sideラウラ
「そんな所に立っていては、風邪を引いてしまいますよ?」
部屋の外で隠れる様に佇んでいた私に対して、彼女は当然の様にそう声を掛けてきた。
あれほど言ったにも関わらず、相も変わらず一人で車椅子に乗りながら、ニコリとこちらに笑いかける。
「よく一人で出歩けたな。」
「少々強引に抜け出してきてしまいました。戻ったらまた一言二言頂くことになってしまいますね。」
「ふっ、フォローをするつもりは無いぞ。」
「あらら、それは残念です。」
クスクスと笑いながら互いに向き合う。
どうして私がここに居たことを知っているのかは知らないが、こうして語り合うことは嫌いでは無い。自販機の前のソファへと指を差し、私もそこへと腰掛ける。
「……生憎千冬さんは居りませんが、一緒に食事でもいかがですか?」
「悪いがそれは遠慮させてもらう。織斑一夏とて数刻前にあれだけボコボコにされた相手と食事を共にしたくはないだろう。」
「ふふ、そういうものでしょうか。確かに何やら熱い想いを滾らせてはいましたが。……そういえば、偏見や印象を取り払って向き合ってみた一夏くんはどうでした?」
「……想定以上の実力はあったが、まだまだだな。武装というハンデを補える程の実力はなく、精神的にも未熟。あれならばまだセシリア・オルコットを含めた囲い共の方が使えるだろう。」
「その割には満足そうな顔をしていますね。」
「……未熟なりにもそれを認め、"強くなりたい"という本気の決意が奴の目には灯っていた。将来性のある人間に失望するほど私は腐っていないつもりだ。」
「ふふ、それはよかった。」
こちらの答えを最初から知っていたかの様に再度彼女は笑みをこぼす。全てを見透かされている様で気に食わない筈であるのだが、不思議とそこまでの嫌悪感はない。ムッとする程の反抗心はあっても、その笑顔と雰囲気を目の前にすると自然とこちらが折れてしまうのだから不思議な話だ。
……つい数時間ほど前、私は織斑一夏に喧嘩を吹っ掛けた。
綾崎奈桜との話を経て、自分のイメージや偏見に囚われず相手の本質を見極めるという事を試すのに、奴ほど適任な相手が居なかったからだ。
とは言うものの、今でも自分の中の織斑一夏に対するイラつきは収まらない。単純な会話をするだけでは恐らくこのイラつきが増すだけだと思った私は、余計な事を考える暇が無ければいいのだと思い付き、とりあえず殴り掛かってみたのだ。
『お前の事を私に教えろ!!』
『何言ってんだこいつ!?』
予想通り奴を一方的に嬲っている間はイラつきもどんどん和らいでいき、奴の事をじっくりと観察することができるくらいには自分の思考と感情に余裕が出来た。
そうして私は見つけたのだ。
あの男の瞳の奥に滾る、決意の炎を。
アレをみた瞬間に私の中の奴への評価は一転した。
確かに奴は過去に一度、教官の名誉を損ねる原因となった。
しかし将来的に奴は、その汚点を払拭できるほどの、教官が名誉を捨ててまで守り抜いたに相応しい程の人間になれると、私は確信した。
ああ、これ程に面白いことが世の中にあるだろうか。
織斑一夏の目の先にあったものは私でも、ましてや教官でもない。目標とすべき人間などそこには居らず、ただ只管に強さを求めている。一体何がそこまであの男に働き掛けたのかは知らないが、最強と謳われる教官が最も近い場所にいる立場である筈のあの男が、その教官の更にその先を見ているのだ。その点に限って言えば織斑一夏は、教官の強さを限界であると、そこに辿り着けるだけで良いと満足していた自分の先へ行っていたのだ。
あの様な男をこうして見落とさずに済んだことに、私は喜びさえ感じていた。
「……貴女の言う通りだったよ。たった一度人間の本質を見ようとしただけで、これほどに私の見る世界が変わった。今は感謝しかない。」
「大袈裟ですよ、ラウラさん。人は他人の言葉だけではそう簡単に変わることはできません。それほどに自分が変わったと感じたならば、それは変わろうとする意思がそこにあったからです。つまり、全部ラウラさんの力です。」
「ふっ、貴女は相変わらず謙虚なのだな。だがそれでも、感謝の言葉くらいは素直に受け取って貰おう。そうでなくては私の気が済まない。」
