リーザス城下町に存在する、何故か取り壊されない謎の幽霊屋敷、妃円屋敷。
「――――………」
その一室『いかの間』の隅で小動物用の檻に閉じ込められていた黒毛のリス、チキンボーは、何も言わず動かずにぐったりと横たわっていた。
謎の女忍者に連れ去られ閉じ込められ忘れられてから約八ヵ月。水や食料を与えられずとも生きていたが、それはそれとして閉鎖された環境でのストレスが原因ですっかり元気を失っていた。
初日は自力で脱出しようと頑張った。力づくで檻を壊そうと体当たりしてみたり、壊せる部分が無いか視覚と触覚とついでに味覚を活用した。けれど檻は高級素材のもので且つ新品同然で経年劣化による破損部分は全く無く、自力での破壊は不可能と判断せざるえなかった。
ならば自分を誘拐した者を待とう。あの女忍者か別の誰かは分からないが、今こうして自分を誘拐し閉じ込めたのにも何か目的があるはず。そして自分を檻から出す瞬間は必ずあるはず。その時まで体を横にして体力の温存していたチキンボーであったが――――結局、ちっぽけなリスの存在など、人間達はあっさりと忘れていた。
だがしかし、ちっぽけなリスとは無関係に、世界は動く。変わる。運命の日が訪れる。
「チッ。嫌な感じがする場所だな、幽霊屋敷って奴か」
「モンスターが出るみたいだから気を付けて進めよ」
「本当にこんなところに義勇兵どもの残党が隠れているのか?」
「さぁな。それを確かめるように命令されてるんだろ」
分厚い黒鉄の装甲に、紺色の鎧下とスカートを身に纏った屈強な男達、それが数十人もの集団で構成された彼等は、リーザス王国と並ぶ人間界三大国のヘルマン共和国が軍の一部隊である。
長い間リーザス王国の征服を目論んでいたヘルマン共和国は、魔物の王・魔王の配下である魔人の手を借りることで『軍隊をリーザス国王が住むリーザス城内に直接転移させる』という既存の戦略を無視した反則行為によってリーザス城、及び城下町の制圧に成功。
そして現在、軍事行動の障害と成り得る不確定要素の排除の為に妃円屋敷の調査に来ていた。
王族を守る親衛隊、城下町を守る都市守備隊、腕に覚えのある民間人から作られた義勇兵軍を蹴散らした後なので他に自分達を脅かす存在は城下町にいないというのが彼等の認識であったが、それでも広い妃円屋敷を一部屋ずつ確実に、部屋の隅々にまで目を光らせていく。
であれば、彼等がチキンボーの囚われた檻を見つけるのは当然の戦果と言えるだろう。
「ん。おい、中に何かいるぞ。わんわん、じゃなくて、リスの死体みたいだな」
「何でこんなところにリスの死体があるんだよ。誰かに飼われてたのか?」「――――誰かいるんですか!?」「うわっ! 生きてた!?」
来訪者の声を聞いて飛び跳ねるように身体を起こすチキンボー。
「誰かは分かりませんが、お願いします! ボクをここから出してください!」
「どうする?」「檻の鍵はこれか。待ってろよ、いま外に出してやからな」
「おい、勝手な行動をしてるんじゃない」
「いいじゃないか、見逃してくれよ。ちょっと経験値を稼ぐくらい」「ギャ―――!!」
檻の鍵を見つけてチキンボーを解放したヘルマン兵はその手でチキンボーを斬り殺した。
モンスターを倒して経験値を得られた無邪気に笑うヘルマン兵。任務中だというのに冗談を言う同僚に呆れ顔を返す他のヘルマン兵達。そんな談笑の裏でこっそり生き返ったチキンボーは気付かれないように忍び足で『いかの間』を出た。
途中、別のヘルマン軍の部隊に見つかり、殺されたが、生き返って、走る。それを何度か繰り返すことでチキンボーはとうとう妃円屋敷からの脱出に成功した。
リーザス城下町はヘルマン軍に制圧されているので屋敷内と同様にヘルマン兵が町中を巡回しているのだが、それでも屋敷の中と町の中では、全長50cm程度しかない小さな身体を隠せる場所の数は段違いに多いので、容易くヘルマン兵の目を潜り抜けて移動を続ける。
とりあえず、何となく、嫌な思い出の場所でしかない妃円屋敷から離れて、立派な白煉瓦の壁の建物、恐らく学園と思われる場所で身を隠しながら、チキンボーはようやく腰を下ろした。
「何でヘルマンの兵隊さんがリーザス王国にいるんだろう。それに、あれは一体」
妃円屋敷で囚われていたチキンボーにリーザス王国がヘルマン共和国の侵攻を受けて陥落していたなど知る由も無い。そして懸念はもう一つ、ひっそりと佇んでいるが、誰もが目を剥いてしまうであろう、天を突くように巨大な黄金の塊・ゴールデンハニーの存在。
