突然だけど、誰かの手料理っておいしいよね。
普段学食以外ではパンやおにぎり、カップ麺で済ませて自炊なんてめったにしない僕にとって手料理を最後に食べたのはいつになるかわからない。
久しぶりに誰かの手料理が食べてみたいなぁ…
「じゃーん!旬の野菜と生ハムのダッチベイビー!」
「お…オムライス…」
とは思ってたけど、まさかこんな形でその機会が訪れるとは思ってもみなかったわけで。
僕の目の前には一流レストランで出てきてもおかしくなさそうな洒落た料理と、庶民の代表的な料理が揃って鎮座している。
…1つ感想と言わせてもらうとすれば、圧倒的なクオリティの差があるってくらいだけど。
「なぁ御影。何故こうなった。」
「こっちが聞きたいよ…」
僕と上杉くんはまさかこんな事態になるとは夢にも思わずに、お互いに顔を見合わせてため息を吐き出した。
事の八端は数時間前に遡る。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『…はい、中野です。』
「こんにちは三玖さん。御影です。開けてもらっていい?」
『わかった、今開ける…』
時は昼下がり。今日も今日とて中野家の家庭教師である上杉くんの補佐をするために、僕は中野家へと赴いていた。
三玖さんにロビーのオートロックを解除してもらい、開いたドアをすり抜けてマンションの中へと入る。
「えーっとエレベーターは…あそこか。」
30階へ上がるためエレベーターの上ボタンを押す。
しばらくすると、エレベーターの数字の表記が1になってドアが開いたため乗り込もう…と思った時だった。
「あれ、キョーヘー君じゃん?」
「み、御影君!?」
「あれ…一花さんに五月さん?」
エレベーターのドアが開いたかと思うと、その中には中野家の長女と五女。一花さんと五月さんが乗り込んでいた。
2人はエレベーターを降りると、こちらへ近寄ってくる。
「奇遇だねー。フータロー君の応援?」
「うん。上杉くんに先に行ってるから後から来てほしいって言われたもんで。」
「それで今日は上杉君1人だったのですね…」
「…ところで、2人はお出かけ?」
見たところ、一花さんは余所行きの服を着ているし五月さんも大きめの荷物を持っている。
コンビニに行って帰ってくる程度ではこんな装いにはならないだろうし、ガッツリ出かけるための服装に見えるんだけど。
「あはは、私2時からバイトだってこと忘れちゃっててさー。」
「私は図書館で1人で勉強しようと思いまして。上杉君に教わるよりはよっぽど有意義ですから。」
一花さんは仕方ないにしても、五月さんは相変わらずだな…
「そ、そうなんだ。気を付けてね。」
「ありがと!じゃあ行ってくるとしますかー!」
「ありがとうございます。では御影君、またあとで。」
マンションのドアから出ていく2人を見つめながら、僕はため息を吐き出しつつエレベーターに乗り込んで30階を押した。
この調子だと5人揃って机に向かってくれるのはいつになることやら…まだまだ前途多難だなぁ。
そんなことをぼーっと考えているうちにエレベーターが30階に到着したようだ。もやのかかった頭を動かしながら、中野家の部屋の前まで言ってインターホンを押す。
しばらくすると、玄関のドアが開いて動きやすそうな部屋着を着た三玖さんが出てきてくれた。
「いらっしゃい、キョーヘー。」
「お出迎えありがとう三玖さん。お邪魔します。上杉くんはもう来てる?」
「うん、今リビングにいるよ。」
「オッケー、ありがとう。」
そのまま三玖さんの案内でリビングに足を踏み入れると、そこには放心状態の上杉くんが虚ろな目で天井を見上げていた。
「う、上杉くん!?何があったの!?」
「ヨーシオマエラアツマレー。授業ヲハジメルゾー。」
「フータロー現実を見て、もう誰もいない。」
僕が一体何があったのか困惑していると、ふと上杉くんの正面の椅子に腰かけながらこちらをニヤニヤと見つめている二乃さんの姿が目に入った。
…大体事情は察した。十中八九、また二乃さんの邪魔が入ったんだろう。
「あら、あんたも来たのね。」
「そりゃそうでしょ、僕は上杉くんの補佐だからね。」
