――盃――
七耀暦1201年末――ブレイツロック本家にて、正装に身を包み込んだ四代目会長レオン・オーガストは、とある大男と対面した状態で壇上に上がっていた。彼らの目の前には盃が置かれている。
大男側にある器に注がれた酒は、壇上の明かりを反射して一際煌めいていた。大男はその輝きを見据えながら、やや大仰な動作で盃に口を付け――その中身を一気に飲み干した。
「――――――良い酒じゃねぇな、”会長さん”よ」
「そう言うな。これでも一応、空の女神に捧げたものだ。……それに良い酒は、この後何度でも飲める」
「はは、そう来なくちゃな」
大男――ゾルダ・ヴァリウスは杯を飲み干した。極道社会において、それは親分子分の契り。こうして彼は、レオンを会長とするブレイツロックに名を連ねることとなったのであった。
「――それにしても元空賊を引き入れるとは……それは別に良いんだが、連中豚箱にいたはずだろ? 出てくるのが早すぎないか? 政府とどんな取引をしたのやら……」
「それに”ネイリ一家”を潰した連中だろ? 噂じゃ元”北の猟兵”だったみたいじゃないか。……内側から喰われなきゃ良いが」
杯を交わすその場に立ち会っていた幹部達が、レオンとゾルダには聞こえないように小声で語り合っていた。ゾルダを初めとする空賊団が”司法取引”によって大幅に減刑を受け、あっという間に出所してきた事に疑念を抱く者、その出自から政府からの間諜ではないかと警戒する者、それぞれにわかれている。
「関係あらへんやろ。うちの組に入った以上、きちんと仕事して、納めるもん納めてくれたら、なぁーんも言うことないやろ。な? “若頭”さん?」
「…………」
幹部の一人、顔に横一文字の傷があり、独特な口調は一度聞けば忘れられないと評判のグロードが肩をすくめて呟き、隣で黙り込んでいる青年の肩に手を置いてみせる。その馴れ馴れしい動作に、彼はふぅっとため息をついて、
「グロードのオヤジさん、若い新参者をあまり虐めないでくれ。緊張で声が震えてしまう」
「は、よー言うわ小僧っ子。緊張のきの字もねぇくせに」
緊張していると口では言う彼に、グロードは呆れた様子で肩をすくめた。顔の左側を隠す大きめの眼帯を付けた金髪の青年――ネモは、言葉とは裏腹に緊張している様子は微塵もない。
レオンが交わした約束通り、出所後ブレイツロックの世話になることになったレヴァナント空賊団は、組織一つが名を変えて丸ごと組み込まれる形となっている。そのため団長、副団長はそのまま組長と若頭に就任することになった。
その顔合わせも兼ねた幹部会であるため、組長であるゾルダだけでなく若頭であるネモまでもがこの場に居合わせているのだ。
集まったメンバーの中では最年少にも関わらず、彼が醸し出す貫禄はやり手の極道者のそれに近いものがある。そのため、最年少と言うだけで彼を小馬鹿にしようとする幹部は皆無であり、ゾルダもあわせて品定めする視線が突き刺さっている。
「ったく、おもしろくねぇ小僧っ子だこと。ま、若い者がここに来るっつぅことは、良いことなんだが……」
ふぅ、とグロードとネモのやりとりを見ていたマルコはため息をつく。彼も若手の部類に入るが、聞いた話ではネモとの年齢差は十近くあるらしい。とすると、あれでまだ二十代前半頃か。そろそろ世代交代の時期にあるとは言え、それを差し引いてもまだ若い。
「それよりもネモの小僧、この式典が終わったら二、三聞きてぇことがあるんだが……後で呑みながら、良いか?」
「でた、うわばみのマルコ」
「さて、噂の新入り若頭はどこまでついて行けるか……」
ニィッと口の端をつり上げて片手を揺らす仕草をするマルコ。近くにいた幹部達はマルコの酒豪っぷりに、彼は酔い潰されるか否か賭に出ようとして。
「……悪いが酒は飲めないが、それでも良いのなら」
「あぁ? 飲めねぇってお前………下戸か?」
「俺はまだ”十九”だ。帝国じゃ未成年で、酒は飲めない」
「――は?」
「――あ?」
「――え?」
