「せんせぇさぁ、今日は遅れるんだってー」
「えーせんせーが遅刻すんのー?」
「違うって昨日の事故で職員室ゴタゴタしてんの、集会あるかもって!」
そんなお喋りを廊下でしていた女子たちが、互いにめんどくさーと笑い合うのが聞こえる。
どことなくみんながソワソワしている感じがした。外敵の侵入で騒がしい蜂の巣みたいに。
何時もはそういったざわめきを姦しく思っていたけれども、自分の日常の一端が戻ってきたように思えて密かに、僅かに俺は安堵していた。
どうやらここも変わってないようだ、という安心感があった。
その気持をおくびにも出さないようにしながら、教室に入り、おはっすといつもと変わらない挨拶をして、友人たちとの会話の輪に加わる事ができた。
そこそこ仲のいい連中だったのでなんの気兼ねなく色々聞けたおかげか、昨日の状況が断片的にだが俺にもわかってきた。
もちろん、こちらも事故の話題で、現場から消えた生徒について盛り上がっている。
どうやら教室全体は朝からそれ一色なようだ。無理もないかもしれない。
みんな噂は大好きだし、俺も大好きだ、もちろん他人のに限られるけれども。
それが被害者行方不明、残された大量の血痕と若干怪しい方向に逸れていれば、美味しいスパイスになることは確かだ。
そりゃあ、ソソられる事だろう。自分のことじゃなけりゃ、さぞ楽しんでたに違いない。
消えた生徒はどうやらこの学校の生徒らしいと早いことにもう広まっていたようだ。
恐るべきかな高校生の噂ネットワーク。
もしこの世界に財団が居たらつくづく大変だろうなと思う。
ソレ専門の機動部隊やwebクローラーなどで片っ端から削除依頼とかしてるのだろうか。
別に収容も何もした覚えはないが、明らかに封じ込め失敗とでも言うべき事態だった。
教室の窓の外に広がる、青い、青い空を見て、どことなくアンニュイな気持ちになった。
それでも、こんなときだからこそ平然とすべきだと自分に言い聞かせた。
「やっぱ消えたのって、うちの生徒だったのか?」
何も知らないという態度と口調を演じながら、びっくりするほど白々しい言葉が口から出てきていた。
だが、それに隣席の佐藤圭が答えてくれる。
そうだ、確かにウチの生徒だったらしい、と。些か冷静に。
オカルトとかの話は特に興味をソソられないらしいが、話自体は聞いてはいたのだろう。
すでに生徒たちの間で面白半分に犯人探しならぬ被害者探しってのが始まってるとも教えてくれた。
何じゃそりゃあと笑いながら、俺は少しだけ冷や汗をかいたが杞憂に終わった。
こんな日に限って学年で欠席者が一人も居なかったそうなのだ。
これでは目星すら立たない。目立つような怪我をしているようなやつも居ない。
おまけにそんな捜索状態であるから被害者も、名乗るに名乗り出れないんじゃないかという話になったようだ。
今日の自分の判断に少しだけ感謝した。
大事を取って休もうかと思ってもいたが、こうして日常を取り戻すために登校している。
おかげで現代の学生魔女狩りの災禍から逃れることが出来たみたいだった。
ただ学校に来る途中でいきなり全身が崩壊したり、肉塊カルト由来の“にくにくしいもの”に突然なるのではないかと内心怯えたものだ。
外に出ない所を包丁でちょっと切ってみたりもしたが、無事に赤い血は流れ出てきていた。
あのときの安堵感ったらなかった、傍目から見れば危ないリストカッターだが。
傷もすぐ治るというわけでもなく、絆創膏の下では完全に塞がっているわけではないので異常な再生力をこの体が有しているってわけでもなさそうだ。
自分という意識が、すでに死亡した体を人形みたいに無理やり動かしているような状況でもないようだし。
ひとまず経過を見るついでに、この素晴らしき日常を謳歌すべきだろう。
自らの身体に関しては、そんな思考放棄にも似た結論に達したわけである。
途方も無いこと過ぎてさっぱり見当がつかなかっただけとも言う。
しかし現場は血だらけだとか、警察が一杯来てるだとか。
結構、情報が錯綜しているのは気がかりだった。
俺はあの場でかなり出血したらしいが、帰ってきた時、制服には血痕がなかったはずである。
ワイシャツは流石に替えているが、今着ている制服がその時のものだった。
