彼らは普段の相手と比べれば、どこまでも普通で正常だった。
エージェントでも怪物でもない、あるいは何らかの強力な力をもつ者ですらない。
どこにでもいそうな一般人であったのに、俺はどうしても彼らのことがわからなかった。
考えようとしても吐きそうになってやめた、出てくるのは食道を焼く痛みぐらいしかない。
相手のように殴ったり蹴ったりなどの直接的な暴行は行わないようにはした。
目を見て一つの言葉を交わすだけで何事もなく制圧できるから、する必要もない。
少しの間、動作不能にさせるために体と精神をかき回して、四人を床に転がす。
行動を操ったりしなくていいから負担は少なく済んで幸いだった。
携帯端末と個人情報を控えるために財布もこれ見よがしに奪う。
強盗の犯行に見せかける案も頭の中で考え始める。すっかりこういった事が板についた。
パラパラと学生証や免許証を流し見る、やはり何処にでもいそうな普通の人だ。
普通の……。
携帯内の動画には子猫や子犬、ネズミ、ハムスターまで含まれていた。
どういった趣旨の動画かは一本目からわかった。
撮影されている対象たちの結末はわかりきっている。
手頃なスマホを一つ残して全て壊して、使えないようにした。
カメラのレンズが砕けて、床に散らばって不釣り合いに綺麗だった。
少なくとも、この工業製品たちはもう片棒を担がなくて済むだろうから。
「殺さないで「犬 あ 「ああ「あああ」駆害」あああ」ああ」
それぞれに意味不明な言葉を垂れ流しているのを、その場に佇んで黙って聞くしかない。
黙らせようかと思ったがそんな余裕もない。我慢すれば済むことだった。
自分の中にある負の感情を鎮めるため目を瞑って、どうするか考えるためにも。
ガレージの中の空気は淀んで、胸が悪くなるような臭いを所々から感じては慣れていく。
酸化した血液の茶色がこびり付いた工具や薄汚れたブルーシートが丸めて転がってる。
生き物の爪や骨の一部、何に使うかわからない電子レンジが錆びて放置されていた。
以前襲撃したカオスインサージェンシー残党の研究所を不意に思い出す。
あそこも程度はどうであれ、こういう場所だった。
何らかの生物を痛めつけるためだけの空間の、その名残。
「……」
名前のない激情に呑まれそうになるのを抑えて、代わりにゆっくりと息を吐く。
たまにこういう事が起きる。
間に合わなかった自分に対する情けなさで、消えてしまいたかった。
どうすればよかったのか考えても仕方がないとわかっているのに。
五対の瞳がこちらを見る、恐怖からギョロギョロと動いて、しきりに助けを求めて。
このまま財団に通報しても、こいつらはきっと繰り返すだろう。
何時ぞや財団が調べた殺人鬼のように記憶処理の結果、野放しになるかもしれない。
誰かがこれらの行為を止める必要があると考えた、誰かが止めなければ。
そうやって目の前の彼らをどうするか考え続ける。
でもそこから動けなくなってしまった、鳴き声が聞こえたからだ。
それは吠えるのではなく、のどをわずかにふるわせるような微かなもので。
「ああ……」
我に返る、とはこの事だろう。
俺は自分の事を、まるで何か別の存在として捉えていたみたいだった。
何処か別の場所から見つめられている気がする。
途端に居心地が悪くなったように感じて、先程の考えを振り払うために首を振った。
自分に対しての嫌悪感がじわじわと足元から登ってくるようで、そのまま倒れてしまいそうだ。
俺は、そんなに潔癖だったか?
