「思ったより時間掛かっちゃったな……」
ロッカーまで財布を取りに行くまでは良かったものの、プールに戻るまでの道が混んでしまい、万里花との待ち合わせ場所に戻るのに時間が掛かってしまった。
人混みに文句を言っても仕方のないことだが、思わず一言ぼやく。
この様子では、万里花を待たせてしまっていそうだ……と、
「……ですから、私人を待っているんです」
「そんなこと言ってるけど全然来ねぇじゃん」
「そうそう。そんな奴より俺らと行った方が楽しいぜ? こうみえて俺ら金持ってんだ」
…………なんか、万里花が変な男たちに絡まれてる!
なんてことだ……俺が少し戻ってくるのに時間を掛けてしまったばかりに……。
今日に限って彼女の護衛も居ないし、さっさと割って入ろう。
「なんだ?」
万里花と絡んでいた男の間に割って入ると、その内の一人が訝しむような声を上げた。
「……彼女は俺の連れなんで。それじゃ」
安堵した表情を浮かべる万里花の手を取り、早足でその場を離れようとしたが、男に肩を掴まれてしまった。
「おいおい。その姉ちゃんには俺らが話しかけてたんだけど?」
「そうそう。お前みたいな貧弱なガキより俺らの方が相応しいってもんよ」
……
先ほどまでとは違い、剣呑な雰囲気になり始めたのを感じてか他の客から注目が集まって来た。
この男たち2人は今の状況をわかっているのだろうか。
こんな観衆の前で脅し始めるなんて、警備を呼んでくれといっているようなものだろう。
「俺の方が相応しいので。それじゃ」
手を振り払って再び歩き出す。
これでまだ追いすがって来たら警備の人を呼んで貰おう。
――と、そんな俺の考えとは裏腹に、男たちは舌打ちをしただけで、追いかけて来ることはなかった。
……もしかして、俺が手を出すのを待っていたとかだろうか。
……どちらにせよ、嫌な奴らだったことには違いない。
「……遅いですわ」
「悪かった。人波を蹴飛ばしてでも急ぐべきだった」
「そんな事はしちゃ駄目です」
呆れたように言う万里花だが、表情は少し嬉しそうだ。
「ふふ。私に相応しいのは蓮くんですから。手放しちゃ、駄目ですよ?」
腕に抱き付きながらそう言う万里花。
どっちかというと、彼女の方が離してくれなさそうだと思ったが黙っておく。
……って、それよりもやばい事態が。
本日2回目の柔らかさの強襲だっ!!
「お昼は何を食べましょうかねー」
暢気に言う彼女の言葉が耳に入って、そのまま抜ける。
いや、お昼ご飯も大事ではあるのだが、その前に腕! 腕に抱き付くのをだな!
ああ、男たちの視線が突き刺さる……。
万里花は屋台の方を気にしているからか、他の客の様子に気付いている様子はない。
「色々あるんですねー。蓮様は何か食べたい物はありますか?」
この柔らかいものを別の物だと考えれば、なんとか意識を逸らすことができるのではないだろうか。
彼女が抱き着いているのは左腕なのだが、緊張によって右腕がぷるぷるして来ている。何か良い方法を考えないと、そのまま左腕までぷるぷるさせてしまいそうだ……!
……!
そうだ、この柔らかさをこんにゃくだと思おう!
左腕に張り付いてるのはこんにゃく。少し温かみのあるこんにゃく……。
って、温かみのあるこんにゃくとは!?
「蓮様?」
「おでん」
「へ……? おでんが食べたいのですか?」
「え、あ、いや。……ああ。ちょっと食べたくなったんだ!」
……良かった。
口に出した言葉が変な言葉じゃなくて。
……唐突におでんと口に出すのも変ではあるが、そこは置いておく。
「……うーん、残念ですけど屋台には無いみたいですね。今度私が作って差し上げますから、今日は我慢してください」
「……え、おでん作れるの?」
「もちろんです。時間は掛かりますけどね」
おでんも作れる女子高生とは。
……料理としては簡単な部類なのか?
