泡混じりで粘着質な海の波が、絶え間なく甲板を洗い流していた。
SCPSに属する戦闘艦艇の中でも大柄なこの艦でさえ、波に揉まれ上下に大きく揺れる。
位置でいうならば常にビルの1階から2階の高さを反復しているような感覚だった。
もし放り出されてしまえば、機動部隊員だろうとエージェントだろうと死ぬ様な容赦のない海。
まぁタウ-5やオメガ-12の人々なら、どうとでもなりそうではあったけれども。
自分だったら、とても飛び込んで無事に済むとは思えなかった。
それぐらいに天候は狂い始めている。
”アレ”の影響であることは、もはや明白だった。
この先の曇天の中に、アレが潜んでいるのだと確信を深める。
全く船酔いをしなくて幸いだ。俺は今回目標を何としてでも捉え続けなければいけないのだから、吐きまくってたら何もできやしないだろう。
いや吐きながらでも、やり遂げるつもりではあったけれども。
艦橋で、打ち付ける風や波の音に負けないように声を出す。
「甲板上へ出ます、ここまでありがとうございました」
俺は甲板や構造物の上でなるべく視野を広くする必要があると思っていた。
戦闘情報センターに居ては、お座なりな支援しかできないだろうと考えてだった。
俺がヘマをすればするだけ脅威は増大し、この艦にいる人々は容赦もなく死ぬ。
もしかすれば本土に上陸し、町にいる無数の人々が喰われることになる。
それだけは、なんとしてでも避けなければならない。
この艦を繰る藤堂艦長が、他の乗組員らがこちらを見る中で言葉にされない疑問に対し、俺はゆっくりと頷いてみせた。集中した視線に答えるように告げる。
「奇跡論の応用により私自身の安全は確保されていますのでご心配は無用です、皆様の生存を、作戦の成功を、全力を尽くして願っております」
「……失礼した、ご武運を」
互いに敬礼をする。
俺の敬礼は、この潜入で見た物の猿真似もいいところだった。
だが藤堂艦長及び乗組員の方々の敬礼は、この嵐の中でも最小限かつ敬意に溢れるものだった。きっとこれが、彼らの海の男としての矜持なのだろう。
そんな人達を騙していることへの罪悪感と自己嫌悪が、心のなかで耐えきれないほど急速に膨れ上がったために足早に退出する。
俺がこの場で唯一人、なんのプロフェッショナルでも無いという事がひどく恥ずかしかった。
幾つもの気密隔壁を抜けていく。
対抗するために、この艦はそうやって改造されているのだ。
願わくばこれらが一切役に立たない事を、俺は心のなかで祈る。
戦闘の開始まで、時間はもう残り少なかった。
予定通りティフォンは遅れていたが、この艦は会合地点へと最大戦速で向かっていた。
きっと戦いの地へと、この艦は自分を連れて行ってくれるという確信がある。
この短い旅の中であの海の人々を、俺は信頼しきっていたから。
しばらく外で、色々なものに掴まりながら迫りくる空を睨み続けた。
時刻は、ついに1851を回った。
戦闘海域に突入して僅か数分で、周辺の状況はより悪化していた。
怒りを滲ませたかのような特大の落雷が辺りへと落ち続ける。
強烈な腐敗臭を放つ濃霧が、艦全体を包んだ。
射程を活かした特殊弾頭の艦対空ミサイルの連続発射が、戦闘開始の合図となった。
これからSCPS『あかしま』は実に40分もの間に渡って、特濃の霧と電波障害に曝され、血と肉を啜る嵐と孤軍の戦いを演じなければならない。
そして、その40分の間に『あかしま』は3桁に及ぶ人員と戦闘機能を失いながらも、収容に対して多大な貢献を見せることを、俺は知っている。
だからこそ、俺はそれを破壊する事にした。
雄々しき戦いの物語を、あまりにも馬鹿馬鹿しい腑抜けた勝利へと変貌させるために。
濃霧が体中を蝕んでいく、既に鼻は潰れていた。
腹腔も眼孔も外耳道も肺も腸も食い荒らされる。
体中が喰われる感触を味わいながら、残った歯を食いしばる。
全身から出血している、振り落とされないように艦の外壁に張り付く。
痛い。痛い。痛い。だけど耐えられる。辺りを見回し、再び感覚を取り戻す。
再生する感覚全てで、この艦へ侵入しようとする物を拒むべく抵抗を続ける。
この艦の戦闘機能を保持し続けられるようにも、邪魔する全てを俺は否定しよう。
けれど何もかもが痛い。脳が、沸騰するような熱を湛えている。熱く、痛く、体は重い。
だが、たった40分、いやあと39分耐えきれればそれでいい。
いいデコイのはずだ。
これで少しでも、艦への集中を減らすことが出来るはずだった。
俺が頑張ればそれだけ犠牲が減るんだ。
今ここで少しだけ耐えればいい。
どうか貴方達の奮闘と献身を、汚すことをお許しください。
その言葉だけ思い浮かべながら、真っ赤になる視界を必死で保ち続ける。
ティフォンが、到着するまででいい。それまで持ってくれればいい。
痛みが途切れるその時まで。
残り、38分。
職員コード
パスワード
ログアウト
…
……
………
収容記録058抜粋
………
……
…
[貴方がアクセスを試みているファイルはレベル4/058-JPクリアランスを持つ人員にのみアクセスが許可されています。]
…
…
…
[資格情報を承認]
…
……
………
インタビュー対象:藤堂章氏
付記:藤堂氏は収容作戦058-43-0002時、SCPSあかしまの艦長を務めていました。
- インタビュー記録を閉じる
「はい、当時、我々はPOIを正しく認識できていませんでした」
「クラスⅢ認知強化措置が施されている私であってもです」
「PoIは艦内が汚染された際の対処者、奇跡論スペシャリストという認識でした」
「経緯は提出した報告書の通りとなります、PoIは明らかにSCP-058-JPの艦への侵入を防いで乗員を保護し、収容に対しても協力していました」
「診断の上で、私の認識と現実で起きた事象に相違はないと思われます」
「それがあの不可解すぎる作戦結果に繋がっていると私は考えております」
「その上で……[十秒間沈黙の後]航海中、彼と会話を交わした事すらあります」
「これは主観的な意見になりますが、今思えば、あの時、私の目の前に居たのはただの、どこにでもいそうな子供でした」
「不幸なことに異常な力を持ってしまった、ただの子供が……(中略)」
…
……
………
PoI-████β班 菅沼上席研究員の報告書より抜粋
出典元、元ネタ
SCP財団日本支部 http://ja.scp-wiki.net/
作者Ikr_4185様 http://scp-jp.wikidot.com/scp-058-jp
>タウ-5やオメガ-12の人々なら http://ja.scp-wiki.net/task-forces
>だからいつも血を流す
佐藤大輔著 レッドサンブラッククロス ペリカンはいつも血を流す
誤字脱字報告感謝
2021/09/30 2130までには もう少し時間を