IS - 女装男子をお母さんに -   作:ねをんゆう

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35.ラウラは変わる

side千冬

 

 

『………お風呂、先にいただきますね。千冬さん。』

 

 

「……っ!」

 

その日の放課後、やるべき仕事も何もかもを投げ出して、私は人の居ない海辺まで足を運んでいた。

全く落ち着かない自分の頭と心にそろそろ我慢の限界に来ていたからである。これ以上自分の中に溜め込んでおくのが無理だと察した。

 

……結局あの日以来、私は綾崎と一度もまともな会話をすることができていなかった。

何かと理由をつけて帰る時間を遅らせ、部屋を出る時間も早めてあいつと2人になる時間を意図的に避けているのだ。

 

それでも帰れば夕食は用意されているし、昼に職員室に戻れば机の上には変わらず綾崎が作った弁当が置かれている。

 

『無理しないでください』

 

なんて私を気遣うような短い手紙と共に。

 

私が避けていることなど当然気付いているだろうに、それでもあいつは変わらず私を思ってくれているのだ。

 

……あれだけ守りたい、傷付けたくないと後悔したのにも関わらず、私は今こうしてまたあいつを見捨てている。

自分の愚かな考えによって綾崎の心を傷付けたばかりか、今なお真実が分からず接し方に困り、向き合うことから逃げている。

 

結局、あんなことがあってなお、私は反省していないのだ。

 

(……本当に、最低だな。私は。)

 

都合のいい時に都合のいい言葉を並べてその場を済ませても、一度でもその約束を守ったことがあっただろうか。

考えれば考えるほどに自分の汚い部分が浮き出てきて、自己嫌悪が激しくなる。

 

どうして綾崎はこんな自分を慕ってくれるのか。嬉しさはあるが、もっと相応しい人間がいるだろうにとも思ってしまう。

……そんなことを言葉に出してしまえば、あいつはまた悲しい顔をするだろうが。

 

「……綾崎、どうやらお前は私にとって眩し過ぎるらしい。今の私ではお前の笑顔を正面から見られそうにない。」

 

思い出すだけでも目を背けたくなるほどに純粋で無垢な笑顔。

それを勝手な思い込みで曇らせてしまった自分が心底許せない。それにも関わらず、今尚悲しませてしまっている今の自分も……ああ、本当に苦しい悪循環だ。苦しめば許されるとでも思っているのだろうか、愚かしい。

 

ズガシャァと拳を突き立てた木が大きく揺れる。大きく陥没してはいるが、へし折らなかっただけマシだろう。

この程度の感情も処理できなくなっているなど、『教える側は冷静でなければならない』という綾崎の言葉が今は耳に痛い。

 

「……なるほど、どうやら綾崎の言っていたことは本当だったようですね。」

 

「っ!!……ラウラか、何の用だ?」

 

「教官にお話ししたいことがありまして探していました。」

 

「ほう……」

 

ガサリと草木の間から姿を現したのはかつての教え子であった。

ラウラ・ボーデヴィッヒ。

ドイツに居た頃に面倒を見た少女はあの頃から努力を怠っては居なかったらしく、十分な実力と自信を持ってこの学園へと来ていた。

 

……ただ、その自信と私への尊敬の念からやや面倒な方向へと思考が向いてしまっている様だが。転校初日に一夏を殴った瞬間からこいつも私の中では問題児の1人だ。

こうして私を探していたというのも、恐らくはドイツに戻って来ないかだとか、何故こんな微温湯に居るのか、などと見当違いな事を言うために違いない。

 

そんな色眼鏡でラウラを見ていた私であったが、どうにも様子がおかしい。具体的には今のラウラは自分にではなく、この場所に対して興味を持っている様に見える。

私を探していた、と言っていたのにだ。

 

「なんだ?なにを見ている。」

 

「いえ、まさか教官までこの場所に居るとは思わなかったので。何か思い入れでもあるのですか?」

 

「……?なんの話だ。」

 

「……ただの偶然でしたか。いえ、こちらの勘違いだった様です。忘れてください。」

 

「あ、ああ。」

 

やはり、どこかラウラの様子がおかしい。

以前のこいつならば、こんな雑な誤魔化し方はしなかっただろう。それどころか、聞いていない事までペラペラと話していた筈だ。

 

……にも関わらず、今のラウラには何処か余裕がある。私を前にしても必要以上に緊張せず、畏まらず、私を神聖化して見てはいない。

 

むしろ私の事を微笑ましげに見ている……?

