俺じゃ世界を救えない   作:ロジの裏

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役立たずの生き方
第一話 男の日常


 月明かりと街灯に照らされた道を、体中が泥にまみれた金髪の男が歩いている。いや、男というには中性的な顔をしており、細く小さな体も相まって、その容姿は少年のようであったのだが。

 男の足取りは重く、遅く、あらゆる動作から疲れが滲み出ていた。時折吐き出される小さなため息は、その体から溢れ出た疲れそのものにすら思えた。

 家々には明かりが灯り、まるで街は夜だということを忘れたかのように明るいのに対し、男の様子はそんな明るさとは真逆に位置するものであった。

 そんな暗い雰囲気を纏った男は小さな体を重たそうに引きずりながら、やがて冒険者ギルドの前にたどり着いた。

 

 男はギルドの立て付けの悪い木製の扉をわざわざ両手で開ける。疲れているのもあるのだろうが、その細い腕は見た目通り力がないようで、重たそうな様子で扉を開けていた。

 開け閉めの度にギシギシと軋んで耳障りな音を鳴らす扉の音は、ギルド内の喧騒の前に掻き消された。

 

 ギルドの中は依頼を終えて帰ってきた冒険者たちで賑わっていた。ギルドが運営している酒場では従業員たちが忙しなく酒と食事を運び、酔った冒険者たちは、今日の自身の武勇伝を上機嫌に語っている。

 

 ほとんどの者は喧騒に掻き消された扉の音に気がつかなかったが、その音に気づいた何人かは、入ってきた男の存在を認識した。

 そしてそのうちの一人である、扉の近くの席に一人で座っている、背中まで伸びる青い髪と黄金に輝く瞳が特徴的な少女が、どこか嬉しそうに男に声をかけた。

 

「先輩!」

 

 だが男は気がつかなかったのか、受付の方へと歩いて行く。声が聞こえなかったのかと思い、今度はさっきよりも大きめの声で、少女は再び男へと呼びかけた。

 

「せーんーぱーい!」

 

 しかしそれでも聞こえなかったのか、男は歩みを止めない。すると何を思ったのか少女は俯き、先ほどの声とは正反対の小さな声で呟いた。

 

「チビ」

「おい」

 

 それまでの疲れ果てた様子はなんだったのかというくらい機敏に少女の言葉に反応した男は、少女の方に振り向くと、気だるそうにしながら、受付から少女の方へと歩く向きを変えた。

 予想通りの男の反応に満足した少女は、何食わぬ顔で男に言う。

 

「なんだ、ちゃんと聞こえてるんじゃないですか〜。無視するなんてひどいじゃないですか、先輩」

「お前なぁ、仮にも先輩と思ってる人間に対してチビはないだろうチビは。いや、チビであることは事実なんだけどさぁ……」

 

 そう言いながら男は勝手に自分の言葉で自分の傷をえぐり、そして勝手に落ち込んでいた。

 慣れてはいるが、身長のことになると面倒くささを発揮する男に、呆れたように少女は言う。

 

「最初にチビって言ったのは私ですけど、自分で言って改めて落ち込まないでくださいよ……」

 

 そうして若干テンションを低くした男は、少女のところまで行くと、面倒くさそうに言った。

 

「で、なんか用かよアニス。見てわかると思うが、疲れてるから早いとこ依頼書渡して、帰って体を洗いたいんだが」

「も〜。せっかくこんなに可愛い後輩が声をかけてあげたんだから、ちょっとくらい……」

 

 構ってくれてもいいじゃないですか。そう言葉を続けようとして、少女ーーアニスは気づいた。

 

「って、先輩くっさ!なんですかこの匂い!今日は一体なんの仕事をしてきたんですか!?」

「ドブさらい」

「……早く帰って体を洗ってください」

「おう、じゃあな」

 

 そう言うと、男はアニスに背を向けて再び受付へと歩いていった。

 

 今度こそなんの邪魔もされずに受付に来た男は、腰まで伸ばした茶色の髪と、透き通った青い瞳を持つ美しい受付嬢に、完遂した依頼書を渡した。

 

「ティアさん、これお願いします」

「はい。かしこまりました」

 

 受付嬢ーーティアは、男から受け取った依頼書の内容を確認すると、達成確認中と書かれてある棚にしまい、男に事務的な態度で言った。

 

「依頼の達成が確認できましたら、報酬をお渡しいたします。この依頼内容でしたら、明日にはお渡しできるかと」

「わかりました。ありがとうございます」

 

 そう言ってから軽く頭下げて帰ろうとした男に対し、ティアはそれまでの事務的な態度を崩し、美しい微笑みを浮かべて言った。

 

「今日もお疲れ様でした、キャロルさん。今日はゆっくりと体を休めてくださいね。明日もまたよろしくお願いします」

 

 男ーーキャロルは、そう言って微笑むティアを見て思った。

 

「世界一可愛い……」

「え?」

「いえ、なんでもありません。それでは失礼します」

 

