受付のソファに深く腰を下ろす。

 

ダーゼフから二日酔い用のクスリと冷たい水を貰ったのだが、クスリが効きにくい自分ではあまり効果がなかったのか、気分が良くならない。ずきずきと痛む頭を押さえて、エルガは首を傾げる。

 

「……何か、忘れているような……いたたた……」

 

その忘れていることを思い出そうとすると、頭痛がひどくなる。顔をしかめたエルガは、とりあえずそのことは置いといてとばかりに、ダーゼフが持ってきてくれた野菜スープに口を付ける。

 

胃に優しい味、というのはこういうのを言うのだろう。固形物を食べる気にはなれない今のエルガにはありがたかった。ただ、彼が作ったにしては、やや味が違うような気がする。

 

首を傾げながらも野菜スープで軽い朝食を終え、しばし休憩を挟んだ後。朝日も昇りきった時間帯になると、それまで人がいなかった受付にも先輩方が依頼の確認や昨日の仕事の報告にやってきていた。

 

「――あ、おはようエルガ君。昨日はどうしたの? ……っていうか、顔色悪いけど大丈夫?」

 

「おはよう、アニーさん。……まぁ、昨日はちょっとね……」

 

やがてアニーも遊撃士協会にやってきて、ソファで腰を下ろしているエルガに気づき、眉根を寄せる。心配してくれている彼女に、エルガは苦笑を浮かべて大丈夫だと頷いた。

 

気持ち悪さはなくなったものの、謎の頭痛はまだ続いている。とはいえ、これもやがて消えてしまうだろうが――だが、妙に長く続くのが気になった。今は気にしても仕方がないと肩をすくめていると、アニーが瞳を細めて、

 

「……お酒の匂いがする」

 

「…………」

 

――鋭い。こちらに問いかけるようなきつい声音に、エルガは顔を逸らして口を閉ざす。だがその反応は自白していたも当然だったのだろう、ますますアニーの瞳が鋭くなった。

 

「エルガ君、お酒は二十歳になってからだよ」

 

「……いや、俺帝国人じゃないし。外国だと16歳でOKな所も――」

 

「でも今帝国籍でしょ!」

 

「い、いやそうだけど……」

 

何とか誤魔化そうとする物の、アニーには通じなさそうであった。唇をすぼめ、これは違うんだと、なおも言い張ろうとするエルガの逃げ道を塞ぐかのように、少女の横やりが入る。

 

「――ふーん、女の人の部屋に泊まったばかりか、そこでお酒まで飲んでいたなんて」

 

「な、ナギサさん?」

 

心なしか声音に棘が感じられる。なぜかやけに不機嫌そうなナギサが、お盆を持ったままジト目で睨み付けながらそう言ってくる。湯飲みをずいっと差し出してくるが、なぜ彼女が不機嫌なのかエルガには分からなかった。

 

「……へぇ。ちょっと詳しい話を聞かせて貰おうかな、エルガ君」

 

すっとアニーの視線まで厳しくなる。据わった目つきで見られ、エルガはドキドキしだした。主に生命の危機を感じ取って。

 

「いや、あの……ナギサさん? アニーさん?」

 

「何」

 

「なんですか、エルガ君」

 

ただ名前を呼んだだけなのに、なぜこうも背筋がひやりとするのだろうか。唇をすぼめ、なぜ自分が怒られているのかその理由を必死に考える物の、答えは出て来そうにない。どうしよう、どうしよう――ナギサが差し出してくれた茶に口を付けるが、味なんてよく分からない。――いや、そうだ。

 

「えっと、その……ナギサ!」

 

「だから、何」

 

未だにジト目を向けられて心が折れそうになる物の、ぐっと息を飲み込んで、

 

「朝、野菜スープ作ってくれただろ? あれ、旨かったぞ。また作ってくれ」

 

「へ? あ、あれぇ? う、うん……そ、そう……ありがとう………」

 

今朝のスープのことを持ち出すと、一瞬で顔を赤らめ、コクコクと何度も頷くナギサ。その間決して目線を合わせようとしない物の、嬉しそうにしているのがわかる。

 

「でも、なんで分かったの? 持って行ったのはダーゼフさんだったのに」

 

「流石に分かるって」

 

「そ、そうなんだ……エルガは、私の料理が分かるんだ……」

 

