剣(つるぎ)の軌跡   作:お酒

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Mission-01

「ほら、さっさと起きて下さい!!」

 

 凛とした少女の怒鳴り声が、寝室の静寂を打ち破った。

 直後、一気に開け放たれたカーテンの外から、眩いばかりの日光が照りつけてくる。

 時計の針は長針短針ともに十二の文字に重なっている。正午だ。

 

「……悪いが、今日は休業だ」

 

 事務所の主たる男はそんなことを言いながら、差しこむ日光と少女から逃れるようにますます身を縮めて布団を被る。

 身体を思い切り揺さぶられるものの、彼はまどろみに逃げ込むべく頑としてベッドに齧りつく。

 彼――ダンテにとって、この時この瞬間に限って言えば、この少女はどんな悪魔よりも手強い小悪魔に違いなかった。

 

「……そう、どうあっても起きないつもりですか?」

 

 少女――エリゼ・シュバルツァーの声音が不機嫌のそれに変わる。

 彼女の心は複雑だった。

 恩義――成程、とても言葉では言い尽くせないほどに感じている。

 親愛――名前以外の一切を覚えていない(・・・・・・・・・・・・・・)自分にとっては、紛れもない心の拠り所だ。感じないわけがない。

 だが、そんな少女の想いすら吹き飛んでしまうほどに、この男の怠けぶりは筋金入りだった。

 曰く、週休六日制。

 なんとふざけた言葉であろうか。

 当初はその意味が分からなかったエリゼであったが、意味を知った時の彼女ときたら、日頃の嫋やかさは何処へやら柳眉を逆立てて叱りつけたものだった。

 幼い彼女なりに彼のことを思ってか、保護者を気取って面倒を見るのがこのところのエリゼであった。

 

 そんな彼女の事情を知ってか知らずか、ダンテの傍若無人ぶりは留まるところを知らない。

 

「そうだな、キスの一つでもしてくれるって言うなら起きるかもな」

 

 頭上で嘆息。

 これは勝ったかとダンテが思ったその時のことだった。

 

 カチャリ、と冷たい金属音。

 

 疑問に思い、閉じた瞼を開ければ、そこには己を睨む愛銃(エボニー)の冷たい銃口が――。

 

「――さて、どちらか選びなさい。鉛弾とキスするか、それとも素直に起きるか」

「見目麗しいお嬢さんとのキスは選択肢にないのかい?」

「…………」

 

 素敵な笑顔だった。

 それはもう、彼をしてベッドから飛び起きるほどに。

 

「……オーライ、降参だ。流石に鉛弾とのキスは勘弁だ」

「もう……始めからそう言えばいいのに」

 

 唇を尖らせる少女の眼の前で、ベッドから降りたダンテの裸の上半身が白日に曝される。

 それは一種の肉体美。

 徒に筋肉を溜めこむのではなく、幾多の戦いの果てに無駄な肉を削ぎ落として絞り込んだ〝極み〟とも言うべき美しさである。

 当初は赤面して顔を背けたものだが、今となっては慣れたもの。ましてや、この男の日頃の姿を知ってしまえば、神々しさ美々しさはもはや皆無である。

 

「食事は用意してありますから、すぐに降りて来て下さいね?」

 

 そう告げてドアノブに手を掛けたエリゼの背中に、ダンテから余計な一言が投げ掛けられる。

 

「ヘイ。そういやお前さん、随分とアグレッシブになったな。俺の教育の賜物かね?」

「……ええ、おかげ様で。見習うべき人間と、そうでない人間の区別がつけられるようになったことには感謝致します」

 

 寒気のする笑顔で毒を吐いて、今度こそエリゼは寝室から出て行った。

 

 

 

 

 ダイニングに用意された昼食あるいは朝食は、ピザを主食とするダンテにとってかなり健康的かつ質素なものであった。

 バター塗りのトーストにベーコンエッグ、そしてサラダ。

 十にも満たない子供が用意したものとしては間違いなく上々と言える品々に舌鼓を打ちつつ、しかしダンテの脳内に現在の生活を改めるという発想はない。

 とはいえ、全てを居候――それも子供に任せるなど流石に沽券に関わるので、食器の片付けくらいはやるようになったのだが。

 エリゼが買ってきた何とも愛らしいエプロンを着用し、黙々と食器を磨くその姿に〝悪魔も泣き出す〟とまで謳われた威厳はない。

 というよりも、そもそもが卑怯なのだ。

 上目遣いで着てくれとせがまれては、例え自分のようなクールガイであろうと落ちる。そうに決まっている。

 知己の人間にこんな姿を見られていないことだけは不幸中の幸いであろう。

 