マルコとグロード、そして彼らの囁きを盗み聞きしていた幹部の一人が素っ頓狂な声を上げた。ネモ本人が告げた実年齢――十九歳という数字があまりにも衝撃的過ぎたのだ。その衝撃たるや、思わずグロードの口調から独特なイントネーションが消えるほどだった。
「お前…………まだ、十代、だったのか………?」
「ぎりぎりだがな」
『…………………』
コクンと頷くネモ、絶句する一同。ここが幹部会、式典の最中でなければ揃って叫びを上げていただろうと、後にグロードは供述するのだった。
――小さな翼――
「――ふぅ……」
騒がしくも賑やかな宴会の空気によって熱を帯び始めた体を冷まそうと、ネモは会場に隣接するバルコニーへと足を運ぶ。元レヴァナント空賊団もブレイツロックに加入し、正式に傘下組織となって組織図に組み込まれるようになった。
その後は加入を祝う会、と称して宴会が始まり――先程まで他の組の会長や組長達に挨拶をしていたのである。面倒くさい、下らないと思うものの、それを理由に挨拶回りを怠って、周りから反感を買う必要もないだろう。第一、反感を買った方が面倒くさい。
会場はどこかの屋敷なのか、舞踏会でも開けそうな大広間を丸ごと一つ貸し切り、立食形式で行っている。しかし王族貴族が行う品のあるパーティーとは異なり、飲めや歌えやの宴会で厳かな雰囲気など欠片もない。会場から聞こえてくる喧噪に耳を傾け、バルコニーの手すりに寄り掛かったネモは渡されたグラスを呷った。
「……………」
リンゴジュースを一気の飲み干し、バルコニーから会場の騒ぎを眺めるネモの表情は穏やかであった。団員達も当初は立食形式のパーティーと聞いて面倒くさそうな表情をしていたが、実体を目の当たりにした途端地を出して暴飲暴食に走っている。
久しぶりのご馳走の山に暴走する気持ちは分かる。拘留所では毎日冷や飯だったのだ、これぐらいは大目に見よう。そう思いながらパーティーの喧噪を楽しそうに見やっていると、誰かが近づいてくるのが目に映る。
「――よう、どうした色男。こんなところで黄昏れて」
「色男というのは皮肉か? ……別に、ただこういう騒ぎは、眺めている方が性に合っているからな」
ワインが注がれたグラスを片手に、もう片方にはワイン瓶を握りしめ、顔を赤らめているゾルダ・ヴァリウスがやってきた。しかし来て早々に、顔にひどい火傷の痕がある奴を色男呼びとは。別に気にはしていないが、絶対狙ってやっているだろう。
「ま、お前さんはこういう騒ぎは苦手だしな。――――――っかぁ、やっぱワインは良いねぇ……」
「そのグラスは何のために持っているんだ」
会話を交わしながら左手に持つワイン瓶を直接呷るゾルダに、ネモは呆れた様子で突っ込みを入れた。右手にあるグラスがまるで意味をなしていない。彼の冷静な突っ込みに、ゾルダは上機嫌で笑いながらグラスを押しつける。
「………言っておくが飲まないぞ」
「だーれが飲めっつったぁ……持ってろ」
間延びした声音でさらに押しつけてくるグラスを受け取り、ゾルダも彼にならってバルコニーの手すりに寄り掛かる。
「………」
「……………」
二人揃ってバルコニーに寄り掛かりながら、沈黙が流れていく。パーティーの喧噪を眺めながら口を閉ざす二人だったが、やがてそっと息を吐き出しながらネモの方からぽつりぽつりと口を開いた。
「悪いな、俺のわがままで、極道者になることになってしまって」
「もうしつけぇっての。んな謝罪はもう聞き飽きたわ!」
何度も伝えた謝罪に、ゾルダは何度も同じ反応を返していく。レオンの誘いに乗ってブレイツロックに加入することを決めたのは、拘留所にいたときである。あの後ゾルダは離れた独房へ連れて行かれ、会話を交わすことは難しくなってしまった。
そのためネモの方からブレイツロックに加入するとレオンに告げたのだ。ゾルダや団員達の意見を聞かずに、勝手にである。
司法取引が成立し、拘留所を出ることが出来たネモは空賊団達にそのことを告げたのである。幸いにも団員達は、困惑はしたものの別に構わないと承諾。ゾルダも半ば予想していたのだろう、何も言わずに頷くだけだった。
