「こんにちは」
この場に一人だけ残っている機動部隊の隊長を見ながら挨拶した。
その他の機動部隊員三人は地面に倒れ伏している。
なるべく危害を加えたくなかったから、強制的に眠らせていた。
耐性があったのだろうか、コチラはひどく疲れて、頭痛も始まっていた。
この場で一人だけ体の自由が効く彼は、目にも留まらぬ速さでナイフを片手に構えていた。
瞬間、空気の抜ける音が響き、辺りに血しぶきが散る。
頭蓋を揺らし、衝撃をそのままに俺は後ずさった。
柄だけ握った手だけが、ぼやけた視界に見える。
想像のままに、俺はゆっくりと自分の顔面に手をやる。
刃が、右目に深々と突き刺さっているのがわかった。
そこでやっと気づいた。
今の音は、ナイフの刃がガスによって射出された音であることに。
「使われてるんですねソレ、確かに意表を突かれました」
「……」
実物を見るのは初めてだった。
俺だって男だからそういうモノがあるのは知っていたが。
それは確かに意表を突く攻撃だった、これなら間に合わなかったかもしれない。
構えられたナイフの刃がいきなり飛び出すなんて、考えもしなかっただろう。
対現実改変者部隊なら、もしかしたら標準的に持っているものかもしれない。
あるいは趣味か……素敵な趣味だと思った、ある意味実用的だ。
まあこれはこれでいい、一芝居、打つことにしよう。
落ち着きながら指を眼孔の中に突っ込んで、周辺の組織ごと鋭い何かを引き抜いた。
痛い。すごく痛いはずだ。痛いはずだ。痛いだろう。痛いと思え。
刃が地面に落ちる乾いた音が鳴った。瞬きをするとすぐに視界がクリアになる。
血まみれの刃が落ちていて、彼が息を呑んだのがわかった。
だが、俺は最初から危害を加えるつもりはない。
この人には協力してもらわないとならない。
つま先立ちになり、動けなくなった隊長と目線を合わせる。
綺麗な茶色を湛えた瞳の中で、右目から血を流す俺がこちらを見つめ返していた。
「
使われていた符牒と共に、ゆっくりと喋った。
幾つかの経験によって学んだことの一つだった。
相手との接触を強める事で、認識をより強力なものにすり替えられる。
心理的衝撃を与えると、それは更に容易なものとなる。
AP-1はしばらくの後、目を瞬いてから、俺を見てこう言った。
「了解、”AP-5”」
どうやら俺は、5人目の部隊員になったらしい。
そういえば普通のボノボも機動部隊員になろうとしていた事を思い出す。
あのボノボみたいに、俺はもうずっと前から”典型的な堕落した現実改変者”だったな。
ただ私利私欲のために、現実改変能力を使用している。
それこそ生まれ落ちた時から、今に至るまでを考えることが恐ろしくなるくらいに。
こうはなりたくないと思った者にばかりなっていくのが、嫌だ。
なりたいと思えた者にはもう絶対になりえないというのに、全て遠くに霞んでしまった。
怒りも、焦燥も、不安も、すべての感情が消え去ってしまえばどんなに軽くて楽だろう。
だが俺がこれからすべきことは、全ての人類の感情、思考、そのものを守る事に繋がる。
皮肉的な状況なのに、一切笑えなかった。
時計を見る。僅か3分の戦いだったが、定時報告の隙間を狙っていたからこれでいい。
隊長には高度なセキュリティクリアランスがあったから、特に入念に仕込む必要があった。
他の機動部隊員たちを新たな認識とともに起こして、俺は無事に施設へと紛れ込む事ができた。
余っていた行動食の酸っぱいチョコレートと苦いチリビーンズを何とか口に詰め込んでから、色々と辺り嗅ぎ回った。
この施設自体は、ウクライナ某所の地下にあった。
施設の外で地図を見たらそこは陸軍の基地があることになっていたが、実態は全く違っていたわけだ。
何回か見てきた財団の施設と規格は確かに似ているが、拭いきれない違和感を感じていた。
何となく、ここで働いている職員たちは後ろめたさを抱えているように思えた。
その理由を俺は文字の上では知っていたが、実際に見てしまえば嫌でも理解できた。
O5が使っていた侵襲的という言葉の、本当の意味を。
文字として赤子の手をひねると書けても、実際にその様子を見た時の気持ちに近い。
その所業は財団が犯してきた許されるべきではない罪の一つだろう。
母親に我が子を得体のしれない像に捧げさせて維持してきたのと同じく。
人類を救うため、人類が洞穴の暗闇の中で怯えないようにするための行為でもある。
全てはプロメテウスが与えてくれた火を絶やさないための、実験ではあったものの。
これは逆に、その火を消すことになる可能性が大きかった。
だから俺自身の目的のためにも、レテ・プロジェクトを破壊するためにここにいる。
それから俺が施設の中で集めた協力者は思いの外、多かった。
この協力者というのは、実験に協力していた中で自分を殺しきれなかった人々だった。
ただ俺は、認識の改変によって彼らが自らの心のなかにあった”何か”に正直になるきっかけを作っただけに過ぎない。本当にそれだけだ。
