「……すっごくじめじめしていて汚いですけど、アニーさんは大丈夫ですか?」
「平気、もう慣れたから。エルガ君は?」
「ここよりも汚いところにいたこともあるので平気です。……そこと比べると、ここの方がまだ綺麗って言えるかも」
「私、そこ絶対行きたくないわ……」
やたらと実感のこもった声音で言う彼女に、エルガは苦笑するほかない。おそらくだが、初めて帝都の地下水道に入ったときは凄まじく拒否反応を起こしていたのではないか。
現在、エルガはアニーに連れられて帝都の地下水道に潜っていた。入口が隠し扉風になっていたのは驚きであり、また地下水道には、どうやら旧世代の遺跡があるようで、一種の迷宮となっていた。
内部を歩いて行くにつれて、とにかくアニーから離れすぎないようにしようとエルガは決めた。迷子になったら、無事地上に出られる自身はない。それほどに入り組んでいるようだ。
「……えっと……」
通路の交差点に着くと、アニーは必ず大きめの紙を取り出して何かを確認している。遊撃士協会と帝都庁が共同で作成した地下水道の地図であり、アレが自分たちにとっての生命線となる。
「こっちだね。……エルガ君、魔獣の気配は?」
「相変わらず弱い魔獣ばかりです。……近くに強い気配は今のところなし」
「そう。……う~ん、こっちじゃないのかなぁ……」
アニーは眉根を寄せて考え込んでいる。例の魔獣についてだが、あまり情報はないのだ。なんでも、急に地下から大きく不気味なうなり声がする、魔獣のうなり声ではないか、という声が相次いでおり、またそのうなり声の発生源も、近隣の地区から寄せられている。
そのため、おそらく魔獣は広大な地下道の一区画を拠点に移動していると予想している。そこでうなり声が聞こえたという情報を元に、魔獣がいる、もしくはいたと思われる範囲を帝都の地図で囲ったところ、概ね中心より東側にいると推測を立てたのだ。
そこからは、地道な作業――つまり足で探すと言うことらしい。
そして発見した後は討伐という流れになる。前半の調査段階を、アニーは一人でやったらしい。エルガからするとお疲れ様です、である。
とはいえ、その地道な作業が難航しているのだ。――そもそも、その不気味な声が本当に魔獣かどうかも怪しい。
「それにしても情報が少ないというか、推測を含んでいるというか……これで魔獣じゃなかったらどうしましょうか……」
「魔獣じゃないにしても、何らかの理由があると思うんだ。それに範囲が皇城に近くてちょっと怖いし……」
――皇城、というのは帝都の中心にある緋の城、バルフレイム宮のことだろう。あそこはこの国の皇族が住まう場所であり、中心でもある。その場所の近くで、魔獣が出る可能性があると言われれば、確かに調査せざるを得ないだろう。
「原因が分かるまで帰れません、なんてね」
あはは、と笑うアニーだが若干目が死んでいるように見えるのは気のせいだろうか。――気のせいであって欲しかった。気のせいと言うことにしておこう。
「――あ、ここって……」
「? どうしました?」
「ちょっと休憩しましょう。そろそろお昼頃だし」
「了解です」
あれからさらに歩き、通路から広場に出たとき、何かに気づいたアニーがそう提案してきた。休憩を言いだした彼女はすたすたと広場を突っ切り、レンガ造りの壁に手を触れる。表面を撫でるように至る所を触る彼女に首を傾げるも、その理由がすぐにわかった。
「あ、これだ」
何かを発見した彼女は、一つのレンガをすっと壁に押し込んだ。――すると、エルガの前方にあった壁ががたんと引っ込み、右へと動いていく。
「…………」
朝も見た光景、隠し扉であった。その奥には階段が見え、それを登り切ったところからは明るい光――太陽の光が溢れている。アニー曰く、この地下水路には他にもこういった物がいくつもあるそうだ。当時隠し扉を設けなければならない理由でもあったのだろうか。
「知っている場所にたどり着いたみたい。この先はマーテル公園よ。景色も良くてお気に入りの場所なの」
「そうですか……」
マーテル公園がどんな場所なのかわからず、彼は一人で想像する。帝都の街並みと、帝都はでかいという田舎者の勝手な先入観からか、都会の中にぽつんとある小さな公園のような気がしてしまい微妙な顔を浮かべる。
