よろしくお願い致します。
「こんにちは。お嬢さん」
「……貴方は……?」
これは遠い昔の出来事。
「……万里花。今日はお前に渡したいものがある」
「なんばくれると?」
「何故、警戒したような目を? これなんだが……」
「何ばい。その趣味の悪かネックレスは」
「えっ、趣味悪いか? ……で、でも受け取って欲しいな……?」
「冗談ばい。ありがと。れんくん」
「……ああ。実はそのネックレスには効果が有ってだな。肌身離さず着けてくれたらお前の病気も治る程だ」
「……れんくんの冗談は面白くなか」
「冗談じゃないんだけど。ま、付けててくれるなら信じなくても良いよ」
「ふ、ふーん? あ、ならもしそれが本当で、ウチが元気になったら結婚してあげても良かよ?」
「それは結構です」
「即答!? 何でばい! 他に好きな
「いや、居ないけど……」
「ならなんでばい!!」
「……そりゃあ、万里花はこれから先、俺なんかよりずっと良い相手に巡り会えるからだよ」
「……なんでそげんかこつわかるん?」
「秘密」
「むむ……。なら約束ばい。大人になって再会した時に――」
………………、………………。
「……分かった。約束するよ。もし、万が一そんなことがあったら、な」
「……れんくんはいぢわるかと」
「意地悪なもので」
これは遠い昔。
俺は前世の記憶を持つ転生者だ。今世の名前は
前世の享年は16歳で、死因は窒息死らしい。
らしい、というのは死んだ時の記憶がなく、神を名乗る人物(神は人物で良いのか?)から教えて貰ったからだ。
なんだその経歴は。と言われても、実際にそういう出来事があったのだからそうとしか言いようが無い。
神は俺にこう言った。
お前は可哀想だから次の人生には特典を授けよう、と。
そこで俺が望んだものは、神が言うには回復チートと呼ぶものだった。
前世では何かと病気や生傷を負うことが多かったので、簡単にそれらを治せれば良いな、と軽い気持ちで願ったのだが、なんとも仰々しい名前になったものだ。
特典の次に神は転生先を教えてくれた。
神曰く、ニセコイの世界に転生するということだった。
漫画の世界に行くと知ったのはその時である。
漫画の世界ってどういうことだ。
と、神に問い詰める間も無く、俺は転生先――ニセコイの世界へと転生を果たした。
始まりは赤ん坊からだった。
前世と同じ精神年齢で赤ん坊になるなら、死んだ
……口を動かしても言語を発せられないからだ。
赤ん坊時代は文字通り何も出来ずに暇を持て余していた。
しかし赤ん坊から成長し、歩き回ったり色々と行動できる余地が増えると、途端に時間が過ぎる感覚が早くなった。
行動範囲が広がり、出来る事が増えた俺は神に貰った
神から貰った回復チートは、上手く使いこなすことができていなかった。
誰かの役に立つ事に使おう。
と、一度だけ病院に行った際に、院内の患者の病気をこっそり治したことはあったのだが、凡矢理病院の奇跡! などと言った内容で新聞やメディアに取り上げられ、大騒ぎになってしまった事があり、それ以来
そんな事情もあって、ほぼ人前で
つまり、前世と同じ年齢になったわけだが……なんだか前世よりも時間が過ぎるのが早かった気がする。
俺が通っている高校は凡矢理という名前の高校で、言わずもがな
とは言っても、原作の主人公である一条楽や、ヒロインの桐崎千棘とは関わりがないので、あまり原作の内容に関わることはないだろうと考えている。
強いて言うならば、クラスが同じということくらいだろう。
ただ、ニセコイヒロインの一人である橘万里花には幼少期に会っている。
それも、一条楽と橘万里花が出会う前に。
何故、原作を崩壊させかねないような事をしたかと言うと、橘万里花の病気を治すためだ。
彼女は原作通りに事が進んだら、自身の病気が原因でヒロインの座から降りてしまう。
その結末を変えたくて俺は幼少期に彼女に接触し、病気を治す手助けをした。
つまり彼女に関わった理由は、病気で物語から退場する橘万里花の結末を変えたかった。
という俺の自己満足であり、偽善的な行いだった。
彼女が健康になったことで幸せに日々を過ごせていれば良いが……。
俺と橘万里花の出会い方は印象に残る出会い方だったかもしれないが、彼女と関わった時間は意外と短い。
彼女と出会った時期も一条楽よりも早いため、俺より後に会ったであろう一条楽との思い出の方が彼女の印象に残っているはずだ。
俺は橘万里花の結末を変えたかったが、俺自身が
その策というのは、彼女の病気の治す時期をずらす、というものだ。
俺は橘万里花にアクセサリーを渡し、そのアクセサリーに病気を治す
その効果は病気を治す、という物の他に、
そう、上手く時期が合えば、楽が万里花に髪飾りを渡してから効果が発揮され、まるで楽のおかげで病気が治ったと見せ掛ける事ができる……!