「いや、作って貰うのは申し訳ないから遠慮するよ。時間掛かって面倒だろ?」
「ふふ。おいしく食べてくださるなら些細な事ですわ。それとも、私が作ったものは食べたくありませんか?」
「食べたい」
あっさりと誘惑に負けた俺はそんな返事をしてしまうのだった。
だって万里花の料理は美味しいだろうし、こんな聞かれ方をして食べないなんて返事が出来るわけないじゃないか。
仕方無い仕方無い。
若干、現実逃避気味な思考をしながら屋台を巡った。
屋台巡りの結果は、焼きそばを頂くこととなった。
焼きそばの感想としては、まあ、これくらいの美味しさだろうという納得がいくものだったが、少し味が濃かったのだけ気になった。
「さぁ! もうひと遊びしましょ!」
「食後の運動だな」
「はい! ……あ、でも財布を戻しませんと……」
万里花が不安そうな顔でこちらを見る。
先ほどのことを思い出したのだろう。
「そうだ。俺の財布も万里花の方にしまってくれないか? 俺がここで待ってる分には平気だと思うし」
「……ご迷惑を掛けてしまって申し訳ないですわ……。でも、蓮様もナンパにはお気をつけてくださいね」
「ナンパしないしされないから大丈夫。ほら、行って行って」
万里花が更衣室に入るまで見送って、一息つく。
後は戻ってくるのを待つだけだが……念の為、彼女が出てきたらすぐ合流できるよう様子を見ていよう。
……女子更衣室を注視してたら不審に思われるだろうか?
しかしかといって、ちらちらと様子を伺うのも怪しいような……。
まぁ、ちょっとの間だし、もし警備の人に話しかけられても、連れを待っていると言えば納得して貰えるか。
そんな葛藤を続けること数十秒。
特に問題も無く万里花が戻って来たので合流した。
「早かったな」
「急ぎましたからね。次はどこに行きましょうか」
「そうだな……。意外と流れるのは楽しかったから、スライダーとかも楽しいかな?」
少し距離が離れているので滑っている人たちの声は聞き取り難いが、ぴゃーぴゃーと楽しそうな声が聞こえてくる。
見たところ順番に滑っていくようなので、一人用になってしまうかもしれないが、一度行ってみたいと興味が惹かれる。
「楽しいと思いますよ。蓮様が前を滑ってくださるなら私も行きますよ」
「お。なら行ってみようぜ」
スライダーに向かって歩き始めると、他の客の声がよく聞こえるようになる。
……どうやら、ぴゃーぴゃーと楽しそうに聞こえていた声は、実は悲鳴だったらしい。
「……なぁ、万里花。これって意外と怖いのか?」
「えーと、人に拠るとは思いますけど。一般的にはちょっと怖いものだと思いますよ」
「……そうなのか」
ま、まあ途中で人に驚かされたり底が抜けたりするわけじゃないだろうから大丈夫だろう!
と、気軽に考えながら階段を登るにつれて、少しずつ恐怖心が混み上がって来た。
……やっぱり、止めようかな。
「中々スリルがあって楽しそうですね!」
そう楽しげにいう万里花には余裕が見て取れた。
……ここで引き返すと言い出すと、なんだか情けない気持ちになりそうなので意地で行くことにする。
でも、前の組でトラブルが起きて中止。とかってなっても構わないんだけどな!
そんな俺の期待はあっさりと砕け散り、とうとう順番が周って来た。
「よし、先に行くぞ」
係りの人にどうぞー。と声を掛けられたので、気合いを入れてスライダーの入り口に立つ。
……改めて入り口に立つとシンプルに怖いな。
「どうして一人で行こうとするんですか? 一緒に行きましょうよ♪」
ちょっとした衝撃と共に背中に柔らかさが――!!?
「ぶふぁっ!!?」
「蓮様!?」
~~~~~~~~~!!?