そんな彼を不思議そうに見つめるも、アニーは開けた隠し扉を通じて外へと歩いて行く。エルガもそれをおって階段を上り、じめじめとした地下水道から撤退するのだった。
――マーテル公園は、良い意味でエルガの期待を裏切ってくれた。
「うあぁぁ……っ!」
帝都のレンガ造りの街並みからは想像できない、緑に溢れ、広々とした空間。花壇に植えられた色とりどりの花たちが風に揺れるさまは、まさに憩いの場所だ。
やや離れた場所にガラス張りの建物がある。おそらく温室だろう。この帝都では見ることは難しそうだと思っていた自然が、まさにそこにあった。思わずテンションが上がるエルガである。
「凄く居心地の良さそうなところですね!」
「でしょ? 私もここ好きなんだ」
どこか嬉しそうに微笑むアニーは、エルガを引き連れて公園に置かれているベンチに腰を下ろした。エルガもそれに習い隣で腰を下ろし、うーんと伸びをする。
「あー……運動していたから、ここで眠っちゃいそう……」
お日様の光が心地良い。ベンチに腰を落としたエルガの顔はふにゃふにゃになっている。アニーはそんな彼を見てくすくすと笑い、
「はいこれ。今日のお昼ご飯」
「あ! 昼のこと考えてなかった……ありがとうございます」
地下に潜る前、昼食のことがすっぽり頭から抜けていたエルガはアニーから渡された包み紙をありがたく受け取った。軽く焼いたパンでハンバーグをはさんだ、所謂ハンバーガーであった。
「地下道でお昼にならなくて良かったわね」
「あまり想像したくないなぁ……」
さきほどまで潜っていたあそこで昼食をとるというのは、正直勘弁して欲しかった。地下水道なだけあってかなり汚れており、そこで食べるというのはどれだけ味が美味しくても、おいしさ半減だ。
ちょっと休憩、ということで二人ともベンチに座りハンバーガーを食べている。とはいえ渡されたそれは少し小ぶりなためエルガはすぐに食べ終わってしまった。ふと隣を見るとアニーはまだ食べているようで、少し暇な時間が出来てしまう。
(………そういえば)
ふと今朝ダーゼフから手渡された手紙のことを思い出した。昨日遊撃士協会に寄った師匠からの手紙である。いそいそとそれを取り出し、手紙の内容に目を落としていった。
―親愛なる馬鹿弟子エルガへ――
この手紙を読んでいると言うことは、無事帝都の遊撃協会にたどり着いたと言うことだろう。こちらはあの後、帝都の空港で各方面から質問攻めに遭ったが何とか切り抜け、今は遊撃士協会にいる。
この手紙を書き終えダーゼフに渡した後、以前言っていたとおり、槍を一つ打って貰うためある場所に向かう。正直お前も連れて行き、そこである奴にお前を会わせたかったが、こうなってしまったのも女神の導きという奴だろう。
しばらくは帰って来られないと思う。なにぶん向こうが気分屋だ。想定以上に早く戻る可能性もなきにしろあらずだが、あまり期待はしない方が良い。寂しさで泣くんじゃないぞ。後きちんと歯を磨けよ。
後のことはダーゼフに託した。お前はお前で、帝都の遊撃士としてなすことをなせ。では、達者でな。
~追伸~
――誰かを守るためではなく、助けるため、救うために手を差しのばしたのなら、何があってもその手を離すな。以上。
「……お見通し、ってところかな……」
相も変わらぬ師匠からの手紙に目を通し、エルガはそっと微笑んだ。相も変わらぬといっても、別れてからギリギリ一日も経っていない。
手紙に記された前半部分は、以前師から聞いたとおりであった。ほんの一ヶ月ほど前、師はある人物と槍を交わし、その結果戦いには辛うじて勝ち星を挙げた物の、師匠の槍は真っ二つに砕けた。
それ以降変わりになる槍を探していて、師が納得する槍を調達する手はずが整ったため、帝国入りしたのだ。――それと同時に、遊撃士協会からのエルガの帝国支部所属が決まったのだが、果たしてそれが全くの偶然と言えるのか疑問ではある。
「それ、エルガのお師匠様からの手紙?」
エルガの手元にある手紙をのぞき込むアニーに気づき、読みやすいよう彼女の方に手紙を寄せてあげる。片手に手作りのハンバーガーを持ったまま手紙を読んでいく。手紙自体短いためあっという間に読み終え、彼女はクスリと笑みを浮かべた。
「エルガ君、子供扱いされてるわね。歯磨きはしたの?」