ルドラサウム大陸に生息するハニワ型の不思議な生物・ハニーの変異種で、モンスターのように何処にでも出現するものではない。それが何故、町の中にいるのかさっぱり分からない。
しかし、分からない事だらけでも、チキンボーが心に決めているのは『人助け』だけだった。
全てを解決するなんて大それた真似は出来ないかもしれないけれど、先ず目先の困っている人々を助ける。助け続ける。それが必ず良い結果に繋がるはずだと信じている。
決意を固めていると背後から物音が聞こえたような気がして、何となく振り返ると、紫の髪に赤い忍者装束を身に纏った、見たことのある少女が忍刀を構えてすぐ傍にまで忍び寄っていた。
「あーっ! ボクを誘拐した女忍者さん!」「えぇっ!? ………あっ! あの時のリスくん! なんでこんなところにいるの!?」「なんだなんだ。かなみの知り合いリスなのか」
かなみと呼ばれた女忍者の後方から、建物の影に隠れて様子を窺っていたらしい、緑の服に白いマントの男と、ピンク色のもここもヘアーが特徴的な少女の二人が顔を出す。
「前にあんたがこの町にやってきた時くらいに、リア様の命令でこの子を捕まえたのよ」
「つまりこのリスもあの連続誘拐事件の被害者みたいなものか、誘拐犯」
「ぐっ……、まぁそうだけど。でも、この子のことはすっかり忘れてたわ………あれっ? 確か新品の頑丈な檻に閉じ込めたはずなんだけど、どうやって抜け出してきたんだろ」
「この子、どうなさいますか? 襲ってくる様子は無いみたいですけど」
「かなみさん、でしたっけ? えっと、ボクを誘拐したことは忘れますから、何でリーザス王国にヘルマンの兵隊さんがいるのか、それで貴方達はここで何をしているのか教えてくれませんか」
「ごめんなさい、今それを説明している時間は私達には無いの。リスくんはここで隠れてて。絶対に後で迎えに来るから。それと、もしもヘルマン軍に捕まっても私達のことは喋らないで。勝手な事を言っているのは分かってるけど今はそれで納得して欲しい」
「まどろっこしい。要はこうすればいいんだ、とりゃー!」「ギャ―――!!」
ざくっっっ。チキンボーは死んだ。
「ちょっ、あんた何やってんの!?」「ふん、モンスターなぞさっさと死んで人間様の経験値になればいいのだ」「でも可哀想ですよ。大人しい子だったのに」「やかましい。ほれ、さっさとリアを助けに行くぞ」「うぅぅ………。ごめんなさい、本当にごめんなさい」
かなみと緑の男とモコモコヘアーの少女は、土の下に隠されていた鉄の蓋を開け、王族と極一部の関係者のみが知るリーザス城内部へと繋がる下水道へと降りた。
少し遅れて蘇生したチキンボーも頑張って鉄の蓋を持ち上げ、僅かに出来た隙間に無理やり身体を捻じ込み下水道へと転がり落ちる。事情は分からないが、かなみは何かに困っている様子だったからそれを助ける為だ。
受け身を取れず思い切り地面に打ち付けてしまった後頭部をさすりつつ、チキンボーは下水道内をキョロキョロと見回す。三人は既に大きく前に進んでいるのか姿は見えない。
三人の後を追うチキンボーであったがその歩みは非常に遅かった。
単純にリスと人間の体格の差から生まれる歩幅の差と、どうやらこの下水道に棲むモンスター達はリスのチキンボーを縄張りを荒らす外敵と見なしたらしく、襲い掛かってきたからだ。
下水道では隠れてやり過ごすことも出来ず、追い掛けられ殺されて、生き返って追い掛けられ殺されて、生き返って追い掛けられ殺されて、地上では最悪の魔王が封印から解かれ、生き返って追い掛けれて殺されて、逃げずに殺されて生き返って前に進み、殺されて生き返って前に進む。
「あ」
ざぷん、と下水が大きく跳ねたかと思えば、飛沫と共に飛び上がったさかなモンスターがチキンボーを丸呑みにし、口の中の悲鳴を無視して咀嚼しながら下水に戻り水面下へ姿を消した。
少し経ってから浮かび上がってきたチキンボーは、わんわん掻きで足場まで戻り、全身に纏わりついた下水を落とそうと大きな身震いをする。すると突然、綺麗なタオルを差し出された。
「うー……自慢のモフモフが……まだ臭うかな……」
「大丈夫かね、小さき者よ! 良ければこれを使ってくれたまえ!!」
「あ、ありがとうございます。ごしごし、ふきふき…………どちら様ですかっ!?」
「尋ねられたなら答えよう! 私の名はミ・ロードリング! 女神ALICE様の忠実なる下僕!」
「はぁ。そんな人が、どうしてこんなところに」
「分からぬ! 迷った! だがこれもALICE様に課せられた試練なのだ! 必ず乗り越えてみせる!」
