「エージェントの████さんでいらっしゃいますか?」
天文台として偽装されたサイト92、そこの独立生育房に侵入した俺は、彼に声をかける。
そしてケージの中で項垂れたように座る彼が目を見開くのを待った。
視線を合わせるように、俺はゆっくりと動いた。どこか饐えた臭いが漂っている。
「自分の名前は重要じゃありませんので、トニーなんてどうでしょうか、そうお呼びください」
もし今の状況を傍から見た時、どう見えるんだろうなって思う。
ペットショップで、ケース越しに子猫に話しかける自分を想像できない。
けど、相当おかしい奴に見えるだろうな、正常ではないのは確かだけども。
普通の人には、今の俺がアライグマに話しかけているように見えるから。
ケージの中に狭苦しく収められていた彼は、驚きの目を俺に向けていた。
当然かもしれない、彼は認識阻害されている人間だからだ。
正確にはアライグマとして認識される人間だったが、財団は騙されていた。
彼がどうしてこうなったかは知らない、わからない、“書いていない”。
でも財団は、彼を行方不明エージェントのDNAを持ったアライグマとして収容している。
愛すべきしまい屋は、アライグマなのだからアライグマ基準としての房と食事に抗うつ剤も与えている。
それではいけなかった、だって目の前にいるのはどう考えても人間だからだ。
彼は栄養失調とこの狭い房に恐ろしく長い間、閉じ込められていた。
「なぜ俺がわかったんだ……それともこりゃ……幻覚か?」
「幻覚じゃありませんよ、自分はここに居ます、現状は貴方のことを人間だと思って接しています」
「クソ……なんなんだ……こりゃ都合のいい、そんなことあるかよ……」
あまりにもこの生活が長過ぎたからか両手で顔を覆い、俺を否定している。
欠けている左手の指が目に入った。
俺は黙ってショルダーパックに入っている物品を出していった。
大戦期のドイツのある場所に収容されていた不憫な人たちの話や、鳥取の飢え殺しの話を俺は知っている。
飢えている人にいきなり大量の食べ物を与えると、体内の代謝機能によって死に至ってしまうという事を。
だからこの人にステーキやら山盛りのオートミールやら何やらをいきなりお出しするのは危険だと思い、軽い行動食とミネラルウォーターなどを持ってきていた。
その中からヴィタミンとデカデカ書かれたチョコバーを選んで、包装を破いて彼に差し出し懇願する。
「繰り返します幻覚じゃありません、これを……実体があるでしょう? 信じてください」
彼はそれを引ったくるように奪うと、齧りついていた。
普通ならこんな相手に差し出される食品には手を出さない人だろうが、状況が状況だ。
限界まで肉や筋肉というものが削られている体が本当に痛々しかった。
ミネラルウォーターも渡し、彼がそれをゆっくりと飲み終えるまで俺は待った。
「トニー……わかった、幻覚じゃないと信じるが、財団職員ってわけじゃなさそうだな」
そのゲッソリとした顔の中でギラつく目が俺を見て、そう言った。
「はい、違います……自分は現実改変者です、そして財団と敵対的な要注意団体に属しているわけでもありません、ここに来た目的は貴方の収容状況の改善です」
「……何だって?」
具体的な用語を出すと今までの病的だった瞳が輝きを取り戻し始めているような気がした。
脳みそに今摂取したばかりの栄養素を回してるんじゃないかと不安になるが、今までと比べれば遥かに健康的かもしれない。
とりあえず飲み込めたようだったが、エージェント氏にストレスを掛けてるんじゃないかと少し失敗した気がした。
自分の正直な状態や弱みを曝すというのはコミュニケーションを取る上で大切だとは、どこかで知っていたが……。
「そのままの意味です、自分はあなたが人間らしく扱われるように財団に強要するつもりです、その認識阻害がなくなるまで」
「予想はついていた、不可解な事柄にもそれなら説明がつく、だがなおさら解せない、理由は何だ、ビクスビーの気まぐれなのか?」
「その理由こそ……信じてもらえないと思います、ただ貴方の状況は改善されるべきですし、貴方は報われるべきだ……」
「……どちらにせよ、俺が今喚いたところじゃあどうしようもないってことか?」
「そうなります、ただ、信じていただきたいのは……悪意や害意はありません」
本当の目的が、浅ましい自己の願望ということだけは口にしないでおく。
このまま吐露した所でどうしようもならない。
今回の訪問は結局の所、彼の状態の確認と食料品の支給、そしてある事が目的だった。
目的は達成された、帰るべきだろう。
立ち上がる、頭の真ん中と目の奥が酷く痛んだ、酷使しすぎている。
彼の姿がぼやけたような気がするのも気の所為ではない。
そう思い、立ち上がった時だった。
唸るような、絞り出すような声が聞こえた。