ニヤニヤしながら話しかけてくる二乃さんを軽くあしらいつつ、僕は上杉くんに声をかける。
「おーい上杉くん。もどってこーい。上杉くーん?風太郎くーん?おーい。」
「…はっ!?御影!?お、俺は一体…」
「よし、やっと戻ってきたね。何があったの?」
「そ、そうだ!二乃の奴がまた邪魔を…」
やっぱりな…思った通りだったよ。
「何で君はそう分かりやすいかな…」
「うっさいわね!私達に家庭教師はいらないって前から言ってるでしょ?」
「まぁ、いいや。他の皆は?」
「…みんな二乃にそそのかされて家を出て行った。」
「Oh…」
ってことは今この家にいるのは上杉くん・僕・三玖さん・二乃さんだけってことか。
どーすんだこれ、また5人揃って勉強出来ないじゃん。
「あれー?三玖、まだいたんだ?」
そんな事を思っていると、おもむろに椅子から立ち上がった二乃さんがこちらへ向かって距離を詰めてきた。
「間違って飲んだ私のジュース買ってきなさいよ。」
「もう買ってきた。」
「…え?」
「いこ、キョーヘー。フータロー。勉強始めようよ。」
「そうだね。今日は三玖さんの強化日ってことにしておこうかな。」
「あぁ、そうだな。いないものは仕方がない…切り替えていこう。」
そう言うと、三玖さんと上杉くんと共に僕は階段の踊り場まで歩を進めた。
「責任取ってよね」
三玖さんからああ言われた日以来、三玖さんは僕と上杉くんが家庭教師をやることに対して今までが嘘だったかの如く肯定するようになってくれた。
約束通り次の授業は上杉くんに頼んで日本史にしてもらったし、そこで三玖さんも知らない武将の話が聞けて満足したようで。もちろん武将が好きということは皆には伏せてある。
最初は僕に対してだけだった柔らかい態度も、今は上杉くんに対しても見せるようになっている。たまにだけど。
僕が必死で説得したのもあるけど、彼は彼なりにきちんと自分たちのことを考えてくれていることを理解してくれたようだった。
それでも、まだ上杉くんに対して警戒心があるのかまだまだキツい態度で当たることが多かったりするからそのたびに説得してはいるんだけどね。
逆に僕に対しては距離感が近すぎる気もするけど…この前隣で座って勉強したときは肩と肩当たりそうだったし。
「抹茶ソーダって…ちょっと三玖!」
「…どこから始めるの?」
「そうだな、まずは鎌倉時代から始めてみるか?」
「1192作ろう鎌倉幕府って奴だね。確かにその辺からならとっつきやすそうだし、いいんじゃない?」
「…じゃあそうする。」
「決まりだな。俺は問題を考えるから、その間は予習をしておいてくれ。」
「んじゃ、予習には僕が付き合おうか。」
「ちょっと!無視すんじゃないわよ!」
僕達がそんなことを話しながら階段に足をかけると、二乃さんがなおも食い下がってくる。
「あんたら、いつからそんなに仲良くなったわけ?」
「ちょっと色々あってね。」
「そう、二乃には関係ない。」
「へー…どっちかは分からないけど、こういう冴えない顔の男が好みだったの?」
「冴えない顔って…まぁ否定はしないけどさ。」
「二乃は面食いだから…」
「お前も地味にひどいな?」
「はぁ?面食いで何が悪いんですかぁ?」
そう言うと、二乃さんは上杉くんの肩を押して三玖さんの横から退けると三玖さんに顔と顔がぶつかりそうな距離まで近寄る。
「外見より中身とか言いたいわけ?」
「だったら?」
「なるほど…外見気にしないからこんなダサい服で出かけられるんだ?」
「この尖った爪がオシャレなの?」
そしてそのまま三玖さんに喧嘩を売って姉妹喧嘩が始まってしまった。
二乃さんも三玖さんもお互いに一歩も引かずにバチバチと火花を散らしている。
「あんたには分かんないかなぁ?」
「分かりたくもない。」
「女の戦いって怖いなぁ…」
「御影、現実逃避はやめとけ。というかお前ら!姉妹なんだから仲良くしろよ!外見とか中身とか…そんなの今はどうでもいいだろ!」
「…そうだね。もう邪魔しないで。」
「邪魔ですって!?」
二乃さんがそう言った瞬間だった。僕達しかいないリビングに「グルルルル」という音が鳴り響く。
これは…音から考えて腹の虫?
