英雄伝説『外伝』 刻の軌跡   作:雨の村雲

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今話で5章終了となります。次回からはエピローグ的な後日談と共にいくつかの番外編を予定しております。また次回はやや投稿が遅れるかと思います。


5-12 後始末

エルガが放った一撃は魔人の背後に浮かぶ宝玉を砕き、巫女の加護を得た穂先は魔人の体に深々と突き刺さる。短槍越しにエルガの手に伝わる感触、それに眉をひそめるのもつかの間、槍を押し返さんばかりの抵抗が襲いかかってくる。

 

「なっ……!?」

 

『――――アアァァァァァァァァッ!!』

 

耳を劈くばかりの方向に思わず顔をしかめ、短槍を引き抜いて後退する。魔人の放つ絶叫にはなぜ、どうしてこうなった、という疑問が。そしてこんな事はありえない、という否認の感情が宿っているように彼らは感じて。

 

その理由もすぐに分かった。エルガが槍を突き刺した箇所から光が――霊力が溢れ出しているのだ。月魂の回廊から取り込んだ霊力が吹き出すその様子は、まるで血のように見えた。エルガが突いた一撃は、図らずも致命傷となっていたのだった。

 

『アアァァァァァーーーー!!』

 

魔女がどれほど叫ぼうが、致命傷を負ったという事実が書き換わることはない。雄叫びを上げながら、魔人の巨体は徐々に光の粒子となってかき消えていく。

 

「こ、これは……!!」

 

「ロゼリアの、魔人としての肉体が消えようとしているんだよ。……この回廊……いや、異界の霊力は強力だが、同時に強い毒を持っている。霊力を取り込み自分自身を強くしても、肉体がそれに耐えられずに崩壊する……」

 

光を放って消えていく魔人を見上げるレオンに対し、ダルテはゆったりとした歩調で前へ進みながら口を開いた。そしてフードを外し――エルガ達に対し背中を向けているため顔が見えず、分かるのはくせっ毛のある青白い長髪ぐらいか。

 

「――――」

 

ダルテは何かを呟き、大杖を掲げて宝玉から光を放つ。その光と、ロゼリアが作り出した亜空間全体が光り輝き――

 

「な、何が……!?」

 

「光が……まぶしい……!!」

 

徐々に強まっていく光を前に、ダルテを除く全員は目を開けていられず、顔を覆いながら困惑する。だが光の中心点にいるダルテは穏やかな声音で淡々と告げてくる。

 

「――大丈夫、危険はない。魔人は……勘魂の魔女、ロゼリア・リッチネルドは倒された。亜空間も、そして彼女が造り上げた異界も、消えようとしているだけ。……現実世界に戻ろうとしているんだ」

 

そう言って、光の向こう側にいる彼は振り向いた――ような気配を漂わせて、

 

「――異界が崩壊しかけている今が、一番霊力が活性化している。……別れを告げるなら、今じゃないかな」

 

「別れ、だと……?」

 

「――………」

 

困惑するレオンだが、おそらくダルテは彼ではなく、エルガを見て言っているのだろう。――もっと言えば、エルガの首に掛かっているペンダントに向けて。占い師の意図を察した彼は、やけに重い体に活を入れ、懐に手を伸ばし――

 

 

 

 

 

――ナギサ――

 

「……ぇ……」

 

光に包まれた視界の中で、ナギサは自身を呼ぶ声を耳にした。驚きと共に、背けていた顔を正面に向けると――いつの間にか、眩いばかりの光はなくなっていた。

 

かわりにあるのは真っ白な空間。前後左右どこを見ても白一面であり、立っていることすら分からなくなりそうなほど白く塗りつぶされた――けれど怖さは感じず、ただ穏やかな雰囲気を漂わせる空間だった。

 

「今の……声……」

 

聞き覚えのある――また聞きたいと願った声。その願いは叶わないと知っている声が聞こえたことに、ナギサは戸惑いを隠せず、辺りを見渡して――

 

「――こっちよ、ナギサ」

 

