織斑マドカと呼ばれる少女と出会った奈桜はその衝撃はそのままに、彼女にグイグイと手を引かれて今夜泊まる部屋まで連れてこられていた。
その小さな体躯の割に有無を言わさず強い力で引っ張る、ある人にそっくりな後姿。
しかし決して乱暴にしている訳ではなく、足が不自由なこちらが転ばない程度に。
どころか導く様に手を引くその器用な所は、姿形は似ていても彼女が織斑千冬とは異なる存在であるということを奈桜に強く印象付けた。
「この部屋を使うといい。客室として使っているから汚いということは無い筈だ。」
「あ、ありがとうございます。……その、」
「とりあえず中に入れ。この部屋の監視カメラは故障中ということにしている、性別がバレる心配は無い。」
「は、はい。助かります。」
フラフラと覚束ない足取りをカバーする様にエスコートするマドカに、不覚にも奈桜はカッコいいと思ってしまった。
篠ノ之束ですら興味がない故に知らなかった自分の性別を、何故か彼女が知っていることは不思議に思った。
しかしそれでもこうして初対面の自分に、少しの強引さはあれど、様々な面でフォローしてくれている彼女に悪い印象など抱けるはずがない。
少なくともオータムに対してよりは確実に奈桜の好感度は高かった。
「あの……マドカさんはどうして私の性別のことを……?」
ベッドに腰掛けてまず最初に尋ねたのは、もちろんそのことだった。
それに対してマドカは、その黒色のISスーツから伸びる真っ白な脚を見せつける様にして脚を組んで座り、それが奈桜に対しては特に効果が無いと知るや否や苦い顔をしながら渋々と語り始める。
「私のここでの役割の1つがIS学園の監視というのが主な理由だな。」
「IS学園の監視、ですか……?」
「ああ、あの兎も自由そうに見えて案外忙しくしている。私の役割は学園の内情を探りつつ、織斑千冬、織斑一夏、篠ノ之箒の3人の様子を定期的に奴に報告するというものだ。……一応、学園に様々な形で潜り込もうとする蛆虫共を事前に炙り出すという仕事もあるにはあるがな。」
「間違いなくそっちがメインの様な気もしますが……なるほど、つまり篠ノ之束さんに渡る学園の情報は全て貴女が取捨選択しているということですか。」
「そういうことだ。勿論、私にとってはどうでもいいこと故に、プライバシーも尊厳も関係無く奴等の情報は今日の下着の色から胸の成長具合まで全て兎に送り付けている訳だが……」
「何故わざわざそんなことを……」
「送れば送るほど金が入るからな。」
「酷いシステムです……」
IS学園の監視と聞けば大切な役割に聞こえる気もするが、ぶっちゃけた話、監視とは言いながらも束を含めたメンバーの誰もが学園の心配などしていない。
そこに世界最強が居るのだからという理由も勿論あるにはあるのだが、そもそも彼等にとっての本業を考えれば『たかが他国の刺客』に壊滅させられる程度にしか力が無いというのならば、学園は勿論、一夏達ですら切り捨てる対象とせざるを得ない。
そんなこんなで、彼女の様な適当な者にでもこの役割は務まるのだ。彼女個人の事情も考えれば、むしろ適任とも言える。
実際、彼女の気性が最近になって落ち着いてきたのはその役割の影響が大きいし、彼女自身もその2人の弱味を毎日の様にノートに綴り、何の迷惑事を起こさず大人しくしているのだから誰にとってもウィンウィンなのがこのシステムの実情である。
「……まあ、そういう訳で私がお前の事情を知っていても不思議では無いという訳だ。兎の方も問題はない、奴の目には現状そんな小さな事に構っていられる暇はないからな。」
「報告は、しないんですか……?」
「……そのつもりは無い。」
「それは、なぜですか……?」
「……」
それまでスラスラと話していたマドカがこの話題になると急に俯き口籠る。そう言ってなんとも言えないむず痒そうな表情でチラチラとこちらを見るのだから、先程までの冷静な様子と相まってギャップの威力が甚大だ。
これには奈桜も素直に可愛らしいとキュンとしてしまう。
「……最初は姉さんの弱味を握ったつもりだった。ただの容姿のいい人間とは言え、人類2人目の男性操縦者。兎に対する切り札……とまでは言わないが、手札にもなると思って黙っていた。」
「なるほど……」
「だがお前は、ただの人間では無かった。」
「いえあの、私はただの人間なのですが……どうしてこの話の流れでバケモノみたいに扱われてるんですか私。」
「ただの人間では無いだろう……?」
「いえ、本当にただの人間ですよ!?なんで私そんなに疑われているんですか!?」
「ただの人間が僅か数ヶ月の戦闘訓練で姉さんの猛攻を防ぎ切れる訳がないだろうが!!」