 思わず心の声を漏らしてしまったことに焦り、早足でギルドから出たキャロルは気がつかなかった。先ほどの様子とはうってかわって暗い顔で自分を見つめるアニスと、そんなアニスを見て、こちらも先ほどの微笑みとはまるで違う、ニタリと不気味な笑みを浮かべるティアに。

 

 

 

 ギルドから出た後、キャロルは思わず漏れた言葉がティアに聞かれたかどうか気が気でなかったが、次第に落ち着くと、疲れた足取りで街の外れにある自身の住処に向かって歩きはじめた。

 

 しばらく歩き、街の中心部から離れていくと、街灯や家々の明かりは次第になくなり、やがて月さえ雲に覆われる。

 街の様子は一転し、暗い夜道を歩くキャロルだが、彼の様子もまた、ギルドを出る前とは一転していた。

 キャロルは先ほどのティアの微笑を思い浮かべていた。

 

 ーーさっきのティアさん、可愛いかったなぁ……。

 

 その美しい姿を思い返し、思わずにやけてしまう。

 その様子は、先ほどまでの疲れなどまるで感じさせないものであった。

 

「何一人で気持ちの悪い笑みを浮かべているんだ?」

「!?」

 

 気を緩めてだらしない笑みを浮かべていると、突如背後から女性の声が聞こえてきた。

 夜の暗い中、突然の出来事に思わず飛び上がりそうになるが、その声が聞き覚えのあるものだと気づくと、安心から思わず小さく吐息を漏らした。

 

「脅かさないでくださいよ、シャルナさん……。危うく心臓が口から飛び出るところでしたよ」

 

 そう軽口を言いながら振り返ると、そこにはいつのまにか、銀の長髪を後ろで纏め、薄暗い夜の中でもその存在感をまるで失わない紫の瞳をもった女性が立っていた。気配は一切感じなかった。

 

「シャルナさん、か。もう師匠とは呼んでくれないんだな……。あぁ、子離れを感じる親の気持ちというのは、きっとこういうものなんだろうな……、なんとも寂しいというか、もの悲しいというか。そういった感情に今にも押しつぶされてしまいそうだよ、私は」

 

 銀髪の女性ーーシャルナは、明らかに冗談を言っているとわかるような、おどけた様子でキャロルにそう返した。その態度になんとなくムカついたキャロルは、脅かされた仕返しも兼ねて言ってやった。

 

「今日は普通の格好なんですね。夜のお仕事は今日はお休みですか?」

「ひどく誤解を招きそうなことを言うんじゃ無い」

 

 シャルナに言葉を浴びせ、満足な反応を得られたキャロルはどこか楽しげであった。そんな弟子の姿を見て、シャルナは若干の呆れを含んだため息を吐き出して言った。

 

「お前も昔は純粋でいい子だったのに、どうしてこんな子に育ってしまったんだ……」

「いや、こんな子になった原因、結構な割合であんたが占めてるよ……」

 

 キャロルもシャルナと同様に呆れを含んだ声でそう返す。

 しかしその後、うってかわって真面目な様子になったキャロルは、その表情を引き締めてから言った。

 

「シャルナさんが、こんな時間に俺に用があるっていうことは……、何かあったんですか?」

 

 何かの部分を強調しながら警戒の色を滲ませるキャロルを見て、シャルナは可愛いものを見るような、慈しみすら感じるような微笑みを浮かべる。

 

「安心しろ、今日はそういうのじゃない。本当にたまたまさ。たまたま、お前のことを見かけたから声をかけた。ただそれだけのことだよ」

 

 そう言ってシャルナはキャロルに近づき、その小さな体を抱きしめた。身長差のせいで、キャロルの頭がシャルナの大きな胸に埋まる。

 あまりに突然の出来事に、キャロルが困惑した表情を浮かべていると、シャルナはその顔から笑みを消し、一転して不安そうな表情で、消え入りそうな声で言った。

 

「なぁ、キャロル。大丈夫か?元気か?体を壊していないか?つらいことはないか?」

 

 シャルナはそう言いながら、抱きしめる力を強くする。腕の中のものが壊れないように優しく、けれど決して離れないよう、強く、強く抱きしめる。

 キャロルは、自分を抱きしめているシャルナの体が、かすかに震えているのを感じとっていた。

 

「なぁキャロル。私は不安なんだよ。お前のことが、とてつもなく不安で、怖いんだ……」

「私は常にお前のそばにいられない。今日会えたのだって、本当にたまたまなんだ。次はいつ会えるかわからない」

「こんな世界だ。誰がいつ死んだっておかしくない。お前ならなおさらだ。もし今日私がお前と別れて、その後、会う機会が永遠に失われてしまったら……。もしかしたら、これが私たちの最期の時間になってしまうんじゃないかって……」

「そう思うと、たまらなく恐ろしいんだよ……」

 

 キャロルは抱きしめられながら、シャルナの言葉を黙って最後まで聞いていた。そうして言葉を聞き終えると、優しく、言い聞かせるように言葉を発した。

 