(……勘違いしてそうだけれど、放っておこう……)

 

仏頂面を浮かべようとして、しかし堪えきれずにはにかむ彼女を見て、「ダーゼフさんが作った物じゃないって事は」と続けようとした言葉を飲み込む。彼作ではないのなら、消去法でナギサしかいないだろうという考えでの解答であったことも。一方、そんな二人のやりとりを見ていたアニーは、どこか微笑ましげに二人を見ているのだった。

 

とにかく、これで彼女達の怒りの矛先を避けることが出来たとホッと息を吐くエルガに、ダーゼフは声をかけた。

 

「エルガ、今大丈夫ですか?」

 

「え? はい、大丈夫ですけれど……?」

 

受付でちょいちょいと手招きをしている彼の元へ近づくと、一枚の書類――遊撃士協会に寄せられた依頼書を見せてきた。

 

「この依頼を任せたいのですが、体調のほうは大丈夫でしょうか」

 

「あぁ、すみません大丈夫です……って、アレ?」

 

差し出された依頼内容を見たエルガは眉根を寄せた。依頼書に書かれた内容は「地下道に不審者あり」という簡潔な物である。先日発生した”大地震”以降、帝都内の治安は悪化しており、こういった不審者関連の依頼が舞い込んでくることが多いのだ。

 

それだけならばエルガも不信に思うことはなかっただろう。だが気になる点が一つある。

 

「……不審者の目撃現場が、地下道の”墓所”………」

 

「えぇ」

 

ポツリと呟いたエルガに同意するようにダーゼフは頷いた。地下道の墓所と言えば――

 

「大地震の”真実”に関してはあなた達から聞いています。だから事情を知っているエルガに頼みたいのです」

 

「念には念を入れて、ってことですね。わかりました」

 

声を潜めて会話をする二人。ダーゼフには大地震の真実――”緋色の空”の一件について説明はしてあるのだが、ダーゼフ本人はその記憶を”大地震が発生した”として認識しているため、事情を話しても俄には信じがたいと言わんばかりの表情を浮かべていた。

 

それは当然の反応だろう。だが本人もどこか”違和感”はあったらしく、最終的にはこちらの話を受け入れてくれた。緋色の空の発生地である「地下道の墓所での不審人物」という”怪しさ”が含まれた依頼を、エルガに回してくれたのはそういうことがあったからだ。

 

ちなみに、緋色の空を引き起こしていたあのペンダントだが、全て”行方不明”になってしまっている。あのドタバタに紛れて何者かが回収したのか、それとも事象が修正されたことによって”原因”そのものも消されたのか――気になるが、現状これ以上どうしようもなかった。

 

「……一応アニーさんにもこのことを伝えても?」

 

「……いえ、アニマ君には伝えずに……人手が欲しいのでしたら、ナギサさんを頼るべきかと」

 

「ナギサを?」

 

念のために事情を知るアニーを頼ろうかと思ったのだが、ダーゼフに首を振られ、代わりにナギサを薦められる。その反応にエルガは眉根を寄せた。――本当にそれで大丈夫なのだろうか。

 

ブレイツロックの件がこれで完全に解決したとはいえ、彼女は未だ空賊団に狙われている身。それに緋色の空の件でも、空賊団が動いていたという話も耳にした。連中が近くにいるのは間違いないのだ。

 

だが墓所で何らかの異変が起こっていた際、彼女の力が必要になる。その場合を考えると――彼女の同行は、悪い話ではないかも知れない。危険性はあるが――それは、言い方はアレだが“必要経費”という奴だろう。

 

 

――普段であれば気づけたかも知れない。二人の考えは、“民間人の安全を第一とする”という遊撃士の理念から外れかけているということに。得体の知れないものに誘導されているような、そんな感覚にも――

 

 

 

 

ナギサに事情を話し、彼女の協力を得られたエルガは二人並んで遊撃士協会を後にした。その背中を見送ったアニーは、受付で難しい顔を浮かべているダーゼフに気づき、首を傾げて近づく。

 

「ダーゼフさん、どうかしたんですか? そんな難しい表情を浮かべて」

 

「……いえ、どうにも違和感が拭えなくて……何か、間違いを犯してしまったかのような……」

 

じっと手元にある依頼書に目を向けながら眉根を寄せるダーゼフに、アニーはそっと手を差し出した。

 