「ちょ、万里、何してんの!?」
「何って、ここのスライダーは2人までなら一緒に行っても良いって書いてたじゃないですか」
そうなのか!? と係りの人に視線をやると、いいからさっさと行けと表情だけで言われてしまった。
「いや、ちょっと待って! 色んな意味で待って! ちょっと覚悟を――」
「ていっ」
無慈悲と化した万里花が背中に抱き着いたまま、スライダーに突進し……!
「わぁぁぁぁっ! ぶっ!! 水、水う!!」
「ひゃあああああ♪」
なるほど、俺を先に行かせた理由はこれか!!
――――。
「……あのー、大丈夫ですか、蓮様」
「……鼻に水が……。ごごまで顔面に水が直撃するどは……」
「重症ですわ」
怖いとか楽しいとかよくわからないままスライダーを滑り終わり、俺と万里花はプールの端に避難していた。
まさか顔面に水が掛かって目を瞑り、タイミング悪く息を吸い込んだ瞬間に鼻に水が入るなんて……。
もうスライダーには乗らない……。
「プールですからティッシュも持ってませんし……。トイレでお顔洗って来ますか?」
「……そうする」
少し情けないが、お言葉に甘えることにする。
鼻水垂らしながら万里花の傍に居たくはないからな……。
「迷惑掛けたな……」
「そんなことはありません。後でもう1度行きますか?」
「行かないっ!」
トイレから戻ると、待っていた万里花に早速からかわれてしまった。
……まさかスライダーがあんな凶悪なものだとは思いもしなかった。
もし、今後また乗る機会があれば十分に対策を取りたいところだ。……対策といっても何をすればいいのかは見当も付かないが。
「気を取り直して違う場所に行こう。万里花の希望はあるか?」
「そうですね……。折角ですから、まだ行ってないプールにしませんか?」
「ああ。まだ二つしかクリアしてないからな。……特に希望が無いなら、そこの近くにあるプールにしないか?」
ええと、確かこのプールは……ただ広いだけのプールだな。
「そうしましょう。あ、丁度広いプールみたいですし、夏休み中に海に行くかもしれませんから泳ぎの練習をしませんか?」
「えぇー……。えぇー……」
「とても嫌そうですね……! ですが、泳げた方がきっと楽しいですわよ」
万里花はそう言うが……。
ううん……。正直一日、それも数時間くらい泳ぎの練習をしても、泳げるようになるとは思えないが……。
「っ! でしたら、泳げるようになったらご褒美を差し上げますわ!」
良い事を思いついた! と言った顔の万里花。
一体何を思い浮かんだのだろう?
「ご褒美……?」
なんとなく怪しい感じがして、低い声音になった。
「はい! 今日泳げるようになったら、ご褒美として私の家の鍵を差し上げますわ!」
「重い!! 要らないよ!」
――と、言ったものの、泳ぎの練習自体はすることになってしまった。
結論から言うならば、俺は少しの距離なら泳げるようになった。とだけ。
後、意外と万里花はスパルタだということを知った。
「…………」
泳ぎの練習を終えると、意外と時間が過ぎていたので、今日は帰ることとなった。
お互いに着替えて、今はバスに乗りながら帰路を辿っているのだが……。
「…………」
「……昨日とは逆だな」
話しかけても返事はない。
万里花は疲れてしまったようで、俺の肩に寄り掛かりながら夢の世界へと旅立っている。
幸い、バスの乗客が少ないので注目されることはない。
ここで俺も寝てしまったら、終点まで行ってしまいそうだ。眠らないように気を付けないと。
「んん……」
万里花が居心地が悪そうに身じろぎする。
……流石に公共機関で膝枕してやる訳にはいかないよな……。
頭の位置の良さは万里花にしかわからないので、そこに関しては放っておくことにして……。
手を彷徨わせていたので、握ってみることにした。
「……」
大人しくなったので、そのまま手を握っていることにした。
このバスの行き先には、万里花の家と俺の家の近くの停留所があるので、予定ではここで別れようと思っていたが……。
こんな状態の万里花を一人で帰らさせるわけには行かないので、家まで送って行く事にする。
