ルドラサウム大陸東側、人間界北東部リーザス王国領南『辺境の森』――――という名称で世に罷り通っている、その名の通り辺境にある森。そこで目を覚ますものがいた。
モコモコモコッと地面の下から這い出てきたのは全長40cm程、両側頭部に木の枝のような角を生やし、まんまるの身体を真っ黒な体毛で覆った、リスと呼ばれる種族の生き物である。
「うーん、よく寝たー」
人間界においてリスは人間を襲うモンスターとされているがこのリスは少し違った。
「よし……今日も人助け、頑張るぞー!」
おーっ! と、小銭ほどの大きさの拳を掲げて気合を入れた後、意気揚々と歩き出す。
このリスは人助けを趣味としていた。と言っても日銭を稼ぐ為に万を請け負う冒険者ギルドや、大陸最大の宗教団体AL教、等々の特定の組織や団体に所属しているわけではない。
「今日はだ~れと出会うかな~♪」
なので呑気に、鼻歌交じりに、どこへ向かっているわけでもなく、誰を探しているわけでもなく、あっちこっちへふらふらと歩いているリスであったが、ふと何かに気付いて足を止めた。
遠くからガサガサと草木を掻き分ける音がする。次に男のものと思われる叫び声、そして森に棲むモンスターの悲鳴、それらが段々とこちらに近付いてきている。
「がははははははっ!」
立ち止まって音の方角を見つめるリスの前に、草陰の向こうから人間の男が姿を現れた。
年齢は二十代手前、もしくは十代半ばと言える程に若々しく、ギザギザの歯を出した不敵な笑顔で見る者に悪戯好きな悪坊主のような印象を与え、緑色の服の上にプレートアーマーを着込み、剣を携えていた。
今はまだ一冒険者に過ぎないその男にリスは元気良く挨拶をしようとして、
「こんにちわっ! 今日は良い天気「死ねっ! 雑魚め!」ギャァァァァ――――!!!!」
脳天に思い切り剣を叩きつけられ何気ない挨拶は絶命の悲鳴へと早変わりした。
緑の男はリスの体から転がり落ちたGOLDを拾い集め、そのまま真っすぐ進んで森の奥へと消えていく。森に静寂が戻り、残されたのは人助けを志して人に殺されたリスの死体のみ。
これがこの世界のルールであり、力の無い者は人間もモンスターも等しく命を散らす、はずのだが、このリスは大きく違った。
「う、うーん………」
頭蓋骨を割られて即死したはずのリスは何事も無かったかのように立ち上がり周囲を見回して誰もいない森を不思議そうに目を細めて眺める。
「あれー? 今、誰かと会ったような、会わなかったような」
何か大変なことがあったような気がして思い出そうとするが思い出せない。しばらくして思い出すことを諦めて再び歩き出した。
「今日も人助け、頑張るぞー!」
――――リーザス城下町
人間界三大国家リーザス王国の中枢にして大陸一美しい城と讃えられるリーザス城の城下町。
正午になり昼食を求める人々の足並みの中に、人助けリスが紛れ込んでいた。
当然ながら町に入る前には門があって門番はいたのだが、コソコソとしていたり隙を伺ったりということはせず真正面から堂々と門を通ろうとした結果、門番はリスを誰かのペットだと勘違いしてあっさり素通りさせてしまう。
「おい……あれ、リスじゃないか……?」
「嘘、なんでこんなところにモンスターがいるの?」
「でも人を襲う様子も無いし、どこかから逃げてきたんじゃない……?」
町の人々も同様でリスに奇異の視線をぶつけることはあってもそれ以上は何もしない。
リスの方も困っている人を探しているだけで、そうでない人々に危害を加える気は微塵も存在しないので、周囲の視線を気にせずふらふらと街中を歩き回っている。
「うーん、うーん……」
そうして城下町の門から真っ直ぐリーザス城までを繋ぐ大街道の途中にある中央公園に入ると、ベンチの上で年若い男が眠っているのが見えた。
暖かな時期の正午とはいえ、何も掛けずに眠るのは余りにも無防備だと心配し、せめて一声掛けて注意しようと歩み寄るリスであったが、途中、男は声を唸らせて身体を小刻みに震わせていることに気付いて、急いで駆け寄った。
「あの、大丈夫ですか? どこが具合が悪いんですか?」
「屋台で……焼肉そうめんを食べたら、食あたりして……うーん、うーん……すまないが、助けてくれないか……く、薬を……」
「食あたり!? ちょっと待ってて!」
大の男を動けなくしてしまうような食あたりは軽度の腹痛などではない。リスは自分の毛皮から薬代のGOLDを取り出そうとしたが、全身を隈なく探っても1GOLDも見つけられなかった。