「それがエルガ君に頼んだ依頼ですか? ちょっと見せて下さい」

 

「えぇ、それは別に構いませんが」

 

そう言って持っていた依頼書をアニーに渡してきた。それを受け取った瞬間、彼女は眉根を寄せて困惑し、ダーゼフへと視線を移す。

 

「……これが、依頼書ですか?」

 

「そうですが……何かありましたか?」

 

その困惑に、ダーゼフは首を傾げた。依頼書を渡した直後――つまり内容に目を通す前に異変に気づいたのだ。そして、彼女の気遣うような視線がやけに気になった。恐る恐る、こちらの様子をうかがいながら、アニーは口を開く。

 

「だってこれ――」

 

 ~~~~~

 

「…………」

 

「……大丈夫なの?」

 

「大丈夫だ……多分」

 

額に手を当てながら地下道を進むエルガに、ナギサが声をかけてきた。いつも通りの平静とした表情を浮かべているが、その声音からこちらを気遣ってくれていることが伝わり、エルガは肩をすくめる。

 

実際二日酔いの気持ち悪さはほぼ消え去り、今では体調もすっかり元通りになっている。――未だに続く謎の頭痛を除けば、だが。

 

そしてこの頭痛も、先程からずっと抱いている”違和感”について考えようとする度にひどくなり、そして考えることを止めると痛みがすぅーっと引いていくのだ。だからこそ気になってしまうのだが。

 

(………なんなんだ一体……?)

 

この頭痛に苛立ち、冷静さを失いかけてしまいそうになるが、それを辛うじて引き留めているのが隣にいるナギサの存在であった。横目で彼女を見やると、すました表情で前を向いていた。

 

(…………)

 

ポニーテールにまとめた黒髪を見ると、脳裏に”あの子”のことが浮かび上がってしまう。――嫌な夢を、見てしまったからだろうか。視線を感じたのか、彼女は不意にこちらを見て首を傾げる。

 

「どうしたの?」

 

「いや……なんでもない」

 

――守らないと。あの子とナギサを重ね、さらにはあんな夢を見てしまったためか、彼女を守らねばならないという思いが強く吹き出してくる。首を振り、エルガはそっと拳を握りしめるのであった。

 

 

あまり会話もなく地下道を進み続け、不審者を見たと言う例の墓所にやってきた二人は、周囲を見渡した。広い空間に、中央には石碑――慰霊碑が建てられており、それ以外は以前ブレイツロックが戦闘訓練を行っていたあの場所と似たようなつくりだった。

 

「……異常はなさそう。エルガは?」

 

「………」

 

周囲を見渡し、上位三属性の気配を探っていたナギサはそう呟いた。元々ここに来たのは不審者情報故であり、あくまで上位三属性絡みは念のためである。その三属性の気配もなく、異常は感じられなかった。

 

取り越し苦労だったかなと思う反面、エルガは険しい表情を浮かべて短槍を引き抜いていた。その表情を見て、ナギサは嫌な予感を感じ取る。

 

「……エルガ?」

 

「合図したら振り返らずに後ろに――いや、それもダメか……!」

 

ちらりと後ろを振り返り、ちっと舌打ちを放つエルガ。

 

「くそ、なんで気づかなかった……!?」

 

「どうしたの……!?」

 

明らかに狼狽しているエルガに、ナギサは慌てて声をかける。――その問いかけに応えたのは、エルガではなく、広場に響く声であった。

 

 

『――申し訳ありませんわ。貴方に気づかれないよう、私たちも細心の注意を払った物ですから』

 

 

「え――?」

 

唐突に響く女性の声。知らない声ではない――そのことに気づいた二人は、目を見開いて広間の中央に目を向ける。

 

ちょうど慰霊碑が置かれている場所――慰霊碑の前に、幾何学的文様が描かれた光る円が現れる。その円から光が立ち上り――一人の女性の姿が現れた。金髪にメリハリのある体――昨日不幸な事故のような出会いを果たした女性が。彼女の名を、エルガは眉根を寄せて口に出す。

 

「…………コトナ、さん……?」

 

「えぇ、コトナですわ、少年。しかしそれは私の名ではありません」

 