「…悪い、俺よく考えたら昼飯食ってねぇわ。」
「僕のカバンに10秒ゼリー入ってるから、それ食べるといいよ。」
「悪い御影。たすか…」
「分かったわ。じゃあ三玖の言う通り、中身で勝負しようじゃない?」
「…る?」
僕がカバンから10秒ゼリーを取り出そうとした瞬間に、二乃さんが自信満々な笑みを浮かべながらそう言った。
「どっちが家庭的か、料理対決よ!」
「いや、なんで今の流れでそうなるの!?そうはならんでしょ!」
「うっさいわね!文句があるなら三玖に言いなさいよ!」
「理不尽すぎない!?」
詰め寄ってくる二乃さんに対して若干の距離を取りつつ僕はそう言う。
「私が勝ったら今日は勉強なしね!」
「…本気でやるんだね。」
「そ、そんなのやるわけないよな?」
「キョーヘー、フータロー。すぐ終わらせるから座って待ってて。」
「お前が座ってろ!」
そんな上杉くんの制止もむなしく、三玖さんは腕まくりをすると二乃さんと共にキッチンへ向かってしまった。
…どうすんだろこれ、収集付かなくなってる気がするんだけど。
「ことごとくうまくいかないな…」
「前途多難だね、ほんとに。」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
というわけで、冒頭のシーンに至るまでにはこんな紆余曲折があったわけだね。
何故料理対決なのかってのは何度考えても理解できなかったけど。
「さぁ、どっちが美味しいかジャッジしてよね!」
そう言うと二乃さんは自信満々な笑みを浮かべてそういった。
とりあえず、嘆いても仕方がないか。僕は改めて目の前に置かれた2つの料理に目を落とす。
二乃さんのダッチベイビー?という料理はいかにもおいしそうだ。見た目もいいしすごくいい匂いもする。ちょっと洒落たレストランで出てきても全くおかしくないクオリティだった。
正直二乃さんがここまで料理ができるとは意外だったが、これなら始まる前のあの自信満々な笑みも分かる気はする。
対して三玖さんのオムライスは…お世辞にも出来がいいとは言えなかった。
一応卵に火は通っているようだが、オムライスと言うよりはチキンライスにスクランブルエッグをぶっかけたみたいな感じになっている。
見た感じ普通においしそうではあるんだけど…なんだろう、嫌な予感しかしない。まぁ考えていても仕方ない。
「や、やっぱいい!自分で食べる!」
「あら、せっかく作ったんだから食べてもらいなさいよ。」
顔を真っ赤にしてオムライスを下げようとする三玖さんをニヤニヤ顔を崩さない二乃さんが静止する。
…わざとやってんな、こんなの結果がどうなるかなんて火を見るよりも明らかなんだから。
「大丈夫だよ。せっかく三玖さんが作ってくれたんだからさ。食べるよ。」
「ああ、ちょうど腹も減っていることだしな。」
「んじゃ…」
「「いただきます。」」
さて、じゃあまずは二乃さんのお手並み拝見といこう。…まさかとは思うが、睡眠薬とか入ってないよなこれ。
僕はスプーンを手に取り、ダッチベイビーとやらを口へ運ぶ。
(…めっちゃおいしい。)
やばい、普通にめっちゃおいしいなこれ。
生ハムと野菜がうまく合わせってるし味付けもちょうどいいくらいに抑えてある。これならあっという間に完食できてしまいそうだ。
二乃さんってこんなに家庭的だったんだね…意外な一面を垣間見たかもしれないな。
さて、じゃあ次は三玖さんのオムライスだ。見た目は悪いけど、チキンライスとか卵には火が通ってるし大丈夫なはず。
僕はオムライスをすくいあげると、一気に口へ運ぶ。
(これは…)
な、中々個性的な味だな。一応火は通ってるし食べられなくはないけど…
見た目の割にはケチャップが偏ってるし塩コショウも濃いところと薄いところがある。卵も半熟ってわけじゃないからどうしてもパサパサとしているし。
…でも、食べられないレベルじゃない。美味しいかと言われると微妙だが、でも家庭料理なんてこんなもんじゃないかな。
オムライスとダッチベイビーを交互に口へ運びながら、ぼんやりとそんなことを考える。
「…どっちも普通にうまいな。」
「え?」
「本当だ、どっちも普通に美味いぞ?」
どうやって感想を言おうか頭をひねっていると、僕の隣で黙々と料理を食べていた上杉くんは淡々とそう感想を述べる。
…そう言えば、上杉くんっていつも焼肉定食焼肉抜きばっか食べてるから食にたいして「食えればいいや」くらいにしか思ってないって前言ってた気がするけど。
って、それただの貧乏舌じゃんか!
