アメリカ合衆国オハイオ州コロンバスにある一軒家。
広い居間、テレビの前に置かれたソファーに座る二人の夫婦。
心配からか互いに手を握り合っている。
その向かいに座った誰かが、静かに、そして一方的に語りかけていた。
「ご両親にお話しておきたいのは、この力はまったく不要であることです」
夫婦はその誰かの素性なんて知らなかったけれども、話だけを聞いていた。
それが心に刻まれる事なんて知らずに、しかし言葉を聞き逃さないように。
大切な一人息子との生活が掛かっていると、そう本気で信じていた。
それに言葉に含まれる感情が、どうしようもないモノがあるように思えてならなかったからだ。
「現実を容易く捻じ曲げる力は普通の生活には不要で、5歳のクーパーくんには……不自由を我慢してもらうことになるでしょうけれど」
「ですがご心配なさらないでください、ただ彼はこの力のことを永く忘れるだけです」
「忘れるだけで、いいんです」
「それだけでご両親はクーパーくんと幸せに暮らせるはずです……お邪魔しました」
その言葉を最後に、一人の少年がふらつきながら家から出ていく。
時期でもないのに首筋を、痛みからくる汗が濡らしていた。最近は特にひどい。
主が静かに眠っているだろう子供部屋を見上げながら、自分に対しての溜息をついて、汗を拭う。
彼にだけ、帰る家はどこにもない。
「すいませんね、エヴァレットさん、ここまで付き合わせてしまって」
「今更どうしたんですか、これからが本番なんでしょ?」
異質な光景だった。
二人の視線の先で、対象はくたびれた男子学生服を着ていた。
狭くも広くも見える曖昧にされた空間の中央。
そこに穿たれた点のように、ただ一つ用意された椅子に座り、静かに目を閉じている。
実体を保っていながら、眠っているかのように穏やかだった。
日本支部が拠出できる最大限、36基のスクラントン現実錨と1基のシャンク/アナスタサコス恒常時間溝による結界の中に封じられているにも関わらずに。
本来であれば、コレほどの財団資源を投入できる状態ではなかった。
たった一人のPoIを収容するための
その計画者である菅沼自身がそう思っていた。
これらは対象が生んだ財団の余力のために存在する。
如何に多数の異常存在が無力化され、あるいは効率的に収容されてきたか。
その総てがこの場へと収束していた、あまりにも皮肉的な光景であった。
まるで自身の首を締め上げる死刑囚のようで。
不吉なイメージが彼女の頭を過った。
同時に取り返しのつかないことをしているとも彼女は思っている。
だからこそ自らの責任を果たすべく、対象の言葉が届いてしまう範囲へと向かい始めた。
最低限の人員しか残されていない場、
「もしかしたら最後かもしれませんし言っときますが、貴方と仕事が出来て光栄でした」
軽く頷き返す。エヴァレットの言葉が背中を押す。
正式にGOCからの出向員となった彼女にはよく助けられた。
幾分か迷惑を押し付けたこともあったが、GOCとの板挟みになりながらもよく働いてくれていた。
「こちらこそ」
そう言い残して、何時ものように白衣を纏って進む。
統合β班所属の保安要員も、容易に菅沼へと手出しできない位置にあった。
職員側でこういった事態が起こる事を、計画の段階から想定をさせていないからである。
機会は今ぐらいしかなかった、最初から仕込んでいたのだ。
幾つもの扉をくぐり抜ける、階段を降り、その場へと向かう。
不思議と決心が揺らいでいない。
退路はロックした、しばらくは開かないだろう。
何かが起こってしまったとしても、対応できるような作りだ。
この後に何らかの処分が下るとしても、全く気にならなかった。
自罰的な行動を取るには理由がある、言い逃れできない理由が。
思い出すのは、いつかの日のことだった。
計画の着想はそこから生じていたからだ。
言葉を交わしたのは僅か十数分にも満たなかっただろう。
だとしても……。
もし自分が、彼であったら、到底許されないことを現段階でしてしまっている。
「ああ、こんばんは、スゴいお久しぶりですね、菅沼さん」
菅沼は息を呑んだ。
境界越しに──対象は菅沼の姿を認めて少しだけ目を丸くしながら──隣人へ向ける様な挨拶を伴って微笑んだ。
空気が揺らいでいるように見えた。自分が震えているのではないかと疑った。
そして対象の表情は全くの平常に戻り、自身が進む未来への諦めと気怠さを湛えた眼差しがこちらに向けられる。
近くに来ると目の隈が見て取れて、自身の行為が酷く恥ずべきものだという心理すら覚えた。
もはやこの時点では対象の精神操作の影響はないはずだったから。
きっと、それは己の心の問題だ。
「これは私が提案した作戦で、ここの職員たちは私の監督下にあり、総ての責任は私にあります」
「そうなんですね、なるほど……いや何もしませんよ、いつも通りですから」
「……」
命を落とす覚悟を持った言葉は、談笑と共に軽く受け流される。