ふふっ、と妖艶な笑みを溢して口元を隠すコトナ。流し目を向けてくるその視線をあっさりと受け流し――というよりも気づいていない様子の二人に、クスクスと笑みを溢して。

 

「さぁ、出番ですわよ――私の私兵………“北の猟兵”達」

 

「――北の猟兵……!?」

 

コトナが口に出した名に目を見開くエルガ。北の猟兵――それは大陸北部にある『ノーザンブリア』を拠点とする猟兵達の名だ。

 

二十年以上前、元は公国だったノーザンブリアの地に”大災害”が発生し、公国は壊滅状態となった。その後残された”軍隊”が猟兵団となったのが「北の猟兵」である。そのため猟兵団の規模は大陸最大を誇り、練度も高い。

 

――当然だろう。彼らの双肩には、ノーザンブリアの民達の命がかかっているのだから。彼らが猟兵業として稼いだミラは、そのほとんどがノーザンブリア復興のために使われている。

 

練度の高い猟兵団が、彼女の呼びかけに応えるかのように続々と現れる。広間にあった隠し扉やいくつかある通路から、挙げ句の果てには頭上から飛び降りてくる者達もいた。一体どこで待機していたというのか。――今は、そんなことを考えている余裕はない。

 

(……囲まれた……! それに――)

 

目を向けずとも、気配を読めばわかる。墓所に繋がる通路全てに猟兵達が陣取り、全員が見覚えのあるライフルを構えていた。――以前見たときは空砲だったそれらだが、今は確実に実弾が込められていることだろう。

 

そして、頭上から飛び降りてきた二人。一人はガタイの良い猟兵達の中でも、一際大柄な大男。身に纏っているプレートアーマーを窮屈そうに着込み、導力機構を持つ長剣とライフルで武装していた。

 

その男の隣に降り立った、金髪で長身の男。プレートアーマーを纏っている物の、ライフルは持たず、長剣と盾で武装した仮面の男。

 

「――これで何度目かわからんが、俺達は空賊だ、“糞女”」

 

「おやおや、もう女狐とは呼ばないのですが?」

 

「貴様のような”性悪三桁歳の老人”に、女狐などと可愛らしい呼び名は女狐が哀れだ」

 

「これはまた……あまりの嫌われように、私涙が止まりませんわ……」

 

姿を現したと思ったら早々にコトナに猛烈な毒を喰らわせる仮面の男――否、ネモ。“誰でもない男”の名を持つ彼は、まるで仇敵と対面したかのような剣呑とした雰囲気と殺気を醸し出していた。

 

そしてそれをぶつけているのはコトナに対してである。一体どういうことか、放っておけば今にも仲間内で争いそうなほど殺伐とした雰囲気が流れている。

 

「……エルガ、周りの人達の様子が……」

 

「うん、わかってる。……どうもやっぱり空賊団でも、色々とあるみたいだな」

 

だがその雰囲気を発しているのはネモのみである。背中に隠れるようにぴったりとくっついたナギサの言葉に頷きつつ、そっと周囲に視線を巡らした。

 

「――――」

 

「――――」

 

(……無表情で、目が虚ろ……それに、妙にふらふらしている……)

 

遠目から見ているためはっきりとは分からないが、それでも猟兵団――否、空賊団全員の特徴は見て取れた。どこかぼぅっとした様子であり、心ここにあらず、と言った感じである。――まるで、”何者かに操られている”かのような。

 

「……コトナさん。何で貴方が……貴方が、空賊と……!」

 

短槍を目の前にいる彼らに突きつけながら叫ぶエルガ。鋭い刃を突きつけられながらも、コトナは平然とした様子で――むしろ、あざ笑うかのような微笑みを浮かべて、

 

「おやおや、まだ分からないのですか。それとも……信じたくないのですか?」

 

「っ……!」

 

「まぁどちらにしろ、この状況でそれを察せられないのでしたら……正直、遊撃士は向いていませんわ」

 

――分かっているとも。言葉にはせず、エルガはただコトナを睨み付けた。

 

空賊団を私兵と呼んだこと、彼らと共に現れたこと――そして事情はあるが、空賊団も彼女に従っているような素振りを見せていること。空賊団の狙いは、自身にしがみついているナギサが狙いである。

 

――以前スミットウェール邸でレオン達と話したことを思い出す。あのとき自分は、空賊団には何らかの事情があって事を起こしたのではないか、と言うようなことを口にした。その事情に、コトナが関わっていると仮定すれば。

 