「急に怒られた!?で、ですがそれはその……!」
「そんなことができるのはそれこそ篠ノ之束の様な完成された人間か、我々の様な者だけだ!!お前はなんだ!!篠ノ之束ほど完全では無いにも関わらず、我々に関連した者でも無い!!兎すら知らない者となれば本当になんなんだお前は!!」
「わ、私は本当にただの孤児院で育っただけの凡人で……!」
「その上!!悪しき事を考える事もなく他者に献身し続け!!バカの一つ覚えの様に笑顔を振りまく!!自身の環境を考えれば恨み言の1つもあってもいいだろうに一切の弱音を吐かずにいつまでも健気にしおって!!性善説の申し子か貴様は!!」
「わ、私は別にそんなことは考えて……あれ?私、褒められてます……?」
「貴様が容姿だけじゃ無いなどオータムに言われずとも私が一番知っている!!私は学園中の監視カメラを見ることが出来るのだ!!一番近くに居たであろう姉さんよりもお前の事を見ていたのだぞ!!最早私のノートの8割には貴様のことしか書かれておらんわ!」
「ピンポイントで見られてたんですか!?」
「そうだ!仕方ないだろう!!勝手に目が追うのだ!私は悪くない!私の目を引くお前が悪い!!」
「そんな横暴な!?」
言葉を発するごとに段々と声を荒げていくマドカ。しかしその様子はもう酷いもので、顔を真っ赤にしながら焦点の合わない目でひたすらにワタワタとしている。
そのテンパリ具合はさながら大の推しを目の前にして冷静さを失ったアイドルオタクの様で、何かを話せば話すほどに本音が漏れ出し早口になっていく。
先程まで冷静な様子だった彼女がその心の裏で何を秘めていたのか、これを見ればわかる人には分かるだろう。そう、この瞬間まで彼女は自分を取り繕うのに精一杯だったのだ。
「なんだ!なんだその美しい顔は!映像で見るよりも良いではないか!!表情の動き1つで私の呼吸を乱しおって!!声も良過ぎるのだ!私の耳を溶かす気か貴様は!貴様の甘過ぎる声は人間1人の脳内をヨーグルトに出来ることを知れ!!そしてその見れば見るほど綺麗な所作もどうにかならんのか!油断をすれば目を止めて惚けてしまう私の気持ちも考えろ!オータムの前で動揺を隠すことがどれだけ大変だったと思っている!!その上で私を気遣う仕草の中に微かに残る男味が逆に私を殺していることに気付いていないのか!!貴様のその細く白く美しいながらも女と比較すれば大きめの掌を見る度に胸の中で何かが燃え上がる私は一体どうすればいいというのだ!!お前は真の性別が男だという所が最高なのだぞ!?一見女にしか見えないながらも実は男というのが素晴らしいのだぞ!?それをあいつらは分かっていない!!学園の愚か者共は分かっていない!!オータムも分かっていない!!何が男でもいいだ!男だからこそ良いの間違いだろうが!!このニワカどもめ!!これで憧れの貴様の手料理を食べさせられたりしてみろ!!その両手で抱き締められたりしてみろ!!私は終ぞこの世界に何の未練もなく"世界には愛が満ち溢れていた"などと至極らしくもないポエムを残しながら満面の笑みで死ぬ事も出来るぞ!!全ての憎しみを過去のものにして幸福を噛み締めて死ぬ事が出来るぞ!?いいのか!?いいのか!!!」
ぎゅっ
「ピッ……」
全てが停止した。
「えっと、今日は本当に手の具合が良くないので手料理は作れませんが……これくらいでよろしければ、私はいつでも構いませんよ……?」
「………」
「……?あ、あれ?マドカさん……?」
「………」
古いパソコンが突然電源を落とした様な音を発した後、全ての動作と音を落として全く身動き1つすることのないマドカ。
奈桜がそんな彼女の様子を訝しんで彼女の顔を覗き込むと……
「死んでもいい……」
マドカは目のハイライトを落として涙を流しながら完全に脳内をシャットダウンしていた。
「マ、マドカさん!?き、気絶してる!?なんで!?」
良かれと思ってやったことが、とんでもない事態を引き起こす事もある。それが正に今日この日だった。
この後、誰か人を呼ぼうとしつつも何故か腕の中から離れようとしないマドカに困り、結局そのまま彼女をベッドに寝かせた。初見の女性と寝床を共にするのはあまり良くないとは思いつつも、"後で謝ればいいかな"と奈桜も添い寝をする様な形で眠りについた。
……奈桜はまだ知らない。
この後目を覚ましたマドカが、目を覚ました瞬間に目の前に広がるその甘い寝息と綺麗な寝顔によって奈桜が起きるまで気絶を繰り返す事を。
奈桜という存在の発生による影響をあまりにも甚大に受けてしまった被害者も居るんやなって……
マドカが食事と水浴以外は映像室に一日中籠っているというのは一同の中では有名な話だったり……