「……それでしたら遠慮なく。お力になれたのなら私も嬉しく思います。」
そんなことを裏に何かを抱えている訳でもなく純粋な笑みで言葉に出せる人間が、一体この世界にどれだけ居るだろうか。
恐らく私が無意識にこの女を信用してしまっているのはこれがあるからだろう。
他人の役に立てる事が心底嬉しく感じるなどという異常者。
しかしだからこそこの女は、私が大きく何かを仕出かさない限り、確実にこちらに害を加えて来ることはない。……いや、例えそうなったとしても、この女は許すかもしれない。
聖人よりも聖人らしい、分かりやすいその精神こそが、何よりもこちらに安心感を与えるのだ。
……そういえば、と。
以前から彼女に聞きたいことがあったことを思い出した。
周囲に誰も居らず、絶好の機会。
話すならば今しかあるまい。
「……綾崎奈桜、"シャルル・デュノア"はどうするつもりだ?」
「……ラウラさんも知っていたんですか?」
「あれほどの事があったのだ、ある程度の生徒の素性は調べてある。その中で私と同時期に、加えて2人目の男性操縦者が入って来るとなればより深く調査を行うことも当然だろう。少々強引な手も使わせて貰った。」
「と、言いますと?」
「性別を確かめる為に更衣室にカメラを仕掛けさせて貰った。」
「……盗撮は犯罪ですよ、ラウラさん。」
「そうは言うが、織斑一夏が同性であるはずのシャルル・デュノアに妙にスキンシップが激しかった事の方が私的には犯罪チックに思えたのだがな。」
「……映像の方は?」
「あんなものを残せると思うか?」
「冷静な判断をありがとうございます。」
「あんなもののせいで教官の名誉を削ぐ訳にはいかないからな、当然の事をしたまでだ。」
恐らくは周囲に同性の居ない環境に置かれていたが故の行動だろうが、一瞬同性愛者ではないのかと勘違いしてしまう程の映像の数々に、私自身動揺したことは記憶に新しい。
映像は全て処分した。
誰にとっても不幸にならない判断をしたと自負している。
「デュノア社の人間がこの時期に偽の男性操縦者をこの学園に送り込んで来たと来れば、その目的は明らかだ。それは貴女も分かっている筈だろう。」
「ええ、分かっています。」
「ならば何故その女を貴女は見逃す?貴女のその行動は織斑一夏と国家に対する裏切りと取られてもおかしくない行為ではないのか?」
「………」
私の言葉に瞼を閉じて俯く。
綾崎奈桜という人間がどの様な者であるのかは私は理解している。だからこそ、その判断が間違った甘やかしではないのかと私は問いたい。私が失敗をした様に、貴女もミスを犯しているのではないかと。そう彼女に尋ねたかった。
「……ちなみに、なぜ私がシャルルさんの性別を知っていると気付いたんですか?」
「貴女が始めてシャルル・デュノアを見た際の反応だ。普通であれば2人目の男性操縦者など目の前にすれば驚愕か好奇の目を向けるだろうが、貴女だけは違った。特に驚く事もなく、一瞬注視しただけで直ぐに興味を失ったかの様に周囲の女生徒に向けるのと同様の視線を送り始めた。あの時点で貴女がシャルル・デュノアの何かに気付いたのは間違いない。」
「……そういえばあの時、ラウラさんは私のことをジッと見ていましたね。ですがそれだけでは根拠に乏しいのでは?」
「そうだな、あの時点では貴女が異性に対して全く興味の無い人間だという可能性もあっただろう。……まあ言ってしまえば、後は私の勘と願望だ。教官のお気に入りであり、且つ私がここまで認めた貴女ならばあの瞬間に全てを見抜いていた程には優秀であって欲しいという、な。」
「……なるほど。ちなみに答え合せをしてしまうと、両方正解ですよ。」
「両方……?」
「ええ、私は確かにあの時点でシャルルさんの性別には気付いていましたし、男性に対して特別な思いを抱いたりもしません。」
「……貴女は、同性愛者だったのか……!?」
「女性に対してもそういった思いを抱いた事もありませんから、それは違うかもしれませんね。……ですから、今回私がシャルルさんをフォローしている理由は他にあります。」
「ほう……」
一瞬驚愕してしまったが、すぐに気を取り直す。よくよく考えればこの女は恋愛にうつつを抜かすようなタイプには見えない。反面、好意を寄せる者は多いだろうが、そうなったとしてもそれに応えるとは思えない。相手の面や立場がどうであろうと、誠実に断るに決まっている。