不可解ではある、昨日の記憶の欠落や白昼夢のような出来事といい。
俺の中でそういった特徴に思い当たるものは、創作物の中にしかない。
自分はもしやタイプグリーンのような存在になってしまったのだろうか?とフィクションな事柄を大真面目に考えてみる。
あれは厳密に言えば自分の利益のために能力を行使してしまうような排撃対象?に対するオカ連側の現実改変者の呼称だったから違うかもしれない。
いやいや、この場合だと俺は自らの生死を捻じ曲げるために様々な事柄を改変したのだから十分グリーンたり得るなと思った。
不死性の獲得なんて最たるものだ、これが許容されたならば世の中で気軽にKクラスがまかり通ってしまう。
これは間違いなく収容対象だなと思った、フィクションである財団やオカ連がいないとしても政府の秘密組織なんかに見つかってしまったら実験対象にされてしまいそうだ。
相槌の笑いに本物の感情を織り交ぜつつ、そんなこと『普通に考えてありえない』だろうと自嘲した。
まあ俺は何らかのラッキーで助かったのだろう、もう転生までしてるのだ。
今更何がきたところで何ともない、ただこの生活が続いてくれるなら文句はない。
考えようだ、痛い思いをするのはあれだけでいいが。
強くてニューゲームみたいなものと捉えよう。失ったものは取り戻してやろう。
くだらないことを考えていると、話は結局巡り巡って被害者は誰だというところに戻ってきていた。
「でもよぉ、ウチの通学路なのは確かだよな」
「俺もあそこたまに通るけどなー見れなかったわー」
「オイオイオイ、惜しかったなオマエ」
アリバイを作ろうと口を挟んで話を合わせながらも、件の被害者は目の前にいるぞと先程の考えを台無しにするかのように暴露したくなった。
刹那的な衝動に身を任せる様に人生のスタンスを置いていたが、これはいけない。
そもそも昨日の事故だってそれの延長線の気がする、いつの間にか範囲がガバガバになっていたのは自戒しなければならないだろう。
もちろんこの欲求は口を噤むことで抗った、無用なリスクは避けるべきだとわかっている。
それにこれから何が起こるかもわからない、現状俺にできることは何もなくなっていた。
表面上は何とかなったとしてもどこかで何かが代償として奪われているんじゃないかと恐れてもいる。
都合のいい奇跡なんて存在するのだろうかと、今更ながら疑り深くなっていたわけだ。
もちろんそんな製造元もわからない、値札のついてない奇跡の末に俺は生かされているという現状を棚に上げていたのだが。
そろそろ話すこともなくなってきたという所で、教室のスピーカーからベルの音が流れる。
いつの間にか始業時間が迫っていたようだ、みんな喋りながらも席に戻っていく。
なんだかんだとお利口な高校なのである。
二度目の高校受験も頑張った甲斐はあったなぁと思う。
両親もよく応援してくれたし協力を惜しまなかった、本当にいい人たちだ。
幸いなことに偏差値は前より上な所なので少し大変だが、これからの人生のことを考えればペイできるだろう。
さてやはりというか、当然のごとくいつもより遅い時間に先生が教室に入ってきて、ソワソワした空気の中で例の話題に触れてくれた。
もちろん居ないと思うけれど~から始まり、事故にあった生徒はちゃんと教師に名乗り出て念の為、病院に行って治療を受けてください、その事は絶対秘密にします(要約)とのお達しであった。
今ん所、無傷だし何も起きていないので治療には行く理由がないなと即断する。
もしこれで何かバレてしまって捕まってからの生体解剖はゴメンである。
死ぬような目にあっても回復するとか治験には大助かりだろう。
自分が、かの完璧な被験体になるつもりは一切ない。
この事件が風化するまで俺はじっとしてればいいだろう。
恐らくこの判断がベストだ。
しばらくは窮屈な生活が続くかもしれないが構わない。
自分のこの素晴らしい人生を存続できるなら、多少の退屈、大変結構。
今のうちから大学のことを考えじっくりと勉強してみるのもいいかもしれない。
絶対に、前よりいい大学に入ってやる。
出来ないことはない。大学受験なら、前にもやったんだぞ。
キャンパスライフってやつへの憧れは未だ忘れてない。