天使に出会った   作:さらみす

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第5話

 廃墟のビルはどうやら金融系の会社が入っていたようだった。時折剥がれかけたポスターや壊れたパソコンがずらりと並んだオフィスがある。どれも分厚い埃を被っていて、まるで綿に包まれているみたいだった。遺品も数多く残されているが、時折何もないデスクがぽつりぽつりとある。第三次世界大戦はかなり長い事やっていた。戦争初期に吹き飛ばされたこの街。放置はされずに消防、警察やらが総出で死体の処理をしていたことを思い出す。まだ後方に居た俺の親父も、何なら放射性降下物が一段落した後に学生だった俺も駆り出されたものだ。

 防護服に身を包んだ一団が死体を見つけてはトラックに積み上げていく。軍も民間もおかまいなしの雑多な車両群だ。そうして積み上げた黒々とした死体を、ほうぼうの広場や公園に掘らせた大穴に投げ込み、大量の燃料で燃やしていく。昼夜問わずに人を食って空を照らす光を、親父は着弾してすぐの一番ひどい時期に見たはずだ。

 そうやって街の主人は死人に代わり、それもすぐ生者によって拭い取られ、残る物と言えば物品といった残滓だ。だが壁に焼き付いた影は、まだ自分たちはここに居ると叫んでいるみたいだった。だからこの街は捨てられたのだろう。

 

 唐突に理解した。死者はまだこの場所の主人のつもりなのだろう。降り積もった分厚い埃は隠しきれない。戦況悪化もある。核の乱打戦が近くで行われたのもある。敵が目と鼻の先にやってきて、取った取られたの奪い合いをやったものもある。だが一番の理由は、死者がまだそこに居る事だ。焼けた肉塊はただの物質であっても、それらを彼、あるいは彼女たらしめていた何かは街に焼き付いている。方々に拭おうとしても拭い去れない痕跡として残っている。その痕跡とはつまり記憶だ。死んだ人間は今もそこに居る。俺たちの脳を通して、すぐ傍に立っている。記憶は捨てられない。だから生者たちはこの街を捨てた。

 終戦を迎えた生存者たちが必死に復興計画を推し進めたのは、そんな死者たちからこの街を奪還する為だ。もはや触れられない仲間たちを、もう一度自分たちの場所に連れ戻すためでもある。そして脳の奥底にしまい込む為に。

 

 その証拠が遺品も何もないデスクだ。遺族による遺品回収事業は戦争中、そして終戦後にも何度も公的に実行された。個人による回収を含めれば数えきれない。火に食われた遺骨は混ざり合い、誰の物かもう分からない。だから遺品を回収して、触れられない同胞たちを連れて帰る。

 そうやって街の主人を再び生者に戻す。

 だがそれも、鉄血の暴走によってとん挫する。生者にも鉄血にも手出しされていないこの街は巨大な墓標として、主人の死者は脅かされない。

 

 そんな街のビル。降り積もった分厚い埃には小さい足跡が幾つもつけられていた。廃墟に子供と聞くとオカルトを思い浮かべるが、足跡の持ち主は質量があり、物質的な存在だ。小埃に刻まれた靴底の跡は小さく、そして浅い。小柄で体重が軽いと推測できる。俺を背負ったダミーは深々と刻んでいるのが対照的だ。

 ビルの五階。死者が主人のはずのこの場所に居座る、新たな主人気取りの少女が居た。ダミー二機ともに外を見張りっている。持っている箱型にも見える特徴的な銃は、流石に俺でも分かる。G11。ドイツメーカーのアサルトライフルだ。

 

「おーお帰り416……わあ、二人とも近くで見ると余計にゾンビみたい」

「ゾンっ……」

 