私欲によって殺人を犯した奴が、こいつらに対して何か投げられる言葉があるのだろうか。
自分を棚に上げた愚かな感傷で、また私刑をしようと考えるだなんて。
結局は同じ様な存在だ、己の意志で他者を弄ぶ存在が俺だ。
同族嫌悪、ぴったりな四文字が脳裏に浮かぶ。
ひたすらに自己批判の渦に飛び込みそうになるのをリセットしようと振り返った。
鳴き声の元、ゲージの中、鈍く光る双眸はこちらを恐々と伺っているように思える。
一歩近づくと彼は一歩下がった、もう二歩近づくとゲージの反対側が震えた。
「……何もしないよ」
自嘲を込めて、言い聞かせるように呟いた。
ゲージの鍵を破壊して、扉を開放する。
警戒を薄れさせるために膝をつく、強ばる表情筋を解してゆっくりと笑顔を浮かべるように努める。
目線を合わせないようにすると良いと聞いたことがある気がする。
実体に対してその理屈は通用するかわからないが。
「言葉はわかるか、俺は君をこれから安全なところに連れていく」
その姿は自分が知っているものより、かなりマシで安心する。
転がした四人には今後似た事をすれば、両手両足の指の爪が寄生虫となって激痛と同時に引きちぎられるだろうという妄想をねじ込んで、その場を後にした。
操作に慣れないスマホからだったが、ある企業の番号に電話を掛けることが出来た。
企業の名はスイートピー・コンフィデンシャル・プロダクト、S・C・P。
自動音声は滑らかに流れてくる、業務内容のはっきりしない会社だった。
『大変申し訳ございませんが、当社の営業時間は──』
昼近いというのに営業時間は終了しているという旨を伝えられるが、構わず特定の数列を入力する。幾つかの電子音がすると、そこから息をひそめるように何も聞こえなくなった。
成功だ、これで財団の近隣サイトへの通報が行われ、音声の録音が始まっている。
これは以前関わったフィールドエージェントから聞かせてもらった方法だった。
日本支部への連絡コード、あの人たちには業務上、迅速な情報の伝達は必須だ。
当人には申し訳ないが数発も発砲されているから、お釣りが出るくらいだろう。
今回はそのために連絡手段の一つを間借りさせてもらうことになる。
それにしても直球なフロント企業だなと思う。きっとこれで十分なのだろう。
昔インターネットでSCPについて調べたとき、この企業のHPが検索欄に出てきた気がする。今思えば俺は間抜けだったな。転生という時点で俺は魂からつま先に至る全身まで、異常の沼へとすでに取り込まれていた事に気づいていなかったのだから。
「狼に似た異常存在がいます、必ず無言で確保してください、詳しくは送り付けたメモに書いてあります……対象は負傷により衰弱しているので適切かつ慎重な保護を、お願い致します」
場所、どの様な存在か、状態を一息に言った後、正規手順を踏まずそのまま電話を切った。
そしてスマホを軽く分解して、ペットショップの袋に入れてまとめて近くに置く。
逆探されたほうが都合が良かったかもしれないが、急いで離れねばならなかった。
ゴミの回収もやってくれるだろうか、申し訳ないが今の俺は荷物をあまり持てない。
ホームレスだから……笑えないな、家は自分から燃やしたんだった、色々失礼だ。
近くのケージの存在へと視線を落とし、話しかける。
「多分、近い内に君を保護しにたくさん人が来るだろうけど、危害は加えないはずだよ」
言い聞かせるように伝えた。
よっぽど頭のおかしいやつがきたりしても、俺がマークされている限りは大丈夫なはずだ。
彼に危害を加えて、死人が出てしまうことは何とか防がれるだろうと想定をしている。
彼を見る。首輪をつけるのを嫌がったが、何とかまた檻に入ってもらっていた。
傷も痛むだろうし、しばらくは大人しくしてもらったほうがいいだろうという判断だ。
ペットショップで買った犬用ジャーキーとほねっこを置いておく。
消化に優しい水溶きドッグフードなどを用意したほうが良かったかもしれないと悔やむが仕方ない。
「好きに食べていいから、ほら」
毒がないということを教えるために適当なジャーキーをちぎって食べてみせ、静かに置く。