「毎朝していますよ……まぁある意味師匠からのお約束みたいな物でして……」
明らかに悪のりしてくる彼女にはぁ、とため息をついて答える。昔からそうなのだ、師匠は事あるごとに自分を幼子扱いしてくる。正直勘弁して欲しいところである。
「”天槍”のローグ、だよね。エルガのお師匠様は」
「そうだよ。”天槍”ジルヴィア・ローグ。……遊撃士になった今なら分かるんだけど、かなりのビックネームだよね……」
あははは、と乾いた笑みを浮かべて視線を逸らすエルガは、どこかいたたまれなさそうだ。
エルガの性も『ローグ』――ダーゼフから聞いたが、義理の息子らしい。今からおよそ六年ほど前に出会い、ジルヴィアの養子兼弟子となったそうだ。だがその時のダーゼフの語り口調から、並々ならぬ波乱があったことは感じ取れた。
「ジルヴィアさんは武術の世界じゃかなり有名だもんね。”天槍”……流派とかってあるの?」
「我流だよ。……でも最近、名前付けた方が良いんだろうかって調子に乗った悩みを抱えているっぽいけど」
「辛辣だなぁ……」
真顔でばっさりと切り捨てたエルガに苦笑を浮かべた。師匠と弟子の関係性がやや気になる発言である。しかしその根底にあるのは強い信頼関係なのだろう。――信頼しているからこそ言える軽口、という奴か。
――天槍のローグ。本名ジルヴィア・ローグ。遊撃士協会に籍を置くA級遊撃士の一人であり、エルガの養父にして短槍の師匠。彼自身も短槍の使い手であり、その技量は天才的とも”変態的”とも言われているらしい。――後者に関しては、凄すぎて、という意味である。
また、アニー自身は詳しくはないのだが、武術における一つの頂点である”理”――物事の本質を見抜く力、とも言われている――へ“独学で”至っているとの噂もあったのだが、図らずもエルガの我流の槍術という発言から、ますます真実味を帯びてきた。
「でもそっか、ジルヴィアさんもA級遊撃士だし、昨日の支部には元も含めて二人もA級がいたのかぁ」
ダーゼフの顔を思い浮かべながらまだ見ぬジルヴィアの姿をイメージする。A級遊撃士は、遊撃士における最高位のランクであり、そこに到達しているのはゼムリア大陸全土を合わせても二十名程度と数は少ない。
しかしアニーの発言に眉根を寄せたエルガだが、何かに気づいたのか納得したように頷いて、
「…………そっか、一応そういうことになっているもんな」
「え?」
「なんでもないです」
首を振ったエルガは、さて、と言わんばかりにその場から立ち上がった。気づけばアニーも食べていたハンバーガーをすでに食べ終えている。――気は進まないが、仕事の再開時だろう。
「気は進みないけど、お仕事開始と行きましょう」
マーテル公園に出て来た場所から、もう一度地下水道に戻っていったエルガとアニーだが、即座にエルガが異変に気づいた。
「うん? …………」
背後でガタガタと音を立てながら閉じていく隠し扉をそのままに、彼は地下水道の四角い広間にある一本の通路を見続けている。その様子に気づいたアニーもその通路を見ながら口を開く。
「あそこに何かあるの?」
「……気配を感じる」
「え、ホント!?」
彼の言葉に、アニーは嬉しそうに笑みを浮かべた。彼の言葉が正しいのならば、ついに手配魔獣の存在と場所が分かるのだ。これまでの苦労と困難がついに実を結ぶときが来たのだ。――だが、エルガは申し訳なさそうに苦笑を浮かべて否定する。
「……言っておくけど、手配魔獣じゃないから」
「………そう」
否定されたアニーの落ち込み具合は凄まじい。喜んだ分、落胆も大きいようだ。申し訳なさそうなエルガだが、しかし感じる気配が正しいとすれば、無視も出来ない。
「多分二、三十人ぐらいがあの奥にいると思う」
「……二、三十人も? こんな所に?」
不可解そうに尋ねるアニーに頷いた。彼女もこれは不審だと思っているのだろう、通路の先を睨みつけ、彼女はゆっくりと頷いた。
「……行ってみようか。地下水道に二、三十人が集まるっていうのは、ちょっと不味いかも知れないし……」
「不味い? 何が?」
「あーそっか、エルガ君は知らないもんね。……実は今の帝都、ちょっとヤクザがぴりぴりしているのよ。何でもちょっと前にマフィアから攻撃を受けていたとか何とかで」