「はぁ!?そんなわけないでしょ!」
「…キョーヘーは?」
「そうよ!あんたはどうなのよ!?」
上杉くんではだめだと判断したのか、2人の矛先が僕へと向く。
…どうする?正直勝負は二乃さんの圧勝だ。しかし二乃さんの勝ちにしてしまったら今日の勉強会はなかったことにされてしまうことになる。
かといって嘘を言うわけにも…どうしたらいいんだ。
「ちょっと待って。まずは全部食べるから。せっかく作ってくれた物を残すのは悪いでしょ。」
「はぁ!?あんたこれ全部食べるとか本気で言ってんの!?」
そう言うと、二乃さんは三玖さんの作ったオムライスを指さした。
「当たり前だよ。どんなものでも残すのは作ってくれた人に対して失礼だ。ジャッジは全部食べてからにするよ。」
僕はそれだけ言うと下を向いてオムライスとダッチベイビーを口へ運ぶ作業へ戻る。
とりあえず全部食べるまでになんて答えるかを考えておかないといけない。全部食べてから、というのは時間を稼ぐための言い訳でもあった。
ただ、作ってくれた人に失礼だから全部食べないといけないってのは僕の本心でもある。残すってのは作ってくれた人に対する最大の冒涜に当たるからね。
そんなことを考えていると、いつの間にか目の前の2つの皿は空っぽになっていた。…どうしよう、まだなんて言おうか考えてないぞ。
「「ご馳走様でした。」」
「2人とも…オムライス…全部食べてくれた…」
「おう、美味かったぞ。」
「ありがとう、フータロー。」
「美味しかったよ、三玖さん。」
「ありがとう。うれしいよキョーヘー。」
…三玖さん顔真っ赤だけど、どうしたんだろ。熱でもあるのか?大丈夫かな。
「さて、約束通り全部食べ終わったんだしあんたの意見を聞こうじゃないの。」
「そうだね。僕が美味しいと思ったのは…」
味だけなら間違いなく二乃さんだ。
でも、三玖さんだって僕達を助けるために必死になってオムライスを作ってくれた。その努力を無駄には出来ない。
考えに考えた結果…僕は自分に正直に感想を言うことにした。
「僕が美味しいと思ったのは、二乃さんの料理だ。」
その言葉を聞いた三玖さんはやっぱり、というような感じで肩を落とす。
一方、二乃さんは意外にも大きく目を見開いて面食らっている様子だった。
「…あれ、そこはどや顔じゃないの?」
「どや顔って何よ!?…いや、まさかあんたが正直な感想を言うとは思わなくて少しびっくりしただけよ。三玖の料理に私が負けるわけがないもの。どうせ嘘を言ってくると思ってたから。」
「勘違いしないでほしいんだけど、三玖さんのオムライスは美味しかったよ。ただ、それよりも君の料理の方がもっと美味しかった。彼女の料理がまずいわけじゃない。」
僕はそう前置きして、更に言葉を続ける。
「で、それを踏まえて言うけど正直二乃さんの圧勝だよ。このダッチベイビーだっけ?めっちゃくちゃ美味しかった。」
「当然の結果ね!」
「そうか?俺はどっちも普通にうまいと思うんだが…」
「うっさいわね!貧乏舌は黙ってなさいよ!」
「まぁまぁ…とにかく、すごい美味しかった。僕は自炊とかできないから素直に尊敬するし、こんな料理が作れることがすごいと思うよ。」
コップの水を煽りながら僕はさらに続ける。
「僕って普段夕飯はカップ麺とかコンビニの弁当で済ませてるからさ。誰かの手料理って滅多に食べないんだ。だから食べてて、二乃さんの温かさ?みたいなものも伝わってきた。」
「食べてる途中で、こんな料理を毎日食べられたら幸せだろうなぁと思ったくらいだよ。これを5人分毎日作ってるんでしょ?ほんとにすごい、尊敬するよ。」
紛れもなく、口から出てくるのは僕の本心だった。
「だから二乃さん。ごちそうさまでした。本当に美味しかった。君の圧勝だ。」
そして、最後は飾った言葉など使わずに直球な言葉で彼女の勝ちを宣言した。
その言葉を聞いた二乃さんはいつものドヤ顔を浮かべ…るのではなく、何故か顔を真っ赤にしてふるふると体を震わせていた。
…やけにしおらしいな、二乃さんらしくもない。
「…二乃さん?」
「っ!ま、まぁあんたにしては上出来な誉め言葉じゃない?少しは気の利いたことが言えるのね、びっくりしちゃった。」
「君は僕を何だと思ってるのさ…」
前言撤回、やはり二乃さんは二乃さんだったようだ。
「そ、その…料……てくれ……りが……」
「…え?なんだって?」
「だ、だから料……ほめ……あ……とう……」
「え?よく聞こえないよ…?」
「だから!料理褒めてくれてありがとうって言ったのよ!一回で聞き取りなさいよ!もう知らない!」
そう言うと、二乃さんはバタバタと階段を駆け上がると自分の部屋へと閉じこもってしまった。
「…キョーヘー、今のは聞き取ってあげないと駄目。」
「えぇ!?いやでも聞こえなかったし…」
と言うか、二乃さんって普通にお礼言える子だったんだな。少し彼女に対する認識を改めないといけないかもしれない。