「お前の事情を知っちまった俺が、あの提案を拒否できると思うか? それにあいつ等だって反対しなかったんだ。気にすんな!」
「だが………」
「勝手に先走ったことを気にしているみたいだが、俺達は気にしてねぇ。…………むしろ俺は、お前に礼を言いてぇぐらいだぜ」
「――――なに? 礼だと?」
拘留所を出てから何度か似たようなやりとりを交わしたが、しかし礼を言いたいと言われたのは初めてだった。思わず彼の方へ視線を向けると、ゾルダはあぁっと頷いてワイン瓶を呷った。中身を流し込む勢いで飲み干していき、
「――前から思ってはいたんだよ。船の上で生活し続けるよりも……どこかで、地に足着けているほうが、俺は落ちつくってよ」
「…………」
「空賊なんて、明日も知れぬその日暮らしだ。翌日には、どこかの国の軍隊に撃ち落とされる、なんてこともあるだろうしな。――ま、ヤクザも大したかわりはしねぇだろうが、それでも多少はマシだろう」
ワイン瓶を口から離し、中身の残量を確認するゾルダ。視線を未だ喧噪が聞こえるパーティー会場へ、その中で羽目を外している団員達へ送りながら、
「それにいい加減、俺みたいな”老害”に付いてきてくれたあいつ等にも、少しはマシな生活をさせてやりてぇ」
「…………」
――団長は団長なりに、空賊団のことを、団員達のことを考えているのだろう。結局空賊活動も、知名度が上がれば上がるほど、軍隊に潰される危険性も増していく。
おまけにレヴァナントは軍隊関係や傭兵団のように”力”を持つ者のみに狙いを定めた略奪を行っていた。報復を受けるのも、時間の問題だっただろう。
「空賊からヤクザ………そんでどっかで“上がり”を向かえて、足を洗って真っ当に暮らして行けたら……ま、そんな都合の良い未来は、流石に夢見すぎかね……」
ワイン瓶を目の前にかざして、パーティーの光景を瓶越しに見やるゾルダ。まるで目の前にある夢のような光景を隠すような仕草に、ネモは思わず視線を逸らしてしまう。
「…………別に、良いんじゃないか。少しは夢を見ても……夢を見るぐらい、女神も許してくれるだろうよ」
「……だと、良いんだがな……」
ネモの言葉に、ゾルダは力なく笑いながら再びワイン瓶を呷り出す。まるで口から出て来た言葉を、胸に秘めた思いを、ワインでもう一度流し込むかのように、一気に飲み干していく。
「――いくら何でも飲み過ぎじゃないのか。もう五十だろ、無茶やったらアル中で死ぬぞ」
「―――カァァッ、これだから酒も飲めねぇ若造は。これでアル中なら、向こうは今頃煉獄だぜ!?」
「もうすでに煉獄になっている気がするが……」
冗談交じりの忠告に対し、彼は派手に首を振って、何も分かっちゃいないとばかりに呆れた様子を見せる。だがバルコニーから眺めるパーティー会場の様子は、ずいぶんとひどい有様になっていた。酒に飲まれて完全に我を忘れ、中には半裸になって踊り出す奴らまでいる始末。
そしてそれを諫めるどころか、はやし立て、ますますどんちゃん騒ぎは大きくなっていく。もはやあれを止められる者はいないだろう。楽しそうにしている会場を眺めていると、誰かが視線に気付いたのかこちらに振り向き、気付いたその男はこちらに近づいてくる。
近づいてくる男の正体に気付き、ネモは軽く咳払いをして持っていたワイングラスをゾルダに押しつける。やってきた男――頬に傷のあるレオン・オーガストもいつも以上に飲んでいるのか、軽く笑みを浮かべていた。
「――今日の主役がそろってこんな所にいたのか。一体どうしたんだ?」
「大した事じゃない。酒を飲めない奴には、この空気にはついて行けないと愚痴を言っていたところだ」
「はは。すまない、てっきり成人しているものだと思っていたよ」
ネモの言葉にレオンは頷きつつ、彼もまたグラスをバルコニーの手すりに置いて寄り掛かる。その状態で夜空に浮かぶ星々を見上げて、
「しかし感慨深いものがある。こうしてお前と話が出来る日が来るとは思いもしなかった」