例え帰る時間が遅くなったとしても、警察にさえ見つからなければ何の問題も無い。
目的の停留所まではまだ時間が掛かるので、大人しく景色でも眺めるとしよう。
「……申し訳ありません……蓮様……」
「気にしなくていいよ。それに、昨日は俺が世話になったからな」
手を引いてバスを降りたところで、万里花は現状を理解したらしく申し訳なさそうにしていた。
俺としては何も迷惑と思っていないし、昨日の自分を見ているようで思わず失笑してしまった。
なるほど。確かに迷惑とは思わないわけだ。
「な、なんで笑うんですか!」
「いいや? 昨日同じようなやりとりをしたなって思い出しただけだ」
「……こすかね」
「なんだって?」
「何でもなか!」
ぷりぷりした様子を見せる万里花だが、あまり怒っているようには見えない。
ずんずん先に行ってしまうかと思ったが、どうやら繋いでいる手は離す気が無いみたいだ。
手をぎゅっぎゅと握ると、少し握り返してくれる。
「怒ってない?」
「……つーん」
自分でつーんなんて言う人初めて見たな……。
そんなやり取りをした後、特に会話をする間もなく万里花の家に着いた。
空は夕暮れ模様で、もう少ししたら夜になることを告げている。
今日はここでお別れだな。
「それじゃここまでだな。また遊びに行こうな」
「…………」
「万里花?」
家の前まで着いたので、今日のところは別れようとした……のだが。万里花が手を離してくれない。
「どうしたんだ?」
「……今日は、プールに行ったので疲れました」
「うん」
疲れたのなら早く帰って休んだ方が良いのではなかろうか。
「ですが、今日は護衛全員に休暇を命じたので一人なんです」
「…………」
「あと――」
「わかった。晩飯もどこかに食べに行こう」
「本当ですか! ですがここからお店までは遠いですし、私の家に食材は余ってるのでこっちにしましょう!」
………………。
「万里花。元気じゃないか?」
「そんなことありませんよ。とっても疲れてます」
そう言いながら俺の手をぐいぐい家に向かって引っ張る万里花の力は、先程までより強く感じた。
……なんだかなぁ?
家に入ると、有無を言わさずに俺から水着を奪い取り、洗濯機に突っ込む万里花。
……やっぱり元気じゃないですか?
万里花の普段生活している部屋とは別の部屋で洗濯をしているので、洗濯機の音は聞こえない。
……1フロア占拠するお金持ちは、全ての部屋に家具も揃えているのだろうか。
「……申し訳ありません。蓮様。今日の具材ではおでんは作れないです……」
「いやいやいや。なんで時間掛かるって言った料理を作ろうとしてるの……」
今からおでんを作り始めたら食べるのは何時になるんだ? ……流石に万里花の冗談だろう。
「あー、疲れてるんだから無理に何か作らなくても良いんじゃないか? 例えばカップ麺と……か……」
信じられない物を見るような目で見られて、段々と言葉が尻すぼみしていく。
……そんなに駄目だろうか。カップ麺……。
「前にも言いましたけど、ちゃんと食事摂ってますか?」
「あ、当たり前だろ? ほら、偶にはカップ麺食べたって問題ないだろ?」
怖い。
万里花が笑顔なのに怖い。
「……わかりました。これ以上は聞きませんけど、もし変な食生活してたら怒りますからね」
「は、はぁい……」
以前万里花に注意されてから、食生活は少し改めているので大丈夫なはずである。
お弁当を買って食べたり、肉を焼いてご飯を食べたり……。
……偶に面倒な時は食べないけど。
「今日はお魚を焼いて食べましょうか」
「……魚か」
普段あまり食べる機会のないものだ。
「大丈夫ですよ。美味しいお魚を取り寄せてますから、味の心配はありませんよ」
「美味しいお魚とか、関係あるのか?」
「勿論ですわ。普段食べているお魚と比べたら、美味しさにびっくりすると思いますよ」
くすくす笑いながら言う万里花だったが、俺は訝しげな表情を浮かべていたと思う。
普段食べる魚と、万里花の言う美味しい魚は一体何が違うというのだろう?
