IS - 女装男子をお母さんに -   作:ねをんゆう

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31.ラウラ・ボーデヴィッヒは放っておけない

sideラウラ

 

「……風が強いな。」

 

その日の昼時は酷く風が強かった。

初日に私が織斑一夏に行った所業が原因なのか、食堂に行けばやけに絡まれることが多くなり、最近ではこうして購買で買ったものを適当な場所で食べる事が多い。

 

どこへ行ってもああいった愚か者はいるが、相手にするだけ無駄であるということは知っている。

アレに構っている時間があるならば、非常時に備えて一帯の建物の構造を把握している方が余程有意義だ。

またいつ何時襲撃が起きるのか分からない上に前回の功労者が動けない今、次の犠牲になれるのは自分以外にはいない。ならば今からでも詰められる所は詰めておくに越したことはない。少しでも自分に有利に働く要素を増やしておきたい。

 

牛乳を片手に付近を散策していると、修繕中のアリーナの近くで1人の女生徒を見つける。

 

立ち入り禁止のこの区域に入っていることは問題であるが、同じ立場の自分が言えることではない。

特に気にせず立ち去ろうとしたところ、その女生徒に見覚えがあることに気が付いた。

 

(綾崎、奈桜か……?)

 

そこには前日に訪ねた、例の彼女が居た。

 

車椅子を近くに置き、木に背中を預けて座り込んでいる。

特に何かをする様子もなく、人の近付くことのないその空間で、彼女はジッと学園を取り囲む海へと目を向けていた。

 

何を考えているのかは分からないが、そんな彼女の方へと自然と自分の足は動いていく。

この学園に来てから他人に積極的に関わりに行くなど、初日に織斑一夏を叩きに行った時以来ではないだろうか。

あの時の間抜け顔を思い出しながら私は彼女に声をかける。

 

「こんな所でなにをしている。」

 

「……あら、ラウラさんでしたか。こんにちは。私は少し、海を見ていただけですよ?」

 

「海を?……こんなもの、いつでも見られるだろうに。」

 

「いつでも見られるものですが、いつでもじっくりと見られるものではありませんから。人の記憶は磨耗するものですし、偶にこうして記憶に焼き付けておかないと忘れてしまうんですよ。」

 

一瞬こちらに顔を向けるが、彼女は直ぐにまた視線を元に戻した。

私も彼女の隣に立ち、同じ様に海を見てみるが彼女の言っていることはよく分からなかった。

 

「海を忘れたくない、ということか?理解に苦しむな。」

 

「ふふ、そんなに難しい話ではありません。嬉しい記憶、楽しい記憶、綺麗な記憶、それをなるべく長く残しておきたいというだけです。それに支えられている自分を守るためにも。」

 

「……それは、分からなくもないな。」

 

「そうでしょう?」

 

「ああ。」

 

そうだ、忘れられない思い出はある。

それでも忘れてしまうのが人間だ。

自分が人間である限り、あの日あの時に自分を救い出してくれた教官との記憶も色褪せていく。

 

そんなことがあってたまるかと思って日本に来たが、記憶にある教官とこうして会った教官との違いはやはりと言うべきか、あった。

そしてそれは、存外悲しいものでもあった。

あれだけ大事にしていた記憶が知らぬうちに薄れてしまっていたという事実は。

 

「……例えばの話なんですけど、ラウラさんは誰かになりたいと思ったことはありますか?」

 

「……いきなりなんの話だ?」

 

「いえ、これも他愛のない雑談です。嫌でしたら無理に答えなくても大丈夫ですよ。」

 

「嫌、ではないが……そうだな。できるならば私は、教官の様になりたい。」

 

「千冬さんに、ですか?」

 

「そうだ。私は教官の様な強さが欲しい。一点の曇りもない圧倒的で完璧な強さ、私が憧れる唯一無二の存在だ。教官の様になれるのなら、私はどんな努力も厭わないだろう。」

 

「……どんな努力でも、ですか。」

 

「そういう貴女はどうなんだ。こんな話をしたからには、何かあるのではないのか?」

 

自然と彼女の隣に座り込む。

なぜかは分からないが、彼女と共にいる空間は嫌ではない。

安心感、ではあるのだろうが、教官と一緒にいた時とはまた性質の違うものだ。

なにをする訳でもなく、ただこうして座り込んでいるだけでも悪くない。

 

「……そうですね。正直に言ってしまえば、今現在なりたい人は居ます。けど出来ることなら、その人になることなく、自分のままで、その人の立場になりたいですね。」

 

「また随分と難しいことを言うのだな。」

 

「要は『一夏くんになって千冬さんに愛されたい』か、『一夏くんの立ち位置になって愛されたい』か、という様な違いです。私は私のままで居たい。」

 

「なるほどな、それならば私も後者だろう。……ふむ、そう考えれば私の強さについても同様か。理想を言うならば、私も私のままで教官の強さを得たい。」

 

「そうでしょう?ですが、それは理想です。これがどれだけ難しいことかは、私達自身も分かっているはずなんです。……けど、それでも実はこれ、前者よりは断然簡単で現実的な話なんですよね。なのに私達はまず始めに、『誰かになりたい』と考えてしまいます。自分は自分以外の誰にもなれるはずなんてないのに、です。」

 

「"自分は自分以外の誰にもなれない"か。その立ち位置になるだけなら、努力さえすれば届く可能性は十分にあるにも関わらず、人はまず最初にその誰か自身になりたいと考える。……織斑一夏の立ち位置を密かに羨んでいる私にとっては、酷く耳の痛い話だな。」