「トニー……ああ、チクショウ、一つ頼みがあるんだ、聞いてくれ」
「何でしょうか」
振り向いた俺は再び彼の前に行き、目線を合わせる。
痛みがひたすらに邪魔だった、俺は彼の話を聞かなきゃいけないのに。
自らの願望に巻き込むんだ、聞かなければそれはフェアじゃない。
「俺の……俺の妻に……手紙を出したいんだ……」
それを聞いて俺は固まってしまった。けどわかっていたはずだ。
収容違反まで起こして、彼が記事の中で何をしていたかを。
家族に電話を掛けても彼の声はアライグマの鳴き声になってしまう事を知っている。
彼自身が手紙を書いてもそうだ。
恐らく手の器用な獣がただペンでいたずら書きしたように見えるだろう。
半分想像だが、状況的に彼が試していないはずがない。
俺だってそうする。なら彼も当然それを試して、それに失敗しているはずだった。
「い……いいんですか、俺は得体のしれない現実改変者ですよ……?」
反射的に言葉が口から出る。それは的を射ているはずだ。
「トニー、もう理屈じゃないんだ!俺の愛すべき彼女がもう生きてるのか!死んでるかすら、俺にはわからないんだ! それにトニー、俺はもうお前を信じるしかないんだよ……頼む……頼む……! 忘れられたくないんだ!!」
初めて、彼を知った時。その画像を見て俺は驚いた。
彼が六年間も収容されているという事実の残酷さにゾッとしたんだ。
誰にも見てもらえず、家族とも連絡を取れずに、地獄のような環境でずっと生きている事に。
この状態になった彼を動かしていたのは理屈じゃなく、ひとえに家族への想いだったのか。
なんて、強い“人”だろうか。
これに応えなければ、そうしないと俺は自分がもっと許せなくなりそうだった。
「……わかりました」
「ありがとう」
承諾し、常に携帯している綺麗な学生手帳とペンを取り出す。
俺が彼の言葉を聞いて、書き写す作業が始まった。
都度、酷い頭痛と耳鳴りに悩まされながらもその作業は1時間ほどで終わる。
後は彼に伝えられた通りの家に、それを投函するだけだ。
「トニー、行くのか」
明け方、少しスレた彼の声に俺は頷く。
用事も果たさなければいけなかった、時間的にもうギリギリだった。
「今はあるかはわからないが……いや、多分絶対にある……トニー、家の近くにダイナーレストランがあるんだ、すぐ近くなんだ、そこのチーズサンドイッチは絶品なんだ、食べてくれ故郷の味を……碌な報酬がなくて悪いな……」
「いえ、その情報だけで十分です……いってきます」
「ああ、頼んだ」
それが、別れだった。
俺はその後、同サイト内に収容されていたある金属を回収し、目的地へと向かうことになった。
地図やら何やらを使って慎重に、土地勘がなかったからそれは少しだけ難航したが彼の苦労に比べれば大したものじゃない。
そして件の家を見つけて、そこにいる人の名前と未亡人が住んでいるという情報を得て、やっと確信に至る。
一刻も早くその手紙を、彼女が絶対に読めるように家にいる間を見計らって夜闇に紛れて忍び込み、テーブルの上に置いた。
アメリカの住宅は外にポストがあるので、朝まで待つような余計な時間を取らせたくなかった。
少しして、家の中からすすり泣きの声が聞こえてくる。
俺は外でそれを聞きながら、彼がいまだ想われている事に胸をなでおろした。
あの家のテーブルには、埃のかぶってない写真立てが置かれていた。
彼の写真がそこに収まっていたのを俺は見かけている
互いが未だに想い続けていた。
どうか記憶処理に消されないようにそれを祈って、家を離れる。
近くのダイナーというのは、それからすぐに見つかった。
そこは古びていて、この時間ということもあって客もまばらではあったけど。
なるほど、6年以上収容されてても無くなってないと言える味だった。
本当に、これは十分に報酬になりえると思った。
そんなことを考えてチーズサンドにぱくついてる俺に、オーナーがなにかいいことでもあったのかい?と聞いてくる。
俺は、両思いのカップルが今夜結ばれたのを見たと正直に言った。
そりゃあよかったな、オーナーはこの店と同じ様な古さを滲み出させる笑みを浮かべて言った。
出典元、元ネタ
SCP財団日本支部 http://ja.scp-wiki.net/
作者Vorcha様 http://scp-jp.wikidot.com/scp-1152
>トニー
作者Dave Rapp様 http://www.scp-wiki.net/scp-990
>金属
作者Lt Masipag(原著), Communism will win(改稿)様 http://scp-jp.wikidot.com/scp-148
>少し遠い所で、待ってるよ
佐藤大輔著 レッドサンブラッククロス 少し遠い場所
誤字脱字報告ありがとうございます。
今日28日22時更新確定
次回予告→血の嵐