英雄伝説『外伝』 刻の軌跡   作:雨の村雲

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後日談~2~

――地下道の戦い――

 

ナギサが空賊団に攫われたあの日。帝都の地下道で団員達が撤退する時間を稼いでいたネモは、聞こえてきた威厳のある声音に思わず立ち止まった。

 

「――フフッ、お初にお目にかかる、”誰でもない男”よ」

 

「――――これは少し、予想外だったな……」

 

声をかけてきた宰相――ギリアス・オズボーンの姿を認めて、ネモは目を細め剣を握りしめる。声をかけられるまで気配に気づけなかったことに眉根を寄せて、警戒を高めていく。

 

相手は鞘に収まった軍刀を片手に、厳つい顔でこちらを見据えている。感情は読み取れないが、その佇まい、そして発せられる気迫から、ただの政治屋ではないことは感じられる。剣の腕はかなり立つだろう――握りしめた柄に力が込められる。

 

「ギリアス・オズボーン……かの有名な鉄血宰相が、わざわざこんな所に何の要だ?」

 

国の安寧は鉄と血によるべしという信条の元、これまでの帝国の伝統を覆すかのような改革を行っていく政治家。その強烈なカリスマ性と税収の整備や鉄道網、軍事関連による政策によって市民から絶大な人気を誇る反面、伝統そのものを壊すとも見られかねない影響からか、貴族達からは蛇蝎の如く嫌われている。

 

まさしく稀代の政治家――そんな人物が、こんな地下道にまで足を運び、空賊を捕らえようとするさまを様子見しに来ていることに、ネモは言いしれぬ違和感を覚えた。一体何が目的なのか――眉根を寄せる彼に、オズボーン宰相は口の端に笑みを浮かべ、

 

「ほう、かの有名な”剣鬼”殿に名を覚えて貰うとは。これは光栄な」

 

「…………」

 

「大陸最強の猟兵を打ち破った実力……それを少し、確かめさせて貰いたいのだよ」

 

剣鬼――それはネモが複数持つ呼び名の中でも知名度が高く、そして彼の武勇が広まるきっかけになった呼び名でもある。――大陸最強と名高い”赤い星座”と”西風の旅団”の連合小隊を相手に”単騎”で戦い、撤退に追い込んだとなれば名が広まるのも当然である。

 

「買いかぶりだな」

 

「ほう、そうかね? あくまで私見だが、”戦鬼”や”猟兵王”が出てこない限り、お前の勝ちは確かだったことだろうに」

 

「………何?」

 

「敵の補給路を断ち、不定期に奇襲を行い、そして分断、各個撃破……戦術の基本だが、彼らを相手にそれを行えたことが、何よりの証だ。あの戦い、お前は勝つべくして勝ったのだ」

 

「………貴様………」

 

笑みを浮かべながら賞賛するオズボーンを相手に、ネモの警戒はさらに増していく。数年前、妙に金払いの良い依頼を受けさせられたことがあり、その時に星座と西風の二大猟兵団と死闘をすることとなったのだ。おそらく色々嗅ぎ回っていた自分を疎ましく思った連中の差し金だろうが――それは良い。

 

問題はオズボーンの発言。確かに彼の言うとおりの方法で何とか連中を追い払った。だがなぜ”詳しく知っている”のか。

 

うちの操舵手が「良い宣伝になるから」という理由で正面切っての戦闘を繰り広げた、と一部を誇張して流し(確かに終盤では真っ向勝負にでたので全くのデマではない)、それが広がってしまったのが真実である。

 

自然と表情が険しくなるネモ。僅かに長剣を持ち上げた彼に対し、オズボーンは相変わらず口の端をつり上げたまま、

 

「勝つために手段を選ばない……いや、目的のために“形振り構わない”戦い……親しみを覚えるよ、私は」

 

「親しみだと……?」

 

確かに正々堂々戦わなかった。だがそれに対し親しみを覚えるとは。より一層眉根を寄せ、意味が分からないとばかりに首を振るネモに対し、オズボーンは浮かべていた笑みを消し去って、威厳のある声音を――“宰相としての声音”で彼に要請する。軍刀を引き抜き、鞘を放り捨てた彼は、黒い宰相服のまま踏み込んでくる。

 