「―――あ……」

 

もう一度声が聞こえ、彼女はすぐさまそちらを見やり、瞳を潤ませる。そこにいたのは、白と紅の和服――カンナギの一族に伝わる巫女の衣装に身を包んだ黒髪の女性。

 

「……おかあ、さん……っ」

 

「えぇ。ナギサ……よくがんばったわね」

 

「――――……っ!」

 

穏やかな、そして優しげな表情で微笑みかけてくれる母親――カエデ・カンナギ。その姿、そしてその表情はナギサの記憶にあるものと同じであり、感極まった彼女は表情を歪ませて母親の胸に飛び込んでいった。

 

「お母さん……! お母さん……!!」

 

「――全く、いくつになっても甘えん坊ね、ナギサは」

 

勢いよく飛び込んできた娘を苦笑混じりに抱きしめ、優しくその頭を撫でてあげる。

 

聞きたいことは一杯ある。あのとき自分のために命を落としたはずの母親がなぜこんな所にいるのか。もしかしたらあれは悪い夢だったのか。だとしたら今どこにいるのか。

 

伝えたいこともたくさんある。村を後にした、頼れる者がいない心細い一人旅。飛行船に乗った時の緊張。初めて見る空からの光景。

 

危ないところを何度もエルガに助けて貰ったこと。助けてくれた遊撃士達の力になれたときの嬉しさ。辛いときに優しい言葉をかけて貰ったときの暖かさ。初めて出来た同年代の友人のこと。――巫女の集落に居続けたら、決して体験できなかったことを。

 

様々な感情が入れ替わりに浮かんでは消えていく、その繰り返しであった。言葉にならないというよりも、言葉に出来ない様子のナギサを優しげに見つめながら、しかしカエデの表情に陰りが生じる。

 

「――ごめんね、ナギサ。あなたを一人にしてしまって……」

 

「―――っ!」

 

”一人にしてしまって”――その言葉の意味を察してしまう。――やはりあのとき見た、母が殺される光景は見間違いなどではないのだ。都合の良い夢に浸ろうとしていたナギサだったが、冷や水を浴びせられたかのように震え出す。

 

「――なんで……! 何でなの、お母さん……! 何で、あのとき……私を……!!」

 

――守ってくれたのか――口から出かかったその言葉を出させないように、カエデはより強く娘を抱きしめて、そっと呟いた。

 

「親が子を守ることに、理由なんていらないの」

 

「っ!」

 

「あなたは私の……ううん、私達の自慢の娘よ。だから気に病まなくて良い……あなたを守るのは当然のことなんだから」

 

ナギサの根底にある思い――自分のせいで両親は死んだという罪悪感が消えることはないとカエデは察していた。そして彼女の優しさが、その罪悪感を忘れさせはしないだろうから。

 

――けれど、その罪悪感を軽くすることは出来る。向き合わせることも出来る――それが最後にしてやれる、親としての勤めだから。

 

「――お母さん……? 体、が……!?」

 

「――ごめんね、ナギサ。本当は、あなたが大人になるまで一緒にいたかったけれど……」

 

カエデの体が光に包まれ、徐々に粒子となって崩れていく。その崩壊現象は、魔人のそれと似ていることに気づき、ナギサは瞳を見開かせた。消えないで欲しい、絶対に離さない――言葉にせずともそう告げるかのように、彼女は母を抱きしめる腕に力を込めた。

 

「今の私は、あのペンダントに残った残留思念……異界が崩壊している今、異界を構成していた霊力を使って実体化しているの。……でも直に消えてしまう」

 

「やだ……やだよぉ! 折角、もう一度会えたのに……」

 

嫌々と首を振って否定するナギサ。しかし彼女もわかっている、これはあくまで一時的な現象であり、残留思念――つまり”死者の未練”なのだということを。長く続くものではないし、続けさせては行けない。巫女としての知識が、そう告げていたのだ。

 

母親を送り出すためにも、別れを告げなければならないということも。けれども――

 