「では、お料理するので蓮様はごゆっくりしていて下さい」
「何言ってるんだ万里花。俺も手伝うぞ」
「まあ。ありがとうございます♪ でしたら私のことを見守っていてくださいね」
「わかった!」
…………あれ?
万里花の魚料理を食べた感想としては、ここが料理漫画の世界だったら衣服は全て弾き飛ばされているだろう。というくらい美味だった。
……え? わかんない?
言葉では言い表せない程の美味しさだったということだ。
テレビで芸人がうまーい! しか感想を言わない気持ちが少しわかった気がする。
料理は全て万里花がやってしまったので、片付けは俺がやる事にした。
時計を見るともう8時を過ぎていたので、少し急ぎ気味に。しかし丁寧に洗っていく。
「ふふ。お魚も美味しいでしょう?」
「ああ! 世界が変わった気がするよ!」
「まあ。それは作った甲斐がありましたわ」
今日はもう時間も遅いので聞かないが、今度おいしい魚の見分け方を教えて貰って自分でも焼いてみようか。
……いや、俺の家にコンロなかったわ。
「……蓮様。なんだか外の音うるさくありませんか?」
ふと思い立ったように、万里花が訊ねて来た。
耳を澄ますと、確かに雨音のような音が聞こえる気がする。
「雨降り始めたのかな? ……悪いけど傘貸してくれるか?」
「ええ。それは勿論。……ですが、嵐みたいじゃないですか?」
万里花の家の防音性が高いからか、耳を澄ませないと聞き取れないが、確かに雨音にしては激しい音がしているような感じがする。
「天気予報見てみましょう」
万里花が予報を見ている隙に最後の洗い物に取り掛かる。
ふっ。今の俺は洗い物のプロ……!
「……あらー。蓮様。残念なお知らせですが、これからずっと傘のマークが続いてますわ」
「はぁ……。狙い撃ちされた気分だ」
「朝の予報では、今日の天気は晴れ1つでしたのに」
……とことん嫌われているらしい。
仕方が無いので、タクシー……を利用するお金は無いので、自力で帰ることにしよう……。
「んじゃ。洗い物は全部終わったから帰るわ。今日はごちそうさま」
「どうして帰るんです?」
「はい?」
不思議そうな顔で見つめられるが、こちらも同じような顔で見つめ返す。
「だって、外は嵐なんですよ」
「ま、まあな?」
「それなら泊まって行けば良いじゃないですか。幸い、部屋は開いてますから」
「…………いや、でもな?」
「それとも、私と一緒は嫌ですか?」
「……万里花。卑怯」
だからそんな聞かれ方したら断れないって……。
「自分の武器を使っているだけです」
言い争いに勝利した万里花はにこにこと機嫌が良さそうだった。
男は口で女に勝てないとよく聞くが、ここまで勝てないものなのだろうか……?
俺が万里花に弱いだけなのだろうか。
「着替えは……父の物を借りて来ますね」
「……そういえば橘さんは、今日帰って来ないのか?」
「ええ、基本的に職場の近くに泊まってますから。今日もきっとそうだと思いますよ」
そう言い残して、万里花は部屋を出て行ってしまった。どうやら本気で泊めてくれるつもりのようだ。
……良いのだろうか。このまま泊まってしまって……。
いや、世間体を考えれば悪いに決まっているのだが……。
「……違うな」
周りがどうか、じゃなくて俺がどうしたいかで決めるべきだ。
万里花の好意を無下にしてでも帰りたいか。こんな嵐の中帰りたくはない。
彼女の好意に甘えて傷つけるようなことをするか。……考えるまでもなく、そんなことはしない。
「普段通りに過ごせば、問題ないな」
変に緊張するより、普段と同じ態度でいた方が万里花も安心するだろうし、お互いに取ってもそれが最善のはずだ。
今日の俺は万里花の水着にも耐えた男! そんじょ其処らの男とは精神力が違うってもんよ!!