「――では確かめさせて貰おう、”剣鬼”よ。私の”依頼”を受けるに値するかどうかを」

 

「―――――っ!」

 

一歩踏み込んだ――と思ったときには、オズボーンの姿は目の前にあった。それなりにあった距離を、あの一瞬で詰めてきたのか。振るわれる横凪の一撃、それを長剣で受け止め――

 

「―――っ!!」

 

――受け止めきれない、そう悟るや否や即座に後方へ飛び退いて威力を軽減。馬鹿力と言うほどではないが、想定以上の一撃に珍しくネモの反応は遅れた。

 

後ろへ下がった彼は着地と同時に古風な長剣を翻し、その場で剣を振り上げた。下方から跳ね上がる一撃は、ちょうど追撃してきたオズボーンに吸い込まれ――

 

「――ほう」

 

「……ちっ」

 

足下――死角からの一撃を防ぎ、軍刀を返して弾いて見せるオズボーン。その勘の良さ、そして的確な剣捌きにネモは舌打ちを隠せない。この僅かな攻防である程度の力量は測れた。おそらく宰相としての仕事に追われ、鍛錬の時間がとれないのだろう、ダーゼフ同様錆び付いている。だがそれでこの腕前ならば――

 

(なんとかなる……………いや、時間をかければこちらが不利になるか。……元々こちらに時間はないが)

 

今のままならばこちらが勝つだろう。しかし一合打ち合うごとに、オズボーンの動きが変化してくる。まるで錆落としだと言わんばかりの変化――徐々に動き精錬されていくのだ。

 

この僅かな期間で、恐ろしいほどのスピードで本来の実力を取り戻そうとするオズボーンにネモは顔をしかめ――ちらりとオズボーンの背後、すなわち仲間達が後退していった方角を見やった。

 

「……悪いが貴様の依頼とやら、受けるつもりはない」

 

幾度目かの打ち合いの末、強引に鍔迫り合いへ持って行き、オズボーンと力比べをするネモ。剣才の鈍りは何とか出来るとしても、肉体的衰えに関してはそうはいかない。政治家にしてはやけに鍛え上げられた体つきだが、それでも執務続きの上に四十代後半ともなれば、いくら気を遣っていても筋力は衰えていく。

 

「――ほう。理由を聞いても言いかね、”誰でもない男”よ」

 

「貴様の依頼、ただの依頼ではないのだろう? 一度受けたら最後、貴様の”配下”になる……その類いのものだ」

 

「…………」

 

交えた二振りの剣越しに、引き締められたオズボーンの口元が、一瞬だったが確かに緩んだ。どうやら当たりのようだ。すぐさま表情を戻した彼は、その鋭く力強い眼光をこちらに向けて問いかけてくる。

 

「なぜそう思った?」

 

「一回限りの付き合いならば……わざわざこんな手の込んだ形で、貴様が直接試したりはしないだろうよ……!!」

 

「むっ……!」

 

オズボーンの問いかけに答え、ネモは強引にオズボーンの剣を押しやり、彼の腹部に蹴りを叩き込もうとする。しかし唐突な前蹴りにも関わらず、彼は咄嗟に左腕で防ぎ、間合いが開けた。――今がチャンスか。

 

「今の俺には時間がない……仲間が待っているんでな」

 

「――――」

 

飛び上がったネモは宙で一回転しつつオズボーンの頭上を飛び越えていく。その際、オズボーンの”真上”を通り過ぎた瞬間に剣撃を繰り出した。兜割り――本来は相手を飛び越え兜を、つまり頭部を狙う剣技だが、わざと狙いを外して左肩目掛けて剣を振るい――金属音が鳴り響く。

 

――防がれた。一瞬視界に映った光景には、姿勢を低くしつつ右手に持つ軍刀を持ち上げ、こちらの兜割りを防いでいた。思わず舌打ちをしつつ、オズボーンの背後、互いに背を向けた形で着地したネモは脇目もふらず前方へとかけ出す。

 

彼を飛び越えたことで、外へ繋がる通路への道が拓かれた。後はこのまま突き進むのみ。最もそう問屋は下ろさないだろうが。

 

「――――」

 

背後から無言で剣を振り上げた気配を感じる。気配読みを最大限に発揮し、こちらの背中を見据えているオズボーンの動きに注意を払い――

 

