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電灯の消えた薄暗い空間。
その中で唯一の光源となっている一際大きなモニターには"sound only"の文字。
なんの映像も映っていない真っ暗な画面を前にして、しかしその年甲斐もなく兎耳を付けている痛々しい女はそこに何かが見えているかの如く一心不乱に画面にかじりついていた。
『……なるほどな束。一夏を成長させるためというお前の言い分はよく分かった。』
「そ、それなら……」
『3殺しで許してやる。』
「3!?半ではなく3!?許されてなくない!?束さんこれでも全財産あの子と学園に注ぎ込む羽目になったんですけど!?」
『それがどうした?私が今回の件でどれだけの怒りを覚えているか分かるか?今直ぐ殺されないだけ感謝しろ。それにお前にとって金などただのデータに過ぎんだろうが。』
「……ぴょ、ぴょ〜ん。」
『いいか束。もし綾崎の治療ができなかった場合、また綾崎に余計なことをした場合、次に学園の生徒に傷を付ける様なことをした場合は……』
「……した場合は……?」
『制限(リミット)を外して貴様を殺す』
「ガチ殺害予告じゃん!本気で殺しに来るやつじゃん!いつもみたいな笑い事じゃ済まない奴じゃん!」
『親友が道を誤ったならば始末をするのは当然の話だ。それに、お前を殺すのは私だと決めている。死ぬ時は諸共だ、最期の瞬間まで決して見捨てることはない。』
「そんな告白、今聞きたくなかったよ!!」
『今回だけはお前の償いと、こうして珍しく自ら謝罪の連絡をしてきたことで多少の妥協はしてやる。だが、綾崎に目の治療以外の余計なことはするな。指の一本でさえも触れることは許さん。』
「そ、それはちょっと過保護過ぎるんじゃないかなぁって束さんは思ったりするんだけど……」
『あれは私の女だ、例えお前であろうとも触れることは許さん。傷付けたらマジで殺す。』
「……ぅゎぁ……」
『定期的に連絡は寄こす様に、それではな。』
「「うわぁ……」」
「やめてくださいこっち見ないでください……」
世界のブリュンヒルデの女こと綾崎奈桜は今猛烈に羞恥を抱えていた。
恐らく千冬もまさかこの通話がスピーカーで発せられていて、しかもその場にその張本人が居るだなんてこと欠片も想像していなかったのだろう。加えて、怒り、困惑、心配、嬉しさ、様々な感情がごった煮になってしまった故に口を滑らす様に思わずポロっと本音が出てしまった。
後で冷静になった際に黒歴史になることは間違いなく、それが本人に聞かれていたと知った時には自害も視野に入れる程に狂乱することになることも間違いない。
「愛されてんなぁ、お前……」
「ちーちゃんがあんなこと言うなんてねぇ……」
「うぅ、顔が熱い……」
真っ赤になった顔を隠す奈桜は小さな椅子に腰掛けているのだが、スピーカーの近くにいたがために千冬の言葉をモロに聞いてしまったのだ。女どうこうはともかく、自分のものだと他人に宣言している様を聞いてしまえばこうなってしまっても仕方がないだろう。
「兎も3回殺害予告されてたけど、最後のやつが一番マジっぽかったの笑ったよな。」
「いや、全部ガチ殺害予告だから束さん1mm足りとも笑えなかったんだけど。ってか今回に関しては全部O(おー)ちゃんのせいだよね?束さん穏便に連れて来てって言ったよね?なんで完全な誘拐犯になってるの?」
「いやぁ、なんかこう。伸び代あるのに停滞してる原石見つけると、どうしても発破かけたくなって煽っちまうっていうか……」
「Oちゃんのバカ!戦闘狂!色欲魔!」
「色欲魔は関係ねぇだろゴルァ!それよかスコールが対処する予定だったやつ(隕石)をあれだけ迅速に対処した私をもっと賞賛しろ!っつぅかなんで大西洋に落ちる奴がピンポイントでこっち飛んで来んだよ!天才なのにまともな予測も出来ねぇのかこのバカ兎!」
「はぁぁぁ!?あんなの束さんにだって予測出来るわけないじゃん!!メジャーリーガーもビックリな落差だったんだよ!?物理法則無視できるとか聞いてないから!!そんなことも分かんないのか!このポンコツ!!」
「テメェ!誰がポンコt……ちょっ、待、おまっ、なにガチで抵抗してやがんだ兎ィ!!お前っ、このっ、ベッドの上来いオラァ!身動き出来なくなるくらい滅茶苦茶にしてやらァ!!」
「い、いやぁぁ!!やっぱり色欲魔ぁぁ!!い、ひぐっ!?ちょ、変なとこ触るなぁぁ!なんでそんなに押さえつけるの上手いんだよぉ!!」