「あれ、何で無いんだろう。ごめんなさい、助けてくれる人を呼んできます!」
「任せたよ……。うーん、うーん……」
中央公園を出て大街道に戻る。先程ここを通り抜けてから僅かな時間しか経っていないので街道は未だ人でいっぱいだ。これなら助けてくれる人がいるかもという期待と大勢の人の前で大声を出す緊張感で胸を膨らませ、それらを思い切り吐き出した。
「誰かっ! 助けてくださいっ! 公園でっ! 人がっ! 倒れているんですっ!」
昼食を求める、あるいは昼食を終えて自宅か勤め先かへ戻ろうとする人々の足が止まる。
「食あたりでっっ!! 倒れているみたいなんですっっ!! 誰かっっ!! 薬をっっ!! 恵んでくださいっっ!! お願いしますっっ!!」
「おい、公園で人が倒れているってよ」
「食あたり? それなら大したことじゃないんじゃないの?」
「って言うか何でモンスターが街に? 衛兵は何をしているの?」
「………」
足を止められたのは一瞬で、すぐに人々の足は流れ出した。リスを見る者、感想を述べる者、無視する者と反応は様々だが、助けになろうと名乗り出る者は一人としていない。
理由の一つとして、リスはモンスターと認識されているからだろう。
このリスが小汚い浮浪者であったとしても、人間であれば同情を売って金銭を得られたかもしれないが、モンスターに情けを掛けるような人物はそういない。いるとすれば―――――
「人が倒れてるって、ほんと?」
―――――別の世界からやってきたような、常識外れの変わり者だろう。
桃色の長い髪が特徴的な女の子が、薬瓶を手に人波から出て、リスの前までやってきた。
「あ、はいっ! 屋台で食べたものが原因らしくて」
「屋台の……あ、焼肉そうめん! よかった、あれ食べなくて。わたし、海の家、じゃなかった、道具屋さんでお薬を買ってきたから、その人のところまで案内してくれないかな」
「ありがとうございますっ! こっちです!」
リスを先頭に女の子が着いていく形で、一匹と一人は走る。
公園に着くと、ベンチの上で苦しんでいる男に、女の子は薬瓶を差し出した。
「これ、お腹に効くお薬です」
「ありがとう……、鞄の中に水筒があるから、取ってくれないかな……うーん、うーん……」
「がさごそがさごそ………あった! どうぞっ!」
女の子から薬瓶を、リスから水筒を受け取った男は、薬瓶の中の錠剤を大量に口内に含み、次に水筒に口を付け、飲み干すような勢いで錠剤と水を自分の身体の中に流し込む。
それほど余裕が無かったのか、それとも男の性分なのかは不明だが、ワイルドな飲み方に目をパチクリさせるリスと女の子の目前で、水筒から口を離した男は数十秒ほど肩で息を吐いてから、上半身を起き上がらせて、恩人である一匹と一人へ向き直った。
「わっ。健太郎くん程じゃないけどカッコいいかも」
その男は奇しくも一度リスを殺した緑の男と同年代のように見える。しかし、あるいは何か因縁があるのか、こちらは明るい赤髪で、落ち着いた好青年と言った印象を受け、女の子が呟いたように女性の関心を引くであろう端正な顔立ちをしていた。
「改めて礼を言わせて欲しい。ありがとう、僕はアリオス・テオマン。君の名前は?」
「テオマンさん。テオマンさんが倒れていることに気付いて、街中で助けを求めていたのは、この子です。この子にもお礼を言ってあげてください」
アリオスの視線は女の子にのみに向けられている。それに気付いた女の子はリスを指差した。
女の子からの指摘にアリオスは微笑んで、軽くリスに頭を下げる。
「どうやら僕は大きな勘違いをしていたみたいだね、ごめん。そして、ありがとう、二人とも。改めて君たち二人の名前を教えて欲しい」
「ボクはチキンボー。見ての通りただのリスです」
「わたしは、来水 美樹って言います。冒険者、じゃないから、えーっと………テオマンさんは冒険者なんですか?」
「僕は勇者さ。勇者として魔王を倒す旅をしているんだ」
勇者。それは人類の危機を前に颯爽と現れて世界を救うと言い伝えられている伝説の存在。
魔王。それはルドラサウム大陸の西部、魔物界を統べると言い伝えられている謎多き存在。
自分はそういった存在だと曇りの無い目で語るアリオスであったが、次の瞬間には真剣な雰囲気を崩して苦笑いを浮かべた。
「でも今は、魔王がどこにいるのか、どんな奴なのかも分からなくて、情報を集めながら冒険者をしている、が正しいんだけどね」