「――裂空斬!!」

 

追い打ちを仕掛けてこない彼を不審に思いつつ、ネモは距離を取った後に振り返り裂空斬を乱発する。放たれた衝撃波は石造りの地下道を傷つけ亀裂を作り、そして――

 

「――今日はここで引かせて貰うぞ」

 

複数の亀裂によって自重を支えきれなくなったのか、亀裂は拡大し一気に崩落を開始した。凄まじい轟音と衝撃に襲われながらも、ネモは空賊達と合流するために地下道の一本道を走り続けたのだった。

 

 

 

「――ふむ、やはり錆び付いたこの身では、黒夜叉の相手は厳しいか」

 

崩落する場面を眺めながら、オズボーンは冷静に分析していた。彼が背中を向けたとき、追撃をしなかったのは”カウンター”を警戒していたためである。あそこまで隙だらけにされると、返って手を出しにくくなってしまう。

 

やがて崩落は収まった。――狙ってやったのだろう、崩れたのは地下道のほんの一部分だけで、この開けた空間と彼が走り去った通路のつなぎ目部分のみである。おかげでこの場所で気絶しているTMPの隊員達は全員無事であった。

 

「――妙なところで律儀。妙なところで気が回る……血は争えないものだな、”シリウス”よ」

 

ポツリとオズボーンはそう口にした。シリウス――それはかつて獅子戦役の折、ドライケルス大帝に仕えた平民出身の戦士の一人。後にドライケルス大帝によって爵位を賜った、サラスバティー家の始祖であった。

 

 

 

 

 

 

――魔術の師弟――

 

エレボニア帝国内にある、森に囲まれたとある里。久しぶりの故郷に顔を出したダルテは、ひっそりと佇む石碑の前で胡座をかき、瞳を閉じて黙祷する。石碑の祭壇には二つに折れ、結晶に罅が入った長大な杖が置かれていた。

 

かつての弟子にして、数日前に女神の元へ旅だった弟子――ロゼリアの杖である。異界化現象が収束するどさくさに紛れて回収し、この場所まで運んできたのであった。

 

「………全く、僕を助けると息巻いていたくせに……僕より先に逝ってしまうなんて……」

 

「――そうか、あやつも逝ってしうもうたか」

 

しばし黙祷捧げていたダルテが、やがてぽつりと独り言を漏らし、その独り言に背後から近寄ってきた少女が応じた。小さな見た目と反して古風なしゃべり口と、足下まで届く長い金髪に、特徴的な赤い瞳。――魔女の長、緋のローゼリアであった。

 

「やぁ、久しぶりだね、”ローゼリア”。息災そうで何よりだよ」

 

「久しぶりなものか。ついこの前会ったであろう?」

 

「……この前って、確か五年ぐらい前じゃなかったかい? ほら、君の弟子の一人が巡回魔女になるかどうかってぐらいに、顔を見せに来た気がするけど」

 

「……おおう、そうじゃそうじゃ、そうじゃったのう。……全く、お主も相変わらず細かい男じゃのう」

 

五年前を、ついこの前と表現する少女――ローゼリアに、ダルテは苦笑いを浮かべる。五年前は、ついこの前と表現するには少しばかり時間が経っている。とはいえ、ローゼリアの時間感覚ではその表現が正しいのだろう。見た目は少女でも、すでに八百年以上生きているのだから。

 

その”ズレ”を指摘しようとして、しかしローゼリアの反応を見て肩をすくめる。棒読みに近い口調で、後半はぶつぶつ小声で文句を言っているあたり、適当に流そうとしているのが何となくわかったのだから。

 

「はいはい……それで、ローゼリアも彼女に会いに?」

 

「――まぁ、な。……禁を破り、魂移しを行ったことで破門したとは言え……昔からの友人であったからな。だから友人として、ここに来た」

 

視線を目の前にある石碑に、そして折れた杖に向け、彼女は痛ましげな表情を浮かべた。気にかけるのも当然だろう、ロゼリアの名は、目の前にいる長のような魔女になって欲しいと願いを込めて、ダルテが付けた名なのだから。

 

長本人も大層かわいがっていた。――だからこそ、禁を破り、結果的に罪のない人達を死なせていく彼女を里から追い出し、何度も止めようとしたのだった。

 

