意識が、覚醒する。
何か巨大な存在が波打つような、低い響きが鼓膜を震わせていた。
ただの空調の音ではない気がする。何らかの機械が複数動いているのかもしれない。
体を動かそうとするがその場から離れることができない、拘束されているのだろうか。
首を絞められてるわけでもないのに、酸素が薄いようでどこか息苦しさを覚える。
そこまで考えて、やっと自分は生きているんだと思った。
ボンヤリとしていた頭が、適当なことを考えられるくらいに意識を回復させていく。
俺は椅子に座っている事にも、テーブルの対面に誰かが居る事にも気付いた。
幾ばくか落ち着いて、視線を上げ相手を見る。
どこかで見慣れたオレンジ色の”つなぎ”を着た女性は当然のように座っている。
女は白人だった、無言でこちらに視線を向け続けている。
人形のようにも見えたが生きている、意思を感じさせる瞳だった。
その胸元にある紅い宝石のアクセサリーに記憶が揺り動かされる。
一方、女は俺を面白いものでも見るように上から下まで瞳で舐め回す。
蛇に睨まれた蛙みたいに黙って、俺はそれを受け止め続ける。
何らかのアクションを起こす気には、ならなかった。
そうして、どれぐらい経ったのだろう。
俺を十分に眺め終えたのか、やっと女は口を開いた。
「君が、そうなんだね」
甲高いが、どこか深みを感じさせる。
なぜだか、ちぐはぐさを感じさせる声だった。
その言葉に含まれている感情を俺は正確に読み取れなかった。
だから、自分も思い出したかのように声を出してしまう。
「……貴方は?」
けれども自分の喉からは掠れた声しか出てこない。
口の中は砂漠のように乾いていた。
自分の表情を強張らせる事しかできない。
女性の口から日本語が出てきたことに驚いていたが。
その驚きを遥かに凌駕するものが女の胸元に存在していたからだ。
具体的には、その胸元で紅く輝いている宝石に、視線が強烈に吸引された。
記憶が蘇ってくる、それは決して触れてはいけないはずの紅玉だった。
照明の光すら飲み込むような暗闇を湛えている。
見間違えでなければ、自分はその宝石に強く見覚えがある。
そしてこの世界でそれを身に着けている者は、一人しか存在しないはずだった。
「これも何かの記念だ、さっきから君が見つめているこのアクセサリーはどうかな?」
「……」
「きっと君に似合うと思うのだが?」
俺の視線を感じ取ったのだろう。
女はファスナーを下ろし胸元を大胆にはだけさせた。
そして白い乳房の間に挟まるように存在する赤い宝石を軽く手に取ってみせた。
そのわざとらしさすら感じる艶やかな仕草を、スルーした。
女性の正体に、おおよその見当をつけていたからだ。
実態を知れば、その行動がおちょくり以外の何物でもないと推測できていた。
ただ俺は若干の緊張を含めた声色で、遠慮しておきます博士、と言って首を横に振る。
今、自分の瞳は懐かしいものでも見たかの様な感情で揺れていただろうか。
ある意味、この言葉は確認の意味合いを含んでいる。
その言葉の真の意味を悟ってもらうには十分だったのだろうか。
向かい側に座る女の顔は不釣り合いともとれるぐらいの満面の笑みを浮かべる。
悩ましいとでも言うような吐息をもらし、宝石から手を離す。
ネックレスの部分がじゃらりと音を立てて、”彼”は胸元へと戻った。
「なるほどね、当然のように知っているわけだ、私についても」
「ええ……ええ、はい、よく、存じ上げております、猿の貴方だったら、自分はもっと早く気付いていたでしょう」
この世界の秘密を衝動的に何もかもをぶちまけたくなりながら、口を噤んだ。
ただの椅子であるべき存在や、緋色の文言や、1つの鍵の事は喋ってはならない。
俺は堪えて、分解しそうな精神を理性で必死に繋ぎ止めていた。
こんな所で会ってしまうなんて思っていなかった相手だったから。
いやこんな所でこそ、会ってしまう相手だろうが、と数瞬前の自分を罵倒する。
これならすべり台の先にある異空間に押し込まれる方がマシだったかもしれなかった。
少なくともあそこなら、実質的に一人になれる。
たとえ狂ったタイムスケールの中で、前任者の靴底を見ながらだとしても。
「私は、私の知らないような所で有名だったようだね?」
その言葉を聞いた時、大声を上げて笑い出しそうになってしまう。
有名? 有名だとも、あなたはとても人気だったんだ! 俺も、みんなも知ってたよ!