「待って万里花! その理屈はおかしいって!」
「そんなことはありません。理に適ってますわ!」
そんな誓い空しく、俺は顔を赤くさせながら万里花と言い争っていた。
その争いの原因はと言うと、
「お風呂のお湯まで一緒にしなくていいだろ!? それに風呂に入らなくてもシャワー借りれればそれでいいはずだ!」
「いけません! 今日はプールで遊んだのですから、しっかりと温まって休むべきです!」
万里花が言うことはこうだ。
他の部屋にもお風呂はありますが、貯める水が勿体無いので、一緒のお風呂で良いですよね?
ということだ。
だが待って欲しい。
同じ年頃の異性と同じお湯に浸かるのは恥ずかしくないだろうか!
「ですから、蓮様が先に入っていいと言ってるじゃないですか!」
「入る順番のことを言ってるんじゃなくてだな!」
「いい加減にしないと一緒に入りますよ!」
「入ってきます!」
脱兎の如く風呂場に駆けだす。
万が一そんな状況になったら、先程の誓いを破る可能性がごく僅かでも出てしまいそうだ……!
「……もう、そんな逃げるように行かなくてもいいですのに」
お風呂場が広いのは良いなぁ……。
身体が温まり、ぼうっとした頭でそんなことを考える。
万里花がお風呂に入り始めてからしばらく経つので、そろそろ戻ってくるのではないだろうか。
特にやる事も無いので、だらけながらテレビを眺める。
万里花が用意してくれた橘さんの寝巻きは大きいが、袖を捲っておけば問題無く、素材が良い物だからかとても着心地が良い。
「はぁ……。これだけ休めるなら
ごろごろと床に転がっていると、ドアの開く音がした。万里花が戻って来たのだろう。
「おかえりなさい」
「はい。ただいま戻りました。……ふふ、リラックスしてますね」
「……なんだか、自分の家より居心地が良くてな。困っちゃうよ」
「ふふ。このままお引越ししても良いんですからねー?」
「…………しないから。そんな事になったら万里花に駄目にされる気がするし」
「厳しめがご所望でしたら対応しますよ? ……何故こちらを見てくださらないのかしら」
意識して万里花を視界に入れないようにしていたことがバレてしまったらしい……。
だって、今の万里花は寝巻き姿なわけだし……。
「こっちを見てくださらないなら~。悪戯しちゃいますよ?」
「っ! 見る! 見た! わぁっ! ……あれ、思ったより普通」
「……蓮様の中での私は、一体どんな姿だったんですか……?」
「い゛い゛!? ちょ、違います違います! 邪な妄想はしておりません!!」
万里花の寝巻きはシャツとズボンといった普通の格好で、露出が激しかったりする物では無かった。
黒い笑顔を浮かべながら迫ってくる万里花を、どうにか撃退しながら言い訳を続ける。
そんなやり取りを5分くらい続け……なんとか納得して貰い一安心。
イヤァー変ナ想像ナンテシテナカッタヨー?
なんてやり取りをした後、隣に万里花が座った。
……風呂上りだからか、何時もより良い匂いが……。いやいや、何時も匂いを嗅いでないから……。
「ふぅ。今日はたくさん遊びましたし、湯冷めしないうちに寝ませんか?」
「ん、そうか? なら、そうしようか」
まだあまり眠気は無いが、布団に入って目を閉じていればそのうち眠れるだろう。
それに万里花が寝たいと言ってるのに起きてても迷惑になるだけだからな。
「ところで、俺はどこで寝ればいいんだ?」
「今、案内するので待ってくださいね。他の部屋の電気とか消して来ます」
「そっか。ならトイレ借りるぞ」
トイレを済ませて部屋に戻ると、丁度万里花も部屋に戻って来た。
タイミング良いな。と二人で笑い合い、万里花に案内されて寝室に向かう。
………………。
「……万里花。ここ、万里花の部屋だよな」
「先に言っておきますけど、間違いでは無いですよ」
そう言って万里花は部屋の押入れから布団を取り出し始めた。