「……あやつは、最後になんと?」

 

「…………」

 

――その問いかけに、ダルテは答えることが出来なかった。彼女のことを大事に思う長に、醜悪な最後を伝える気にはどうしてもなれなかった。代わりに、

 

「彼女の魂は、幾度も繰り返した魂移しによってボロボロになっていて、崩壊寸前だったんだ。……僕のことも、魂移しを行った理由も……そして過去のことも、全部忘れていたよ」

 

「……そうか」

 

「うん。――だから、終わらせてあげたかったんだ」

 

「………そう、か」

 

終わらせて上げたかった――その言葉で、ロゼリアの命を絶ったのは誰なのか、何となく長は察して――頷いた後に、長は胡座をかくダルテに触れようと手を伸ばし――しかしその手は彼の体をすり抜けてしまう。

 

「――――っ」

 

「大丈夫だよ、ローゼリア。僕は大丈夫だから」

 

――ここにある彼の体はあくまで幻影、別の場所からここに姿を投影しているに過ぎず、彼に触れることなど出来やしない。昔からの友人が悲しんでいるというのに、慰めてやることすら出来ず、ローゼリアはただ悲しげに俯くのみであった。

 

「……なぜ、牢獄から出ようとしないのだ? お主ほどの力と“眼”があれば、“刻の牢獄”から出ることなど容易いだろうに」

 

「――けれど牢獄に……”この世界の外側”にいるおかげで、僕はこの国に巣くう”闇”に対抗することが出来る」

 

「………」

 

「あれを何とかしなければ、と考えているのは長だけではないさ」

 

ニッと笑みを浮かべ、ローゼリアを見やるダルテ。軽薄そうな笑みを浮かべてはいるものの、その眼光は鋭く力強い。立ち上がった彼はもう一度石碑を、そしてその後ろに鎮座する小綺麗な建物へ視線を移した。

 

「……ロゼリアの遺品、後を頼むよ。みんなと同じ場所で、みんなと共に眠らせて欲しい」

 

「……わかっとる、安心せい」

 

石碑の後ろにある建物には、獅子戦役を共に戦ったかつての仲間、友人達の形見の一部が大切に保管されている。普段はものぐさな面が目立つローゼリアであるが、この場所の手入れだけは怠ったことがなく、中も常に小綺麗に整理されている。

 

――自分よりも後に生まれ、自分よりも先に逝ってしまった友人達に出来る数少ない事なのだから、と弟子の一人に言っていたのを聞いたことがある。弟子、といえば彼女に確認したいことがあるのだ、と頷いて、

 

「……そういえば、エマ君とセリーヌはどうしている?」

 

「あの二人なら、今は鍛錬している時間じゃろうな。全く、ヴィータの奴が音信不通になってから、あやつから焦りのようなものが感じられる。それほど大きな存在だったのじゃろうがな……」

 

エマ・ミルスティンとヴィータ・クロチルダ――二人ともローゼリアが引き取った少女で、長の姉妹弟子でもある。魔力、魔術の資質共に極めて高く、新たな時代の魔女として長から期待を受けていた。

 

しかしヴィータ・クロチルダが巡回魔女として一人立ちし、里から出て行ったきり全く便りを出さなくなり、音信不通になってしまっていた。それがきっかけとなり、もう一人の弟子エマ・ミルスティンは姉弟子を探そうと躍起になっているらしい。

 

「目の前にいた目標がある日突然いなくなったんだ、仕方ないよ。……それよりエマ君のことだけれど」

 

「む? あやつに何か用か?」

 

「――彼女を“灰色の騎神”の導き手に推薦したい」

 

「―――――は?」

 

唐突に告げられた内容に、ローゼリアは瞳を瞬かせる。お主正気か、と言わんばかりの呆然とした表情でダルテを見やり、やがて首を振って、

 

「いやいやいや、まだエマに導き手は荷が重すぎる。それにヴァリマールって、あやつは……!!」

 

ダルテの提案に首を横に振るローゼリア。それは単純に今のエマの力量では”導き手”を勤めるにはまだ力不足であると感じている上に、その相手がヴァリマールと来れば難色を示さざるを得ない。

 