そんな事をしているので、もしかしたら原作よりも一条楽に対する好感度は高いかもしれない。
頑張れ
「……っと。そろそろ起きないとな……」
ぐいーっと両手を伸ばし、ベッドから身体を起こす。
起きる気力が沸かず、なんとなく今までの事を考えていたら、何時もより起きる時間が遅かった。
起きたばかりの身体の怠さを消したい。
そんな時に便利な特典を、俺は1つだけ持っているんだよなぁ……!
「……ッ!」
身体が光ったり音が鳴ったりすることはないが、今まであった身体の倦怠感は消えた。
地味な
「さて、学校行くか」
適当に顔を洗い、寝癖をちゃちゃっと直す。
そのまま玄関を出て、家の鍵を掛けているか3回程確かめてから外に出る。
1階へと続く階段を1段1段降りる度に、ギシギシと嫌な音が鳴るので、今にも階段の踏み板が抜けるのではないかと心配になる。
俺が住んでいるこの建物は、2階建てのアパートで、特徴的なのは全体的にボロいということだろう。
アパートの壁は所々剥がれているし、階段は赤錆だらけ。
おまけに階段の手すりは途中で途切れて無くなってしまっている。
しかしこんな外観ではあるが、部屋の中はそれなりに綺麗で、外観に目を瞑りさえすれば、住む分には問題なかったりする。
高校に向かって歩き出しているが、まだ登校している学生の姿はあまり見受けられない。
それもそうだろう、なぜなら始業時間まであと1時間半もあるからだ。
ちなみに、ここから高校までの距離は長く見積もって20分程度だ。
俺は朝食を用意するのが面倒で、家で食べる事はほとんどない。
なので、学校に行く途中にコンビニ等に寄り道し、そこで朝食を調達してから学校に向かうのであった。
買い物をする時間だけで考えると、そう時間は掛からない。
しかし近所のコンビニは、朝に仕入れる食べ物の量が多くないため、こうして朝早くに家を出る必要があるのだ。
常連のコンビニに辿り着き店の中に入る。
ふと、いつも聞くいらっしゃいませ。の声が聞こえないことに違和感を覚え、レジの方に目をやると、ここに通い始めてから初めて見るくらいの行列が出来ていた。
……今日の店員はレジ以外に気を回す余裕がなさそうだ。
こんな朝早くから混むなんて、何かイベントでもあるのだろうか?
