side一夏
「えっと、織斑一夏です。俺も料理とか結構好きで、あと家事も一通りできます!1年間よろしくお願いします!」
(……ふぅ、綾崎さんのおかげで助かった。)
実のところ自己紹介と言われても何も考えていなかった俺は、事前に綾崎奈桜という少女のものを聞いていなければ間違いなく再度の方天画戟を食らっていただろう。
彼女の自己紹介と聞いてズキズキと痛む頭部を顧みず必死に起き上がった甲斐もあったというものだ。
特に偶然にも趣味が同じだったということもあり、助かったと同時に彼女への興味がより一層強くなった。
今の時代、実は家事ができる若い女性というのは多くない。ISの登場によって女尊男卑の風潮が広まると、女性の稼ぎの方が多くなり、男性に求められる需要も"強い男性"から"支えてくれる男性"に変わっていった。
それは裏を返せば、女性が必ずしも家事が出来る必要がなくなったということだ。
……実際には男性から女性に求める需要も"支えてくれる女性"のまま変わっていないため、需要と供給が噛み合わず結婚率が急激に低下しているのだが……
とにかく、そのせいで杜撰な生活を行う独身女性が社会問題にもなっており、それは実の姉である織斑千冬が体現していると言っても過言ではない。
そしてこれらのことから言えるのは、男性の理想像足り得る大和撫子という存在は既に絶滅しているということだ。
当然と言えば当然だろう、そもそも女尊男卑の思想に染まる前ですら絶滅危惧種レベルであったのだから。
それについては俺自身も当然諦めていた。
……だが、それを体現したかのような存在が目の前にいる。
内面まではまだよく分からないにしろ、今のところ完全に男の理想でしかない女性。
恋愛感情とまでは行かないものの、少しくらい話してみたいと思うのは男の性だろう。責められる男は居ないはずだ。
(というか普通に仲良くなりたい、お淑やかな女性とか今まで会ったことがないし。)
そんなことを思った直後、教室内から殺意のこもった視線が2つ自身を貫いていたことを、この時の俺はまだ気付いていなかった。
「ああああぁぁぁ……」
1限の終わり、俺は頭を抑えて机に突っ伏していた。原因はこの数時間で蓄積した頭部へのダメージである。
HRが終わった後、どこか機嫌の悪そうな幼馴染である篠ノ之箒と再会したものの、屋上へと呼び出され、直後に『入学初日から初対面の女子にデレデレするなど、恥を知れ!』としばき倒された。
『やはりああいった優しげな女の方がいいのか……!』なんてことを小声で言っていたが、当然だ、優しい方がいいに決まってる。
そんなことを口に出したら再び殴られた。
そういうとこだぞ!!(涙目
加えて1限、参考書を電話帳と間違えて捨て、それについて完全に放棄していたが故に授業に全く付いていくことができず、直後にフラストレーションの溜まっていた姉によって今日三度目の方天画戟(出席簿)を振り下ろされた。
脳細胞が万単位で吹き飛んだのではないかと思うほどの衝撃だった。
『出来の悪い生徒には厳しくしてくれる人間も必要だろう?』なんてことを睨まれながら言われたが、厳し過ぎるのはいらないです。
そう思ったのがバレたのか今度は方天画戟(出席簿)でグリグリされた。陥没するかと思った。
(このままじゃ卒業までに絶対3回は頭蓋骨割れる……)
そんなことを確信した俺だったが、どうせこの場所からは逃げられない。
1週間であの分厚い参考書を覚えなければならないという現実を思い出して更に気分が落ちる。
とりあえず全部投げ出して不貞腐れることとした。
参考書の件は完全に自業自得というのは分かっているものの、受験の日から散々な目にあっているのだから少しは拗ねたくもなるものだ。
しかし、捨てる神もあれば拾う神もあり。
大きく腫れている俺の頭が突然誰かの細く冷たい指によって優しく撫でられた。
熱を持っている腫れに対して、ひんやりとした指がとても心地良い。
冷たい指の主を確認しようと顔を上げると、そこには心配そうな表情をした美少女が腰を屈めてこちらを見ていた。
「あの、織斑くん?大丈夫ですか……?」
「……綾崎さん、だったか?」
白々しくも名前を確認したようにも思えるだろうが、実際には先程のショックで本当に頭から抜けてしまっていただけである。
いや本当に。
それ故に不意打ちのようにして目の前に現れた彼女に頭を撫でられているという事実は俺に強い羞恥心を与えていた。
「はい、綾崎奈桜と申します。頭部の腫れは大丈夫ですか?先程はかなり強いお仕置きを受けていたみたいですが……」
「あ、ああ。綾崎さんのおかげでなんとか立ち直れそうだ。いや、女神様って本当に居るんだな。」
「め、女神ですか。……あの、困ったことがあれば言ってくださいね。付け焼き刃ですが、勉強のお手伝いくらいならできると思いますから。」
「ほんとか!?それはマジで助かる!……うぅ、この世界は俺を見捨てたと思ってたけど、まだまだ捨てたもんじゃないんだな……」
「ふふ、大袈裟ですね。でも、次からはしっかり予習して授業を受けるんですよ?織斑くんは嫌でも目立ってしまうんですから。」
「ああ!分かってる!」
微笑を浮かべながら優しく自分を咎めてくれる女性、俺にとっては初めての体験である。
もし仮に今まで織斑一夏と深い関わりのあった女性達が同じような立場にあれば、
「一夏!少し弛んでいるんじゃないか!?私が叩き直してやる!」
「一夏!あんたこんなんも分かんないの!?こんなのフィーリングでなんとなく分かるでしょ!」
「一夏、貴様はこの数週間、一体何をしていたんだ?」
「あはは、いっくんは相変わらずおバカさんだねー!」
と、ボコボコにしていたのは間違いない。
口元に手をあてがってクスリと笑う彼女は見ているだけでも癒される。
近寄りがたいほどの美しさを持っているにも関わらず、どこか男の俺でも親しみやすい何かを感じる不思議な女性。
(これ以上情けない姿を見せたくないな……)
そう思ったのもまた、男性として当然の帰結だと思う。
この世界ではイッチーにも安らかな毎日を……送れるかなぁ……