「じゃあサーシャは大きくなったら、お父さんみたいになりたいの?」
「うん! 兵士になってお父さんと一緒に敵と戦うんだ! おじいちゃんみたいに祖国を守るの!」
「夢を持つのはいいことだ、何とも頼もしいね」
屈託のない笑顔を浮かべる弟は、その小さな胸を張ってそう宣言した。
こちらもついつい笑顔になってしまう、そんないじらしさがあった。
夢については、彼の父親や祖父がいずれもこの地で兵士をやっているのだから特に驚きはしなかった。
だが兵士になるというのが子供の夢として出てくる辺り、土地柄なんだなぁと感じる。
前の人生で同じぐらいの年頃だった頃は腹を満たすことぐらいしか考えてなかったっけ。
そんな事を考えていると、サーシャは小さな瞳でこちらの目を真っ直ぐと見つめて言った。
「お兄ちゃんの夢って、なに?」
そう聞かれた時、どこかがひどく痛んだ気がした。
消えてくれない痛みだ、この子にとっての小さな疑問は棘の如く刺さった。
俺は、その疑問に対してすぐに言葉を紡ぐことができなかった。
デマカセを言うのには随分と慣れていたというのに、ちょっと考えてしまう。
俺の夢って一体なんだったのだろう、自分が何を望んでいたのか、少し思い出せない。
前の記憶を、平和だった頃の記憶、幸せだと思いこんでいた生活が脳内で流れた。
だがそれよりもずっと前、生まれ変わる前の夢は。
ああ、いや、そうだ。1つ、夢らしい夢があったかもしれない。
もう叶いっこない……いや、ある意味、叶ってはいたか。
夢はいつも、何か間違った形で実現していく。
「
「じゃあお兄ちゃんは強い戦車を作って! 僕が乗るんだ!」
口の中で広がった鉄錆の存在は、それを味覚として捉える前に消失した。
俺の声は震えていなかっただろうかと心配になる。
けれどもサーシャは気にしないで応じてくれた。
その無邪気な言葉を聞いても、ぎこちなく頷いてしまった。
さっきまで顔面にはめていた天然物の笑みは、奥底から湧きあがった感情に押し出されてどこかに消え失せてしまっていた。
精神的な苦痛で歪みそうになる表情筋を矯正していると、嗅覚が僅かな違和感を感じ取る。
ああ、これは……考えるのはやめよう。少し呼吸をして、息を整える。
この小さな二等兵に、場から遠ざかるよう命令しなければならない。
多分、この子を一人にしても”まだ”安全だ。
俺は、その場で芝居がかった感じに姿勢を正して言った。
かっちりと踵を合わせ、弟に厳しい目線を向ける。
以前潜入した、とある刑務所での刑務官の真似だ。
「では、未来の戦車兵殿! 命令を下すぞ!」
「はっ!」
畏まった口調にサーシャは付き合ってくれた。
ノリが良くて助かる、彼はこちらを見つめてくる、様になってるなと思った。
きっといい兵士になれるんじゃないか、俺が失敗しなければ。
「今日の夕飯のためにお隣のポポフさんから卵を購入してくる任務を授けよう!」
「ウラー!」
幼いながらもしっかりとした敬礼だった。
彼が密かに練習してるのを俺は知っていた。
父親が帰ってきたら、その成長にきっと驚かせられるだろう。
元気な雄叫びを上げて小さな背が遠ざかっていく。しばらく帰ってくるなよ。
サーシャはいい子だ、だったらこれから起こる事を経験させるわけにはいかない。
当然これから起きうるべきことも、何もかも、全て。
物置に近づく、異臭が強くなる。
こうなってから何度も嗅いたことがある。そして、それは懐かしい臭気を伴っていた。
イベント進行中の間、俺はサーシャの家族だ。
だったら、俺は兄として弟を守り抜かねばならない。もちろん、彼の母も。
家族というものは、理不尽に奪われてはならないんだ。
その時は、近い。
彼は何に気づいたか?