灰色の騎神ヴァリマール――それは世界を飲み込む焔にして顎。世界を変える力を持ちつつ、同時に世界を壊してしまいかねない“大いなる力”の欠片。その“力”を抑えるのが魔女達の使命である。

 

そしてそのヴァリマールは、魔女側が所在を把握している数少ない騎神。そうでなくとも、ローゼリアにとってヴァリマールは思い入れのある機体――それを”彼”以外の人物が動かすとなると、思うところが出て来てしまう。

 

「うん、獅子戦役の時はとてもお世話になった僕たちの”仲間”だね。でももう、寝かせてあげられる状況じゃなくなりつつあるんだ」

 

「――――何?」

 

封印したままにはしておけない――その内容に眉根を寄せたローゼリアはダルテをまじまじと見やり――彼の瞳が、仄かに輝いているのを見てハッとする。

 

久しぶりに見た彼の持つ異能――かつて空の女神がこの地に遺していった力の一つである“天眼”が発動している証であった。何か重要な事を、この男は知っている――

 

「来年から再来年にかけて、帝国内で起こるちょっとした騒ぎが起こる。でもそれは陽動……それに連動する形で、南の方で大事件が起きる……ちょっとめんどくさいことがね」

 

「南……もしやリベール方面か?」

 

「うん。それにまだあるよ。実は“蒼の騎神”が目覚めようとしている……年内中には覚醒するだろう。導き手は………長の監督不行届が原因だ」

 

「――なんじゃと……? ……まさかあやつか……!?」

 

「――そしてもう一つ。……”金の騎神”が目覚めた。それも魔術とは無縁な、ただの傭兵が一人でね」

 

「――――――」

 

妙に気にかかる予言と、連続する騎神の目覚めを告げられ――頭を金槌で殴りつけられたかのごとき衝撃に襲われ、間違いなくローゼリアは数秒ほど気絶したのだった。

 

 

 

 

 

 

――強さの意味――

 

帝都遊撃士協会東部支部には、受付であるダーゼフの趣味と実益を兼ねた本格的な厨房が備わっている。というよりも、彼と一部の遊撃士が日曜大工となって本格的に改造した、というべきか。その無駄に大きな厨房を借りながら、二人の少年は作業をしているのだった。

 

「――エルガ、粉」

 

「はい」

 

言われたとおり二種類の粉を混ぜていく。所謂粉ふるい――ボウルの中でまんべんなく、均等に混ざり合うのを意識する。

 

「――エルガ、バター」

 

「はい」

 

言われたとおりバターを細かく切ってそのボウルの中へ投入していく。そしてそのままバターをさらに細かく切るように混ぜていく。――そういえばダーゼフさんにも、この時決して練らないように、てうるさく言われたなぁ、とやや遠い目をしながら楽しかった記憶を思い浮かべる。

 

――果たしてあれは本当に楽しかったのだろうか。おそらくダーゼフは楽しかっただろう。めちゃくちゃ厳しくされた記憶しかないが――あれはどちらかというと、楽しかったと言わされているような――

 

「水、あと練って」

 

「はい」

 

意識が飛びかけたのを見計らったかのように、再び飛んでくる指示にエルガは我に返った。バターも大分細かくなり、粉と混ざり合ったのを確認してから、あらかじめ用意されていた水を投入し、ようやく練っていく。

 

今作っているのはパイ生地――一緒にパイ作りをしているのはぶすっとした表情をしているカイトであった。練りすぎに注意しながら、エルガはぽつりと呟いた。

 

「…………何で俺達が、お菓子作りしているんだろうな」

 

ちらりとカウンターの向こう側で楽しげに語り合っている女性陣を見やった。視線の先ではサリスがナギサに抱きつきながら楽しげに笑顔を見せ、抱きつかれたナギサも満更ではない様子。

 

ようやく傷が癒えたサラも、アニーとトヴァルの三人で談笑していた。――その手に酒瓶があるのを除けば普段通りの光景か。ちょうど今、アニーに酒瓶を取り上げられている。

 

向こうが楽しげな雰囲気の中、こちらは無愛想で不機嫌顔をしている少年とコンビでお菓子作り。料理は出来るが苦手意識のある彼にとって、かなり居心地の悪い空間であるのは否定できない。

 