「師匠」

 

 その一言で、シャルナの体がビクンと震える。キャロルはシャルナを落ち着かせるように優しく背中を撫でながら、ゆっくりと、言い聞かせるように言葉続けた。

 

「師匠。僕は、大丈夫です。元気です。体のどこも壊れてません。つらいことなど、何もありません」

 

 嘘だった。毎日無理をして働いて体はボロボロだったし、今日だって疲れ果てて倒れそうになりながらここまで歩いてきた。つらいことなど山ほどある。とてもではないが大丈夫と言えるような状態ではない。

 しかしキャロルはそんな自分を、たった今殺した。今この場に立っているのは、健康で、毎日元気に働き、つらいことなどとは無縁の男。それがキャロル=リズウィークなのだと、そう自分に言い聞かせた。

 

「本当に……、大丈夫なんだな?」

 

 しばらくして体の震えが収まり、幾分か落ち着いた様子となったシャルナが、確認するようにキャロルの目を見て言う。

 

「はい、大丈夫です」

 

 キャロルもシャルナの目を見て即答する。

 そうしてしばらく見つめあった後、シャルナはようやく安心したように体の力を抜いた。

 

「そうか……。なら、いい」

 

 なんとか彼女を安心させられたことにホッとして、キャロルも体から力を抜く。

 その後、おもむろにシャルナは口を開いた。少し恥ずかしそうなその姿が、キャロルの目には新鮮に映っていた。

 

「情けない姿を見せてしまったな……」

「いえ、俺の方こそすいません。俺が不甲斐ないばっかりに、不安にさせちゃって……」

「まったくだ。お前は昔からずっとそうだ」

 

 どこか懐かしむような目で、シャルナはキャロルを見つめる。

 

「もう、昔の頃とは違いますよ。俺も成長してますからね」

「違うものか。お前はまだこんなにも小さいじゃないか」

 

 そう言ってシャルナは、キャロルの頭を撫でる。百五十センチに届くかどうかという身長しかないキャロルは、シャルナにとってとても撫でやすかった。

 

「身長のことはいいじゃないですか……」

 

 少し拗ねたように顔を背けるキャロルを、シャルナは微笑んで見つめていた。

 明らかに子供扱いを受けているのが分かり、だんだんと恥ずかしさが増してきたキャロルはシャルナに反撃を開始した。

 

「それをいうなら、シャルナさんだって変わってませんよ。今も昔も心配性だ。いや、むしろひどくなってる。俺ももう二十歳ですし、いい加減心配されるようなことは無くなりましたよ」

「お前ももう二十になったのか……。時間が経つのは早いものだな……」

「なんか年寄り臭いですよ、今の言葉」

「む、心外だな。私はまだ二十五だぞ。ぜんぜん余裕でまだまだお姉さんで通用するはずだ」

 

 先程までの重たい空気が消え失せ、互いに軽口を叩き合う。その雰囲気のギャップで、少しおかしくなって二人とも思わず笑ってしまう。

 

「まぁ、安心したよキャロル。久しぶりにお前の顔を見ることができてよかった」

「俺も、シャルナさんに会えて嬉しかったですよ」

 

 キャロルがそう言うと、シャルナはふわりと笑った。

 そしてゆっくりと、それでいて力強くキャロルの顔を両手で挟んで自分と目を合わせさせてから、キャロルに刻みつけるようにして言う。

 

「また、会おうな」

「はい、また会いましょう」

「約束だ」

「約束です」

 

 そうしてシャルナはキャロルの顔から手を離し、一歩離れてから言った。

 

「今日のお前、なんか臭かった。具体的に言うと、ドブ臭かった。帰ったらしっかり体を洗うんだぞ?」

「せっかくいい感じだったのに」

 

 雰囲気をぶち壊しにされ、ジト目になるキャロルを見てクスクスとシャルナは笑う。

 いつのまにやら雲から顔を覗かせた月明かりに照らされるその姿がやけに様になっていて、綺麗だとキャロルは思ったが、もちろんそんなことは言わなかった。

 

「今度こそ本当にお別れだ。またな、キャロル」

「えぇ。それじゃあまた」

 

 そう言ってシャルナに背を向け、再び家へと歩き始めたキャロルはふと思った。

 

 ーー久しぶりに会ったって、五日前に会ったばかりじゃないか。

 

 

 

 シャルナは歩きながら、抱きしめたキャロルの感触を思い出していた。

 

 小さく弱々しいその体は既にボロボロだった。虚勢を張って、必死に私を安心させようとするその姿を見て、思わず泣きそうになった。抱きしめたその体からこの手を離すのに、一体どれだけ苦労したことか。

 本当は離れたくなかった。ずっと一緒にいたかった。彼が望むなら、私は自分の全てを差し出すことになんの躊躇もありはしないというのに。

 

 だが彼はそれを望まなかった。彼は強いから。

 

 シャルナの姿が、すっかり明かりが消えた街の暗闇の中に、溶けるようにして消えていった。

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