「……本当に甘えん坊なんだから。そこは変わらないのね、あなた」

 

少しだけ呆れたように、しかしその声に宿る慈しみの色は決して消えず、

 

「大丈夫。今のあなたなら、前を向いて歩いて行ける。それに、一緒に歩いてくれる人もいるじゃない」

 

「エルガは関係ないっ! それに、エルガは……!」

 

泣きじゃくりながら、即答で否定する娘に苦笑する。名前までは言っていないんだけれど、と思いつつもそれは口に出さなくても良いかと思い直した。かわりにポンポンと彼女の頭を撫でてやりながら、

 

「彼を傷つけてしまった自分はそんなこと頼めない。エルガ君に対して負い目を感じているのよね、その気持ちは分かるわ」

 

「………っ」

 

ナギサの心情を把握されている発言に、彼女の腕に力がこもる。それを無言の肯定と捉えたカエデは、優しく微笑みかけた。

 

「エルガ君だけじゃない。他の遊撃士の皆さんにも迷惑をかけてしまった……でもね、ナギサ。彼らはそのことを負担だなんて思っていないわ。それに迷惑だとも思っていない。貴方を助けられて良かったと、それだけを思っている」

 

「で、でも……でも、私のせいで、みんな傷ついて……ッ!!」

 

「――もういい加減、全部自分が悪いと思い込むのは止めなさい」

 

なおも震える彼女を叱咤するように、やや口調を強めて断言するカエデ。母親から受ける“圧”に、ナギサは瞳を見開かして母を見上げた。少しだけ怒った表情をする母にナギサは臆して黙り込む。

 

「全部自分が悪い……そうやって自分のせいにしていけば、少しは楽になれるかも知れない。でもね、それは一時だけ……やがて無関係なことでも貴方のせいにされてしまい、筋違いな悪意すら向けられてしまう……」

 

「…………」

 

「それにね、そう捉えてしまうのは、貴方のためにここまで来てくれたみんなにも失礼ってものだよ。だから貴方は、エルガ君にも言ったように、助けに来てくれてありがとうって、そう伝えるべきなのよ」

 

「………お母さん……」

 

「ねぇ、ナギサ。全部自分のせいだって思い込んでいる子が、幸せになれると思う? 私は思わないし、貴方にそうなって欲しくないかな。……子供の幸せを願わない親なんていないんだから」

 

「……お母さん………お母さん………っ!!」

 

怒っていた表情から一変、元の穏やかな顔つきに戻りながら告げた言葉に、ナギサの顔はますますくしゃくしゃになっていった。必死に涙を堪えているのだろうが、目の端から滴が流れ落ちていくのを見やりながら――

 

「――本当は、もっと色々なことを言いたかった。色々なことを伝えたかった」

 

――すでに足下は光の粒子となって消えてしまい、まだ形を保っている腕に力を込めるも、彼女の体温は感じられなくなっている。

 

今のカエデはあくまで形見である真珠のペンダントに残った残留思念――この世に残してしまった未練そのものであり、その意味では本当のカエデ・カンナギではない。けれども。

 

(……ナギサならもう大丈夫。彼女のために、助けに来てくれる人がいる)

 

ナギサのためにここまで駆けつけてくれた遊撃士達を、エルガを思い浮かべると、カエデの中にある未練がなくなっていくのを自覚出来る。自身の異能と向き合う決意を固め、そんな彼女を守ろうとする人がいる。――あのとき抱いた心残りはなくなった。

 

「もう時間がないから。だから……笑って? 最後に見るナギサの顔が泣き顔なんて……私は嫌よ」

 

なら後は消えるだけ――一時的に実体化した肉体が崩壊するのと同時に、カエデの残留思念も消え去ろうとしていた。それを巫女としての力で感じ取りながら、ひしひしと迫る別れの時を悟ってナギサは母を掴む手を緩めた。

 

泣きじゃくりながら、しかしそれでも言われたとおり精一杯の笑顔を浮かべて、母親を見上げる。自分でもひどい顔をしているだろうなと分かるほどに涙でぐしゃぐしゃになり、頬が引きつった、それでも今できる最大級の笑顔を浮かべて、