 

一体なにがあった?

こいつは本当にラウラ・ボーデヴィッヒか?

いつのまにこんな表情をこいつは覚えた。

 

いや、待て。

そういえば私はこの表情に見覚えがある。

それどころか姿を現した時、こいつは誰の名前を出した?

 

「本当は教官にドイツでもう一度教鞭をとって頂けないか提案するつもりだったのですが、やめました。織斑一夏やその周囲の者の実力を見る限り、教官は既に存分にその手腕を発揮できる場所を得ていた様ですから。今日はそれを伝えに来ました。」

 

「……喧嘩でも吹っかけたか?」

 

「織斑一夏とだけですが。」

 

「ふん、あいつも未だひよっ子だ、お前の相手が出来るほどの実力は持っていなかっただろう。」

 

「ええ、当然我が隊で採用している合格ラインには届いていません。荒削りにも程があるというのが正直な感想です。」

 

そう言って冷たい目をするラウラの雰囲気は1人の軍人として、隊を率いる統率者としての冷徹なものだ。あの小娘がここまで育ったことに喜ぶべきか、悲しむべきか。

しかしその直後に出た言葉はやはり私の予想を容易に破壊していく。

 

「……ですが、奴の強さに対する熱意と心意気だけは本物だと認めざるを得ませんでした。」

 

「っ!」

 

「あれだけ殴り飛ばされても全く諦める事なく、どころか更に執念を燃やして食らいついてくる。……ふふ、やはりこうして冷静になって向き合ってみれば、自分に見えていなかったものの多さに気付かされるものです。一度は認めないと言ってしまいましたが、あの気迫と威圧感は間違いなく教官の弟と言って然るべきものでした。今では織斑一夏が間違いなく教官の血を分けた存在であることを認めざるを得ません。」

 

何もかもが信じられなかった。

先日まであれほどに一夏のことを毛嫌いし、憎悪を込めた目を向けていたあのラウラが、一夏を褒めるどころか私の弟として認めている……?

たった数日で、あれほど思い込みの激しいラウラが改心させるなど、誰にでもできることではない。それこそ、私にだってそんなことは不可能だろう。

 

……だからこそ、そんなことができる奴はこの学園には1人しかいない。

何の衝突もなく、他者の視点を変えさせることができる器用な人間など、1人しか……

 

「……綾崎に、会ったのか?」

 

「……やはり教官には分かってしまうものですか?」

 

「お前の一夏に対する執着と憎悪は見ていても凄まじいものだと分かっていた。それを僅か数日で解消できる人間などあいつしかいない。」

 

「正確には織斑一夏の奮戦もあって、ですが。

……私は織斑一夏が教官の経歴に傷を付けたことを憎んでいました。しかし、仮にあの男が自身の力でその存在価値を証明すれば、必然的に教官の当時の判断も間違っていなかったという事になる。

私はその可能性を見出したからこそ、今こうして貴女の前で笑って立てているのです。」

 

そう言うラウラの顔は本当にすっきりとしたもので、今の自分にとっては羨ましくなるほどに綺麗な笑顔をしていた。

……ああ、やはり一夏も綾崎も、自分なんかよりも何倍も素晴らしい人間だ。こうして自分が自分のことに悩んでいる間にも、一人の少女の心を変えたのだから。

 

全く、自分は本当に教師には向いていないのではないかと考えてしまう。それほどに自分の現状は自分の自信を削ぐのに十分なほどに酷い有様だ。

 