あとで会った時に謝っておこう。そう思って二階の二乃さんの部屋に目をやった後、時計をちらりと確認すると…
「って、もうこんな時間!?」
「…随分と遅くなっちまったな。まんまと二乃の策にハマっちまったわけだ。」
僕と上杉くんはそれぞれリアクションを起こすとほぼ同時にため息を吐いた。
時計を見るとすでに短い針が夕飯時くらいを指している。…これじゃ勉強しようにもする時間がない。上杉くんの言う通りまんまと策にはめられてしまった。
「仕方ない、今回は出直すとするか。」
「…そうした方がよさそうだね。さすがに今からじゃ勉強できないし。」
それに残りの姉妹達もそろそろ戻ってくる頃だろうし。
「とりあえず、お皿洗ったら今日は帰った方がいいね。三玖さん、ちょっと台所借りていい?」
「うん、いいよ。あと、それなら私も一緒に洗う。」
「ありがとう、助かるよ。」
「んじゃ、俺はテーブルを拭くとしよう。三玖、布巾はこれでいいのか?」
「うん、それを使ってくれたらいいよ。」
僕は目の前に置かれた食器をまとめると、三玖さんの先導で流し台へ置く。
お皿は三玖さんが洗ってくれるようなので、僕は洗い終わった食器を拭いていくことにしようかな。」
「しかしこれでハッキリした。二乃は俺と御影に対して特別な悪意を抱いているということがな。」
「まぁ見てたら分かるけどね…正直、分かり合える日が来るのか怪しいよ。」
「俺もだ。あいつと分かり合える日が来るとは思えん…」
テーブルを拭きながら苦い顔でそう呟く上杉くんに対し、僕も同意する。
説得しようにも取り付く島すらない始末だからね。まさに文字通りお手上げと言った状態だ。
「そんなことない…と思う。」
三玖さんはそういうと、更に言葉を続ける。
「誠実に向き合えば、きっとわかってくれるよ。」
正直、誠実に向き合ったところで拒絶される気しかしないのは僕だけだろうか。
それこそ、彼女が僕達に突っかかって来る理由そのものを解決してやらないといけない気がしなくもない。
何せ睡眠薬を盛ってまで排除しようとしたんだ。その理由とやらは海よりも根が深いんだろう。
「誠実にって、どうすりゃいいんだよ?」
「私に聞かれても分かんない。」
「お前なぁ…」
「それを考えるのがフータローの仕事でしょ?」
「いや、それは違うでしょ。上杉くんは家庭教師であってカウンセラーではないからね?」
「ちょっとした冗談。」
「…三玖も言うようになったな。」
「ほんとに。」
そう言って、僕達は顔を見合わせて笑う。
こうやって三玖さんと一緒に笑い合えるだけでも、最初に比べたら大きな進歩だ。いつかは、上杉くんと僕とそして5人が揃って笑い合える日が来るんだろうか。
いや、来るんだろうかじゃない。作るんだ。上杉くんと僕と…そして三玖さんや四葉さんの協力的な子達で、その未来を。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「誠実に、ねぇ。どうすりゃいいんだろうな。」
「うーん…彼女の場合、深い理由がありそうな気もするんだよね。それが何かは分からないけどさ。」
あの後食器の片づけを終えた僕と上杉くんは、中野家を後にして乗り込んだエレベーターの中でそんなことを話していた。
会話の内容は二乃さんとどう和解するか、についてである。
「しかし、二乃の奴にそれを聞いたところで俺達に話してくれるのか?」
「十中八九無理だろうね…」
「だよなぁ…」
僕と上杉くんは顔を見合わせてため息を吐いた。
とりあえず、当面の最大の壁になってくるのが二乃さんなのは間違いなさそうだ。
だが、彼女が僕達を拒絶する理由を聞こうにもあの状態ではとてもじゃないが門前払いされて終わりだろう。
何かきっかけがないと、彼女から家庭教師を拒否する理由は聞き出せそうにもない。
そんなことを考えていると、エレベーターが1階に到着した。僕と上杉くんはエレベーターを降りるとマンションの出口へと向かう。
するとその瞬間、上杉くんの携帯電話からメールの受信を告げる音が鳴り響いた。
「メール?…らいはからだ。」
「らいはちゃんから?この時間に?珍しいね。」
「ああ、一体どうしたんだ…?」
そう言うと、上杉くんはポケットに入っていた携帯を取り出してディスプレイを確認する。
「…すまん御影、少し急いで帰らなきゃならないみたいだ。」
「何かあったの?」
「ああ、なんでも部屋の電球が切れたらしい。」
なるほど、大体事情はわかった。
家の電球が切れたけどらいはちゃんじゃ手が届かないから上杉くんが変えてあげないといけないってことだね。
幸いまだ日が出てるからいいけど、もうすぐ日が沈む。そうなるとらいはちゃんに暗闇の中で過ごすことを強いることになっちゃいそうだし。
「それは早く帰ってあげないとね…予備の電球あるの?大丈夫?」
「ああ、親父が用意してある分がまだあるからそれは問題ないはずだ。」
「んじゃ早く帰ろうか、ちょっと早歩きするよね?付き合うよ。」