……話は逸れたが、私は改めて冷静に言葉を返す。
「私だって最低限の常識はあります。シャルルさんの行なっていることは間違いなく犯罪です。ですから悪いとは思いつつも、この件については事前にある程度調べています。」
「ふむ、そんなツテが貴女にあったのか?」
「仮にも私は大企業の専属ですよ?……代わりに雑誌の取材を受けることになってしまいましたが……」
「そ、そうか……」
「うぅ……あのスーツを着た写真が世に出回るなんて……」
「………」
各国の代表候補生にはそういったアイドル的な要素が求められることもあるが、企業の専属となればそれは更に顕著だ。しかも美容やファッションを中心に上がってきた乙女コーポの専属となれば、それくらいあって当然、というか前提だったと思うのだが……そんなに嫌がる事なのだろうか。
「……え、えっと。それでですね、簡潔に述べますと、シャルルさんに男装と潜入を強制したのは、どうやら実の父親だという事が分かったんです。」
「とんだ屑男だな。」
「しかも彼女は非嫡出子だそうです。彼女の母親が亡くなったと同時に引き取り、瞬く間に代表候補生にまで押し上げ、そしてここへと送り込んだ。」
「救いようが無いな。」
「以前デュノア社で働いていた方に聞いたところ、社長はシャルルさんに一切会おうとはしなかったそうです。勿論、本妻である夫人からは大いに嫌われ、彼女の周りに味方と呼べる人物はほぼ存在していなかったとか。」
「なるほ……いや、なぜデュノア社で働いていた者など知っている?」
「今は乙コーで働いていますので。産業スパイとして来たそうですけど、思いのほか住み心地が良くて定住してしまったとか。」
「技術を盗むどころか盗まれているではないか……」
働いている技術者として当然の判断だろうが、それが分からないからそんな経営状態になっているのではないだろうか。などと思ってしまうのは自分がそういった場所で働いた事がないからこそ言える事なのだろうか。どちらにしてもデュノア社が世間一般で考えられているよりも追い詰められているのは間違いない。
「それはさておき、そんな訳で私にとってはシャルルさんは無視できない存在になってしまいました。彼女がその行為に罪悪感を持っている事も確認できましたし、一夏くんが想定以上に鈍感さんだったことも私が手を貸さざるを得なくなった理由の一つですね。」
「……なぜ、織斑一夏が……?」
「私としてはシャルルさんの件は一夏くんに解決して欲しいですから。きっとシャルルさんにとっても一夏くんにとっても、互いに大きな存在になれると確信しています。」
「厳しいのか甘いのか分からない判断だな、それは。」
「"甘やかす"というのは存外難しいことなんですよ?無思考で甘くするのでは無く、どう甘くすれば結果的に相手の為になるのか考えなければなりません。あの2人が力を合わせて解決することができるまで、私はフォローと根回しをするだけです。」
「その間にも織斑一夏の機体データは盗まれ続けるのだがな。」
「……言い訳臭くはなりますが、私だって一夏くんの機体がもう少しまともな第3世代でしたら強引に事を進めていましたよ……?ですがあれは……」
「……まあ、参考にはならんだろうな。いくらデータを取った所で、あれが再現できるとは思えん。というか再現した所で確実に流行らないだろう。そもそもアレは何処にイメージインターフェイスを使っているのだ、本当に第三世代機なのかすらも疑わしいぞ。」
「そういう訳で、直ちに問題があるとは思わず……障害が出るとすれば、デュノア社がアレを第2世代寄りの第3世代の基本機体だと勘違いして、迷走が更に深まるだけかなぁと。」
「実際に戦ってみて感じたのだが、恐らくアレは内部のプログラムすら一般的な物ではないだろう。あんなものを見てしまえばデュノア社は2度とまともなISが作れなくなるぞ。」
「何もせずともシャルルさんは自ら報復を行なっていたんですよね……」
「何もかもが裏目に出るな、デュノア社は。」
「自業自得といえばそれまでなんですけどね……」