久々に何かを食べた気がする。味は粗雑な肉といった感じで、非常に塩っ気が薄い。
そういえば前世で何度もテレビで流れていたアニメ映画でこんなのがあったような、なかったような。
どれぐらい見てないんだろうなああいった映画を……最近思い出すのはずっと昔のことばかりだ。
家族との特筆することのない普通の生活、趣味の読書にサイトの閲覧、学友たちとのどうでもいいダベリ、夕暮れ時に自転車に乗って山を越えて、夜の海を見に行っては泳いだ夏。
でも次第にそれも薄れてきているのも、また同時に感じていた。
飼っていたはずの犬の名前、家族でよく買いに行っていたピザの味、何度も何度も行った学校の校舎はどうしてもおもいだせない、それに母さんはどんな声をしていたっけ。
思い出すたび、こう考える。
なんで、今の自分はこんなところにいるのだろうって。
いまだ治らない傷の薄い瘡蓋を剥がすように、何かが痛みを伴って胸中から迫ってくるのを感じ、恐怖で静かに震えた、こんなことは初めてだった。自分自身の手が勝手に動くように思えて、不安のせいで自分の両腕を互いにキツく抱きしめたとき、その考えは急に浮上してきた。俺の手は――。
『こんなに……細かっただろうか?』
“誰かが”
聞いたこともない声でそう言うのが、耳の直ぐ側から聞こえた。
瞬間、いつも以上にキツい痛みが全身の神経を責め立てる。歯を食いしばって耐えようとして鈍い音が頭蓋骨に響いた。折れたのだろう。思わず腕を掻きむしった爪が、新しく熱さを生んで余計に混乱しそうになった。吐き気がする。
「うぇ……」
駄目だ。これで叫んでしまえば、せっかく落ち着いた彼に余計な刺激を与えてしまう。
なるべく離れる必要があるのに立てない、膝に力が入らずに何とか腕だけで体を持ち上げた。
廃屋の床で這いつくばって移動する、汗が背中を濡らして体温を容赦なく奪う。
バカみたいな踊りをしている気分だった、体中がよくわからない埃や塵で汚れていく、痛みは脳から腹の奥まで体の芯を貫くように強烈で頻発する。
気を失えばどうなってしまうのかわからない、ここで財団に捕捉、そうなれば、俺はきっと半永久に――。
その時だ、顔に柔らかな何かが当たるのを感じ、そのまま突っ込んでいた。
それは暖かな毛布のようで、鼓動しながら俺を受け止めている。
短い吐息が聞こえ、黒い瞳が俺を見て、濡れた鼻先が頬に当たってひんやりしている。
檻から出てきた彼がいつの間にか側にいたのだった、その腹に俺は顔を埋めていた。
閉塞感を感じさせないために鍵をしていなかったから抜け出してきたのだろう。
何かを言いたいのか鼻を鳴らして、更に袋の中から出した小さな錠剤を押し付けられる、
「あ……」
言ってはいけない事を言いそうになって、何とか飲み込んだ。
パニックは収まって、痛みが消えたように引いていく。
俺に必要なのは落ち着くための時間だったのか――。
汚れた顔を拭うと、彼は戸惑ったような顔を見せていたが俺はごめんと言うしかなかった。
酷く申し訳ないことをしているという気持ちになったが、これを受け取る資格が俺にない。
ただここで待っていてね、とそう告げることしかできなかった。
きっと財団だからそろそろ来るだろう、もう時間がない。
ごめんと口では言いながら心のなかでは感謝の言葉を忘れてはいけない気がする。
廃屋の扉から出るときに後ろから鳴き声が聞こえたが、振り返らずに走っていく。
近くの山を抜けていこう、海を越えて次へ、もっと遠くへいくんだ。
俺は、まだここに存在しているのだから。
出典元
SCP財団日本支部
http://ja.scp-wiki.net/
>彼
SCP-1955-JP
作者rkondo_001様
http://scp-jp.wikidot.com/scp-1955-jp
>爪
SCP-313-JP
作者 home-watch様
http://scp-jp.wikidot.com/scp-313-jp
>ローン・グリーン・ランナウェイ
ツインスター・サイクロン・ランナウェイ
誤字報告感謝
7月26日20時30分更新