レジに並んでいる人のほとんどが、私服姿であるし。
……と、気にしても答えは出ないので、目的の朝食を選ぶことにする。
「…………」
あの行列を見たのだから早々に気が付くべきであった。
コンビニの弁当類は全て売り切れており、残っているのはおにぎりしかなかった。
しかも、そのおにぎりも俺が苦手とする梅のおにぎりで、数は1つしかない。
「……なんて日だ」
周りに人がいるにも関わらず、思わず呟いてしまった。
幸い、周りには聞こえていなかったらしく、怪訝な目を向けてくる者は誰も居なかった。
仕方がないので菓子パン(これも1つしかなかった)を選び、牛乳を持ってレジに並ぶ。
商品を選んでいる間に行列は無くなったが、
がっかり。
「どうした? みかんの皮食ったみたいな顔してるぞ?」
「なんだその顔……。お前食ったことあんの?」
コンビニの出来事を引きずりながら教室に入り、一息吐いたところで目の前の席の男がそんなふざけた事を言ってきた。
彼は萩庭 健二という男で、高校から出来た友人である。
健二はがっしりとした体格をしており、勉強はあまり得意ではないが、運動が得意といった生徒だった。
少しうるさいが、気は良い奴なのでクラスの嫌われ者ではない。
「それより聞いてくれよ蓮!」
「うん」
朝コンビニで買った菓子パンの袋を開け、一口齧る。
甘っ!
「昨日の放課後、一条と桐崎さんが何してたと思う!?」
「うん」
……しまった。
手がベトベトになる前に牛乳にストローを刺しておくべきだった。
「あ、相合傘をしてたんだ! まるで非リアの俺たちに見せ付けるかのように!」
「ほーん」
牛乳と一緒にパンを食べたらすぐに無くなってしまった。
……物足りない。
やはり朝は米を食べたかった。
昼飯まで持たなかったら
「……聞いてるか?」
「相合傘が羨ましいって話だろ?」
「そうだよ畜生がー!!」
わーっと泣きながら健二は机に突っ伏した。
突っ伏すなら自分の机に戻れよ。と思うが、ここで構うと更に面倒くさいことになるのは今までの経験でわかっているので放っておく。
早く授業始まってくれないかなぁ。
「はーい。全員注目ー! 今日は突然だけど転入生を紹介するぞー!」
「ッッ!! 転入生! 美女か!?」
担任のキョーコ先生がそういうと、目の前で突っ伏していた健二は物凄い勢いで復活した。
しかも口走っていた内容が、欲望に忠実過ぎてドン引きである。
「ドン引きだよ
「良いだろ別に! てか何だよそのわらって!」
……例の橘万里花が転校してくるのは今日だったのか。
原作の知識はなんとなく覚えているが、時系列まで正確に覚えていなかったので、普通に驚いた。
こうして凡矢理高校に現れたということは、原作通りに事が進んだという事だろう。一安心である。
周りの生徒たちも俺たちと同じように
……前例があるからか、他の生徒も美女か美女か、と予想している。
騒めきはキョーコ先生が「落ち着けー」と注意するまで続いた。
「それじゃ入って。橘さん」
「はい」
彼女が教室に姿を現すと、おおぉと感嘆の声が上がり、誰もが静かにその様子を伺った。
そして、俺はそんな彼女の姿を見て固まった。
「……皆さん。初めまして」
彼女の髪の毛は
「橘 万里花と申します」
首からは
「何卒よろしくお願いします」
頭にあるはずの特徴的な髪飾りがなかった――。
「うおおおおー!!! またしても美人……!」
「モデル!? モデルなの!?」
「オレこのクラスで良かったー!! FO-!」
クラス中が一斉に騒ぎ出し、歓声と拍手で一杯になった。
キョーコ先生が何か言っているようだが、その声すら聞き取れない。
口笛を吹いている舞子なんかは、他の生徒に担ぎ上げられている……。
「おいおい蓮! 超美人じゃねあの子! ……って、どうしたんだ? そんなアホみたいに口開けて?」
「………………」
「お、おい。もしかして、お前あの子に一目惚れでもしたのか?」
「………………」
「何か言えよ、怖いわ!」
健二に肩をがっくんがっくん揺すられ、正気に戻った。
彼女の原作との差異に冷静さを失ったがもう大丈夫……!
彼女は俺と出会ったせいで少し変化しただけで、一番大事な好意は一条楽にあるはずだからだッ!