悲しむべきことに、対話部門や異常存在交流課含む幾つもの承認と検証の元シミュレートされた結果は間違っていなかったということだ。
「貴方のことだ、多分俺なんてとっくに分析されつくしてるんでしょう? そして予測されているはずだ、流血沙汰は起こりませんし起こしません、だからこの作戦まで決行したし、私は大人しく終了される……かもしれませんね、ところで約束は守ってもらえるんですよね? それだけは教えて下さい」
彼女は眼の前にいる人間に見える者が、まだ成人にも満たない存在であるとどうしても認識できなかった。
互いの認識の差はマリアナ海溝以上に深く、そこを埋める言葉も時間も、この場には存在しない。
ただ事実だけが重たく横たわっている。
「最初から拘束していませんでした、全ては貴方にここに来てもらうための欺瞞作戦になります」
「ああ、それなら……良かった、一般人に記憶処理はそう何度も行うべきではないでしょうしね、そうでしょう?」
「……」
菅沼の提案した作戦計画は極めてシンプルなものだった。
人質を取ることである。
対象と、かつて交友があった同級生10名の身柄を拘束。
自身の身柄を引き渡さない限り処刑を行うという情報を財団の保有するあらゆる公式、非公式ルートからばら撒いていた。
投機性が高いというのは百も承知の上での作戦であった。
しかしそれ以外の手段は総て頓挫したか、余りにも悠長だったために潰えていた。
終末医療の段階に陥った患者の、その余命を無理矢理にでも伸ばすようなものだ。
正真正銘、これが財団が打てる最後の作戦になっていた。
倫理委員会からの出向者や幾人かは異議を申し立てたが議論と仮説を積み上げた末、取り下げさせた。
菅沼の胸の中にあったのは、あの日の出来事である。
自らの個室での邂逅、その時、PoIが取った行動を。
捜査の初期の段階ではまだ存在したPoIの交友関係やその振る舞いを菅沼は洗い出していた。
発想が思い浮かんだ時、自身の考えを恨んだがそれだけだった。
むしろ時間が経過するほどに、PoIの情報が集まるほどに。
この作戦を早期に決行すべきだと感じていた。
いずれ全てに取り返しがつかなくなってしまう前に。
作戦案が形となって提出された日。
まるでお膳立てが済んでいたように、O5及び要請を受けた日本支部理事会から全会一致の決行許可が降りた。
PoI自身に残されている時間は残り少なかった。人格モデルは危険な兆候を示していた。
アメリカで確認された幾つかの事件、その最初に消失した1家族の例がまさしくそれだった。
ニューメキシコ州のダーナムから発信された1件の電話音声。
音声の中での、対象の震えた声を思い出す。
「ああ、それにしても馬鹿みたいだ……俺が繋がりを、断ち切れなかったから……」
「それは」
初めて聞く感情的な言葉が、対象からこぼれ落ちていた。
瞳が感情の揺らぎを僅かに出している。
だが、その脆弱性を突いた者が掛けられる言葉がどこにもない。
「もう疲れました、笑えますよね」
「ここに来る前、安心してしまったんです、ああもう何もやらなくていいかなって、全部……全部駄目でしたから……」
彼はこの時、何とでも言えた。
本来持ち得ない知識から導き出される予感や、必然や、あるいはその末路を。
心の何処かに残されたものが、それを止めていた。
足音が響く。
現実との境界線、強力な装置によって見えない線によって分かたれた空間。
そのギリギリ前まで進んだ菅沼は、ただ一言。
ずっと思っていた言葉を、絞り出すように呟いた。
「████さん……今まで、お疲れ様でした」
誤字報告ありがとうございます
出典元
SCP財団日本支部
http://ja.scp-wiki.net/
>アメリカ合衆国オハイオ州コロンバスにある一軒家。
タイトル: SCP-3293 - お前は家に帰れない
原語版タイトル: SCP-3293 - You Can't Go Home
訳者: Fennecist
原語版作者: djkaktus, Joreth
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-3293
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-3293
作成年: 2019
原語版作成年: 2018
ライセンス: CC BY-SA 3.0
>ニューメキシコ州のダーナム
タイトル: SCP-6096 - 御客様
原語版タイトル: SCP-6096 - The Guest
訳者: C-Dives
原語版作者: Tanhony
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-6096
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-6096
作成年: 2021
原語版作成年: 2021
ライセンス: CC BY-SA 3.0