口からそんな叫びが響いてしまいそうだった。
だが、途端に脳みその間に氷でも突っ込まれたみたいに気持ちが冷めていく。
不自然な心の動きと共に、地の底から響く音がまた一段と甲高くなったように感じた。
機械の正体も何となく把握する。首を紐で軽く縛っているような息苦しさがあった。
それでも”彼”の質問に答えるために、俺は声を絞り出す。
落ち着くように、と自分に念じて。
「とても有名です、貴方のことは特によく知っていました"ジャック・ブライト博士"」
「結構なことだ、ハハ! 君は私の事を神として崇める信者だったのかね? それとも親衛隊か?」
「ある意味そうだったかもしれません……こんな形でお会いしてしまったことをとても残念に思うほどには」
そう答えた後、自分があまりにも惨めな存在のように思えて、視線を落とすしかなかった。
博士やその世界の全てを怪奇娯楽として愛せていた頃とは、あまりにも状況が違いすぎた。
異常存在はもはや創作でもなんでもない、現実の脅威として今も猛威を振るっている。
世界中のあちこちで途方も無い悲劇を振りまいて、犠牲になっていく人々がいた。
無制限に降りかかる理不尽に付き合わされて、何もわからずに死んでいくことがあっていいわけがない。
いつ訪れるかわからない世界の破滅が、今もどこかでくすぶっていた。
何もかも、全てが変わってしまっている。
無邪気に楽しめていた時期は過ぎ去っていた。ここに残っているのは惨めな存在だけだ。
俺はSCiPが、SCP全てが段々と嫌いになり始めていた、あんなに好きだったはずなのに。
信者から反転したアンチは往々にして憎しみが深くなっていく、という言葉を思い出す。
そうなのかもしれない。俺は自分の好きだったものすら否定されていくのか。
心中では感情が泥の如く精神を下降させ、渦巻かせている。
だから、ふいに口から出てきた言葉は懇願や疑問とよく似ていたかもしれない。
「私は、なぜ終了されていないのでしょうか?」
言葉を聞いた博士は、その表情の笑みを一層深くして答えた。
「したさ」
それだけで十分だ、とでも言うように。
俺も自分が何をされていたのか大体想像できた。
「我々が君をどうしたのかは、あまり思い出せていないようだね」
「それは……ご迷惑をおかけしました……」
当然だろうな、と思った。
かの組織は自分みたいな存在を例外を除いてほとんど許していないのは知っていた。
ああ、結局、また生き残ってしまったのだ。ずっとずっとそうだ。
「それはいい、委員会の連中とも話をつけた、君に色々と聞きたいことがあるんだ」
「構いません、自分は抵抗しません、あなた方の損失につながらない範囲で、できる限りお答えします」
博士は、なるほど、できる限りね、と頷いてこう問いてきた。
「なら聞くが、君は一体、何かね?」
それは直球すぎる質問だった。
自信を持って自分が何であるかを答えられたら、どんなに素晴らしいことだろう。
当然のごとく答えに詰まる。
だが、今の俺が一番何に近いかと言われたら……。
もはやこう返すしか自分の中に言葉がない。
「自分は……貴方がた”SCP財団”の……ファンでした……」
出典元
作者trennerdios様 http://scp-jp.wikidot.com/scp-1562
作者Alias Pseudonym様 http://www.scp-wiki.net/scp-370
作者weizhong様 http://www.scp-wiki.net/scp-2950
作者locker様 http://scp-jp.wikidot.com/scp-444-jp
誤字脱字報告ありがとうございます。