 

「……こ、こう? 私、笑えてる……?」

 

「――えぇ。とっても素敵な笑顔よ、ナギサ。どうか健やかに……幸せになってね」

 

カエデも笑顔を――一筋の涙を流しながら――浮かべて、もう一度娘の頭を撫でて上げた。ほとんど消えた腕では感触も分からないし、きっと伝わらないだろう。それでも、そうして上げたかった。

 

「――娘を、お願いします。守って上げて下さい」

 

ほとんど見えなくなった瞳を”彼”に向け――小さな動きだったが、確かに頷いたのを見たカエデは、そっと瞳を閉ざした。彼女を形成していた霊力が消え去り、カエデの残留思念は消滅した。

 

「――お母さん……っ」

 

消えていく粒子を掴み取るように手を伸ばすも、何かを掴み取ることは出来ず。泣きはらした瞳で、母がいた場所を見つめるナギサは、ポツリと口を開いた。

 

「……ありがとう……………さよう、なら………っ」

 

――感謝と別れの言葉を告げた彼女は、こみ上げてくる感情を、抑えることは出来なかった。

 

 

 ~~~~~

 

 

異界化が収束し、元に戻ったアイゼンガルド連峰の中腹にある洞窟内。そこで炎のようにゆらめく光球がフワフワと飛んでいた。

 

『アァァ……アァァァ………ッ!!』

 

その光球から苦しそうな呻き声が聞こえてくる。不安定に空を飛びながら、光球――”人魂”から続けざまに声が漏れだした。

 

『カラダ……ニクタイ……ドコニアル……ドコニ……ッ!!』

 

――人魂とは文字通り“人の魂”である。失ってしまった肉体を求めて魂だけになって彷徨うその姿は、まるで成仏できずに墓地を彷徨う亡霊のようでもあった。

 

『ハヤク……ハヤクシナイト……ッ!!』

 

異界の霊力を取り込み、尋常ならざる力を得た代償に、肉体が消滅したロゼリア・リッチネルドは焦りを隠しきれなかった。肉体という器がなければ、魂は一日と持たずに消滅してしまう。一刻も早く魂をおさめる器を探さなければならなかった。

 

本来であれば魂に適合する肉体でなければならない。臓器移植をする際にも”拒絶反応”の危険性があるように、魂と肉体にも相生というものがあるのだから。

 

だが今は一刻を争う状況。悠長に適合する肉体を探している暇はない。人であれば何でも良い、最悪獣でも良いし、魔獣でも構わなかった。後でどんな反動を受けても構わないとばかりに、彼女は必死になって洞窟内を探していた。

 

しかしどれほど探しても獣は愚か、魔獣一匹すら見つからない。――それもそのはず、洞窟内にいる魔獣は全てロゼリア本人が間引いているのだ。自分がやったことすら忘れて、彼女はいるはずのない肉体候補を探して洞窟を駆け巡る。

 

『ドコダ……ドコダ……ッ! ドコニアル……!?』

 

――徐々に魂が崩れ落ちていくのを実感しながら、駆け巡る速さも増していく。やがて洞窟内には何もないと悟ったロゼリアは、外にいるであろう”器”を目指して宙を飛び回り、洞窟の外へ逃れようとして――

 

 

「――どこへ行くつもりだ、”女狐”」

 

 

洞窟の外へ逃れようとするのを阻むように、暗がりの中からボロボロになった黒衣の男が現れる。くすんだ金髪に左目を覆う火傷の痕。右手には古風な長剣をだらりと下げて現れたその男に、ロゼリアは動きを止めた。

 

最奥で短槍使いに倒された男がなぜここに――浮かび上がった疑問は、しかしすぐに器を求める欲求に塗りつぶされた。

 

『――ネモ……ッ!! ソノ、カラダヲ……!!』

 

動きを止めたロゼリアの魂は、待ち望んでいた新たな肉体を見つけた途端、勢いよく突進しネモの体を奪おうとする。だがそれを阻止するかのように右手に持つ長剣を振るい人魂を払いのけようとするも、長剣は虚しく空を切る。

 