「……そう言われてもな。悪いが俺は、アンタのことほとんど覚えてはいない」
「別に構わない。君からすれば、母君が俺のようなゴロツキと友人関係だった、と言う方が驚きだろうからな」
――レオンという男は、ネモからすれば大恩人とも言える人物だ。妹を救い、母の最後を見取ってくれた――それだけで、計り知れないほどの恩がある。彼がブレイツロックに加入することを決めたのは、その恩返しという一面もある。
母の友人だったために、自分の事を気にかけてくれるのはありがたいのだが、それが原因なのか妙に馴れ馴れしく接してくる。サリスも彼に懐いていることも相まって、いまいち距離感が掴めない。何というか――少しだけ、苦手意識が沸いてしまいそうな感覚であった。
「……パーティーの方は、楽しんでいるか?」
「……まぁ、ぼちぼちだな」
「そうか」
言葉少なめに交わされる会話。当たり障りのない話題と、掘り下げにくい返答。年頃の息子と父親の会話のようなやりとりを端から見ていたゾルダは、声を押し殺して笑いを堪えていた。
「……………そういえば、名前は決まったのか?」
「名前……?」
「お前達の組の名だ……表向きの業種は何にするんだ?」
新たな話題を引っ張り出してきたレオンに、ネモは瞳を瞬かせる。流石にレヴァナントの名をそのまま使うわけにも行かず、保留にしたままでいたことを今更ながら思い出したのだ。
「………ゾルダ、決めたか?」
「あーん? 名前なんか適当で良いんだよ適当で。スーパーミラクルノーザンパークとか」
「わかった、酔いを覚ましてから出直してこい」
役に立たないゾルダを放置して、ひとまず考えてみる。名前というのは重要だろう、それで俺達のイメージが決まってしまうし、今後にも影響を与えていく。名前と業種――業種に関しては、ある程度固めてはいた。
「民間警備会社にしようと思ってはいる」
「民間警備? 軍事ではなく?」
「軍事会社だと名前の威圧感がな。それに傭兵稼業からは足を洗うつもりだ……施設の警備や護衛を主にする形で行こうと思う。それで名前は………」
――ふと、先程ゾルダが溢していた願いを思い出した。戦いの中に身を置いてきた自分達が、どこかで“上がり”を向かえられるような――
「……………翼、だ」
「……翼?」
「あぁ。ノア号も組も……きっと俺達にとって、未だ見えない明日に向かって行くための翼なんだろうなと、ふと思ってな」
ネモは微かに笑みを浮かべて頷いた。
「こんなのはどうだ? 民間警備会社の――――」
ここにブレイツロックに名を連ねる新たな組織の名前が決まった。その名は――
――民間警備会社「リトルウイング」――
――彼らの話をしよう。それは、”未来”に向かって飛び立つための、今はまだ”小さな翼”を携えた戦士達の話を――
――ボーイ・ミーツ・ボーイ――
――七耀暦1202年――
温泉郷ユミル――ノルティア州北部、山間にある小さな領地。温泉郷という名が示すとおり、わき出る温泉が一番の目玉で、万病に効果があるとして湯治場としても有名であり、領主はシュバルツァー男爵閣下である。
数ヶ月前からここユミルに設立されている支部の方でお世話になりつつ、遊撃士としての活動に励んでいたエルガは、件の温泉――露天風呂に浸かりながらふぅっと深く息を吐き出していた。
「――――今日も夜空が綺麗だねぇ……」
頭に置いたタオルの位置を戻しながら、エルガは夜空を見上げつつ呟いた。併設されている宿泊施設「鳳翼館」は皇族から賜った格式高いものらしいが、貴族が好む派手さは控えめな内装であり、彼としても気兼ねなく入りやすい所であった。
おまけにユミルの方達はとても暖かく、領主であるシュバルツァー男爵も「遊撃士として、日々里の皆のために働いてくれているため」として鳳翼館への融通を利かせて貰っている。その好意は大変ありがたく、たびたびお言葉に甘えさせて貰っていたりするのだ。