「そうなんですか。えっと、頑張ってくださいね。このタオルはいつか洗ってお返しします」
「いや、そのタオルは返さなくとも『みーくんみーくん。他人の優しさを受け入れるのも優しさだぞ☆』おおおぉ、仰る通りですALICE様! ではいつか必ず受け取ろう! 『でも無理に返そうとしなくていいからね』 ではっ、さらばだ―――っっ!!」
金髪の女の子人形を脇に抱えた神父のような男は、叫びながらどこかへ走り去っていった。
声は大きし意味不明だし何故か腹話術を始めるしハゲてるし、変な人だが、下水で汚れていてもタオルを渡してくれるのだから、きっと良い人なんだろうと思うチキンボーであった。
タオルを体毛の中に収めたチキンボーは再び歩き始め、何とか出口と思われる階段を見つけて駆け上ると、石造りの壁に幾つもの檻が並んだ牢獄に辿り着いた。さらに進んで扉を押し開けると、煌びやかなシャンデリアが真っ赤な絨毯を照らす、何とも豪奢な場所に出た。
リーザス城の中だろうか。モンスターはいないようだが次は人間に追われないように、柱の影や椅子の下などに隠れながら慎重に、学園で出会ったあの三人を探すチキンボー。
城の中は騒がしいが、騒いでいるのはヘルマン兵達でなく、このリーザス王国本来の住人であるリーザス兵達で、喋っている内容も、負傷者の具合の確認だったり物資の運搬の連絡だったりと、大きな戦いが終わって、その後始末をしている様子だった。
無数の叫び声が重なり合った大合唱が外から飛び込んできて城内に響き渡る。
驚いて柱の影から身を乗り出したチキンボーは、後方からやってきた集団に気付かなかった。
「えっ……えっ――――っ!? ななななな、なんで!?」「あ、あれ? あのリスくんって確か………」「はっ? ………いやいや、何でここにいるんだ」
「あっ。かなみさん! やっと見つけました!」
「かなみ。このリス、なに? 貴方を探してたみたいだけど」
「は、はい、リア様。知り合いというか何と言うか………、えーっと、その、一悶着あってランスが殺してしまったのですが………」
「生きていますね。それと、どうやってこの城に入ってきたのか」
「かなみさん達の後を追って下水道を通ってきました」
「………かなみ」「下水道の道は限られた者しか使わせてはならないと教えましたよね?」
「確かに死んでいたんです! ランスだってこの子を剣で刺したの覚えてるでしょ!?」
「あ、それはボクが「もう一回死ね――――っ!!」ギャァァァァ――――――!!!!」
ざくっっ。チキンボーは死んだ。しかし再び立ち上がった。
ざくっっ。チキンボーは死んだ。しかし再び立ち上がった。
ざくっっ。チキンボーは死んだ。しかし再び立ち上がった。
ざくっ。ざくっ。ざくっ。ざくっ。ざくざくっ。ざくざくっ。ざくざくざくざくっ。ざくざくざくざくっ。ざくざくざくざくざくざくざくざくざくざくっ。しかし再び立ち上がった。
疲労で剣を振る手を止めてしまったランスはその手に握る禍々しい漆黒の剣を怒鳴りつける。
「ぜーはー、ぜーはー、ぜーはー………おい、駄剣! 貴様、世界最強の魔剣だとか抜かしておきながらリス一匹殺せんとはどういうことだ!」
「そんなの儂が聞きたいんだけども。お前さん、本当にリスか? 何か変なもの混ざってない?」
「詳しい原理はボクも知らないんですけど、リスの進化能力が暴走してるとかで、魔王でもボクを殺せませんよ。って剣が喋った!?」
「魔王でも殺せないなんてそんなのあり!? 儂の方がビックリじゃわい!」
「人間になったリスの次は死なないリス……もう何でもありね……リスって……」
「………ねぇ、リスくん。リア達、今すっっっごく困ってて、にゃんにゃんの手でも借りたいくらいなの。だから、リア達のお手伝いをしてくれないかな?」
ヘルマン軍は魔人達の手を借りてリーザス王国の侵攻を成功させた。しかしそれはリーザス城に封印されていた魔王ジルを復活させるという魔人達の計画の隠れ蓑に過ぎなかった。
魔人達の計画通り魔王ジルは復活した。だが同時に封印の楔であり魔王と魔人が持つ特性・あらゆる攻撃を弾く無敵結界を破壊する事が出来る魔剣・カオスもまた復活した。
ランス達一行はリーザス王国を守る為、カオスという希望を手に、未だ各所で抵抗を続けるヘルマン軍の残党と姿を見せない魔王達と戦っているのだとチキンボーは説明を受けた。
「ジルが……、分かりました。喜んでお手伝いします! 何でも言ってください!」
「役に立つのかこれ」「死なないし盾代わりにはなるでしょ」
不死身の人助けリス・チキンボーが仲間になった!