「すまんな…それじゃあ…」
そう言ってマンションのドアをくぐると、僕は少し歩くスピードを早める。
上杉くんも携帯をポケットにねじ込むとそのまま僕の隣へ…並ぶのではなく、何故かその場で硬直していた。
「…上杉くん?どうしたの?」
「やべっ…どうも、あいつらの家に単語帳を忘れたらしい。」
「え、それ本当?」
「あぁ…まぁ大したものではないから大丈夫と言えば大丈夫なんだが。」
「でも、上杉くん普段あれで勉強してるんでしょ?ないと困らない?」
「まぁ確かにそうだが、今は緊急事態だ。また今度来た時に回収すればいいだろう。」
そう言うと、上杉くんはそのまま足早にマンションのロビーを出ようとする。
「じゃあさ、僕が取ってきてあげようか?」
「…いいのか?」
「うん。ほら、僕って1人暮らしじゃん?家で待ってる人もいないし、この後予定もないしさ。ぱぱっと回収して、後で君の家まで届けに行くよ。」
「そうか…それじゃあ迷惑をかけるが、頼んでもいいか?」
「お安い御用だよ。どうせ君の家、僕の家から5分くらいしか変わらないしね。ついでついで。」
「すまん御影、恩に着る。」
「あはは、忘れ物取ってくるくらいで大げさだなぁ。」
申し訳なさそうな顔をする上杉くんに対して、僕は気にすんなと言葉をつづけた。
たかが忘れ物を取りに行くくらいどうってことないさ。
「ほら、早く帰ってあげないと。あとは任せて。ちゃんと届けるからさ。」
「すまん、助かる。頼むぞ!」
「任せて!」
上杉くんと顔を見合わせてお互いに笑うと、上杉くんはそのまま背を向けてダッシュでマンションを後にした。
僕はその姿を見送った後180度回転し、再びマンションの入り口へと戻ってオートロックシステムのボタンで30階の中野家の部屋番号を入力した。
しばらくの着信音が鳴り響いた後、ブツッと言う独特の音と共に中野家の部屋とつながる。
『…はい、中野です。』
「三玖さん?御影です。」
『…キョーヘー?帰ったんじゃなかったの?』
「いや、ちょっと上杉くんが単語帳忘れちゃったみたいでさ。事情があって彼は先に帰ったから僕が代わりに取りに行こうと思って。」
『…そう。分かった。』
そう言うと、三玖さんはロックを解除してくれたようだ。横のドアが自動的に開く。
僕はありがとうと言うために口を開こうと…
『シャワー浴びてるから勝手にどうぞ。』
「いやそれ駄目じゃん!?」
…した瞬間に、三玖さんの口からとんでもない爆弾発言が飛び出して僕は分かりやすく声を裏返してしまった。
いやちょっと待ってくれ。今から男が部屋に上がろうとしてるって時に何故シャワーを浴びる必要があるんだ!?僕帰ってからでよくない!?
「それさ、僕が帰ってからじゃダメなの?」
『単語帳取りに来るだけでしょ?ならそこまで時間かからないでしょ。私、お風呂長い方だからそれまでに帰ってくれたらいいよ。』
「そういう問題じゃなくない!?僕が帰るまで待ってるとか、そういうのはダメなの!?」
『汗かいたから今すぐ入りたいの。それじゃあ。』
「ちょ、三玖さん!」
そう言うと、三玖さんは通信を切ってしまったようだ。もういくら呼び掛けても三玖さんからの返事がはなかった。
いやいやいやいや、さすがに今からシャワー浴びるってまずくない?男が部屋に来るんだよ?もちろんそんなつもりは微塵もないけど、襲われるかもとか考えないの?
いくらなんでも貞操概念ガバガバすぎるでしょ。女の子としてそれはどうなんだ。
(…仕方ないか。)
お風呂出るまで待ってようと思ったけど、三玖さんはお風呂が長い方だと言っていたのを思い出す。
女の子って確か長い子は平気で2時間くらい入るって聞いたことがあるし、いくらこの後予定がないとはいえそこまで待つのは苦行すぎる。
だったら三玖さんの言う通り、彼女がお風呂から出る前にさっさと回収して部屋を出てしまおう。単語帳を回収するだけなら2~3分あれば余裕だろうしね。
覚悟を決めた僕は腹を括ってエレベーターに乗り込み、30階のボタンを押した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「お、お邪魔しまーす…」
30階にたどり着いた僕は、中野家の玄関のドアを開けてそのままの流れで靴を脱いでリビングへと続く廊下を歩いていた。
と言うか、ちゃんとカギかけておきなよ…チャイム鳴らしても誰も出てこなかったからダメもとでドアノブに手をかけてみたら開いちゃったからな。
女の子5人だけで生活してるのに不用心が過ぎるだろう…いくらマンションのセキュリティが完ぺきとは言えもしものことがあったらどうするつもりなんだろう。
今度会った時に戸締りはちゃんとするように伝えておかないと…そんなことを考えながら、僕はリビングへ続くドアを開ける。
(いや、でも僕が来るってわかってるから開けててくれたのかな…まぁいいや。さっさと単語帳…を…!?)