『ムダヨ……!! タマシイニ、ブツリテキコウゲキガ、ツウジルトデモ……!!』

 

「――――確かにな」

 

彼の一刀は確かにロゼリアの人魂を捉えたが、生憎と“すり抜けた”のだ。その様を間近で見たネモは、彼女の叫びに納得するかのように頷き、自身の体に“潜り込んだ”人魂を見やるしかなかった。

 

「――だがお前も、そのボロボロになった魂で、俺の肉体を奪えると本気で思っているのか?」

 

『ナ……ナゼ……!!?』

 

――彼の中に入り込んだ魂は、数秒と持たずに体から出て来た。否、“追い出された”というのが正しいか。思うように肉体を奪えなかったロゼリアは狼狽し、彼から離れて宙を舞う。

 

『ナゼ……カラダヲウバエナイ……ッ!!?』

 

 

「――それは君の魂の問題だ、ロゼリア」

 

 

ロゼリアの疑問に答えたのは、ネモの背後から音もなく現れた謎の占い師ダルテ。つい先程までエルガ達と最奥にいたというのに、一体いつの間にこの場所にやってきたというのか。ロゼリアが最奥で倒されてからさほど時間は経っていないというのに。

 

「…………」

 

「やぁ、”久しぶり”だね黒夜叉君。元気にしていたかい?」

 

「…………………」

 

にこやかに声をかけるダルテとは裏腹に、ネモは何とも言えない顔つきになり、何しに来たといわんばかりの瞳でダルテを見つめていた。どうやら以前からの知り合いらしいが、どういった関係なのか。しかしロゼリアには、そんなことよりも気になる事があった。

 

『ワタシノ……タマシイ……!?』

 

「――魂移しの秘術は、自分の魂を他人の体に移し替える秘術……」

 

ロゼリアから問われたダルテは、口元に浮かべたにこやかな微笑みを消し、冷静かつ真剣みを帯びた声音で口を開いていく。それはまるで、何かを教えるかのように、諭すようにネモは感じ取った。

 

「けれど肉体と魂には”相生”がある。魂を移す肉体も、ある程度選別しなければならない。けどねロゼリア。魂なんていうデリケートなものを移せる肉体なんて、”自分の本来の肉体”以外ありはしない……だからこそ、魂移しは禁術として封印された」

 

「……………」

 

ダルテの説明を耳にしたネモは、理解を示したのか微かに頷いた。確かに魂と一番相性の良い肉体など、自分の体以外にあり得ないし、それ以外の体では当然拒絶反応が生じる。――つまり魂移しの秘術とは、机上の空論なのだ。

 

自分だけではなく、他者をも巻きこんで破滅への道を歩んでいく――だからこそ封印されたのだろう。

 

そして魂移しを際に生じる拒絶反応は二つ。一つは体の崩壊現象――合わない魂を無理矢理宿したことによる拒絶反応によって、肉体に徐々に崩壊していくのだ。

 

そしてもう一つ、“魂の崩壊現象”。適合しない肉体に宿った魂にも拒絶反応が発生し、徐々に“傷”を負っていく。そして魂とは、記憶や人格といった個人を形成するものだ。それが傷を負うということはすなわち、“記憶の欠落”や“人格の崩壊”が発生する。

 

250年もの間、魂移しの秘術を繰り返して延命してきた彼女の魂は、すでに深く傷ついている。――それこそ、本当に大切なものを、本当に望んでいたものを、その全てを忘れるほどに。

 

「幾度も繰り返し行ってきた魂移しによって、君の魂はボロボロになっている。だからこそ念入りに儀式を行う必要があったし、相手の心を砕き、魂を衰弱させる必要もあった。それにネモ君の魂は、普通の人よりも遙かに強いんだ。今の君の魂で、追い出すことなど出来るはずもない」

 

『…………』

 

ロゼリアを諭すような物言いに、彼女は何も言葉を発しなかった。――口を開けなかった、と言う方が正しいか。ダルテの指摘を受けたことで、その事実を思い出したのだろう。彼女自身、疑問を抱いている様子で言葉を発した。

 