そもそもそうで無ければ凡矢理に来る理由が無い。
慌てる必要なんて無かった――――。
「あ」
橘万里花は何かに気付いたようで、ゆっくりと歩みを進めた。
心なしかこちらに向かって来ているように見える。
……
「お久しぶりです。蓮様!!」
花が咲いたような笑顔、というのは彼女が今している表情に使うべき表現なんだろう。
文字通り花が咲いたような錯覚に陥る。
彼女は俺の名前を呼んだような気がするが、笑顔の衝撃で前後の出来事がなんだか曖昧になってしまった。
周りの生徒たちは息をひそめるようにこちらを見守っているようで、転校生が来たというのに不自然な程静かだった。
「……蓮様?」
俺を呼ぶ彼女の言葉が耳に入った。
……やはり、先ほどの呼び声は勘違いでは無かったようだ。
さて、ここからどうするべきか。
ここで
……それは駄目だ。
彼女の悲しい結末を変えようとしたのだから、彼女が悲しむような事はしたくない。
受け入れよう。
どういうわけか彼女は一条楽ではなく、俺のことを優先してしまったらしい。
「…………様付けはやめてくれ。……久しぶりだな、万里花」
昔と同じように呼んでしまったが、彼女も下の名前で呼んでいたのだから許してくれるだろう。
――と、
「~~っ!! 蓮くんずっと会いたかったばい!!」
「ふがっ!?」
目の前にいた万里花に突然抱きしめられて、変な声が出た。
って、ていうか彼女のおっぱ……お、お胸に顔を埋める形になっているのでは!?
引き離したいけど、こんな華奢な子のどこを掴んで良いんだ!?
え、ちょ、柔らかさより苦しさが…………。
「うおおおおおおおなんだぁぁぁぁ!!?」
「転校生が倉井に抱きついたーー!!?」
「一条じゃないなんて珍しい!!」
「どういうことだよそれ!!」
…………。
「ちょ、ちょっと橘さん? 蓮のやつ離してやってくれ! 死に掛けてる!」
「はっ。あぁ、申し訳ありません! 大丈夫ですか蓮く……様」
「……はう」
「蓮しっかりしろ! 息を吸うんだ!」
…………なんだろう。
途中から苦しさしか感じなかった。
健二がなんか言ってるが、頭がぼうっとして上手く聞き取れない。
「あ、あのー! 橘さんって、倉井のお知り合い……?」
……と、そんな中舞子が挙手をして万里花に尋ねているのが耳に入った。
「はい♪
万里花はくるり、と身体を舞子の方に向け、笑顔のままそんなことを宣言した。
『い、許婚ぇ~~~~~!!?』
「ど、どういうことだよ蓮!? おま、お前許婚なんていたのか!?」
「知るか! 俺だって今初耳だわ!」
周囲の生徒たちは混乱しているようだが、一番混乱してるのは俺だ!
てか、何時の間にそんな事になったんだ!?
横目で隣の生徒を眺めると、なんと教室のほとんどの男子が瞳に怨念を宿しこちらを睨みつけている。
……。
女子は好奇の目でこちらを見てはいるが、敵意を抱いている者はいなさそうだ。
ちなみに、正面にいる健二はわくわくしたような表情をしている。
人事だと思って……!
ニヤニヤしてないでこの状況から助けて欲しい。
……と、そこに救いの手が。
「あー、もうすぐ授業だから。あんたらちょっと落ち着け」
今まで静観していたキョーコ先生の一声で、ひとまず教室の生徒たちに理性が戻った。
……この騒ぎの中俺たちを見守ってられる先生は大物だなぁ……。
その声を聞いた騒ぎの元凶の万里花は、
「では、また後ほど」
と恭しくカーテシー(スカートの両端を持ち上げて行うアレ)を
彼女の座席は俺の右後ろのようだ。
視線で万里花を追っていると、彼女はこちらに天使のような微笑みを向けて来たが、俺は強張った笑みを浮かべるのが精一杯だった。
いや、だって……周りの視線が……ね。
……原作とは違い警官隊が突入してくることもなく、平和に授業が始まったのに、俺の平和はなくなってしまったようだ。
理由は
…………これからの事、つまり1時間目の授業の後を考えると憂鬱である。
万里花との関係追求されるんだろうなぁ……やだなぁ……。