±0 観客は嘯く
正常な現実って物を守るために、機械は虚しい奮闘を続けている。
乾ききった空気が、自分が言い放った言葉に未だ震えていた。
心の中ではこれから何をするかわからないぐらいの激情が渦巻いている。
時間が止まったように感じられたが、違う。自分がただ狂いそうになってるだけだった。
細い糸の如く、かろうじて保っていたものが解れかけていると自覚した。
次に口を開いてしまえば、もう喉も舌も唇も、心の奥底に沈殿していた感情を吐き出し切るまで止まらない気がしていた。
息を吸って吐き出す生理的な動作すら、鬱陶しく感じ始めている。
握りしめた拳はきっと白くなっている。
救いを求めるように彷徨ってしまった視線が博士の目を射った。
だが彼の瞳の中にある感情は一切読み取れない。
感じ取れるのは先程の俺の言葉を、吟味し、次を待っているという沈黙だけだ。
まんまと、乗せられている。そんな気がしながらも。
改めて俺は覚悟を決め、短く息を吐き、喋りだすしかなかった。
「ブライト博士は、クトゥルフ神話をご存知ですか? 」
博士は当然のように頷いてくれた。まあ、そうだろうなと思っていた。
ならずっと、色々と想像しやすいはずだ。天才のDr.ジャック・ブライトならば尚更。
今から話すこの馬鹿馬鹿しく、滑稽な、俺が受け入れているこの現実の話を。
「一部の人間は、そういった神秘的で冒涜的な物語に強く惹かれるものです」
そして俺は、その一部の人間で。
「SCP財団は、自分にとっての神話でした」
神話だ。報告書という体裁を成した神秘的で冒涜的な物語。
異常に狂わされる世界を守り続けようとする人々の話。
それが、かつての世界でSCP財団と呼ばれていた作品群だった。
たくさんの国や言語や人々の手によって紡ぎ出された創作だったはずだ。
まるで絵本の中の登場人物に語りかけてる幼児みたいに、俺は語りかけている。
文章の中にいるドン・キホーテに精神科を勧めるような無粋なやり方かもしれない。
ああ、そうか、かの存在もこの世界だと実際にいるのかもしれない。
せめて今頃、風力発電機に向かって突撃してたらいいけれども。
相変わらず、なんともこの世界は狂っている。
思考が逃避しかけていると感じた。
ある意味でこの話は自分の恥部を晒すものだからだ。
だが博士は今の所、話を聴いてくれてはいるようだった。
あのブライト博士が、だ。この事に対して驚きを通り越してただただ受け入れてしまう。
そしてこれは偽りのない本音だった、誰にも打ち明けられなかったモノだ。
これによって何が起こるかわからないけれども。
自分の存在はとっくに終わっているからどうでもいいなんて投げやりな気持ちすらあった。
二度と学校に通えることもない、家族ごっこができるとも考えられない。
両親は死んでいた、家も燃やした、自分を偽り続けていればそれで満足だったはずなのに。
それすらできなかった、俺は気づいてしまったから全部台無しにしてしまったんだ。
ずっと夢の中にいるべきだったかもしれない、だが手を伸ばしてしまったのだ。
「この世界はクトゥルフ神話的だとでもいいたいのかな」
「その表現でもあまり間違いはありません」
当たってもいないが遠くもない、だがどちらも悪夢的なのは確かだった。
創作として、かの神話が源流にあるのは間違いないことだろう。
遊ばれているのだ、この世界の状況は。だとすれば似たようなものだ。
俺自身そうかも知れない。そうじゃないと断言はできない。
混沌に染まりゆく世界を見て楽しんで遊んでいたのは、かつての俺でもあるのだから。
世界はいくつも連なっていて、本当はどこかで未だにかつての俺は生きていて。
財団のHPを読んで、解説動画を聞いているのかもしれない。
だが今の俺はここに居て、喋ろうとしている、致命的なことを。
「自分がかつて存在していた世界では、貴方がたはSCP財団という不特定多数の共同創作に登場する組織に過ぎなかったんです」
ああ、言ってしまった、もう取り返しがつかない。
だが止まらない、自分で言っていても余りにも馬鹿げてることなのに。
これは狂人の妄言と聞き分けがつかないだろう、だがそう思われてもいい。
だって、そうなのだから。どうしようもないのだから。
「そしてブライト博士、貴方は重要な登場人物の一人でした」
「だから知っていたと?」
そうです、と言って頷いた。博士はケラケラと品のない笑いを始めた。
自分も頬を釣り上げてしまう、何しろ全てその通りだったから。
貴方は本当に人気でしたよ、リストを読んで何度笑ったことか。
貴方の登場するSCPも読みましたよ、カッコよかった。
初めて知ったときはコミカルな人物だと思ってたのに、シリアスな描写も似合っていた。
もっとも全てが適用されてるわけではないだろうが。
だが、今はもう何もかもが懐かしかった。
はじめに読んだSCPは一体、何だったろうか?