「ふふ、やはり教官も悩んだり困ったりするのですね。」

 

「……当然だ。私とて人間なのだからな。」

 

「ええ、そうでしょう。しかし恥ずかしながら、以前の自分は心の底から教官がミスをする事などないと信じていました。綾崎に言われた後も、こうして実際に見るまでは何処か信じられていませんでしたから。」

 

「……綾崎の調子は、どうだった?」

 

「一昨日も一人で出歩いていました。丁度教官が穴を開けたその木の下辺りで座り込んでいました……が、それ以降は決して目を離さない様にセシリア・オルコットに言いつけています。問題はありません。」

 

「そうか。世話をかける。」

 

「好きでやっていることですから。」

 

「そう、か……」

 

教え子の成長がこれほど虚しく感じた事も無いだろう。

子供達はしっかりと前を向いて正しく成長しているというのに、互いに互いを見て切磋琢磨し合っているというのに、なぜ自分だけはこうしていつまでも下を向いて立ち止まっているのか。

本来ならば彼等の導き手は綾崎ではなく自分がしなければならないというのに、私は何をして……

 

「教官。もしかしたら私が口を出すべき事柄では無いのかもしれませんが、綾崎と喧嘩でもしましたか?」

 

「……いや、単に私があいつを傷付けてしまったというだけだ。合わせる顔がなくて、ズルズルとな。」

 

「……教官、少々人間臭すぎるのではないでしょうか……?」

 

「喧嘩を売っているのかお前は?」

 

「い、いえ、そういうつもりでは……らしくないと言いたかっただけでして。」

 

「ならばそう言え、人を人外の様に言いおって……」

 

(それはあながち間違っていないのでは……)

 

小声で何か言っているようだが、悪口を言っているということだけは分かる。

人間らしくなったのはいいことだが、少々生意気にもなっているのではないだろうか。

別に指摘はしないが……

 

「教官、綾崎は怒ってなどいませんでした。それどころか何やら酷く後悔していた様に思います、関係修復は早めの方がよろしいかと。」

 

「っ、そんなことはお前に言われなくとも分かっている。だが事はそう単純な話ではないのだ。少なくとも、あいつに対する接し方を考え直さない限り私は……」

 

「……普段の教官ならば"考えても分からないならばせめて行動を起こせ"とでも言いそうなものですが。」

 

「うっ」

 

確かに自分がラウラの側であったら間違いなくそう言うだろう。

"悩んでいる暇があるなら謝ってこい"とか、"自分が悪いという自覚があるのなら保留する資格などない"とか、分かったような顔をしてそう言うに違いない。

しかし……

 

「聞いた話では綾崎は教官が帰ってくるのを夜遅くまで待っているそうですが。教官とは違って、綾崎の方は行動を起こそうとしているのではないのですか?」

 

「うぐっ」

 

「セシリア・オルコットが言っていましたよ。あの不自由な体でも教官の食事を作ろうと無理をするので、最近は一人は見張りを付けるようにしていると。それほどに思われているにも関わらず、教官の態度はあまりに不誠実なのではないのですか?」

 

「うぐぐっ……!!」

 

「本当にこのままでよいのですか?あまり邪険にしていると傷付くのは綾崎の方ですよ。あれは露骨に避けられていても悲しみを隠して忠犬の様に待ち続けるタイプでしょう。教官は世話になっている人間に負担を掛け続けるのですか?」

 

「うぐぐぐぐっ……!!!」

 

ぐうの音も出ない。

ラウラのジト目はどんどん深まっていく。

なんだこれは、なんだこれは。

私があのラウラに説教を受けているだと?