なるほど、布団を取りに来ただけだったんだな。……邪な考えをしてるのはどっちだよ……。
……深く反省しながら、布団を取り出すのを手伝う。
万里花は取り出した布団を両手で抱え、別室への扉に手を掛け、
「では蓮様。おやすみなさいませ」
と、一礼し……。
「いやいやいや!! ちょっと待って万里花どこ行くつもりだ!?」
「……? 蓮様は一緒にお部屋で寝たいんですか?」
「そうじゃなくて!! 逆だろ逆! なんで万里花が自分の部屋から出て俺が万里花の部屋で寝るんだよ!」
万里花の突拍子も無い行動を受けて、夜中だというのに大声を出してしまう。
「申し訳ないのですが、我が家にはベッドが2つしか無いんです。うち1つは父の物なんですが、父は自分以外にベッドを使われることをとても嫌がるのです。あと1つは私のベッドしか無いので蓮様に使って頂こうと思ったのですが……」
「いや、俺はベッドじゃなくて大丈夫だから」
「そんな! お客様に床で寝ろだなんて言えませんわ!」
「布団あるだろ……」
敷布団ではあるけれど、床で寝るとは訳が違うだろう。
「……万里花。今日は疲れたんだろ? 俺のことは気にしないでベッドで寝てくれよ。雨の中帰らないで済んでるだけでも十分ありがたいんだぞ?」
「う~。でも……」
「ほら、俺はあっちの部屋で寝るから……」
――と、万里花から布団を取ろうとしたのだが、その手は万里花に止められてしまった。
「……万里花」
「か、解決策が1つありますわ……! 2人一緒にベッドで寝ればいいのです! ええ! それが駄目なら私が床で寝ますわ!」
真っ赤な顔でそう叫んだ万里花は、下を向きながらぷるぷるしていた。
……これも俺が照れて妥協すると思われているのだろうか。
「……わかった」
「……ええ、ですので私は床で……きゃっ!?」
こちらを向いていなかった万里花の隙を付き、抱き上げる。
そうでもしないと、また言葉で惑わされてしまうかもしれないからだ。
「れ、蓮くん!!?」
「一緒に寝ればいいんだろ? 俺も疲れてるし、さっさと寝ようぜ」
「あ、あの……!」
万里花をベッドに降ろして、床に落ちた敷布団を畳み直す。
枕だけ持って、呆然としている万里花の隣に腰掛ける。
「……一緒に寝るなら、いいんだろ」
「ふぁ、ふぁい!」
恐ろしい速さでベッドの端まで移動しながら、万里花はそう返事をした。
俺も少し遠慮しながらベッドに入る。
ベッドの大きさは広いというわけではないが、ギリギリ2人で横になっても問題なさそうだ。
とは言っても、万里花の方を向いて寝るのは緊張するので、背中を向け合う形になる。
……俺がここまでして落ち着いているのには理由がある。
その理由とは、万里花が眠ったら敷布団で寝ようと考えているからだ。
先ほども言ったように、俺はまだ眠気が無いので、万里花が寝るまでの間起きていられる自信がある。
……そうでも無ければ、朝まで一緒に寝る提案などしない!
「……はぁ。蓮様も強引ですわね……」
「……お互い様だろ」
「……そうですね」
ふふふ。と笑い声が聞こえる。
しばらくすると、万里花が身体を動かした感覚の後に、くいくいっと背中の服を引っ張られたので、俺も身体の向きを変えた。
彼女の方に身体を向けると、見つめ合う形になった。
……顔がとても近い。
「今日は楽しいです。朝から遊んで、こんな夜まで一緒に居るなんて初めての経験です」
「……俺もだよ。でも、今は楽しいっていうよりドキドキの方が大きいかな」
「私だってドキドキしていますわ。でも、隣にいるのは蓮様ですから。信頼してますよ」
俺の手に手を重ねて、万里花は目を閉じた。
……このままの状態で寝る気だろうか……!
「ふふ。このまま眠ったら、明日起きた時に驚いちゃいそうですね」
「……なら、離れて寝ようか。朝の目覚ましが悲鳴なのは勘弁して欲しい」
「あら、悲鳴を上げるのは私ではなく蓮様かもしれませんよ?」
「……それなら、びっくりして起きる役目は万里花になるな」