『ナゼワタクシハ……ソンナコトヲ、ワスレテイテ……』

 

「……どうやら異界の霊力を取り込んだことで、魂の崩壊がより一層進んでしまったようだね」

 

自身の記憶が欠落しつつあることをようやく自覚出来たロゼリアの口調には、僅かながら震えているように彼らには聞こえた。より一層記憶の欠落が進行した理由に当たりをつけたダルテは、静かに息を吐き出して、

 

「……君がそんなリスクを背負ってまで魂移しを使ったこと……その”動機”の一端である私にできることは限られている」

 

――ロゼリアが魂移しの秘術を使った理由。それはとある牢獄に捕らわれた彼女の師匠を救い出すため。そして今から250年前に起こった、帝位を巡って争った泥沼の獅子戦役を共に戦い抜いた“戦友達”を、この国の呪縛から解放するため。

 

自分のためではなく、他者のために延命する道を選んだ彼女。――そのために誰かを犠牲にするロゼリアの行いは、決して誉められたものではない、しかし――

 

「君のその思いは、本当に嬉しかったんだ。……だから僕は……私は、私に出来ることをする。……君をこの苦しみの連鎖から解放してあげよう」

 

深く被っていたフードを外して、ついにその素顔を見せる。くせっ毛のある青白い長髪をしており、飄々とした胡散臭い男というイメージに違わない顔立ちをしていた。

 

『………ェ……』

 

――しかし、その瞳。ナギサと同じく”淡い光を放つ蒼い瞳”に、彼女は呆然とした声を上げる。その輝きは、まさしくナギサと同じで――それは“天眼を持っている”という証でもあった。

 

『――ソノ、ヒトミ……!? ナゼ………ナゼ、キサマモ”テンガン”を……!!?』

 

「――天眼だと……?」

 

「さあね。私も彼女も、生まれたときから持っていたもの。なぜ天眼を持っていると言われても、生まれつきとしか答えようがない」

 

含み笑いを浮かべながら、ロゼリアとネモの疑問――おそらく、なぜ貴方も天眼を持っている、という問いかけだろう――に答えてやる。そしてちらりと隣で胡乱げな視線を向けてくるネモへ顔を向けて、小さく頷いた。

 

「――頼む。彼女を……”私の弟子”を……あの苦しみから解放してあげてくれないか?」

 

「……………」

 

――“師のために道を踏み外した弟子”が暴走する様を、これ以上見過ごすわけにはいかない。けれどその手段、自分にはなかった。なぜなら今の自分は、牢獄からこの場所に姿を投影しているだけの、ただの観察者に過ぎないのだから。この世界に物理的に干渉する術を持たない。

 

だからこそ――その思いを込めて隣にいる黒夜叉を見たのだ。私の弟子、という発言を聞いた瞬間から、こちらに対する敵意を高めたネモであったが、やがてふぅっとため息混じりに長剣を足下に突き立てた。

 

「良いだろう。だが一つ貸しだ、ダルテ」

 

「ありがとう。何、貸しならすぐに返せるさ。空賊団全員、すぐに釈放されるようにしてあげるよ」

 

「――なら、それで手を打とう」

 

この後レヴァナント空賊団に訪れる危機に対して、ダルテが協力するという言質を取ったネモは、ひとまずわき上がった不信感を押し込め、長剣の柄に巻かれた滑り止め用の布を取り外していく。

 

――その布の裏面には、びっしりと”呪文”が刻まれていた。全ての布が剥ぎ取られ、布が地面に落ちていく。そして――ドクン、とネモの剣が鳴動した。

 

『――――ソノ、ケンハ……マサカ……!!?』

 

鉄色だった刀身が一瞬で黒く染まり、剣腹には赤い文様が浮かび上がっていく。そして長剣全体から黒い瘴気――陰の妖気が発せられ、一瞬にして異様な、そして“異物感”を漂わせる雰囲気を放ちだした。

 