不死身の爬虫類に子供を食わせるのも人なら、怪物の心臓に祈りを込めた銀の弾丸を打ち込むのもまた人間だ。
知っていたつもりだったが、それでも財団職員には色々な人がいた。
胃薬を常に飲んでる人が居た、円形脱毛症を幾つも患いながら研究に没頭する人が居た、食堂でとても食べ切れない量の飯を食べてる人が居た、四六時中タバコを吸っていないとやってけない人が居た、並べた椅子を蹴り倒して心の安定を保ってる人が居た。
全員、人間だった。
そして俺は彼らの協力がないと、彼女を救えなかった。
「陳情いたします、このレテ・プロジェクトが進行していけば、3年以内に人類はレテ(忘却)ではなくアテ(破滅)を娶る事になるでしょう、恐らく既に幾つかの警告や懸念があったのではないでしょうか? もう一度、検討なさってください、SCP-2000すら太刀打ちできないKクラスになる事は誰も望んでいないと私は考えています、そしてここで、たった一人きりの”人間”に頼り切る事柄の不安定さを実証いたします、どうか勇気ある決断を、赤い右手を派遣なさる前に、どうか」
自分で言っていて、とんでもないガバガバ理論だと衝動的に自殺したくなった。
罪悪感、羞恥心、滅茶苦茶な感情によって背中どころか内臓にまで怖気が走り、痒くなる様な犯行声明文を録画したデータを、その場にあったPCに記録しておく。
財団でもWindowsが使われていて助かった、独自規格だったら誰かを捕まえて直々のメッセンジャーにするか、メモを残す必要があった。
全てが終わった後に、人類が存続できるかはわからなかった。
究極的に言えば、最後に彼女が財団を許すか、許さないか。
それだけだった。
俺は公園にいた、辺りを見回す。
こりゃ懐かしい。前世で、子供の頃からよく遊んでいた公園だ。
中学の頃には撤去されてしまった子供に遠心の力を身を持って教える回転遊具。
よく座っていた塗装の禿げたバイクとキリンを模したバネ付き遊具。
限界まで高く漕いで、死ぬほどぶっ飛んで砂利で血まみれになったブランコ。
シーソーに、滑り台に、小さな砂場、全てあの頃のままだ。
一つだけ違うとすれば、今じゃ珍しい手すりのないベンチに誰かが座っていることだった。
開頭手術のために剃られていたはずの金髪を太陽光に輝かせ、点滴によってやせ細っていたはずの手は健康的な太さを取り戻している。
間違いない、彼女だ。
「コンニチハ、ちょっとめずらしい公園ねー」
「こんにちは、俺の……故郷の公園なんだ、すごく懐かしいよ」
「オレ、なんてつかうんだ、せめこんでくるだけあって変なの」
挨拶をしながら、疑問有りげな彼女の横に俺は腰を下ろした。
春の日差しが温めたベンチが、ゆったりと吹く風が、心地いい。
久しく感じたことのない、心まで落ち着く空間だった。
「さいきんね、気分がいいの」
「そりゃあ良かった」
今までと比べれば、痛くはないだろうな。
そんな彼女の心境も反映しているのかもしれない。
そこでしばらく会話が途切れたけれど、居心地の悪いものじゃない。
彼女はいつの間にか持っていた本を読んでいる。
タイトルをチラ見すると、カート・ヴォネガットの『猫のゆりかご』だった。
大昔に、俺はそれを読んでいた。
確かその作品で人類の大半は滅んでいたなと少しだけ思い出す。
それを望むなら仕方ない、そういうものだ。
彼女が口を開くのを、ただ流れに任せて待つ。
本来なら彼女の時間は、どれだけあってもいいはずだったから。
「……なんだか色いろあって、おこるのにも、つかれちゃった」
「……」
「あの人たち苦しんでた、何でだろうね、あんなに私の体を切ったくせに」
「君の怒りはもっともだと思うよ」
「ええ、でも、少しだけスッとしたの、あいつらも人なみに泣くんだって」
彼女はいつの間にか『猫のゆりかご』を閉じ、目元を拭っていた。
「なんであんな奴らのこと助けるの? 助けてくれたから感謝はしてるけど、さ」
「それは……何でだろう……」
尤もな疑問だな、彼女からしたら。
俺は少し考えてから答えた。
「何だかんだで、人を守ってくれてるから」
「何だかんだ」
呆気にとられたような顔、でもそういうものじゃないかなと見ていて思った。
「うん、何だかんだ、血反吐を吐いて涙を飲んでそれでも前に進んでるはずだから、そして人間だから、失敗する、間違える、正しくないことをする」
「……」
「正しくない俺が出来ることは、正しいと思えることを手助けするしかないんだ、例えば今回みたいに」
率直な気持だった、こんな所で嘘をついたって仕方がない。
「納得いかないところもあるけど……アイツらの泣きがお見たらスッとしたから、少しまってあげることにした」
「うん」
「それとね、お願いを聞いてほしいの」
「なんだい?」
彼女はこちらを向いて少し息を吸った後、俺にこう伝えてきた。
「やっと思い出せた私の本当の名前を、それを聞いてほしい」
「……聞かせてくれ」
もじもじとしていた手を、思い切ったように小説の上において彼女は口を開く。