そして以前、サラとトヴァルがネモと一戦交えたときに、彼が口にしていた”依頼”ということを結びつければ。――これらを踏まえれば、見えてくる物がある。

 

「……貴方が、ナギサを狙う黒幕……」

 

「えぇ、そうですわ。改めて、自己紹介と参りましょう。コトナ・ターシュネルとは依り代の名。私は”還魂の魔女”……ロゼリア・リッチネルドと申します」

 

「……ぁ……っ……!」

 

そう言って恭しく一礼をするコトナ――否、ロゼリア。依り代、還魂――彼女が口にした言葉を耳にして、ナギサの瞳はある光景を映し出す。

 

 

 

『――おやめなさい、ロゼリア。その秘術は歪んでいる、間違えています。人の生を、生き方を歪める……そんな物を使ってまで――』

 

長く美しいブロンドの髪を持つ、甲冑に身を包んだ女騎士が止めようとしていた。会話から察するに、秘術とやらを使おうとしているのだろう。だが制止を振り切った老婆は、彼女を見つめて、

 

『貴方に言われたくはありません、リ〇ンヌ。あなたこそ歪みの体現者でしょうに』

 

『………』

 

返された言葉に、騎士――リ〇ンヌは何も言えずに押し黙ってしまった。老婆は杖を片手に、彼女を真っ直ぐ見つめる。――その瞳には、確かな決意と覚悟が宿っていた。

 

『この帝国に深く根付いた〇〇に対抗するために……そして、牢獄に幽閉された師と、”黒”に目を付けられたドラ〇〇ル〇……そして貴方を解放するためには……この歪みさえも、使わなければならないのだから』

 

まっすぐ見つめるその瞳には、年老いた老婆とは思えぬほど澄み切った光を宿していた。その瞳を見て、リ〇ンヌは何かを口にした。

 

 

 

――だがナギサの目が映し出した光景はそこで途切れた。彼女が何を言ったのかはわからない。”眼”が発動した反動による頭痛に耐えながら、ナギサはロゼリアへと視線を移した。先の光景が”昔にあった出来事”ならば、あの老婆がロゼリアになる。

 

一体どういう経緯があって若返ったのかは分からないが――しかしあの老婆が浮かべていた、決意と覚悟を宿した澄み切った瞳は――すでに跡形もなく淀みきっていた。そこにあるのは、ただ己の欲望を見たさんとする薄汚れた光だけである。

 

「――さて、それではまずはご苦労様です、と申しましょうか、エルガ君? 貴方が連れて来てくれたおかげで、用事が素早く終わります」

 

「……何? うぐっ……」

 

にっこりと笑みを浮かべて労いの言葉をかけてきたロゼリアに、エルガは眉根を寄せて首を傾げる。――”連れてきた”? その言葉の意味を測りかね――突如感じた鋭い頭痛に、思わず顔をしかめて頭を押さえた。

 

「え、エルガ?」

 

「ふふ、痛いのでしょう? でも大丈夫ですわ、今……解いてあげますから」

 

ナギサの心配そうな声も届かず、身悶えるエルガにたいしてロゼリアは指を振る。たったそれだけ、それだけでエルガの頭痛は綺麗に消え去り――霧が晴れたかのように頭がはっきりすると同時に、“昨晩の出来事”を思い出すことが出来た。

 

意気消沈していたアスノを自宅まで送り届けた帰り道、”古の兵士”に襲われていたミリーを助けたこと。

 

その後コトナ――ロゼリアが現れ彼女と共にミリーの自宅で一夜を明かしたこと。その際に酒を飲まされ意識を失った夜、ロゼリアが自分に何かを仕掛けたことを。

 

 

『我が言葉に耳を傾けよ』

 

『明日、遊撃士協会にとある依頼が届きます。その依頼は地下道の墓所に縁深い物……気になったあなた方遊撃士は、エルガ君とナギサの二人だけで墓所まで来させます』

 

『あぁ、それと……貴方に縁のある方達にも、同様の認識を持って貰いますね』

 

『――では、よろしく頼みましたよ、エルガ・ローグ君?』

 

 

「――――ぁ…………」

 

「……エルガ、今のって……」

 

――脳裏に浮かび上がった昨晩の記憶。暗示によって認識を変えられた、”呪い”をかけられた瞬間の出来事。それを、”眼”を通してナギサも見たのだろう、彼のジャケットを掴む手に力が込められた。

 

