2-01 ヘイムダルでの始まり
――少女の話をしよう。全知に至るが故に、己の意思一つ伝えられない、哀れな少女の物語を――
「―――うぅ~ん……」
――視界の眩しさと、下から聞こえてくる騒がしさに黒髪の少女は呻きながら瞳を開けた。窓から差し込んでくる朝日がまぶしい。
「………今何時……?」
半分寝ぼけながらもベッドから上体を起こし、目をこすりながら当たりを見渡した。テーブルに山と置かれた紙――おそらく何かの書類――とベッドの上に散乱する衣服や布団。それらを見て、昨日の夜の出来事を思い出していく。
「………」
確かアニーと名乗る遊撃士に休みなさいと言われて、空いていたこの部屋――おそらく遊撃士達の仮眠室――に通され、用意してくれたベッドに横になった途端眠ってしまったのだ。
「…………」
よほど疲れていたのだろう、それ以降の記憶はほとんどなく、また昨日まで感じていた微妙な違和感も失われている。溜まっていた疲れが抜けていったようだ。
「………え?」
と、そこで壁掛けの時計が目に入り、彼女は素っ頓狂な声を上げる。――その時計は現在、十時頃を指していた。
「――ほう、君があの”天槍”の弟子か。……ふん、時間もろくに守れないものに、遊撃士がつとまるとは思えんが」
「あはははっ……」
支部内にて出会った金髪の厳つい男性が放つ手厳しい言葉に、エルガは苦笑いを浮かべる。頬をポリポリとかいていると、
「ヴェンツェルさん、そんな言い方はないでしょう。確かにエルガ君は大遅刻をしましたけど、それだってやむを得ない事情があったんですから」
「だとすれば、なおさら連絡をするのが筋だろう。……まぁいい、精々励め」
金髪の男性――アニーはヴェンツェルといっていたが――がこちらを一瞥すると、そのまま踵を返して立ち去っていった。その後ろ姿を見ながら、フォローしてくれたアニーがすまなさそうに頭を下げつつ、
「ごめんなさい、エルガ君。あの人はヴェンツェルといって、うちのエースの一人なのだけれど……少し取っつきにくくて」
気にしてないです、と言ってエルガは首を横に振る。どのみち遅れたことで迷惑を掛けたことには変わらないのだから。これも先輩遊撃士からの助言として受け取っておく。
昨日はそのまま遊撃士協会で一夜を過ごし、朝の朝食を終えた後、ダーゼフがエルガの一時的な仮住まいに案内してくれたのだ。流石に支部で連日寝泊まりというわけにも行かないのだろう。その家はこじんまりとしていたが、それなりに居心地は良さそうだった。
先に届いていた荷物を部屋に放り込んでおき、なぜか知らないが一緒に付いてきて、荷物の移動を手伝ってくれたアニーとともに支部に戻ってきたときに、先程の先輩遊撃士と出会ったのである。
彼らのやりとりを受付から見ていたダーゼフはハッハッハと笑いながら、
「確かにきつい言い方に聞こえるかも知れませんが、彼なりに期待しているんだと思いますよ」
と告げるのだった。――遠くからくしゃみが聞こえた――気がした。
「さて。エルガの住まいの準備も出来たことですし、君には今日から支部の仕事をやって貰いますよ。とはいえもう2級ですし、詳しい説明はなしでも大丈夫ですよね」
「大丈夫です。……それよりも、俺としてはさっきからずっと付いてくるアニーさんの方が気になるんですけど……」
確認するように目を向けてきたダーゼフに頷きつつ、ちらりと隣に佇む白い女性に目を向ける。昨日あったときに着ていたメイド服ではなく私服――動きやすさを重視した服装の彼女は、エルガの視線に気づくとにっこりと笑みを浮かべた。
「そうですね。私の方から説明しても?」
「かまいませんよ」
「実は今日から、エルガ君には私の元で手伝いをして貰います」
「……手伝い、ですか? アニーさんが俺の教官ということですか?」
エルガはきょとんとして問いかけた。大抵の新人遊撃士は、先輩遊撃士から面倒を見て貰い、指導を受けたりして遊撃士としての役割や志を真の意味で理解し、そして経験を積んでいくものである。それを行う先輩遊撃士を教官と呼ぶこともある。だがアニーは首を振って、
