僕が面談室のドアを開けると、相も変わらず夕日を背に向けながら菰田は寂れたパイプ椅子に頭を乗せ、足は用意された白いテーブルの上に行儀悪く組まている。
眩しかったのであろうか、夕日に反射してタイトルこそみえないもののアイマスク代わりといわんばかりに薄い文庫本が開きながら乗せられている。 .......寝ているのだろうか?
「.......」
僕が入室したことを立て付けの悪い面談室のドアの音で目を覚まし気づいても良さそうなものだが.......。 そういえば昔、施設では小さい子供が多くかなりうるさいから、どんな所でも昼寝はできると言っていたような気がする。1人の子供に一部屋与えられることが出来るほど、施設には余裕が無い、とも。いくら成人して施設を出たと言えど、1度子供の騒音に慣れ親しんでしまえば鈍いドアの音では気が付かなかったのだろう。
僕と菰田はこうやって、毎日放課後に再開したこの使われていない面談室で会うことが日課になっていた。口に出して約束したわけではない。ただ、夕暮れのこの時間にこの場所で会うことが一種の習慣という暗黙になっていた。
別に、同じ教育実習生ならわざわざ面談室に行かなくとも職員室で顔を合わせられると思うが.......、菰田と僕はなんの偶然か昼間は全く休憩時間が重ならないらしい。
放課後は菰田は最低限の用事を職員室で済ませたあとははこの面談室で過ごしているのだろう。 ここ以外で彼が過ごしているのを見たことは無いし、それは高島瀬美奈を苦手とする僕にとっても有難いことだった。あの女の冷たい視線を浴びながらではせっさくの旧友との会話も台無しになってしまうだろう。
「こうも毎日同じことの繰り返しはいい加減飽きるというが.......、それはそれでいい事なのかも知れないな。」
「.......!?」
「『毎日同じことの繰り返し』最初は苦痛を感じるかもしれないが、それさえも普通は時期に慣れる。 同じことをするのなら何も考えなくていいし何も悩まなくていい」
「起きてたのかよ。」
「お前が大きな音を立てて入ってきたおかげでな」
ばさりと頭に乗せられた文庫本が地面に落ちたのにも関わらず、菰田は変わらず頭をパイプ椅子に預けた姿勢で、天井を見つめたまま呟くようにささやいた。 僕に対しての返答がなかったら、独り言かもしれないと勘違いしてしまうかもしれなかった。
毎日同じことの繰り返し。 終わることの無いインターン。 このままではいけないということは、何よりも僕自身が1番わかっている。誰よりも、分かっている。
.......ただ、今だけは『先』のことは考えたくはなかった。
「その本。」
「.......?」
菰田は目線だけで床に落ちた文庫本を暗に指した、拾いもしない。表紙の取られた裸の文庫本は夕日の光に鈍く照らされて、そのタイトルを読み取ることは出来なかった
「その本は.......短編集なわけだが、その中に俺個人が特に気に入っている話がある。主人公は10そこらの子供で.......、年末に帰ってくる東京に出稼ぎに行った父親を迎えに行くんだ。」
「ところが父親は出稼ぎ集団の中にはいなかった。 それどころか共に出稼ぎから行き戻った村人によれば父親は『自分には畑仕事の方が似合っている』と言って秋には村に戻って行ったと言う」
「さてここで問題だ。家には主人公とその弟、祖父に妊娠した妻が待っている。なのに父親はどこに行ったでしょう?」
.......菰田が藪から棒に、なぞなぞ紛いなことを始めた。(なぞなぞというよりかは、普通の問いかけだが)しかし、ここでのらない.......答えない、答えられないと言うのも癪に障る。僕は真剣にこの問の答えを考える気がした。
「途中で路銀が尽きた、もしくは.......出稼ぎに出たにも関わらず途中で辞めたって言うなら家族に合わす顔がなくてどこかを立ち往生している?」
「後者は半分当たりだな。」
.......妙に勿体ぶる男だな。
「正解は、灯台もと暗し、家のすぐ裏山で白骨死体になって発見されたんだ。 作中では直接描写されてないけど、父親は自殺した。」
「!?」
菰田の答えは僕の一瞬の苛立ちを吹き飛ばすには充分インパクトのあるものだった。
「白骨死体のすぐ側には花柄のシャツやら可愛らしいがま口財布やら、父親が家族に向けたお土産が残っていた。」
僕はその小説を読んでないからあまり大層な感想は言えないが父親は何故自殺したんだろう。.......怖気付いた? いや、 娘がわざわざ迎えに来る、そして父親自身はお土産を家族に残している。 多分だけど慎ましくてもきっと暖かな家庭だったんだろう。
「作中では主人公こそ父親の心境を推し量るシーンはあるが、父親の自殺の理由は一切わからない。もしかしたら作者ですら分かってないのかもしれない。」
己を待つ暖かな家庭を目の前にして自殺した父親の心境.......。 きっとそれは誰にもわからない。 僕にはわかるのは父親は怖気付いたのだ、きっと。 暖かな光は反転して、そのまま何かの重圧になった。
「俺はこの小説のね.......。無言に表された人間の矛盾が好きだよ。死んだ父親の心境は未来永劫誰にもわからないんだろうなって.......。」
それでも僕は.......父親は残された家族のことをほんの少しでも最後に考えなかったのだろうか?そう思ってしまう。
そうしたら、そうすれば.......自殺なんかしなくてもよかっただろうに。
この父親にはまだ意味がある。帰りを待つ家族がいる。
「それは.......生者の傲慢だよ、死人に口なしさ。 多分それは.......死んだ人間しか分かっちゃいけないことだ」
菰田は笑った。