「落ち着け! 記録を続けろ! 」
機動部隊γ-31、無関心な覗き屋。
その隊長であるユーリィ・コリョフは、明らかな動揺を見せた部下たちを制止した。
SCiPの悍ましい行為を記録するため、部下とともに派遣されていた彼だったが予想外の事態に彼自身も面を喰らっていた。
まるで何が起こっているかわからない。
恐らくこれはヴァイナハト・イベントにおいては初めての事例になるという確信がコリョフにはあった。
5分前。わずか5分前までは、イベントは正常に進行していたはずだった。
警察への通報によって発覚した対象の標的らしき家の監視任務。
今日はその12回めになる夜だった。
イベントは普遍的かつ奇跡も起こらないまま、いつも通り最悪な方へと進行していたはずだった。
だが何の前触れもなく、それは起こった。
光景を目にした時、監視装置の異常か、あるいは自らが突然発狂したのかと疑った。
家の中にて囚われていた少年の一人が、いつの間にか拘束を抜け出しユールマンに体当たりを行ったのだ。
虚しい抵抗に終わるはずの攻撃だった。
敵う筈がない、死を早めるだけの自殺攻撃にそれは見えた。
しかし予想した事態は起こらなかった。むしろ真逆だ。
家の一部が破壊され、窓ガラスを紙のように破ってユールマンと少年は外へと飛び出していったのだ。
明らかな異常、どう見ても不可解な力が働いてることをユーリィは瞬間的に感じとった。
自らの認識がすでに破壊されていたことに気づいたのも、その時だった。
あの家に住んでいるのは、”幼い子供一人”とその母親ではなかっただろうか。
なぜ気づかなかった、なぜ気づけなかったのか、内心で己を罵倒した。
認知強化剤が全く効果を発揮していない。そう、最初からだ。
不審者の通報を受けて、ヴァイナハト・イベントの発生を予見した財団のレポートの時点で。
目をつけたときからコリョフはあの家に住んでいるのは"二人"の兄弟とその母親とでしか認識していなかった。
だとするならば、あの場にいる少年は一体何者だというのだ?
周辺に設置されていたカント計数機は、異変を感じ取り悲鳴を上げる。
それが、答えか。
視線、はるか先。3mに届く巨大な体躯を持った醜い老人がいる。
降り積もった積雪の中で、ソレは寒がる素振りすら見せない。
なぜならソレは人間ではない。SCP-4666、ユールマンと呼ばれる怪物だった。
だがソレに相対するように立つ小柄な人間は、一体何だというのだろうか。
ユーリィの脳は、数え切れないほど信じられないものを見てきた。
こういった仕事柄、自らの常識を疑いたくなったことは何度もあったが。
だが、あんなメチャクチャな図は見たことがない。
風景が歪み始めている、不可解な力によってねじ切られているのだ。
アフガンに赴任していた頃に見た蜃気楼に歪む景色を思い出す。
だが、これは自然現象による屈折などではない。
おそらく現実そのものをSCiPと相対する者は歪ませているのだ。
チカチカと原因不明の発光が起きる。
突然両者の近くにあった木の半分はガラスに、半分は砂のように砕け散った。
スクラントン現実錨に縋りたくなるような光景だった。
相対するもの、兄を騙っていた少年はポケットからライターを取り出した。
火打ち石を擦った瞬間、炎はユールマンの全身を包む。だが効果は全く認められない。
エージェント用の小道具として、それを見たことがあった。
一瞬、財団関係者の可能性が頭に浮かんだが、それは次の行動で否定することになった。
少年は握ったナイフ、いや歪んだ金属片とでも呼称すべきものを怪物へと無造作に突き刺していた。
悲鳴とも言うべき悍ましい唸り声、だが当然のように効果はそれだけに留まった。
少年は怪物の反撃によって、頭の半分を弾き飛ばされ、倒れ伏したかに見えた。
それは、終わりを意味しない。
少年はまるで映画のフィルムが飛ばされたかの如く、いつの間にか立ち上がっていた。