「前の所属先から話は聞いているからね。エルガ君なら教官がいなくても大丈夫。そうじゃなくて、純粋に私の仕事を手伝って欲しいの」
なるほど、とエルガは首を縦に振った。前に所属していた支部でも、流石に初期の頃は先輩から手ほどきを受けていたが、位が上がるにつれて「もう大丈夫」と先輩からの指導は受けなくなっていった。
確かに2級の準遊撃士ともなれば、独り立ちさせるために先輩からの指導を受けなくなることの方が圧倒的に多い。だとしても、正遊撃士の手伝いなど――ましてやC級ともなれば、あまりやらせては貰えないのが多いだろうが。
「それは分かりました。でもなぜ俺なんですか?」
「昨日ヤクザに追われているとき、気配を読んでいたよね?」
言われ、昨日のことを思い出す。確かにレストランから出て、ヤクザ者の気配を感じ、アニーに向かって叫んでいた。そのことを言っているのだろう。
「それを見込んで手伝って欲しいの。良いよね?」
「了解です。……で、今は一体何の依頼を受けているんですか?」
「あぁ、それは――――」
彼女が受けている依頼を聞こうとしたとき、支部の扉がガチャリと開いた。エルガとアニー、そしてダーゼフの三人は揃ってそちらを振り向くと、昨日見たワインレッドの髪の毛をした女性がため息をつきつつ入ってくるところだった。
「あー、つっかれたぁ……。なーんで徹夜やってるんだろ、あたし……」
心底疲れたと言わんばかりの表情で入ってきたのはサラであった。昨日鉄道憲兵隊に連れて行かれたヤクザ者の話を聞きに行くために同行していた彼女が今帰ってきたのである。相当話が長引いたのだろう。
「お帰りなさい、サラ君。話は聞いていますよ」
「もー、そうなんですよダーゼフさん! 話を聞いて下さいよ~」
受付のカウンターで控えたダーゼフが彼女に声をかけると、サラは照れたように頬を赤らめながらも一直線に彼の元へ駆けつけた。
「そうですか、お疲れだったようですね」
「労って下さいよ、ダーゼフさん」
――昨日聞いた声の印象とは違い、どこか嬉しそうな響きが感じられる声音に、エルガは呆然とする。昨日は頼れるお姉さん、といった雰囲気を感じたが、今のサラからはそういった威厳はほとんど感じられない。
――というよりも、若干乙女が入っているような気がする。一体どういうことか、と混乱する彼に、アニーがそっと耳打ちした。
「……サラって、おじさま趣味なのよ。ダーゼフさんは好みのどストライクですって」
「そ、そうですか……」
あははは、と本気で困ったような乾いた笑いをするエルガ。――しかしダーゼフとサラの外見を見比べると、父と娘というように見えなくもないため、若干コメントに困る。
「―――お、おはようございます」
サラに向かって優しく微笑み、それに感激している様子のサラを見て、どうしようこの空気、と困惑しているときに二階から降りてきたナギサが小さな声で挨拶をしてきた。
「あ、おはようナギサ。……その様子だと、しっかり眠れたようだね」
昨日見せていた疲れと憔悴が抜けきった顔を見て、エルガは安心したように笑みを浮かべた。盛大に寝坊してしまったためか、どこか恥ずかしそうに顔を俯かせて、
「う、うん。それと、こんな遅い時間に起きてきて、ごめんなさい……」
「いえいえ、大丈夫ですよ。よっぽど疲れていたんでしょうし。あ、そうだ朝食は食べますか? 確か残りがあったはず……」
「あ、ダーゼフさんあたしも食べたいです!」
目を細め――といっても元から細いが――優しげに微笑み気を利かせるダーゼフに、サラは遠慮なくリクエストする。そんな彼女を見て、困ったように笑いつつも、
「仕方ないですね。……そういうわけで、エルガとアニー君、宜しくお願いします」
「わかりました。サラ、あまりダーゼフさんを困らせたらダメよ」
アニーはサラの肩をぽんと叩いて耳打ちする。側にいたエルガに、その言葉は辛うじて耳に入ってくる。
「――こういうときに手料理を披露するべきじゃないの?」
「――ダーゼフさん相手に、それが出来たら苦労しないわよ……」
「どうしました、サラ君?」