 

「私も同じ様なものです。なんでこんな簡単なことに直ぐに気づかなかったのかなぁって、海を見ながら考えてたんですよ。それくらい本当に、お馬鹿なことをしてしまいましたから。……あんなことをしても、誰も幸せにはなれないのに。」

 

自嘲するように笑う彼女は、以前よりもどこか気力が無さそうに見えた。

しかしそんな事を考えている間にも、ゆっくりと立ち上がってヨタヨタと車椅子へと戻ろうとするものだから、こちらも焦って手を貸してしまう。案の定、バランスを崩して倒れそうになるのだから放って置けない。

 

「ありがとうございます、ラウラさん。」

 

「……存外、貴女も失敗をするのだな。」

 

「ふふ、ラウラさんの期待を裏切ってしまったでしょうか。私だって人間ですから、失敗くらいはたくさんします。」

 

「それもそうか……。なんというか、どうも私には無意識に他人に自分のイメージを押し付ける悪癖があるらしい。特に最近は感情的になっていたこともあって、余計にな。」

 

「人間ですもの、仕方ありません。」

 

「……人間、なのだな。私も。」

 

先程まで眼前に広がる大海原に囚われていた彼女の視線が、今は逆に捕らえる様に私に向けられている。

けれどそれは決して不快なものでもなく、こちらを見通す様なものでもなく、ただただ自分を受け入れる様な抱擁感に満ちていた。

 

これまで多くの人間を見て、見られてきたが、こんな雰囲気を持つ者に出会ったことはない。

彼女と向き合っているだけでささくれ立った心の棘が溶かされていくのを感じて、警戒心などほんの少しも抱くことができなくされてしまう。

 

無意識のうちに開いていく自分の心、けれどそれを止めようとする気力すら湧くことはない。彼女の前では、軍人で作り物である自分でさえも、1人の人間で居てもいいと思わされてしまって……

 

「な、なあ。……その、普段の教官は、どうなのだ? 教官も、失敗をするのか……?」

 

あれだけ馬鹿にしていた『兵器を扱う覚悟のない女生徒達』のように、『織斑一夏に群がる愚かな代表候補生ども』のように、私は彼女に、なんでもない普通の、まるで学生の様な質問をしてしまった。

 

「……ふふ、それはもちろんです。いつも仕事が終わって部屋に戻って来ると、『生徒を叱り過ぎてしまったのではないか』とか、『忘れていた仕事があって明日から地獄だ』と嘆いていたりするんですから。千冬さんだってたくさん失敗はしていますし、それどころかむしろドジをする事が多いタイプだと私は思います。」

 

「そ、そうなのか?」

 

「ええ。それでも、そうやって失敗してしまったことを、しっかり反省をして直そうと努力しているからこそ、今の千冬さんがあるのも間違いないんですよ。千冬さんの強さは、そういった所にも支えられた強さなのではないでしょうか。」

 

「……そう、か。その視点で教官を見て考えたことは無かったな。思えば私は教官の上辺だけしか見たことがない……いや、見ようとはしていなかったのかもしれない。それどころかむしろ、私の勝手なイメージを押し付けていたと今なら自覚ができる。」

 

「そうだとすれば、それはラウラさんの失敗です。……けどそうなれば、千冬さんの様な強さを身に付けたいラウラさんが次にすべきことも、自然と見つかったんじゃないですか?」

 

「……なんというか、貴女は感心するほど口が上手いのだな。」

 

「ふふ、褒めてもこの身体ですから。何も出せませんよ?」

 

「馬鹿を言うな、怪我人に何かを求めるほど私は落ちぶれてはいない。いいから大人しく座っていろ。」

 

「あわわ……」

 

動きの鈍い両手と両足を見せびらかす綾崎をグイッと車椅子に押し付ける。大人っぽさの印象は強いのに、時たまこうして子供らしさがあるのも可愛げというものなのだろうか。

この女が皆に慕われている理由が、今日のこれだけのやり取りだけで、十分と言うほどに分かってしまった。

自分でさえも、こうしてペラペラと余計なことを語って、その返答を何の抵抗もなく受け入れてしまう程に気に入ってしまったのだから。

 

「……まあ、それはさておき。とりあえず今日のところは車椅子を押す役割くらいはさせて貰おう。貴女をこのまま1人で返せば明日の朝には海の藻屑になっていそうだ。」

 

「もう。それこそ意外と意地悪ですね、ラウラさんは。」

 

「ふっ、事実を言ったまでだ。その身体であまり彷徨くな。」

 

「はーい、反省します。」

 

……ああ、全く。

これは私を差し置いて教官のお気に入りになるわけだ。

きっとこいつは教官よりも強い。

純粋な戦力以外でこの女に勝とうとするのは、きっと教官とサシで戦うくらいに無謀なことだろう。

 

もうしばらく、こいつの隣に居たい。

その間だけは、私は普段よりも冷静に、棘のない判断ができるから。

こいつの隣に居る時だけは、強く武装した自分を緩めてもいい気がするから。

 

……ああ、そうか。

私に足りなかったのはきっと、

こいつの様な強さを持つ人間だったに違いない。




綾崎ちゃんの本当の武器は、実際に彼(女)を目の前にした時に感じるその雰囲気です。
初対面であろうと全く警戒を見せる事もなく、むしろ進んで受け入れてくれる。どころかこのまま抱き着いても確実に許してくれるという程の包容力。実際に許してくれるという事実も相まって……
ある意味では彼(女)の最大の異常性とも言えます。

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