その異物感たるや、まるで”この世界にはない、あってはならない”と感じさせるほどのものであり――魂だけの存在と化した今のロゼリアは、それを直感的に感じ取っていた。そしてその直感と、残された知識から、その剣の正体を看破した。

 

『ソトノ、コトワリノ………!!』

 

「あぁ、”外の理”を宿した魔剣……銘は俺も知らない」

 

外の理――ゼムリア大陸とは異なる場所にあるとされる領域。その場所で造られたとされるこの長剣――否、魔剣の柄を握りしめるネモ。彼が手に取るや否や、発せられる妖気は彼の右腕全体を覆い尽くし、何かを感じ取ったのかネモの表情が苦痛に歪む。

 

しかしそれも一瞬。普段通りの無表情と化した彼は、黒く変化した刀身を振り上げ、ぽつんと浮かぶ人魂を見やる。彼女に鋭い視線を送りつけ、先程の意趣返しのように告げた。

 

「だがこの魔剣であれば……魂も無事では済まないかも知れないな」

 

『――――…………』

 

ネモが告げた一言は、ロゼリアを震え上がらせるのに充分であった。何よりも魂のみの存在と化したために、その異様さが手に取るように分かるのだ。

 

そもそもあの魔剣は、”外の理”の中でもさらに異質――”死者の世界”にあってしかるべき物体なのだ。決して生者が握って良いものではない。右腕を妖気に蝕まれながらも魔剣を握りしめた彼は、ぐっと身を屈めて人魂目掛けてかけ出した。

 

『――ヤメロ、ワタクシハ……ッ!!』

 

「――還魂の名の通り、あるべき場所へ魂を還すが良い」

 

『ヤメ……ッ!!!』

 

慌てて制止を呼び掛けようとしたロゼリアを無視して、人魂目掛けて剣を振るい――赤と黒が交じり合った軌跡を描きながら、彼女の魂を真っ二つにして見せた。

 

『イヤアアァァァァァァァーーーー!!!!』

 

耳を劈くような絶叫を残して、還魂の魔女の魂は消滅したのだった。




母と娘の別れ。異界が崩壊する間際、一時的に実体化出来た母親ことカエデ・カンナギですが、この状態の彼女はあくまでペンダントに宿った残留思念。本人ではありません。ですがきっと、この時の二人にはそんなこと関係なかったのでしょう。

両親との死別を、そして心細い一人旅の先に待っていたエルガ達との出会いは、ナギサを大きく変える出来事になりました。守ってくれる人がいる、守ってくれる人の助けになりたい。その思いが、自身の力と向き合うきっかけになったのです。

だからこそ、泣きながらですがしっかりと笑顔を浮かべて母親と別れを告げることが出来たのです。



一方、ちゃっかり逃げ出していた還魂の魔女、ついに散る。当初の予定ではジルヴィア師匠が彼女に引導を渡す予定でした。白い短槍はその布石。ちなみにゼムリアストーン製の短槍で、ダルテが造り上げた物です。

しかしいざその場面を執筆しようとしたところ、ふと彼女に散々辛酸をなめさせられてきたのは誰かなと思い浮かべたところ、ネモの顔が浮かび上がってきました。

彼女のせいでいくつものしがらみが絡みつき、全力と言いつつ出せたのは一瞬だけ。結局力を出し切れないままエルガに敗北する形で退場した彼に華を持たせたいと思い、急遽変更致しました。

幸いにも彼が”外の理”の剣を持っている、というのは執筆当初から決めていましたし、適役と言えば適役だな、と。その魔剣も、かなりやばそうな雰囲気を醸し出していますが。ちなみに彼のキャラクターコンセプトは「切り札」だったりします。主人公より主人公している……。


次回からエピローグ的な後日談。この後エルガ達がどうなったのか、空賊達はどうなるのか。ご期待下さい。

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