聞いた限りではあるが、そもそも織斑一夏の機体は装備の枠が全くないという。しかも射撃用のセンサーリンクシステムすら無く、基本性能の高さに反して圧倒的な燃費の悪さ。
一見すればただの欠陥機であるが、第一形態時から単一仕様能力が使えるというこれまでに無いような意味の分からない仕様がそこにはある。
言ってしまえば、何の参考にもならない。
あんなものを調べても、百害あって一利なし。
プログラムのコードに作成者にしか分からない様なものがあることはよく聞く話だが、アレは存在自体がそれだ。
何を思って、どうやってあんなものを作ったのか、全く理解ができない。
操縦者の立場など完全無視であるのだから、完全に作成者の自己満足の代物だろう。
……正直なところ、それが無ければもう少しまともに戦える様になるのにと残念に思ったりもした。
故にいくらデータが盗まれようが、例えあれをそのまま盗んだとしても、泣くのはデュノア社でしか無い。それだけは間違いなく。
「……貴女の言い分は分かった。この件に関しては私も貴女に一任しよう。」
「ありがとうございます。」
「だからこそ、一つ言わせて貰いたい。」
「はい……?」
「……貴女は、その、大丈夫なのか?」
「へ……?」
「教官としばらくの間、話せていないのだろう?」
「っ!どうしてそれを……?」
「私の目は基本的に教官か貴女しか見ていないのだから、それくらい分かって当然だ。」
「あはは、なんだかそれは恥ずかしいですね……」
そう言って笑っていても、悲しげな顔をしているのに自分で気付いているのだろうか。
そんな顔が見ていられなくて、ふと目を下に落とせば彼女の指が目に入る。
(……絆創膏……?)
意味が分からなかった。
話を聞いている限りでは、彼女は家事一般が得意だという話だった。そんな彼女が家事を失敗するのだろうか?そんな筈がない。彼女の両手の怪我も今やその跡が殆ど残っていないくらいには完治をしているはz……
(……まさか、まだ指の感覚が……?)
そもそも思い出せば彼女の怪我の中で最も酷いものが両手の損傷だったという。両足も酷かったとは聞いていたが、それでさえ未だ歩く事が出来ていない有様なのだ。満足に動かすどころか、しっかりと握る事ができるかすら怪しい状態だろう。
「……そんな状態で、料理を……?」
「っ、バレてしまいましたか……?」
「なぜそんなことをしている、誰も止めなかったのか……!」
「もちろん止められましたよ?たくさん怒られました。……けど、私にはこれしかありませんから。」
「なにを、言っている……」
「私の不注意で2週間も何も出来なかったんです。これ以上千冬さんに不便をかけたくありません。」
「そうは言うがな……」
「気にしないでください、ラウラさん。私がやりたくてやっていることです。それにいいリハビリにもなるんですよ?千冬さんも喜んでくれますし、良いことづくめじゃないですか♪」
「………」
この時、それまでの自分では考えられないことが起きた。
少しではあるが、怒りが生じたのだ。
他ならぬ、あの教官に対して……
(教官はこいつを放って一体何をしているのだ……!綾崎がここまでしているのに、なぜ避ける様な真似をしている……!)
避けられても、相手にされなくても、ただひたすらに相手を想う。
食べられているかどうかも分からない食事を必死になって作り、毎日毎日あの部屋で帰らない主人を待ち続けるのだ。
いくら相手が尊敬する織斑千冬とは言えど、盲目を脱しつつあるラウラにとって、彼女の事を認めつつあるラウラにとって、到底許せる様なものではなかった。
「すまない、今日はこれで失礼させてもらう。だが部屋までは送っていこう。……あまり無理をするなよ。」
「ふふ、なんだかラウラさんには心配されてばかりな気がします。」
「実際に何度も言っているからな。一向に言う事を聞いては貰えないが。」
「あ、あはは……ごめんなさい……」
そうは言ってもどうせこの女は何かあれば無茶をするのだ、そうに決まっている。
そうでなければ、私がこれほどこの女に入れ込むことはなかったのだから。
朝食届けて、昼食届けて、夕食届けて、
それでも千冬さんは部屋に帰って来ません。
何してるんでしょうね、最強の人。
まさかヘタれてるなんて無いやろなぁ……