支部に備え付けられた厨房に向かいかけたダーゼフが、サラの大声に驚きこちらに視線を向けてくる。いえ、なんでもないです、と手をぶんぶん振るサラに苦笑を浮かべる。――また確かに、ダーゼフさんに手料理を振る舞うのは中々勇気が要るだろう。
――“一流料理人”に手料理を振る舞うのは、アニーからしても中々にアレである。彼女はくしょうをうかべつつも最後に、
「がんばってね」
と言い残し、エルガをつれてその場を去って行く。一方ダーゼフとは以前から付き合いがあったエルガは、微妙そうな表情を浮かべてサラを見据えていた。
ダーゼフが温め直してくれた朝食を食べ終わった後、「何もしないでいるのは気が引ける」と、ナギサは支部の手伝いを請け負ってくれた。そんな彼女が側にいないのを見計らって、サラはダーゼフに話しかけた。
「ダーゼフさん、今良いですか?」
「えぇ、大丈夫ですよ。……その様子だと、昨日の取り調べで何かあったようですね」
ナギサとサラが朝食を食べていたのを優しげに見守っていた時とは異なる意味で、細目がさらに細くなる。その真剣さから感じられる渋さにややテンションが上がるサラだが、今はそれを押さえた。
「はい。昨日アニーがいた店がヤクザ達に襲われたんですが……その時襲った連中は、あの子をさらってこいと言われたそうです」
「………」
サラからの報告を聞いたダーゼフは、顎に手を添える。――昨日エルガとアニーから聞いた話を嫌でも思い出していた。あの空賊団――レヴァナントも、自身達が掲げている(と思われる)誇りに反するギリギリの所でことを起こしたように感じるのだ。
――あの子には、それほどまでの“何か”があるということか……?――
ナギサがまだ話していない秘密――エルガも、彼女には何か秘密があると言うことを言っていたが、その内容は聞いていないそうだ。そしてまだ、聞けるような状態でもないだろう。彼女が自分たちに心を許していないのは、見ていて分かる。
「それと、やはりというべきか連中は”ブレイツロック”に属するようで。ただ、なぜナギサちゃんを狙うのかは、捕まった連中も知らないみたいでした」
「……連中も、少々歯止めが利いていませんね」
その名前を聞いたとき、ダーゼフはまたか、と言いたげにそっと息を吐き出した。
ブレイツロック、それは以前から帝都を周辺に活動しているヤクザ者達の集まり――武器密売なども取り扱う任侠色の強いマフィアであり、その中でも一番勢力が強い組織である。以前はトップに立つ人間が話の分かる人物であったため大人しかったのだが、最近代替わりが起き、新しいトップが集団をまとめきれずにいるらしい。
そのため、最近ヤクザ者が起こすトラブルが増加中であり、比例するように支部に寄せられる依頼も増加中だ。遊撃士協会としては頭の痛い事案である。
「空賊団の件と良い、情報が足りませんね」
サラにも昨日エルガが伝えてくれた情報を教え、二人揃ってはぁっとため息をついた。情報が足りない――なぜ彼女を狙うのか、そして彼女が持っている秘密とは何なのか。これらに関しては徐々に探っていくしかない。
「しばらく彼女は支部で保護しましょう。少なくとも、彼女に降りかかる危険性がなくなるまでは……」
「やっぱりそれが良いですよね。……そういえば、あの白髪の少年が、あの人のお弟子さんですよね?」
「えぇ、そうですよ」
彼女を支部で保護するという意見に賛成したサラは、ふと思い出したようにエルガの容姿を思い出す。長めの白髪を一つにまとめた少年。大人しそうだが、芯の強さを感じさせ――同時に、“儚さ”も感じ取れた。
そして――これはきっと、少々平凡とは言えない人生を歩んできたサラだから言えることだが――彼からは、一種の“異常さ”も感じ取っていた。戦場で生きてきた者とは違う――けれども、それと似通った環境で生きてきたような雰囲気。
「……エルガとは、少々付き合いが長くて。それに特殊な事情もあるのですよ」
昔を懐かしむように言うダーゼフ。その言葉には、不思議な重みがあるようにサラには聞こえたのだった。
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アニーに連れられて支部の外に出たエルガは、複雑そうな表情で支部の扉を見つめている。その姿を見た彼女は、苦笑を浮かべながら、