しかもエルガはただ暗示をかけられただけではない。遊撃士協会全体に、その暗示が――呪いがかかる“基点”にもされたのであった。つまり指示を出したダーゼフにも、エルガを通して呪いがかけられ――普段であれば疑問に思うことを疑問に思わず、暗示に従ってナギサと共に地下道に赴くよう言ったのだ。

 

――彼らは知らない。それは数年後の未来において、”魔女と聖杯騎士”が使った術に酷似していることも、”蛇の使徒”の暗示にも通じていることも。

 

「ふふ、思い出して頂けましたか?」

 

「っ……お前……っ!」

 

知らぬうちに利用されていたことを自覚し、エルガの眼に激しい敵意が宿る。だがその視線に対し、ロゼリアはますます笑みを深くさせていく。――その様を見て、隣のネモはわざとらしくため息をついた。

 

(この女……むしろ敵意を向けられることに悦びを感じている節さえあるな……)

 

どことなく嬉しそうな性悪女に嫌気がさす。そして、さらにエルガを煽るかのように、女は言葉を投げかけた。

 

「ともかく、これで貴方の役目は終わりですわ。……ですがこんな簡単な術に引っかかってしまうだなんて……遊撃士が聞いて呆れますわね」

 

「………っ」

 

「エルガ、聞いちゃダメ!」

 

知らぬうちに、良いように利用されていたことに衝撃を覚えていたエルガは、やや冷静さをかいており、普段であれば聞き流せた挑発にも苛立ちを覚えてしまう。服を引っ張るナギサの言葉に頭を冷やせたが――続く言葉は、例え普段通りだったとしても、聞き流せはしなかっただろう。目を瞑り、小馬鹿にするようにロゼリアは口にする。

 

「――そんなんだから、貴方は何も救えず、何も守れず……同じ過ちを繰り返すのですよ?」

 

「――――――」

 

何も救えない。何も守れない。過ちを繰り返す。――それだけは、認められなかった。認めるわけにはいかなかった。

 

悲劇を繰り返さないために、この手で誰かを守り抜くために――誰かを救うために、槍を手に取ったのだ。ロゼリアの言葉を認めることは、今までの行い全てを否定することになるのだから。

 

気がつけば、力強く掴むナギサの手を振り払い、彼はかけ出していた。制止の言葉を振り払い、エルガは突進突きをロゼリアに向かって突き出して――

 

「――――っ!」

 

横手から現れた大男の剣が、エルガの短槍を弾いた。

 

「――ゾルダ、あんた……」

 

「……体は重いが、動けるぜ。……全く忌々しい」

 

短槍を弾かれ、距離を取ったエルガを見やりながら大男――ゾルダ・ヴァリウスは舌打ちを一つ付く。睨み付けるかのようにネモを、そしてその隣にいるロゼリアを一瞥した後、エルガに向かって口を開いた。

 

「――騙して悪いが仕事でな。坊主、オメェをブッ倒して嬢ちゃんを連れて行く。それが嫌なら――」

 

「――その構え!?」

 

腰に吊っていた銃剣付きのライフルを左手に持ち、”剣と銃”の二刀流となったゾルダに、エルガは既視感を抱いた。だがそれを口に出す前に、自身に向かって突撃してきた彼によってかき消される。

 

「――”黒鬼”に勝って見せろ」

 

「……っ!!」

 

間合いに入ると同時に振り下ろされた一撃はとんでもなく重く――下手な受け方をしたエルガは、後方へ吹き飛ばされたのであった。

 

 




ようやく名前が判明した女狐こと、コトナ・ターシュネルこと、還魂の魔女ロゼリア・リッチネルド。ところでロゼリアという名前、どこかのちんちくりんな長に似ていますね。どのような関係があるのでしょうか。


そして閃Ⅲの終盤にあった魔術と聖痕の合体暗示。あれと同じようなものを”単独で”扱える辺り魔術の技量に関しても相当なレベル。さらに老婆から若者へと若返った今の姿、三桁歳ーーろくでもない予想しか出来ないですね。


さて、ゾルダさんに「騙して悪いが」(本人が騙したわけではない)されたエルガ君もきな臭いものを感じさせてきましたね。彼が抱える問題も、そろそろ明らかになります。
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