リビングに入った瞬間だった。何の心の準備をする暇もなく僕の目には信じられない光景が飛び込んで来た。
まず僕の目に飛び込んできたのは一面の肌色だった。それを白い布地が覆っており、ドライヤーの風でサラサラの髪が空中へなびいている。
そう、そこにはバスタオル一枚の姿の三玖さんがソファに座ってドライヤーで髪の毛を乾かしている光景が繰り広げられていた。
「三玖さん!?もうお風呂出たの!?ご、ごめん!!!」
僕はあまりに気が動転しすぎてその場のカーペットに足を引っかけて転びそうになるが、なんとか持ちこたえて即座に後ろを向いた。
やばいって…これはやばいって!三玖さんお風呂長いとか言ってなかったけ!?なんで速攻で出てきてるんですかァー!
と言うか三玖さんも男に肌見られたのに気にしなさすぎでは!?まさかドライヤーのせいで僕に気づいてないのか?
(駄目だ目に毒すぎる!早く単語帳回収して帰ろう…!)
いずれにせよ、あまりここに長居するわけにもいかない。こんなところを他の姉妹に見られでもしたら僕だけの問題では済まなくなる。
僕は早足で先ほどの料理対決の際に座っていたテーブルへと駆け寄る。今日は姉妹の部屋には入ってないから、あるとしたらここのはずだ。
(あった!)
目論見通り、テーブルの上には上杉くんの単語帳が無造作に置かれていた。
僕はとりあえずホッと胸をなでおろすと、そのまま手を伸ばして単語帳をポケットへとねじ込んだ。
と、ほぼ同時に三玖さんが髪をかわかし終わったのかドライヤーの音が止まった。
とにかく目的は果たしたんだ。肌を見てしまったことは申し訳ないが、起こってしまった以上仕方ない。謝罪して早くこの部屋から出ていくのが先決だろう。
僕は「ごめん、すぐ出ていくよ」と言うために口を開く。
「…誰?三玖?」
(…!?)
だが、彼女の口から出てきた言葉を聞いた僕はあんぐりと口を開けたまま硬直した。
いやいや待て待て待て。待ってほしい。この声ってあれだよな。もしかしなくてもあれだよね。あの子だよね!?…やばい。マジでヤバイ。
僕は油の切れたロボットの如くギチギチと首を回して声の主を見る。
「お風呂入るって言ってなかったっけ?空いたけど。」
(やっぱりかぁぁぁぁぁ!!!)
僕はその場で頭を抱えた。
先ほどまでは髪が濡れていたから付けてなかったのだろう。ドライヤーで乾いた彼女の髪には特徴的な蝶のようなリボンが添えられている。
…間違いない。二乃さんだ。
「いつもの棚にコンタクト入ってるから取ってくれない?」
二乃さんはこちらを焦点の合ってない目で見つめながらそう言ってきた。…コンタクト?
彼女に目を合わせて凝視してみるが、どうやら彼女はコンタクトをはめないと視界が悪いらしい。ここにいるのが僕だとは気づいていない様子だった。
まぁ気づいてたら叫ばれてるだろうから…不幸中の幸いではあるけども。
ってか目が悪くてもシルエットとか髪色、服装とかのなんとなくの全体像で分かりそうな気がしなくもないんだけど…気づかれてないだけよしとしておこう。
しかしよりによって三玖さんと勘違いされるとは…!どうすんだこれ…声出したらばれるから絶対に声出せないし。
(ってかいつもの棚ってどこだよ!僕この家の人間じゃないからわかんないぞ!)
とにかく落ち着こう…焦ってもどうにもならない。
まず、間違ってもコンタクトを渡すわけにはいかない。目が見えるようになったら詰んでしまう。
ここは逃げるが勝ちだ、三玖さんと勘違いされている以上後で三玖さんが問い詰められるのは確定だが走って逃げてしまおう。
バレてない今しかチャンスはない。僕はそう決心すると、180度後ろを向いた。
「なに?お昼に意地悪したことまだ根に持ってるの?」
(ちょっとぉ!?)
