今日は午後に訪問がある。突然の通達によるものだった。
倫理委員会より新人の研究員が派遣されてくる、とだけ。
断るに断りきれなかった。断ってしまえば何らかの反感を買うことになりかねなかった。
正直いって派遣されてくる理由になにも思い当たることがない、不気味だった。
私達が何らかの規範を逸脱しているわけでもないのは再三確認済みだ。
委員会がランダムに研究員を派遣するという事はあるらしい。
たまたまそれが来たことだろうと思考を切り上げたかった。こんな所で躓きたくないから。
それでも少し落ち着かない気持ちを抱えて休暇を過ごすことになってしまった。
全く余計な刺激が彼女に掛からなければいいけれども、やっと心を開き始めてきたのに。
これでもし拗れてしまったら前任者みたいに私も異動となるのだろうか。
そうだったとしたらやるせない、せっかくここまで来ていたのに。
約束の時間のちょうど5分前に、件の研究員は私のオフィスへと通されてきた。
どんな人物が来るだろうと思っていたが、何てことない普通の見た目をしていた。
本当に普通の顔、ハンバーガーを食べた後の包み紙みたいに印象に残らないような感じ。
きっとエージェントだったら有利に働いたかもねと思った。
身長は5フィートほどだろうか、私より小さいくらいで。
財団支給のお馴染みのホワイトコートは一度も汚したことがないかのように綺麗に見える。
そして研究員からは現場畑で働いてなかった印象を受けた。
けれども、その脳みそに倫理規範しか詰まっていないようにも見えない。
若干緊張した面持ちの研究員は、私を見ると柔和そうな笑みを浮かべて頭を少し下げる。
どこかのハイスクールの学生が間違って此処に来てしまったみたいな素振り。
新人研究員の見本のようだった。
「こんにちは博士、私の名前はウォルター・ハイゼンベルグと申します、倫理委員会の方より派遣されてまいりました、慣れないうちはご迷惑をおかけすることもあるかと思いますがよろしくおねがいします」
「よろしくハイゼンベルグ研究員、今確認したわ、こちらの事情は知っているわね」
「はい、実体の事についてある程度のことは”幾つか”の報告書で把握しております、さっそく見学をしてもよろしいでしょうか? ああ、あなた方の事を疑っているわけではないんです、実際見てみる事が必要だと感じるので……すいません」
「全くかまいません、ただ接触自体は遠慮してほしいわね、最近やっと……実体も安定してきたの」
「はい、私はここでは部外者ですので博士の指示に全面的に従います、ご協力感謝いたします博士」
「それではこちらへ」
ハイゼンベルグ研究員はまた頭を少し下げた、おかしな癖だなと思う。
ただ奇人変人の巣でもある此処の気風から言えば、全くのAnomalousだ。問題はない。
むしろ、ずっとわかりやすいぐらいだった。
少なくとも不快な人物というわけではなさそうで。
研究員を伴って私は、収容室への長い通路を歩いた。
その道すがら研究員の方から私に話しかけてきて内心少し驚いた、内容はこのサイトの食堂のおすすめメニュー。
しばらくこのサイトに滞在することになるのと、サイトの食堂ごとに人気メニューがあるので色々と聞いて回ってるそうだ。
私はキッシュがおすすめと素直に伝えておいた、今まで食べたキッシュの中で実家のものに次いで美味しかったから。
食事ぐらいしか心の休まる場がないという事が多い此処では、意外と食については考えられている。
そうでもしないと辞めたくなるような環境であることは置いといて。
研究員はなるほど、キッシュ楽しみですと言って、笑みを浮かべてメモを開いた。
意外と、若いのかもしれなかった。
それでこうして派遣され幾つかのサイトへと出張しているのなら、かなりの秀才かもしれない。
そうして幾つかの物々しいセキュリティーを私は研究員に開放してあげて、ついに本命の部屋へと入る。
収容房の中央には、何時ものように彼女が居る。装置によって実体化した彼女の姿。
此方側は向こうから見えないが、此方側からは向こうが見える。
研究員は息を呑んでいた、その視線は痛々しい銃創へと向けられているだろう。