仕事終わりに露店風呂に浸かる――最近ではルーティンと言っても過言ではないほど入り浸りつつあるが、それもあと数日したお別れとなってしまう。少し――いやかなり名残惜しい。
「――あれ? エルガさん?」
「ん? あぁ、リィンか」
露天風呂でまったりしていると、扉が開く音と共に年下の黒髪の少年が姿を現した。彼はエルガに気付くと軽く手を上げて近づいてくる。
リィン・シュバルツァー――シュバルツァー男爵家の長男であり、ここ数ヶ月で仲良くなった貴族の友人である。互いに武術という共通の話題もあり、リィンの人柄もあってか仲良くなるのにさほど時間はかからなかった。
「君も入りに来たのか」
「はい。そういうエルガさんもこの時間なんですね」
「ま、今が最後の時間だしね。これを過ぎちゃうと混浴になっちゃうし……あの空気は、ちょっと入りづらい……」
鳳翼館の露店風呂は一つしかなく、時間帯によって男女別、また混浴が変わる仕様となっている。以前混浴の時間帯であることすっかり忘れて露店に入ってしまったことがある。しかも間の悪いことに女性の中にいて――気まずい雰囲気を味わったことがある。
「あ、あははは……まぁ、気持ちは分かります。俺も何度か時間がずれて入っちゃったことがありまして……」
「え、女性用の時間帯に突撃したことがあるって?」
話の流れから違うと分かってはいたが、敢えて口にして問いかける。きっと慌てて否定するだろうなと思いながら彼を眺めていると、なぜか頬を赤らめて、
「……………ふ、不可抗力なんです」
「――おい、目をそらすな領主の息子」
まさかの反応に、思わずエルガは頬を引きつらせた。どうやら前科があるらしい――
「……まさか領主の息子という立場を利用して、時折女湯を覗きに行っている、なんてことは……」
「そんなことあるわけないじゃないですか!!」
――流石にそれは即答で否定された。良かった、そんなことをやっていたら流石に引く。ホッと一息つきながら、
「悪い悪い、冗談だよ、冗談」
「全く、エルガさんは俺のことをなんだと思って……」
ぶつぶつ文句を言ってくる彼に、エルガは肩をすくめた。そして再び湯船に浸かりながら夜空を――星空を見上げて、名残惜しそうに口を開く。
「こういうやりとり出来るのも、後数回かなぁ、って思うと、ついな」
「………そういえば、帝都支部の方へ戻るんでしたっけ?」
遊撃士である彼は帝都支部所属であり、ここユミル支部には手伝いという形で来ているのだ。数ヶ月続いたそれもひとまず落ちつこうとしていた。そうなれば、あくまで手伝いという体で来ている彼は、帝都の方に戻ることになるだろう。――それを名残惜しく思っているのは、リィンだけではない。
「いや、その前にレマン自治州の方かな? 遊撃士協会の本部に顔を見せに行けって、お世話になった人からね」
「そうなんですか…………少し、寂しくなりますね………」
「……そうだな、俺も少し心残りがある」
見るからに肩を落とすリィンを横目に、エルガは真剣みを帯びた瞳で彼へ視線を向けた。
――……“老師”さんの言葉は、そういうことなんだろうな………――
リィンの師匠――八葉一刀流を開いた”剣仙”ユン・カーファイ老師。エルガがユミルに来たときには、老師はすでにユミルを出立しており入れ違いとなってしまっていた。そのため伝え聞いた話になるのだが、老師はリィンへの修行を打ち切ったらしい。
『――もう良いじゃろう。これを持って、お主に八葉一刀流、”初伝”を授ける。同時に、お主への修行を打ち切ろう』
――一見”見放した”ともとれる言葉と共に初伝を授かったリィンは、当初そのショックからか相当揺らいでいたのだ。自分に才能がなく、老師の期待に応えられなかったため、”お情け”で初伝を授かったのだろうと彼は思い込んでいた。
エルガが彼と出会ったのはその頃である。そのことを聞いたエルガは首を傾げ、彼と一手手合わせをしたのだが――感想は「あれで才能無しならどれだけ敷居が高いんだ八葉一刀流」である。