「うん……あのね、私の……本当の名前は―――」
そこで俺は、2つの人生を通して初めて彼女の、リリーではない名前を聞いた。
俺は、それは素敵な名前だと思って言うと、彼女は素直に喜んでくれた。
それからは、信じられないくらいに穏やかに時が過ぎていった。
どれくらいの時間その公園のベンチで会話をしていたのか、わからないほどに。
久々に何も考えずに楽しめた、こんなに目的なく話すことが楽しいことだと忘れていた。
俺は、日本のTVにはその日のフランスパン濃度を示すメーターが付いてるだとか、実はバスケットボールがティム・ダンカンという選手を神にしないための儀式だとか与太話をして。
彼女は、アメリカに旅行した際に写真に撮ったタイムズスクエアが実際はどんなに煩くて華やかだったこととか、ロシアのモスクワの夜景が信じられないほどに美しかったけど帰りにぼったくりタクシーに遭遇したなんて本当に他愛のない話を、延々と喋った。
いつの間にか太陽は沈んで、夕暮れ時が迫っている。
そろそろ行かなきゃ、そう彼女は言った。俺も、戻るべきだと感じていた。
楽しい時間は常に終わるものだ。永久に続いてしまえばそれは地獄でしかない。
別れる時に、彼女と俺はサヨナラと言い合う。
俺は公園の出口で、彼女はベンチに座りながら、互いに手を振りあって。
それが、最期になった。
夢であって夢じゃなかったんだろうな。
まだ、俺は内容を鮮明に覚えているよ。
ベッドの横においた椅子で、俺は彼女を見送っている内に眠りに落ちていたようだった。
スタッフたちが慌ただしく入ってくる。
総じて使命感、義務感と安堵や悲しみが混じった表情をしている。
俺の現実改変能力は、決して万能じゃなかった。前にもそれで失敗している。
それに彼女を見つけた時、肉体も精神も、俺の力じゃ手の施しようが無いぐらいだった。
結局原因は、あまりにも彼女を粗末に扱ったことだったと思わせるほどに痛めつけられていた。
だから俺と協力者たちでいくら相談しても彼女に今してやれることは、出来る限り激痛を取り除いて、安らかに逝かせてやることだけだった。
心電図は、もうその役目を終えたとばかりに動きを見せていない。
職員たちはこれから俺の犯行声明文を、現実改変者に占拠、脅迫されていたという形で提出してくれるだろう。
通るかはわからないが職員たちは俺が彼女を安楽死させたと、そう証言してくれる手はずだった。
巻き込んでしまったことを申し訳なく思う。
それに施設内の実験に関するデータ“以外”は破棄してもらってもいる。
実験データを破棄してしまえば、ここまで彼女が苦しんだ理由がなくなってしまう。
財団は冷徹ではあるが、冷酷ではないはずだから。
それでいい、今はそれで。
「どうか安らかに……」
彼女の冷たくて細くなってしまった手を、両手で握る。
今は、彼女の冥福を祈る事ぐらいしか……。
ちっぽけで堕落した現実改変者の俺に、それ以外できることはなかった。
出典元、元ネタ
SCP財団日本支部 http://ja.scp-wiki.net/
作者MayD様 http://www.scp-wiki.net/scp-3002
>普通のボノボ 典型的な堕落した現実改変者
作者tokage-otoko様 http://scp-jp.wikidot.com/scp-019-jp
>不死身の爬虫類
作者Dr Gears様 Epic Phail Spy様 http://scp-jp.wikidot.com/scp-682
>怪物の心臓に祈りを込めた銀の弾丸を打ち込むのも
作者DrEverettMann様 http://www.scp-wiki.net/scp-1983
>四六時中タバコを吸っていないとやってけない人
作者ObserverSeptember様 http://www.scp-wiki.net/scp-3295
>SCP-2000
作者FortuneFavorsBold様 http://ja.scp-wiki.net/scp-2000
>赤い右手
http://scp-jp.wikidot.com/task-forces#alpha-1
>日本のTVにはその日のフランスパン濃度を示すメーターが付いてる
作者Mamekusa_T様 http://scp-jp.wikidot.com/scp-522-jp
>実はバスケットボールがティム・ダンカンという選手を神にしないための儀式
作者djkaktus様 http://www.scp-wiki.net/scp-2090
>母親に我が子を得体のしれない像に捧げさせて維持してきた
作者spikebrennan様 http://www.scp-wiki.net/scp-089
>並べた椅子を蹴り倒して心の安定を保ってる人が居た。
佐藤大輔著 レッドサン ブラッククロス 死戦の太平洋1
誤字脱字報告ありがとうございます。
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