「……女運は相変わらずか」

 

 額に銃弾をぶち込まれるわ、雷撃を浴びせられるわ、気ままな生活が出来なくなるわ。

 己が不運を煤けた背中で語りつつ、銀髪の偉丈夫はふと、図書館に行くと言って出て行った黒髪の少女に想いを馳せた。

 

 あの出会いから早二ヶ月。結局彼女が何者なのかは分かっていない。

 記憶がないという彼女は、幸いと言うべきか名前だけは覚えていたので、情報屋兼仲介屋のイタリア生まれの豚を不本意ながら頼って、しかしその結果はすべて空振り。

 警察への捜索願はもちろんのこと、戸籍及び飛行機の搭乗記録などなど。

 黒い手段まで使って調べ上げたそれら一切に、〝エリゼ・シュバルツァー〟という名前は引っ掛からなかったのである。

 自分が何者かも分からない恐怖に幼い少女が耐えられる訳もなく、泣き叫ぶ彼女を必死にあやしたのは今となってはいい思い出だ。

 

 ……思えばあの瞬間から、あの少女にペースを崩されてきた気がする。

 

 食器を片し終わるやエプロンを適当にソファに投げ出して、事務所の方に顔を出した彼を迎えたのは、かつての面影などない整然とした室内だった。

 常ならばハードロックの狂騒を奏でる古びたジュークボックスは、今は電源を落とされ隅に追いやられている。

 壁に剣で打ちつけられて装飾品となった悪魔の依り代の数々は、そのすべてが廃棄の憂き目にあった。

 散らばっていたゴミも綺麗に除かれ、磨かれた床が跳ね返す夏の日差しが目に痛い。

 

 はて、自分の事務所は果たしてこんなに広かっただろうか?

 そんな取りとめのないことを思いつつ、ダンテは席に着いた。

 そのままいつも通り机の上に両脚を投げ出そうとして、気付いた。

 ピカピカに磨かれたこの机。僅かに水気が残っていることから、おそらくついさっき磨かれたのだろう。

 振り上げたままの脚が所在なく宙を彷徨い、ややあって床に下ろされた。

 

〝合言葉〟の依頼は既に一月近く寄せられていない。

 それは本来彼が忌み嫌う退屈なことだというのに、午睡を誘う穏やかさを決して不快ではないと感じるのは、少女との生活をそれなりに楽しんでいるからなのかもしれない。

 だが、そんな生活も彼女の記憶が戻るまでのことだ。

 とはいえ、それまでは事務所に住まわせるつもりである以上、選り好みをせずに依頼を受けるべきかもしれない。 

 そんならしからぬ考えを浮かべながら、彼は楽しげに笑った。

 

「Not so bad(悪くない)」

 

 そんなダンテの前向きな思考に応えるかのように、鳴り響く電話が依頼の到来を告げる。

 

「――Devil may cry」

 

 すかさず受話器を取り上げて、高らかにお決まりの言葉を告げた。

 二言三言言葉を交わして、その内容に表情を破顔させる。

 

「――Jack potだ」

 

 おまけに報酬も悪くないときた。

 であればよし。せめてもの感謝の証として弾丸をたらふく食わせてやろう。

 まだ見ぬ哀れなサンドバッグを先に見据え、湧き上がる衝動のままに武器の詰まったギターケースを掴み上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 図書館を訪れたエリゼは、今日も今日とて面白そうな本を求めて巡り歩くことにした。

 白のブラウスに赤のフレアスカート。

 経済的に余裕のないダンテが古着屋で適当に見繕ってきたものだが、元々の仕立てのよさと彼女自身が纏う気品が相まって、この上ないほど似合っていた。

「ダンテにしてはまとも」とは、彼の知り合いだというオッドアイの女性の弁だ。

 

(……今日はどんな本にしようかしら?)