一体どんな状況だ。

 

「だ、だがなラウラ。私は……」

 

「……教官、これ以上私を失望させないで下さい。これでは綾崎の方が余程大人に思えてしまいます。」

 

「む、むぅ……あいつと比較すればそれこそ大抵の人間が敵わないだろう。それほどに綾崎は出来たやつだ。あいつが居なければ私はまともな生活も出来なくなっているということを、この数週間で実感した程だ。」

 

具体的には3日に1度は一夏と篠ノ之が部屋に掃除に来なければならない有様だ。自分の私物が何処にあるのかさえも把握できていないどころか、下着の位置さえ知らないという始末。仮にも男性の綾崎に自分の下着まで洗濯させていたという事実に気が付いたのは恥ずかしながら、その時であった。

 

「はは、それを教え子の前で堂々と言いますか……ああ、綾崎、お前の言っていた事は全く間違っていなかったらしい。どうやら本当に私は教官の上部だけしか見ていなかったようだ。」

 

「おい、頭を抱えて蹲るな。それと本人を前にしてその言い草は無いだろう。私とて心はあるのだぞ。」

 

「いや、もういいですから。早く綾崎のところに行って謝罪してきて下さい。今なら恐らく部屋に居るはずです。」

 

「……心なしか私に対する扱いが雑になっている気がするのは気のせいか?」

 

「気のせいです。教官に抱いていた尊敬の念が3割、いや4割ほど綾崎の方へと移動しただけですから。何の問題もありません。」

 

「いや待て、このたった数日でドイツで数年に渡り築き上げたお前への信頼の大半を私は綾崎に奪われたというのか。」

 

「以前は教官の強さに憧れていたのですが……こうしてその代償を見てしまった今、本当にこの道を進むべきなのか悩んでいる自分がいます。」

 

「流石に酷過ぎないか?」

 

「ですが教官……私でも簡単な調理くらいならできますよ……?」

 

「くっ、卑怯だぞラウラ……!」

 

「意味が分かりません、教官……」

 

しかし、悔しいが、悔しいがラウラの言うことは間違っていない。

そしてきっと、今この機会を逃せば私はまた綾崎に謝る機会を失うだろう。次にその機会が巡って来た時、綾崎はどれほど傷付いているのか。考えなくとも分かってしまう。

 

……未だに綾崎に対してどう接していいのかは分からない。

けれど、このままの状態でいるのは間違いだ。

 

綾崎の身に起きた事を知り、そして今後どのように接していくのかを考えるだけならば、以前のような関係性のままでも問題ないはずだ。

 

(……そうだ。いくら綾崎が以前の自分を忘れていようとも、私が覚えていさえすれば何の問題も無い。私だけでもあいつの事を見ていれば、それでいいではないか。何を悩んでいたのだ私は……!)

 

思い返せば確かに私は思考するフリをして逃げていただけだったのかもしれない。

こんな風に他人と接する事で悩んだ経験が少なかったが故に、無意識のうちに向き合う事を避ける選択ばかりしていたのだ。

……情けないことだ、他人に対してならばあれほど偉そうな事を言えるのに。いざ自分がその立場になればこれなのだから。

 

「……ラウラ、綾崎は寮監室にいるのだったな?」

 

「ええ、恐らくは。よろしければセシリア・オルコットに連絡しておきましょう。」

 

「ああ、助かる。……すまないな、みっともない姿を見せた。」

 

「全くです、私の憧れを返して頂きたい。……ですが、こうして見ることができた教官の一面も、私は嫌いではありません。」

 

「ふっ、小娘が生意気を言う。……何かあれば、いや無くとも構わない。お前も寮監室に来るといい。喧しいガキが一人増えたところで誰も気にすることはないだろう。」

 

「……ええ、いずれはお言葉に甘えて。」

 

「ああ、それではな。」

 

そうして私はここ数日に無かった程にスッキリとした頭で寮監室へと走り出した。

体が恐ろしい程に軽い。

ラウラが後方へとすっ飛んでいく。

 

どうやって謝ろうかなどと全く考えてはいないけれど、以前のように綾崎と話したい。

その強い思いだけが私を動かしていた。

 

 

 

「……綾崎、どうやら私はお前の様にもなりたいらしい。その為の努力も、私は必ずしてみせよう。」

 


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