「ヘ、ヘー、ソウナンデスカー、タイヘンデスネー」
「来水さん、どうかしたんですか?」
「ナナ、ナンデモナイヨー、ワタシ、イツモドオリ。ゲンキモリモリダヨー」
美樹の変化に訝しむアリオスとチキンボーであったが、初対面の人物の内情を推測することなど出来ず、追及を考え流石に厚かましいと考え直したアリオスは、鞄から財布を取り出す。
「それで何か御礼がしたいんだけど、申し訳無い事に今は大金も珍しい物も持っていなくて、薬代を返すくらいしか出来ないんだ。お世話になっておいて何も返せなくて、本当にごめん」
「気にしなくていいですよ、ボクは好きでやっただけですから」
「ワ、ワタシモオナジダヨー」
「そう言ってくれると有り難いよ。その代わり、もしも次に出会うことがあったなら何でも僕に言って欲しい。このアリオス・テオマン、勇者の名に誓って君達の力になろう」
まだ全回復はしていないから自然回復を待つと言ったアリオスと公園で別れ、チキンボーと美樹は自分達が出会った場所まで戻る。公園を出ると美樹は何故か大きく息を吐いた。
「ぷはーっ、すごく緊張した―。勇者って本当にいるんだねー」
「今の魔王ってガイじゃないんだ。どんな人なんだろう」
「すっっっっごく可愛い女の子だと思うよ。魔王になるつもりはないけど」
「そうなんだ。………うん?」
美樹の口振りに強烈な違和感を覚えるチキンボー。もしかして来水さんが今の魔王? と一瞬考えるが、魔王らしい威厳も強烈な魔力も感じないから流石に有りえないかとすぐに打ち消し、チキンボーは美樹に向かってペコリと頭を下げた。
「もしも来水さんが来てくれなかったら、ボクはテオマンさんが苦しんでいるのをただ見ているだけでした。何も出来なかった僕を助けてくれて、本当にありがとうございました」
「どういたしまして。でも実はチキンくんを助けたのは下心があったりして。ふっふっふー」
美樹は邪悪なような、そうでないような笑みを浮かべると、いきなりモフッ!と、体毛に覆われたチキンボーの小さな胴体を、両手で挟み込むように掴んだ。
「思った通りすっごいモフモフだーっ! 一目見た時からずっとモフモフしたかったんだー、もふもふもふもふもふ」
その後しばらく、美樹はモフモフし続けて、チキンボーはモフモフされ続けた。
「モフモフエナジー、充電完了! ばいばーい、チキンくーん! また会おうねー!」
「またいつでもモフってねー!」
思う存分モフモフし終えて満足した美樹と別れる。
微力ではあったが人助けが出来たこと、そして来水 美樹とアリオス・テオマンという素晴らしい二人と知り合えたことに充実感を覚えながらも、それでもまだ困っている人を助ける為にチキンボーは町を歩く。
子供に悪戯をされたり、衛兵に追い掛けられたりしながらも、表街道は一通り回ったので、次は人影の無い裏街道に足を踏み入れた瞬間―――――
「よかった、自分から人目の無い場所に入ってくれて」
「――――っっ!? んー、んー!?」
背後から突然、何者かに袋のようなもので包み込まれて視界が真っ暗になった。
驚いて手足を振り回して抵抗するが、頑丈な繊維で出来ているのか破くことが出来ない。
「ごめんね、リスくん。これもお仕事なの」
姿は見えないが、女性のものと思われる声が聞こえた。そのまま担がれて奇妙な浮遊感を、恐らく走って運ばれている。
運ばれた先は薄暗い建物の中だった。壁に染み、床に埃、天井に蜘蛛の巣、しかし何故か高級そうなテーブルや食器などが並べられていて、まるで、と言うより、ここは幽霊屋敷なのだろう。袋の中から投げ出されたかと思えば、今度は小動物用の檻に閉じ込められてしまった。
「リア様がリスを捕まえて何をするつもりか、なんて忍が考えちゃ駄目よね」
「あ、あのっ! ここから出してくださーいっ!」
チキンボーを誘拐したのは赤い忍者装束の少女で、年齢は美樹と同じか一つ上、暗闇の中でも紫色の長い髪がよく映える。チキンボーに背を向けた忍者の少女は、必死の懇願に一度くるりと振り返るが、唇を噛み締め、迷いを吹っ切る様にダッと走って部屋を出て行った。
「誰か―っ! 助けて―っ!」
その後、緑の男のアレヤコレヤにより、この妃円屋敷の片隅で囚われていたリスの存在は、忍者の少女と、その誘拐を指示した者から完全に忘れ去られ、約八ヶ月が経過し、リーザス王国はヘルマン共和国の奇襲を受ける。