「いくら細胞レベルでオーバースペックでもベッドの上で私に勝てると思ってんじゃねぇぞ!経験が足りてねぇんだよこの処女が!オラァ!服脱げ!!」
「いやぁあぁ!?!?お、犯されるぅぅ!!助けて!!本当に誰でもいいから助けてぇぇ!!」
「帰ってもいいでしょうか私……」
彼等が原因で色々と厄介な事になっている学園、しかし当の本人達がこの有様なのだから本当に迷惑な連中である。
なお、下着の下に手を入れた辺りで兎はベッドを破壊して脱出した。
粉々になったベッドを見て奈桜は再び溜息をついた。
「……はえー、ほんとに後遺症残ってる。そんな筈無いんだけどなぁ。」
「で?治るのか?」
「いや、治るわけないじゃん。」
「うおい!!」
ファーストキスがどうこう騒いでいた彼等はしかし5分程で直ぐに気を取り直してこうして診察をし始めた。
とは言っても元々医師ではないどころかその方面に全く興味がなく、支給されたものを言われるがままに適当に勉強した束だ。そんな場所に碌な器具が揃っている筈もなく、単純に対象の場所を覗き込んだり、感覚の戻らない箇所を触診したりする程度だ。
ちなみに"一切体に触れない"という約束を完全に守ることは不可能なので、そこは奈桜に了承を得た。
「再生した場所の色素が抜けてるって事はその周辺の遺伝子に異常があるってこと。くり抜いてナノマシン入れても結果は変わらないよ。それこそ頭を全部取っ替えるとかなら分かんないけど。」
「え、えぇ……」
「いや怖ぇよ、ロボットじゃねぇんだぞ。……で、なんか策でもあんのか?」
「んー、それよりも1つ悪いお知らせ。」
「……ん?なんだよ。」
「右目にも同じ兆候が見られます。」
「……なんでだよ……」
「えっと、本当ですか……?」
「いや、こんな下らない事で嘘付くほど束さんのユーモアのセンス壊滅的じゃないから。ちーちゃんの嫁ちゃんも視力下がってたのは気付いてたでしょ?軽度だからまだ大丈夫だけど、このまま日の下で使い続けるのはオススメしないかな〜。」
「……なんで学園の医者は気付かなかったんだ?」
「そんなの無能だからに決まってるじゃん。せっかくこの束さんが色々と提供してやったのに、全然使いこなせてなかったし。……そう考えるとオトちゃんの所の奴等はまだマシだったなー。」
そう不機嫌そうな顔をして椅子に上げた足に肘をつく白衣の束。
美人であるが故に見られる光景であるが、目の前の奈桜にしてみれば下着が丸見えの最低な体勢である。反射的に目を逸らした奈桜は紳士の鑑と言える。
「……お前ほんとに面白くねぇ下着穿いてんな。」
「うっさいな!!今それは関係ないじゃん!!」
顔を真っ赤にして立ち上がる束。篠ノ之束はセクハラに弱いということを知っている人間はきっと少ないだろう。羞恥心があるだけ人間らしさが残っていて可愛らしい、と奈桜は思った。
「……ごほん。とりあえず、目に入る光量を調節できる何かを作ろうか。どうして遺伝子異常が目にだけ発生してるのかは今後調べるとして、何かしらして返さないと束さんが怒られちゃうし。」
「お前にしては珍しいな、後遺症の原因を調べるために解剖するとか言いそうなもんなのに。」
「別に束さん医療にそこまで興味無いし。悔しいからナノマシンの方は調べるけど、凡人ちゃんの身体調べても面白くないじゃん。」
「私は全身くまなく調べてやりたいんだがなぁ……」
「はいはい、色欲魔色欲魔。で?他に何か見てほしいことある?ちーちゃんの嫁ちゃん。この束さんに調べて貰えることなんてなかなか無いよ?」
「……えっと、体の感覚はどうにかならないでしょうか……?」
「んー、万全な状態に戻したいなら時間かけた方がいいんじゃない?適当でいいなら束さんがバチっとやっちゃうけど。」
「やめとけ、マジでやめとけ。介護でもなんでもしてやるから、あれだけはマジでやめた方がいい。犬が痛みでショック死するレベルだぞ。」
「やめときます。」
「他には?」
「……えーと、」
「……PTSDの方はどうにかなるか?」
「……?」
「あー、なんか言ってたねそんなこと。けど束さんそっち方面はノータッチだから流石に無理。殴れば治るんじゃない?」
「まあ、お前は人の心が分からないから精神医療とか無理か……」
「なにおう!!束さんだって勉強すれば楽勝ですー!精神とかどうせデータと一緒じゃん!」
「そういうところだよなぁ……」
「……あ、あはは。」
篠ノ之束に心理学を学ばせてはいけない。
絶対に余計なことに使うに決まっているのだから。