自殺した彼女の、その死因となった傷へ。先程までお喋りだった口は閉じられていた。
「説明するまでもありませんね、非物質変位無効装置によって実体化した彼女そのものです」
「……死因は自殺でしたか」
「ええ、多少、記憶の混乱もありましたが、最近は概ね認めてきました」
「…………」
研究員の顔は一切の感情を持たないかのようにきり変わっていた。
そこに先程までの幼さを残す様相はない、彼もまた財団の一人なのだろう。
手元のメモと腕時計を見比べ、モニタリングを続ける当直の研究員たちへと彼は挨拶に回った。
流石に食堂の事について聞いてる余裕はなかったようだった。
一通り回った所で、彼は真剣な顔をして私に聞いてきた。
「お伺いいたしますが、初めての身体検査はあと3日後で確実でしょうか?」
「それがなにか?」
「いえ、日程をどうしても確認しておきたかったのです、そちらも見学させていただきたいのですが、よろしいでしょうか博士」
「当然、可能です」
「部外者の私にここまでのご協力ありがとうございます」
また研究員は頭を少し下げた、それが彼にとって感謝を示す行動であることがわかった。
何だか不穏なものを感じたが、彼は特に問題となるような行動は起こさなかった。
概略、装置の解説とパスコードを説明し、彼はそれをメモに書き込んでいく。
身体検査の日程、及び場所や参加するスタッフについても担当職員に聞いていた。
その中、時折、彼の瞳は彼女へと向けられていたのに気づく。
瞳の中にある感情は、私にも読み取れなかった。
そうして最後に、ハイゼンベルグ研究員は私に向かってこう言ったのだ。
「博士、できれば今後も彼女に寄り添ってあげてください、それができるのは今の所、貴方だけになりそうです」
私は彼のその言葉になんと答えたのか、未だに思い出せない。
なぜならその三日後に発生した侵入事件の時まで、彼と行動していた際の記憶を喪失していたからだ。
サイト-81一般警報:
警報を隠す
この人物はクラスIII以上の異常な人型存在であると思われる。
対象は武装しており、危険性を有するものと推測される。
全職員はアジア人男性、身長1.6m、黒髪、黒目の男性に注意すること。
あらゆる目撃情報はサイト-81の保安職員へと報告して貰いたい。
- サイト管理官Aktus
ウォルター・ハイゼンベルグ研究員を名乗る潜入者が滞在していたとされる部屋には、一体の死体が残されていた。
”顔に目立つ傷のある”白人男性の死体が、呆然とした表情のまま倒れ伏している。
研究員の私物は何一つ残されていない、あると言えば財団が支給したばかりのホワイトコートがハンガーに掛けられているのみだった。
着用の痕跡が在り、回収された毛髪のDNAは現在鑑定中とのことだった。
多分、DNAが誰のものであるかはいずれ解るだろう、財団はきっとそうしてくれると信じてる。
現場は現実性の低下により、今日まで封鎖されていたがその回復に伴って捜査官たちにも開放されていた。
「何だと思う、捜査官」
相棒になったハワード捜査官は、自分自身に確かめるように聞いてきた。
何しろ奇っ怪な事件だから状況の把握のためにも、おさらいは必要だろう。
「他殺、殺されたのは財団職員ではない外部の人間、そして回収された特殊な合金製のナイフは財団保有施設より盗み出されたSCiP」
「ああ、それでこいつは件の研究員ではない、じゃあ一体誰だって話になる」
「相棒、いやハワード捜査官……この事件の詳細はこうなんです、死体の名前はジェームズ・フランクリン、かなり厄介な現実改変者でSCP-2996を生前殺害したのは彼で、そしてその彼を殺した犯人は俺です」
自分でも思うが、ひどい種明かしの仕方だ。
ああ……でも年上の人に相棒なんて言うのは気が引けてたから少し楽になった。
こういった手品をする様になってからだが、やっぱり何だか疲れてしまう。
演劇部に少しだけ憧れたこともあったが、きっと役者になれなかっただろう。
偽装を解く。
「なぁ……お前、誰だ?」
「自分は先程までウォルター・ハイゼンベルグ捜査官でしたよ、けど、今はそうじゃありません」
ハワード捜査官の前にいるのは俺になった。