「不機嫌そうだね。ダーゼフさんとは昔からの知り合いみたいだけど、もしかしてサラに嫉妬してる?」
「いや、そういうわけじゃないんです。ダーゼフさんは恩人なので、そういう相手が出来るのは嬉しいことですけど……」
あの人で大丈夫かな、という心配があった。ダーゼフは確か今年で四十後半、サラの年齢を聞いたわけではないが、だいたい二十代頃だろう。結構歳が離れている。――とはいえ、アニーの言うとおり嫉妬がないとは言い切れない。――師匠とはまた違う意味で距離の近い人なのだ。
だがエルガの言葉に、アニーは苦笑を浮かべつつ、
「あぁ見えてサラはしっかりしているから大丈夫よ。それにきっと、サラの方が貴方に嫉妬しているかも知れないし」
「? 俺にですか?」
「うん。ダーゼフさんが名前を呼び捨てで呼んだの、エルガ君が初めてだもん」
きょとんとした表情を浮かべたエルガに、気づいていなかったのかとアニーは微笑んだ。赤い瞳をこちらに向け、彼女は柔らかい笑みをこちらに向けて、
「さてと。それじゃ、しばらくの間宜しくね、エルガ君」
「――こちらこそ、宜しくお願いします」
エルガの頬に笑みが浮かび、すっと手を差し出した彼女の手を握りしめて握手を交わす二人。厳密には違うが、白い髪をした二人のコンビはこうして結成した。
「そういえば聞きそびれていましたけど、アニーさんは一体何の依頼を受けているんですか?」
「え? あぁ、そういえばそうだったね」
あははは、と笑みを浮かべるアニー。確かにちょうどそれを聞こうとしたときにサラがやってきて聞けなかったのだ。うん、と彼女は頷いて、人差し指を下に向けた。
「……?」
その意図が読めず眉根を寄せて困惑するエルガだが、アニーは気づいていない彼のその仕草から、説明が必要だと感じ取った。――そういえば彼は帝都に来たのは初だと言っていた。それなら知るはずもないだろう。
「実は帝都の地下に、広大な地下水路が広がっているの。何でも、大昔からあるものをそのままにしていて、半ば放置されていてね。それで、そういう所って魔獣が住み着くでしょ?」
「……なるほど。つまりそこに住み着いている魔獣を一掃する、と?」
「違うわ、魔獣の調査、可能であれば討伐よ。手配魔獣かどうかもまだわからないし」
アニーの説明を聞いて、わかったように頷くエルガ。――わかっているようで、実は分かっていないようだ。まぁ、それは仕方ないだろう。アニーだって、初めて聞いたときは耳を疑ったのだから。
ちなみに手配魔獣というのは、魔獣の中でもギルドや軍が特に危険と判断した個体に付けられる名称であり、その討伐依頼が遊撃士ギルドや軍に来ることがある。だが基本的に軍が手配魔獣の討伐を行うことは少なく、もっぱらギルドの仕事になっている。
「でも確かに、街の地下に魔獣が徘徊しているって言うのは、どうにかしたいんだけれど、出来ないのよね。”広すぎて”。」
「あぁ、もしかして帝都全域に地下水道が広がって………………」
帝都全域に広がっているのか、と納得したものの、同時にエルガは嫌な予感を覚えた。それは、師匠から無理難題を押しつけられたときと同じ程度の悪寒――
『それは分かりました。でもなぜ俺なんですか?』
『昨日ヤクザ者に追われているとき、気配を読んでいたよね? それを見込んで手伝って欲しいの。良いよね?』
先程、支部の中で交わした会話を思い出す。――帝都の地下水道。広い。魔獣が出る。気配を読む。――手配魔獣の“調査、可能であれば討伐”――まさか。脳裏に浮かび上がったキーワードが繋がり、その予感を裏付けるかのように、アニーはにっこりと笑ってエルガの肩をぽんと叩いた。
「まだ『魔獣出没の可能性あり』っていう段階で、めちゃくちゃ広い地下道をしらみつぶしに探索して、それが本当かどうかを確かめるの。二、三日かかるかも知れないから、よろしくね」
「……………」
見た目に似合わず、人使いの荒い先輩に捕まってしまったと、エルガはひっそりとため息をつくのだった。