彼の持つ剣才と潜在能力は相当な物だろう。あいにく本人はそのことに無自覚な上に、自ら力を押さえ込もうとする節がある。おそらくその“力を押さえ込もうとする”ことが打ち切られた最大の原因だ。
彼は”何か”を恐れて一歩を踏み出せず、それが彼の潜在能力を引き出す妨げになっているのだろうとエルガは推測していた。
そしてその”何か”はきっと―――――自分自身で解決しなければならないものなのだろう。だからユン老師は修行を打ち切ったのだ。獅子は我が子を、敢えて千尋の谷に落とすという。
「心残り、ですか?」
「………ちょっとだけ、な。でもまぁ……多分大丈夫だろう」
首を傾げて問いかけてくる彼に苦笑を浮かべ、エルガは肩をすくめた。あいにくその”何か”の正体まではわからないが、彼の訳ありな生い立ちを聞くに、自分が力になれるかも知れない、と思ったことはある。
老師の見放したともとれる発言の真意が、もし考えているとおりならきっと――彼の悩みを、力への恐れを断ち切ってあげられるのは、自分ではない。彼と絆を育み、共に苦難を乗り越えた“仲間”と呼べるような存在だろう。
そして彼がその”仲間”と出会えるのは――きっと遠くない未来。彼の動物的野生の直感がそう告げていた。
湯船に浸かりながら、夜空を掴み取るように片手をあげて、
「ここの温泉は気に入ったからさ、ユミルにはまた来るよ。今度は……妹分とか、お世話になった人とかも連れてくる」
「――そうですか。そのときは歓迎します。きっと父さんや母さん、エリゼも……里のみんなも喜びますよ」
「ユミル総出で歓迎か……嬉しいけど、なんか気恥ずかしいな」
困ったように、しかし嬉しさを隠しきれない様子でエルガは頬をかいて答えたのだった。
――翌日、少し前にユミル支部の責任者から書いて貰った推薦状を持って、彼はユミルを出立した。それからさほど間を置かずに、帝都の方で事件が起きる。
かの有名な「帝都遊撃士協会連続襲撃事件」が発生したと彼が聞いたのは、レマン自治州の遊撃士協会本部にたどり着いたときであった。
これにて三話分続いた後日談も終了となります。前話および前々話はありませんでしたが、今話に関しては後書きを少々。
・盃
司法取引によって出所したレヴァナント空賊団、無事ブレイツロックの傘下組織として収まることとなりました。これによってブレイツの武闘派は彼らとビッグスロープの二大勢力に。しかし彼らの間でも武力差が激しい気が……。
そして未だに十代だったネモの衝撃。貫禄やら何やらで周囲は完全に誤解していたパターンです。なお本人は老け顔なんじゃないかと若干気にしている模様。
・小さな翼
空賊団の改名イベント。流石にそのまま使う訳にはいかなかったようで、リトルウイングへ改名。民間警備会社にしたのは、やはり自分達の最大の”商品”は武力であること、そして”略奪”から、”守る”という変わっていく意思を団員達に示したかったことがあります。
また警備会社の方が、ネモが宰相の要請を”仕事”と称して受けても不審がられないため、という一面もあります。なお彼が鉄血一派に下ったことは、ゾルダの他にレオンしか知りません。
今はまだ小さな翼ですが、それでも力強く羽ばたけば、きっと遠くへ飛び立つことが出来るでしょう。
・ボーイ・ミーツ・ボーイ
ようやく登場した閃シリーズにおける原作主人公。ちょうどユン老師から修行を打ち切られた時期にエルガと出会った事になっています。
ちょうどリィン君が落ち込んでいた時期だったので、エルガが気にかけて励ましていく内に仲良くなった感じです。
”鬼”の力を持つ者と”獣”の力を持つもの同士ですが、今はまだ互いの秘密に気付いていません。ですが互いに、何となく近しいものがあるとシンパシーを感じている、と言うような想定です。一体気付いたらどうなるのか。
そしてユミルを出立した直後に例の事件が発生。この後エルガは正遊撃士になる手続きをぶん投げて帝都に向かおうとしますが、ギルド本部によって足止めを喰らってしまいます。彼が帝都に戻ったのは襲撃事件が収束しかけていた頃になり、これが一件で彼はーー