 

 本は好きだった。

 世の文豪たちが書き連ねた物語に一喜一憂し、名だたる学会の権威が監修した学術書から知識を得、ジャーナリストたちが編集した雑誌でイマドキを追う。

 様々な分野の本に触れて、すっかりその世界に魅了された彼女は今や立派な本の虫となっていた。

 

 この日エリゼが選んだのは、おとぎ話や童話などの児童書を収めた書架だった。

 シンデレラやフランダースの犬など、読んだことも聞いたこともない(・・・・・・・・・・・・・・)タイトルの数々に目移りしていまいそうになりながら――。

 

 ――努めて無視してきた違和感が脳裏を掠めた。

 

「…………ぁ」

 

 それはダンテにも伝えていないこと。

 冷蔵庫やエアコン、テレビに二輪駆動のバイク。アメリカやニューヨークといった地名。

 それらを見、そして聞いたときに感じた彼我の常識の乖離に他ならなかった。

 

 始めは記憶がない所為かと思った。

 だが、日々を過ごしていくうちに募る違和感が告げていた。

 

 私の常識にこんなものはなかった筈だ、と。

 

 奇妙なまでの確信であった。

 しかし、自分でもよく分からない違和感を相談することは出来なかった。

 同居人に気味が悪いと思われたくなかったし、記憶が戻れば解決する筈だと思ったから、この瞬間まで胸に秘めてきたのだ。

 

(――いけない!)

 

 慌てて頭を振って過ったものを振り払い、逃げるように一冊書架から抜き出した。

 ロクにタイトルも見ずに抜き出した一冊は、彼女もよく見知ったものだった(・・・・・・・・・・・・・・)

 

『まけんしスパーダ』

 

 それは、正義の心を持った一人の悪魔の物語。

 

 

 

 

 

 太陽を西の彼方に追いやるように、藍色の帳がその色を展ばし始めていた。

 茜色と藍色のコントラストが美しい空の下、冷房に慣れた身体を苛む西日の強さを堪えながら、エリゼは一人家路を急ぐ。

 思いがけず見つけたおとぎ話を何度も読み返しているうちにすっかり遅くなってしまった。

 五分ほどの道のりを軽やかな足取りで歩く少女の胸には、借りた本が五冊ばかり抱きかかえられていた。

 

『まけんしスパーダ』

 

 解説を加わえられたより学術的な本だったり、民俗学の視点から独自の解釈をした本だったり――要はその物語に関する蔵書から読みやすそうなものを借りてきたのだ。

 一度に五冊までしか借りられないのが口惜しかったが、少女は傍目に見ても分かるほど上機嫌だった。

 

 早く読みたい。

 

 逸る気持ちを抑えて先を急ぐ足が、スラムの入口を通り抜けて――ピタリと止まった。

 

「…………え?」

 

 異常な静寂。わずか数十メートル先の大通りの喧騒すら届いてこない。

 耳鳴りさえしてくる無音の空気が、夏とは思えない寒さを孕んで少女の肌を撫でた。

 ゾクリ、と総身駆け廻る悪寒。

 服を徹し、肌を突き抜け、魂を舐めて陵辱する魔境の冷たさだった。

 夜の闇に建物の影。時間の経過と共に勢力を強める暗闇が嗤った気がした。

 

「……………………」

 

 歯の根が噛み合わない。両脚が小刻みに震えだして言うことを聞かない。

 借りてきた本をすべて地面に落としたことにも気付かず、少女は理解不能な異常にただ身を震わせる。

 ふと、両の手に湿り気を感じて見てみれば、コップをひっくり返したようにぐっしょりと濡れていた。

 汗、だった。

 暑さだけでなく寒さでも汗をかくのだと、知りたくもないことを知った少女の表情がより一層の恐怖で塗り固められる。

 空気が水中にでもいるかのように重く、濃縮された鉄錆の臭いを纏っていた。

 何処かから臭いを運んで来たのではない。

 アンモニアや硫黄と同じくそういう臭いの空気なのだと理解してしまうほど、暴力的で容赦のない臭気の濁流であった。

 心臓が早鐘を打つ。これほど心臓の存在を身近に感じたことがこれまであっただろうか。

 

 鼻腔に直接血液を流しこまれたかと錯覚してしまう臭いにむせ返りながら、エリゼは本を拾うことも忘れて壁を頼りに一歩ずつ歩いていく。

 ここにいては危険だと、本能的に察していた。

 笑う膝を無理矢理踏ん張り、なけなしの勇気を振り絞って角を曲がり――その先の光景に、今度こそ心が折れてへたり込んだ。

 

 飛び込んできたのは、赤。

 今にも消えてしまいそうな古い街灯の下で、地元の男たちが地面に力なく横たわっていた。

 流れ出る赤が周囲を一色に染め上げ、彼らの生存の絶望を物語る。

 凄惨な殺人現場。

 猟奇的な光景を生み出した下手人たちは、しかし立ち去ることなくそこにいた。

 人間ではなかった。

 人間の身の丈を一回りは越える糸繰り人形たちが、刃物や銃器を得物に踊っていた。

 もはや言葉を発さぬ肉体に刃を突き立てて臓物を引き摺り出し、眉間に銃弾を撃ち込んでは弾ける脳漿の音色を愛でる。

 充満する死と陵辱され続ける死。

 人の持ちうる悪意を、遥かに超越した悪意によって演じられる恐怖劇の舞台に他ならなかった。

 