 振り返ったG11は言った。呑気な声だった。絶句する416と呼ばれた、俺を助けた少女。

 装備を統一している連中も多少は居るが、PMC所属は基本的にラフだと知っていた。制服を着るのは一部の人間の人員のみ。現場の人員は好き勝手な格好をする。シャツとジーンズの上から装備を付けていてもいい。所属さえわかれば。それが民間の軍事組織。PMCというものだ。

 戦術人形は人間以上に服装の規定が緩いと知っていた。というよりそもそも存在しない。休日に買い物に出かけるみたいな恰好は序の口。ドレスや何かの仮装にしか見えない衣装の連中もいる。もはや服ではなく、衣装と呼びたくなる具合だ。レオタードを着た小娘が短機関銃片手に廃墟で撃ち合ってる姿を想像してみてくれ。目を疑うだろうが、それが戦術人形だ。

 416を例にとれば、学生服となにかジャケットを融合させたような奇抜な服装だ。そこに丈の短いスカート。ニーソックスとスカートの間に見える肌の白というのは健康的な光景だが、目に毒だった。特に男社会に居る俺みたいな手合いには。そんな恰好で走り回る物だから、さっきからチラチラと見える物もある。

 この格好をしているのが自分の娘と考えたら大抵の親はいい顔はしないだろう。そこに真面目ぶった言動ときたら、シュールコメディの番組から抜け出してきた役者と言われた方がまだ信じられる。人形が居ない時代の軍人が見ればひっくり返るだろう。コスプレ趣味の女子供が、最精鋭の兵士たち以上の動きを見せるからだ。

 彼女たちの外見は実力に左右されない。それは分かっている。人工筋肉に覆われたしなやかな細腕は重量物を軽々と持ち上げ、さらに持久力や耐久性に優れる。最新の電子機器を巧みに操ってみせ、射撃もデータをインストールすれば訓練期間も僅かで良い。学習能力も高い。戦力の規格化を求めるのならば、最新の戦闘データを入力すれば学習する必要さえない。

 

 そんな事は分かっているが、眼前のG11の恰好というのは少々度が過ぎているように見えた。まず服が着崩れている。多少ならばまだしも、その度合いときたら尋常ではない。そもそも靴紐すらまともに結んでいないのだから徹底している。歩きづらくはないのだろうか。

 ドイツ語で特殊部隊と入ったジャケットを羽織っている割にはミニスカートを履いている416としても、彼女をあまり好ましい恰好ではないと思っていると態度で分かる。

 ものの見事に苦虫を噛み潰した顔をしているからだ。

 

 

 

「ジャロフだ」

「なに?」

 

 埃を払って多少マシにした椅子に腰かける。すぐ近くで回収したサバイバルキットを漁っている416が端正な顔を上げる。表情は相変わらずの無表情。無表情か仏頂面がこの娘の基本のようだった。

 目の下にピエロみたいな涙のタトゥー。いや、シールだろう。普段なら分からないだろうが戦場の劣悪な環境にあって、周囲のきめ細かな白い肌から若干浮き上がって見える。

 

「挨拶を忘れていたのに気が付いた。ヴァレリー・ジャロフ。階級は中尉」

「そう、ならジャロフ中尉。生き残りたい?」

「なに?」

「生き残りたいならわたしたちは協力しあう必要があるのよ」

 

 薬剤入りのカートリッジを投げてよこしてくる。胸のあたりにある戦闘医療装置から、なくなりかけの物を排出し新しく入れなおす。

 

「分かるさ。情けない事に君に頼りっぱなしだがな」

「この後よ。貴方に役に立ってもらう」

「俺の? まさか……」

「嫌なら助ける理由もない……ってうちの隊長の言葉」

 

 ほら、傷を見せなさいと彼女は言った。大人しく無くなった片足を見せる。不思議な気分だった。ある筈のものがそこにはない。神経が戸惑っているみたいだ。だって足の感覚が残っている。動きはしないし、触れられもしない。ある筈の場所に手をかざしても何も反応がない。だが脳はまだ、そこには物があると言っていた。まるで透明になった気分だ。