SFやホラー、日本の創作文化で言えば洒落怖などが好きだった。
ハイセンスな人たちが考え抜き、研磨した尖った作品が多かった。
そうじゃないと生き残れなかったと言うぐらい競争も激しかっただろう。
趣向を凝らし、画像や音声やページのソースにすら仕込んで読者を楽しませていた。
あの世界全てが好きだったのだ、俺は。だが、今の自分はどうなのだろう。
言葉は止まらなかった、胸の奥にずっとあった気持ちが吐き出されていく。
「例えるならば自分は舞台に上がってしまった観客です、それも舞台でお披露目されてる演目がSCP財団だと知らずに、ずうっと観客気分のままで振る舞っていました。記録にも残っていませんか? 自分はあの時までは普通に生きていたんですよ、普通に、何の異常性をもたないとは言えませんが、自分の人生というものがずっと平坦に続くと信じ切っていましたね」
自ら言っておいて、なんと滑稽な情景だろうと思った。
フリークショーを見ているつもりが、そのフリークは自分自身だったのだ。
自分を一般人だと思いこむ精神異常者の如き振る舞いだ。
さっさと捉えきれない現実に発狂して、黄色い救急車に押し込まれればよかった。
万病に効くあの薬でも、これはきっと治せやしないだろう。
深海で生成される灰色の粘液でも、処理場の廃棄物でも、卑猥な植物の汁だろうと消えないだろう。
自殺だってできなかった、財団にも殺せない。オカルト連合はどうなのかな。
ああ、ジョークにもならない。
ただ前世の記憶を持っただけの子供、それだけでよかったんだ俺は。
なぜ今はこんな所にいるのだろうと笑ってしまいそうになって、SRAの負荷を上げてしまった。
それらを聞いたブライト博士は途端に無表情になっていて、少し考える素振りを見せてくれる。
思い出させるように、その女の声帯が作り出すであろう最も優しい口調で語りかけてきた。
「だがいつからかな君は、わざとその劇の台本を無視したり舞台の上の大道具を壊したり小道具を盗んだり俳優たちを困らせるような事をしてきたと思う。さっきファン”だった”と言ったね。日本語が間違っていなけりゃそれは過去形で、君は神話が嫌いになったのか?」
「そうかもしれませんね、劇の中に入ってしまえば観客も俳優の一人になりうるとは今も思っています。そしてこうも思いました。自分は俳優の一人となって劇を滅茶苦茶にしてやろうと、きっと観客はどこにでも居るから」
「……」
「博士……夢の豪華客船タイタニックが氷山によって今にも沈もうとしている時、突然、宇宙からUFOがやって来て、アブダクションによって宙に浮いたレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットが熱い抱擁を交わしながら、僕たちは助かるぞって互いにキスし合って映画が終わってしまったら、どう思いますか?」
「クソ映画」
博士の即答で、ついに笑ってしまった。
タクシードライバーが突然スーパーマンになって売春窟をぶっ壊して飛び去っても、殺し屋と少女のカップルが最後まで幸せな生活を添い遂げても、たった一度の冒険で相思相愛となった王女が記者との婚約を発表しても、きっとそうなる。
一流の悲劇が、三流の喜劇によって無残に塗りつぶされた時、財団を見ている者たちはどう思うか、ずっと考えていたんだ。
その末に、彼らが取りうる行動は一つしかない。
「なので自分は、それを目指していました」
出典元
SCP財団日本支部
http://ja.scp-wiki.net/
誤字脱字修正報告感謝
文章若干修正1117 1019
元ネタ
タクシードライバーがスーパーマンになって売春窟をぶっ壊して飛び去っても、殺し屋と少女のカップルが最後まで幸せな生活を添い遂げても、たった一度の冒険で王女が記者と結婚を発表しても、きっとそうなる。
上から、タクシードライバー、レオン、ローマの休日、いい映画ですよね……