「…………」

 

 この世ならざる悪意の発露。

 初めて目の当たりにする筈のそれが、少女の奥底で眠る記憶の扉に爪を立てた。

 瞬間、万力で締めあげられたかのように、凄まじい頭痛がエリゼを襲った。

 痛みによって絞り出されるように、忘却の彼方に沈んだ記憶が次々と浮かびあがる。

 浮かんでは消え、消えては浮かぶ泡のような過去の数々は、後悔と絶望に彩られた痛みそのものだった。

 

「――――そうだ」

 

 全てを思い出した。

 故に分かる。

 あれら――人に絶望だけしか与えない、凝縮した闇の正体は――。

 

「――――悪魔」

 

 思わず漏れた呟きは、まさしく致命的だった。

 ぐるん、と向いた顔無き顔が、新たな犠牲者を認めて嗤いだす。

 

(いけない!!)

 

 迸る悪意をどす黒い魔力に変えて、人形たちが滑るように距離を詰めてくる。

 振り下ろしの初撃を躱せたのは、奇跡に近かった。

 寸暇の差で体を起こした少女がいた場所を、血に濡れる大鉈が切り裂いた。

 血で濡れた刃とは、そして朽ちかけた人形によるものとは思えない一撃だった。

 舞う破片と吹き荒ぶ斬風。そして、地面を抉る威力に肝を潰しながら、これまでの恐怖が嘘のようにエリゼは駆けだした。

 胸を灼く焦燥に追い立てられるように、彼女が追い求めるのは赤の男の影。

 

 ダンテが危ない――。

 

 男の本業を知らないエリゼの背後で、蠢く闇が一際強い気配を放った。

 瞬間、彼女の背筋を悪寒が舐める。

 咄嗟に身を屈めた彼女の頭上を、走り抜けたのは殺意を伴った銃火の掃射だ。

 間髪入れずに続けて飛来する刃の軌跡を視界の端で捉え、これを脇道に身を投げ出すことで躱した。

 しかし、刹那的に命を繋いでも意味はない。

 奴らが追ってくる気配をひしひしと感じながら、エリゼは《Devil May Cry》の事務所に向けてひた走る。

 植木を倒し柵を飛び越え、時には迂回して、されど後ろは振り返らない。

 

「ダンテ!!」

 

 一息に駆け込んだ事務所に男の姿はない。

 ならばと思い、見て回ったシャワールームにもダイニングにも寝室にも、彼の姿はない。

 

 ――一体何処に?

 

 最悪の想像が胸を過った。

 

 ここにいないのならば、一縷の望みに掛けて近くのピザ屋に行ってみるべきだろうか?

 

 そう考えて再び事務所を飛び出し、直後、血相を変えて事務所の中へと後ずさる。

 糸繰り人形が群れを成して事務所を囲んでいた。

 

「……い、いや……」

 

 慌てて扉を閉めるのと悪魔の群れが押し寄せてくるのは同時だった。

 扉と悪魔との衝突は拮抗さえしなかった。

 

「きゃああああああああああ!!」

 

 勢いに押し負けた少女の身体が宙を滑り事務机に激突。

 悪魔らの勢いはまさしく津波の如く、先頭の何体かが弾き飛ばされてエリゼの頭上を通過し、事務机の後ろにあった棚へと頭から突っ込んだ。

 

「……う……ぁ……」

 

 視界の半分が赤い。

 弾き飛ばされた個体が取り落とした鉈が、彼女のこめかみを裂いたのだ。

 とめどなく流れる血が、彼女の美しい顔を凄絶に染め上げていた。

 震える腕に力を込めて、立ち上がろうとする少女の赤い視界に、刃を携えた人形が映り込む。

 

 ――嫌だ。死にたくない。

 

 震える唇は言葉を紡げず、ただか細い吐息を漏らすのみ。

 しかし、悪魔に容赦や情けという概念はない。子供だろうが老人だろうが、殺して奪って犯すだけだ。

 

 少女の恐怖を味わいながら、人形が錆びた刃を振り上げて――。

 

 ――何の抵抗も容赦もなく、その心臓を刺し貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

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