研究員であり、捜査官であるウォルター・ハイゼンベルグはもういない。
自分にはネーミングセンスがないから、有名な海外ドラマの科学者から拝借した名前だった。
相棒は、動揺せずにそのまま腹部のマガジンポーチに伸ばしかけていたが、その手を止めた。
今の今まで隣りにいた捜査官が見知らぬ誰かで、そういった芸当ができるのが一体どんな存在であるかまで想像したのかもしれない。
どこか諦めた感じがあった。
「そうか……殺される前に、最期の一服をさせてほしいんだが」
少しでも話して、俺の情報を引き出そうとしてるんだなと思う。
判断が早く、決断も出来る人なんだろうな。正直に話して、目標を達成すべきだと感じた。
「俺が殺意を持った相手はもう殺しました、それとご自由に一服なさってください」
「ありがとう」
一種の鮮やかさを感じられる滑らかさで、彼はポケットから煙草とライターを取り出した。
図太い、いやコレぐらいじゃないと財団でこの手のことをやれないのだろうか。
それとも、コレをやれる人じゃないと生き残れないのか。
煙草を吸いながら、捜査官は単純にその堂々とした態度に驚いていた俺に聞いてきた。
「おとなしく捕まる気はないのか?」
「ない、やることがまだたくさんあります」
「なぜやった?」
「一言で言うなら実験です、自分でも殺せるかどうか、この死体は強力な現実改変者でした、狙うとしたら警戒が弱まる瞬間……SCP-2996を狙うその瞬間しかないと思いました」
「SCP-2996を狙うだと」
「この死体はSCP-2996のいわばストーカーです、生前も死後も彼女を自らの所有物だと思ってたんでしょうね、だから、俺が逆に殺しました」
「お前は預言者か何かか、ふざけた私刑だな」
「自分もそう思います、ですが何もしなかった場合、高い確率でこのサイトの貴重な人員数名が消されて、SCP-2996は生きながら解剖され、二度もその魂を陵辱されていた」
「だがお前は我々のサイトに不法に侵入し、あまつさえ盗品で、殺人を犯している、そして……SCP-2996を理由にするな」
「…………訂正します……自分は一身上の都合で殺人を犯しました」
「わかった、だがきっと我々はお前を看過しない、必ず終了させる」
「そうすべきだと思います」
瞬間、パチッという音がした。
ライターの石が擦られた音だと気づいた時には、全身の体表が蒸発し始めていた。
人間の焼ける臭いから自分が燃えているのだと気づいて、全身を飲み込んでいた炎は一瞬でなくなった。
少しだけ、懐かしさすら感じる。これは
捜査官は何も諦めちゃいなかったんだ。
それを見せられて、俺は、自分で想像する以上に自分自身が人でなしである気がした。
残り香すら無くなった中で、ハワード捜査官は片手にライターを握りしめ、俺の瞳を真っ直ぐに見つめ返していた。
目線、表情、纏う雰囲気、その手に込められた力、何もかもに抵抗の意思を感じさせる。
ハワード捜査官を、俺は羨ましくも、同時に眩しくも思った。
「なるほどな、これが現実改変者か」
「そうですよ、熱かった……でも何もしません、貴方に危害を加える気は最初からありませんよ」
「情けか? 目の前にいる俺を砂ねずみに変えるくらい、お前には容易い事だろ?」
「自分のお子さんを大事にするべきだ、それに貴方がこんなつまらないことで失われるのは財団の損失だ」
「脅しはいい、お前は一体、何なんだ?」
「ただの転生者ですよ、財団が大好きな」
声にならない声で告白しながら、退路を確認する。
職員と接触して、誰かの目に印象づけるという目標は達成された。
もう一度燃やされる前に、ライターの音と同時にあらゆる手段を以て俺は一目散に逃げ出した。
誤字報告感謝
出典元、元ネタ
SCP財団日本支部 http://ja.scp-wiki.net/
SCP-2996 作者djkaktus様 http://ja.scp-wiki.net/scp-2996
>倫理委員会の方より派遣されてまいりました
消防署の方から来ました
>ウォルター・ハイゼンベルグ
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