 しゃがみこんで医療キットを広げる彼女を見る。豊満な胸に、その下のスカートは見えそうで見えない。ただただ綺麗だった。これだけ美人な娘をもって両親はさぞ気が気じゃないだろうと考え、ふと戦術人形であり、彼女らには親という存在が居ないことを思い出す。

 

 作業する彼女のベレー帽が上下するのに合わせて首筋にかかった青みがかった銀髪が動くのを見る。

 彼女のうなじは都市の姿形に聳えて広がり、今は硝煙と土煙の香り漂う墓標群の中にあっても、それらの穢れとは無縁にも思える白さだった。彼女の争いごととは無縁としか思えない、しなやかな手には開封した医療キット。そんな手が俺の血で汚れていくのは耐えられなかった。思わずやめてくれと懇願したくなる。

 作られた存在。大いに結構。たとえ人造の美であったとしてもそこに何の問題がある。ミケランジェロの彫刻たちに見るものが生命を見出すように、俺は戦うために製造された彼女に神聖さを見出すことができる。人間性を見ることができる。

 

 表情をあまり動かさないこの娘がどう笑うのか無性に見たくなった。

 

「見捨てると……この後どうする」

 

 直前まで話していた内容を必死に思い出して回らぬ舌を無理やり動かす。

 

「口封じするかもね。正規軍人を見捨てたとバレたら問題になる。言ったでしょ。隊長と合流後離脱よ。こんな街、もう二度と来たくないわ」

「口封じ? 俺を? まさか」

「やっと帰れるの?」

 

 G11の声に彼女は振り向く。

 

「帰れるわよ。帰るのよ」

 

 終わったわと彼女は立ち上がる。

 

「ありがとう。俺を見つけてくれて……助けてくれた。感謝するよ」

「無償じゃないわ。こっちにも打算あっての事よ」

「行動がすべてだ。全ては受け取り手の問題だよ。君がいたから俺は命を拾った。それが全部だ」

 

 照れくさそうに鼻を鳴らしてそっぽを向く。向こうではG11が大きな欠伸を一つする。

 

「……銃の整備でもしてなさいよ」

 

 彼女の視線の先には俺の軍用小銃があった。

 

 

 

 彼女が俺の傍らに置いてくれた軍用小銃の点検を行う。流石AKの系譜といったところで、あの爆発の中でも不具合は特に起きていないみたいだった。欲を言えば試射したいところだが、それは現状できそうにない。

 銃が無事であると確認するにつれて。いや違う。銃をこの手に握った瞬間から、俺の中には万能感が芽生えていった。銃があればとりあえずは安心だ。これさえあればどうにでも出来る。古来より強力な武器を手にした人間がやる行動は一つだ。それをどう使うかの確認。そして実行。

 受け取ったおもちゃは理由をつけて使う。それが人間だ。幼稚な万能感と、ささやかな野蛮さの発露と言っていい。

 銃弾を薬室に送り込んだ時に彼女は言う。

 

「支度は終えた? 忘れ物があっても取りには帰れないわよ」

「忘れ物、そうだな。足を忘れた」

 

 軽口は俺の悪い癖だと自覚していたし、今はその時ではないと分かってもいた。だが目の前の彼女と会話を続けるのは楽しかった。そのせいかは分からないが、元々口数が多い俺の口が更に回る。

 

「その状況で言うこと? さすがに他人ながら心配になるわよ」

 

 呆れを通り越して心配をされた。失言だと分かっているから曖昧に笑うしかできなかった。

 

「G11」

「はーい」

 

 背後から気の抜けた声。子供の両腕が俺を抑え込んだ。首に何かが突き刺さる感覚。

 

「ごめんねー。ちょっと寝てて」

「な、なにを……」

 

 弛緩する体。急激に暗くなる視界の中416の変わらぬ無感情な顔が見えた。

 

「人形ばかり見てるんじゃないわよ、変態」


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