二人がこうしてお菓子を作っているのは主に話の流れにあった。引きこもりがちなカイトを引っ張って遊撃士協会に顔を出したサリスと、同じく手伝いに来てくれたナギサの三人が会話していると、ナギサがよくお菓子を作っていると言う話しになったらしい。

 

それに対抗意識を燃やしたサリスも、何か作ろうかなと息巻いていたところ、それに待ったをかけたのがカイトである。――今度作るから、といういつぞやの約束を引っ張り出し、近くにいたエルガを引っ張って厨房へ駆け込んだのである。エルガ、完全にとばっちりであった。

 

幸いダーゼフも快諾してくれたので別に構わないのだが――そこの大人三人は何でさも当然のようにそこにいるんだい? と思わず問いかけてしまいたくなる。

 

現状に対し、ぼそりと文句を言った彼へちらりと視線を向けたあと、カイトはパイに包む中身の様子を確かめている。コトコト音を立てて煮込んでいた鍋からはシナモンとリンゴの香りが漂ってきた。

 

「だったらあいつと変わるか? 俺は別に良いけど、作ったもんはアンタが全部食えよ」

 

「……そんなにダメだったの?」

 

「食ったら良いさ。俺はもう二度とゴメンだな」

 

言いながら遠い目をするカイト。レオンから噂程度しか聞いていないが、サリスの料理センスは壊滅的らしい。そういえばダーゼフさんも似たようなこと言っていたなぁ、と思い出した。

 

現在レオンに引き取られ、サリスと共に暮らしている哀れな被害者は、彼女作の手料理を

思い出したのか顔色を悪くさせている。そしてぼつりとあることを口にする。

 

「……兄妹だからって、そういう所まで似なくて良いんだが……」

 

「……? なんか言った?」

 

「別に。アンタには関係ない」

 

「………」

 

彼と一対一で話すのはこれが初めてだが、どうも「踏み込まず、踏み込ませず」という壁があるように感じられる。そういう態度が、この微妙に距離感のある空気の原因なんだけれどなぁ、と独りごちつつ、エルガは気になっていたことを口にする。

 

「そういえば、あのネモっていうのは、普段はどういう奴なんだ?」

 

「…………」

 

表情をしかめ、珍しくこちらへ顔を向けてきたカイト。それまで精々視線を向ける程度だった彼にしては珍しい動作に、エルガは思わず首を傾げた。

 

「どうしたの?」

 

「………いや、何でもない」

 

本当は聞こえていたのではないか、と勘ぐるほどタイミングの良い質問に警戒するものの、エルガの表情や仕草からは、カマにかけようとする色はなかった。視線を戻したカイトは、ぼそりと本心を口にする。

 

「………ポンコツ」

 

「はい? ポンコツ?」

 

「……仕事の時はしっかりした奴。でもオフの日は…………残念なポンコツ」

 

「…………」

 

ポンコツ――それも残念なポンコツ。首を傾げて想像しようとするも、ちょっと考えられなかった。オフの日は、と条件付きではあるが、奴がポンコツである絵面がどうしても思いつかない。

 

「何でそんなこと聞くんだ?」

 

「興味本位。……それに奴とは、改めて白黒はっきり付けたいし」

 

単純に彼との会話に困ったから、というのもあるが、興味があるというのも嘘ではない。パイの生地づくりを行いながら再戦の決意を語ると、再びカイトが顔を向けてきた。その表情は驚きが浮かんでいる。

 

「……ネモに勝ったって聞いたけど、それで白黒ついたんじゃないのか」

 

「あれを勝ったとは言えないよ……お互い、事情がありすぎたからさ。今度はそういったしがらみ無しで決着を付けたい……。まぁ、そうなったら十中八九、俺は負けるだろうけど」

 

苦笑を浮かべながら彼の疑問にエルガは答えた。回廊の最奥で戦ったとき、エルガとネモにはそれぞれ事情があった。

 

エルガには、ナギサを絶対に助けるという思い、願いが。ネモには心の中でこちらに対する申し訳なさと遠慮があったのだろう。気付かれないように手を抜いていたのだと、今ならわかる。

 

思い返せば、ネモには確実にエルガを仕留める機会がいくつかあったというのに、それを全て見逃してくれていた、それが何よりの証だろう。

 