腰に吊ったレイピアの柄を撫でるアニーの説明を聞き、眉根を寄せるエルガ。ヤクザが義理人情を重視し、一般人――彼ら曰くカタギ――に対し、法とはまた違う独自の“一線”を設けるのであれば、マフィアは利益優先し、独自に設けた”一線”はなく、”法に触れない程度に”悪事を働くのが最大の違いだろう。
その違い故か、はたまた互いの”商い”による衝突のためか、両者の間で抗争が起こることも多い。遊撃士や一般人からすればたまったものではない。ともあれ、今の帝都ではその抗争が起きている状況、ということらしい。
――二、三十人の大勢の人の気配。確認せざるを得ないだろう。事態を理解したエルガも、背中に背負う形で携行していた槍の重みを感じ取っていた。
「行きましょう」
「えぇ、冷静に、そして迅速に、ね」
二人は頷き会い、目の前の一本の通路を歩き始めた。
それから程なくして、先程の広間よりもスペースがある大広間にたどり着く。――そこにたどり着いたとき、エルガは眉根を寄せた。
「……ここ、一体……」
円柱状の空間であり、外周には階段と通路がある。また中心部分は吹き抜けになっており、どこか特別な雰囲気と気配を醸し出している。そこにたどり着くと、アニーがふむと頷いて、
「ここ、多分旧時代では墓所か何かだったのかな……」
どうやらアニーも、ここに特別な意味があることを肌で感じ取ったのだろう。感慨深げに周囲を見渡している。
「……二十六人……かなり多いね」
その中央の円形型の広間に、多数の人が集まっていた。体のどこかに入れ墨をし、見るからにガラの悪そうな、一目でヤクザとわかる姿をした者が多い。二人は広間の入口付近で物陰に隠れ、ひっそりと様子をうかがう。
「……間違いないわね、ブレイツロック……さっき言っていたヤクザのほうね」
「はい。……それに、着てるものの雰囲気が、昨日の連中に似てる」
昨日でアニーが店員として働いていたレストランにやってきたヤクザ達――それと似た雰囲気を感じたのだ。自覚のないまま槍を握りしめる手に力が宿る。
エルガが力んでいることに気づいたアニーは、ぽんと彼の肩に手を置いた。
「力を抜いて。あんまり力んでたら大事なことも見逃しちゃうわよ」
「……了解です」
言われ、エルガはそっと息を吐き出した。槍は未だ握りしめたままだが、先程よりも力は込めない。そうこうしているうちに彼らは二人一組となって向き合った。棒や刀剣、ナイフなどの武具を持って戦い始めた。――いや、訓練を始めたのか。
「……すっごい本格的ね」
「うん。結構本気でやり合ってる」
『オラァ!』や『死ねやぁ!!』などの怒声が飛び交い、手加減の手の字も見えない本気の戦いに、一瞬訓練ではないのかと思ったが、やはり訓練なのだろう。その証拠に、血だらけとなって戦闘不能になった相手に追い打ちを掛けることはなく、負けた方も大人しく引き下がっていく。
どうやらこれが、ヤクザ達にとっての戦闘風景なのだろう。血なまぐさいにもほどがある。一応負けて引き下がった方も、広間の端に集まっていて、時折導力魔法の光が見える。おそらく怪我の治療を行っているのだろう。
「……まさかとは思うけど、この騒ぎが原因ってことはないよね……?」
「う~ん……」
アニーが頬を引きつらせながらエルガに問いかけてくる。例の魔獣と思わしきうなり声の件だ。これを見た感じではもしかして――とエルガは思ってしまう。ヤクザ達の戦闘訓練時の騒ぎが、うなり声のように聞こえたのだろうか。
「個人的に違うと思うけれど……一体どういう唸り声で――」
どういう唸り声だったのか――それを問いかけようとした瞬間、エルガはぞわっとした悪寒と嫌な気配を感じ取り、全身に鳥肌が立った。一拍遅れて、エルガとアニーの背後から、“唸り声”が響き渡る。
「こういう感じの――って、えぇ!?」
思わず叫び、アニーは背後の通路を振り返った。――だが、通路を見たのは彼女だけではない。
「……おう、オメェ等。一体そこで何してる?」
「――ぁ……」
問われ、アニーはゆっくりと後ろを――広間のほうへと向き直った。するとそこには、三十人近くのヤクザ達が揃ってこちらを見ていた。ほぼ全員がこちらを射殺さんばかりに睨み付けてきた。
デートスポットで、美人の色白お姉さんの手料理を一緒に並んで食べるエルガ君。
ジルヴィア
「ちょっとヤキいれるか」