吹き飛ばされたはずの頭の半分は、何事もなく再生している。
だがそれだけで優位に立てるわけはなく、ユールマンによる一方的な戦いが続いた。
少年は、胸を裂かれた上で肺を引きずり出され、握られた両腕を小枝のようにへし折られている。
それでも次の瞬間には、再生した手に握った金属片でユールマンへと攻撃を続ける。
横隔膜ごと腸を引きずり出されても、蹴りによって脳を溢れ落とし、眼球を指で抉られても、戦いは止まらなかった。
異常事態に近隣サイトからの増援が実施されたが、手の出しようがない。
なぜなら、その戦いは計5時間も続いたからだった。
無惨に進行し続け、勝敗もなく、日の出とともに戦いは唐突に終わっていた。
夜の帳は容易に取り払われ、朧気な光の奔流が血に染まった茶褐色の雪を輝かせ始める。
ユールマンは何処へと去っていく、当然のごとく追跡は不可能だった。
戦いの地には一人だけ残った。少年だったものが、その場に残っていた。
途中から、少年の再生能力は明らかに劣っていった。
今や彼の黒尽くめの制服は殆ど再生されずボロ布になり、その顔は自らの血に塗れていた。
ネジ曲がった両手と両足を地面に放り出して、脱力している。
ふと、ユーリィが少年の全身像を認識した時、彼はあることに気づいてしまった。
自らのさらなる誤認に舌打ちをしている内に、待機していた対現実改変者用の機動部隊が動き出している。
車両隊の出発する音が聞こえた。戦闘になる可能性すら考慮されている。
だが。
いつの間にかレンズの中で、現実改変者は目線を合わせていて、その顔に薄い笑みを浮かべていた。
「見られていたのは、こちらも同じか」
気づかれている攻撃意思など、現実改変者にとってはいい的だ。
機動部隊への中止要請を打ち込みつつ、次の瞬間には自分が殺されるのも覚悟して、ユーリィは自嘲と怖気と共に呟く。
しかし、そうはならなかった。
収まったはずのカント計数機の悲鳴と共に、レンズに突然ヒビが入って、ユーリィはその場から立ち退いていた。
瞬時に記録映像の無事を確認すると同時に、他の探索部隊より対象をロストしたとの通報が入る。
再生した映像の中で、現実改変者は家の方角を指差しながら何事かを呟いている。
ロシア語ではないとはすぐに分かった。
語学に堪能な部隊員サスロによれば、それは日本語である事がわかり、こう言っている可能性が高いことがわかった。
「あのかぞくをたのむ」
対象の消失とともに駆けつけたエージェントたちが見たのは、暖炉の前で眠っている少年とその母親だった。
インタビューの結果、彼らはここ1ヶ月の異常な出来事を全く記憶していなかった。
テーブルの上には異常性のないクリスマスカードに「良きクリスマスを」という拙いロシア語と「家の修繕をお願いします」と日本語が併記されていたと彼は後に聞いた。
ユーリィはその後、自らの見たことを報告し、事後処理を済ませた。
休暇届を出し、それはすぐに受理される。
しばらく異常なものは見たくなかったからだった。
遅いクリスマスを、彼は愛犬とささやかに祝う。
それと、ひとまずあの家族が救われたことに少しだけ感謝した。
出典元、元ネタ
SCP財団日本支部 http://ja.scp-wiki.net/
作者Hercules Rockefeller様 http://scp-jp.wikidot.com/scp-4666
>突然両者の近くにあった木の半分はガラスに、半分は砂のように砕け散った。
作者The Great Hippo様 http://scp-jp.wikidot.com/scp-3241
作者Lt Masipag(原著), Communism will win(改稿)様 http://scp-jp.wikidot.com/scp-148
サブタイトル あつしおじさまと異次元のワルツ
誤字報告感謝。
よければ評価していただけると嬉しいです。