あのときの偶然に近い勝利から数週間。何度も彼との戦闘を脳裏で思い浮かべても、よく勝てたな、としか言いようがない。再戦したとしても、エルガが勝つ見込みは低いだろう。修得した陰陽交差は決め手にならないだろうし、奥義は――下手したら、うたせてもらえないだろう。

 

それに奥義も一度見られている。”初見殺し”の要素が強いあの技は、二度目となるとあのときのように綺麗に入ることはないだろう。

 

「………そっか」

 

――十中八九俺が負ける。その言葉を耳にしたカイトは、素っ気ない様子で応じたものの、心の中ではどこかほっとしている自分に気づき、思わずため息をついた。

 

(……格好悪い)

 

自分自身を罵倒する。周囲の人達から、ネモが隣に立っている彼に負けたと聞いたときは信じられなかったのだ。あの誰よりも強いネモが、こんなのに負けるなんて――その思いは、エルガ本人の敗北宣言によって少しは霧散した。

 

――同時に、そんな自分に嫌気がさしたのである。憧れの人が負けたから、勝った奴に良い感情を抱けず、その人物が憧れの人を持ち上げたら機嫌を直す。子供か俺は。

 

「……カイト? どうした?」

 

「………何でもない」

 

呼び掛けに首を振って応じるカイト。こんなのじゃダメだと分かってはいるが、それでも――コトコト煮込んでいる鍋の火を止めて、ふぅっと一息。

 

「後は冷まして、生地で包んで、焼く」

 

「わかった。………生地まで手作りって聞いたときはマジかよって思ったけど……作り慣れているんだな」

 

「アップルパイは何度も作ったから。……例のポンコツが好物だから」

 

「…………そ、そうか………」

 

意外そうなエルガの問いかけに、カイトは平然と答える。予想外の返答に押し黙った彼を放置して、カイトは楽しげに談笑しているサリスへ視線を送り、

 

「……多分、サリスも気に入ると思う」

 

 

 

『じゃあ、カイトはエルベ……ううん、ネモの弟分、ってこと?』

 

『そ、なら……これから一時期とはいえ、一緒に暮らしていくんだし、私が“姉貴分”ってことで良い?良いよね? ね?』

 

『……え? なんかご不満……? でもそんなの関係ないでーす、ネモの弟分なら、“私の弟分”も当然よ!』

 

 

 

(……いつも、俺が足を引っ張ってばかりだったけど、でも今は……俺が、アンタの”大切なもの”を守るよ。せめてそれぐらいは、させて欲しい……)

 

――恩人に憧れるだけじゃなく、恩人に頼られるように、恩を返せるようになりたい。そして空賊団の彼らと同じく、自分を受け入れてくれた人達を守れるように強くなりたい。だから。

 

これまでずっと考えてきたことを、彼は改めて、ようやく口に出した。

 

「……さっきの話」

 

「うん?」

 

「マグレ勝ちでも、勝ちは勝ちだろ。…………どうしたら、アンタやゾルダ……ネモのように、強くなれるんだ?」

 

「…………」

 

こちらを見ながら問いかけてきた彼に、エルガはしばし呆然として――やがてふっと微笑みを浮かべて、

 

「……戦う理由、じゃないかな?」

 

「戦う理由……?」

 

「そう。ネモと戦ったとき、俺には戦う理由が……絶対に負けられないって言う思いがあった。だからアイツから一本もぎ取ることが出来たんだと思う」

 

月魂の回廊、その最奥でネモと戦ったとき、自分は”ナギサを助け出す”という強い思い、戦う理由を抱いて槍を振るっていた。その強い思いが、それまで成し遂げられなかった獣との共闘や、奥義開眼を成し遂げた理由だと思っている。

 

「きっとネモや例の団長さん……ゾルダさんにも、戦う理由があったんだと思う。それはきっと、カイトの方がよく知っているはずだよ」

 

「……………」

 

「……君には、彼らのように”戦う理由”があるのか? 危険を承知の上で、それこそ自分の命をかけてまで戦わなくちゃいけないって思えるような、強い思いが」

 

「……………」

 

 

 

 

アップルパイが焼き上がったのは、それから数時間後。――兄と味覚が似ているのだろう。彼女はかなり気に入ってくれたようで、夢中で食べてくれていた。それを少し嬉しく思いつつ、しかしカイトの胸の内は、冷めたままだった。

 

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