そしてそのまま走りだそうとした瞬間だった。二乃さんは座っていたソファから立ち上がると、こちらへ向けて歩いてきていたのだ。
このまま走り出すと確実に正面衝突は避けられないため、僕はなんとか体を停止させる。
「あれは勢いで…悪かったとは思ってるわよ。」
そして、二乃さんはそのままこちらへ向けて一歩また一歩と距離を詰めてくる。
ヤバい…目に毒すぎる。せめて何か羽織ってくれ。肌も、胸の谷間も全部丸見えなんだって。見ちゃダメだってわかっててもそこに目が行っちゃうんだよ。男なんだから!
と、とにかくそこに二乃さんがいる以上はダッシュすることは不可能だ。なら迂回しよう…僕はテーブルの反対側へと歩を進める。
「ちょっと!何も逃げなくてもいいじゃない!」
(逃げなきゃまずいんだよ!)
「やっぱり怒ってるんじゃない…全部あいつらのせいだわ!」
(…え?)
思いもかけない一言に、僕の足は完全に停止した。
「全部あいつらのせいよ…上杉はパパに命令されたからって好き勝手家に入ってきて…御影は何よあいつ!補佐とか言ってやりたい放題やってるじゃない!」
(そこまでやりたい放題やった覚えはないんだけど…)
「そ、そりゃ私の料理を褒めてくれたのは…ちょ、ちょーっとだけ嬉しかったけどね!?ムカつくのよあいつ!私が拒絶しても拒絶しても真正面からぶつかってくるし!」
(言われたい放題だな…でも料理褒めた件に関しては喜んでくれたんだ。ちょっとうれしいかも。)
「私達5人の家に、あいつらの入る余地なんてないんだから!」
二乃さんは両手をテーブルにたたきつけながらそう叫んだ。
私達5人の家にあいつらの入る余地なんてない…か。なるほどね。もしかしたら、これが彼女が上杉くんや僕を拒絶する原因なのかもしれない。
きっと、彼女は表面上は気が強くて取っ付きにくいけど本心では姉妹の事を誰よりも大切に思っているんだろう。
もしかしたらトゲトゲした態度だって僕や上杉くんから姉妹を守るためにやっているのかもしれない。
姉妹を大切に思っているからこそ、そこへ近寄っていく僕達みたいな得体のしれない存在を受け入れられずにいる。そう考えると納得がいく。
…家族の事と来たか。かなり根が深そうだ。これは説得するのに骨が折れるぞ。
とはいえ、まさかこんなところで彼女が家庭教師を否定する理由の一部を聞けるとは思ってもみなかった。不幸中の幸いという奴かもしれない。
「もー決めた!あいつらは今後一切出入り禁止!」
そう言うと、二乃さんは腕をぶんぶんと振り回しながらジタバタと暴れる。
そんなに暴れたら危ないんじゃ…と思った瞬間だった、彼女の振り回している腕が丁度横にあった棚を強打する。
「いたっ!」
ほら言わんこっちゃない…とにかく、思いもよらぬ情報も手に入ったことだしさっさとここから逃げてしまおう。
そう思って何気なく視線をリビングのドアへ移そうとした瞬間、視界の端に変なものが写る。
早く逃げなければいけないのは分かっている。しかし何気なく、本当に何気なくその物体が気になった僕は視線をそちらへ写した。
(…!?)
その物体とは、花瓶だった。大きさは人間の頭くらいのサイズだが、花が活けられていることを見ると水も入っているだろう。
それが二乃さんの立っている場所のすぐ横でふらふらとうごめいている。…さっき二乃さんが棚で手を強打したときにバランスが崩れたのだろう。
まずい、あのまま花瓶が落下したら二乃さんの頭にクリーンヒットしてしまう…!
「危ない!」
「…え?」
考えるよりも先に体が動く。
僕は叫びながら二乃さんに向かって突進すると、そのまま彼女の背中に腕を回して彼女を抱き抱えたままにして床へ倒れこんだ。
直後、遅れて僕の後頭部に激しい衝撃が走る。
「ぐぅっ…!」
「え、今の声…え、何!?ちょっと!?」
砕け散る花瓶の破片から少しでも彼女を守るため、僕は彼女に覆いかぶさる。
割れた花瓶の水を頭からかぶったせいで服がびしゃびしゃだ…しかも打ちどころが悪かったのか、視界がかすむ。意識がもうろうとしてきた。
「け、けがは…ない…かな…」
「その声…御影!?あ、あんたが何でここに…!?」
「良かった…それだけ元気ならだいじょう…ぶ…」
「ちょ、ちょっと!?」
良かった、どうやら彼女は怪我を負っていないようだった。
そして僕はもうダメかもしれない…視界がかすんで意識が徐々にブラックアウトしていく。
薄れゆく意識の中、僕は最後に必死で自分の名前を呼ぶ二乃さんの姿を見た気がした。
このままヒロインは二乃と三玖で決まりそうな気がする…
風太郎に好意を寄せる子もきちんと作りますのでご安心ください