蓮はよくわからない空間で寝ていた。
普段の蓮ならば異常を感じた瞬間に
しかし今の蓮はそんな考えにすら思い至らない。
心地の良い感触に身を任せ、意味のなさない言葉を漏らしている。
ふと、蓮は後頭部に何かが触れていることに気が付いた。
なんだろう? と疑問には思うものの、それを確認することすら
こんなに
……寝る?
「………………」
ゆっくりと、ゆっくりと蓮は目を開けた。
……何も見えない。ただ、
段々と。昨晩に何をしたか、何をして貰ったのかを思い出す。
……おかしい。と蓮は今の状況に違和感を覚える。
なぜなら昨晩寝る態勢になった時は、手を繋ぎあった状態であったはずだからだ。
つまり、今の状況は意図的に行われた可能性がある……!
ならばどちらが。
蓮は考える。果たして、万里花が自分を起こす可能性がある中わざわざそんなことをするだろうか。
……と、いうことは。蓮自身から向かって行った可能性の方が高いような気がしてきた。でも、それなら意識が無かったのだから偶発的ということになるだろう。
しかしわざとではないなら、無意識に向かってしまったということで、自分はそこまで万里花を求めてしまっているのか。と蓮は
「…………」
「おはようございます。よく、眠れました?」
頭上からの声。
間違いなく万里花だ。
蓮が起きたことに気が付いたようだ。
「……? まだ眠たいですか? いいですよ。まだ夏休みですから、ゆっくりしましょう」
動かない蓮の様子を見て、そう解釈する万里花であるがそれは違う。
蓮はただ恥ずかしくて動けないだけである。
「……お、はよう」
弱弱しい声であった。
声は震えているし、最後の方はほとんど消え入りそうな程の声量になっていた。
恋人同士になったとはいえ、初日からこんな醜態を晒してしまった蓮はぷるぷる震えていた。
「はい。改めておはようございます♪ ……大丈夫です。いくらでも甘えてください。嫌いになったり、しませんから」
「ひぅ……」
内心を見透かされたあげく、追撃までされた気分の蓮だった。
「先に洗顔して来ますね。蓮くんはゆっくり起きて来てくださいね。いいですか? ゆっくりですよ?」
寝起きの顔を見られたくない万里花は、そう蓮に言い聞かせて自室を出て行った。
どうやって顔を見られないように蓮から離れたかというと、羞恥心に襲われていた蓮がベッドに突っ伏している隙に抜け出しただけであった。
しばらくベッドに顔を押し付けていた蓮だが、そのベッドが万里花のものというのを急に思い出して飛び上がった。
「か、完全にへんたいだ……!」
一緒に寝ていることに比べれば、大した問題でも無さそうだが、蓮にとっては添い寝よりも問題に思うことのようだ。
万里花にゆっくりと言われたので、蓮は部屋にもう少し留まることにした。
となると、自然と目は万里花の部屋を眺めることになる。
……ベッドと机があるくらいで、これといって気になるものはなかった。
「……いや、気にすることじゃないか」
私物の少なさが気になった蓮だが、家自体が広いのだから他の場所にあるんだろうと当たりを付けた。
それよりも顔を洗っている万里花に倣い、自分も洗面台を借りようと、体を起こす。
その際につい、いつもの癖で蓮は
そして…………、
「…………??」
「わぷっ」
顔を洗い終わった万里花は、突如部屋から出て来た蓮に抱きしめられた。
正面から、それも蓮からされるなんて思ってもいなかった万里花は混乱した。
「れ、れれれ蓮くん!? きゅ、急にそがん事されたら困るばい!」
「…………まりか」
「蓮くん……?」
ただならぬ雰囲気になにがあったのかを聞かなければと、万里花の意識が切り替わる。
「なにがあったのですか。蓮くん。話してください」
万里花は頼りにされて一瞬嬉しく思うも、深刻そうな蓮の様子を見てそんな場合ではないと首を横に振る。
何を言われてもいいよう心構えをする。
「……ざわざわする」
「ざわざわ?」
自分の部屋になにか不快になるような物があっただろうか、と考える万里花だが思い当たる節は無かった。
「ゆっくりでいいので、なにがあったか教えてください」
蓮の話を聞くと、万里花が部屋を出た後に
顔を洗おうと部屋を出ようとしたこと。
その際に回復を使ったこと。
そうしたら心がざわざわし始めたということだった。
「…………ごめん。ちょっと落ち着いた」
「大丈夫ですよ。その、蓮くんのざわざわは回復……のせいじゃないですか?」
「……でも、今までこんなことなかったんだ」
「うーん……」
考えながら万里花は蓮をぐいぐい引っ張り、蓮の顔を自身の胸に引き寄せる。
「ど、どうしていつも胸を押し付けるの……?」
「心臓の鼓動は安心感を与えるんですよ」
それとは別に、万里花が抱きしめられるのに慣れていないから。というのも理由の1つだ。
「考えれば考えるほど原因は回復にあるように思えますわね……。蓮くんは普段から使っていたんですよね?」
「……うん」
「それの力加減はどうしていますの?」
「……力加減?」
「常に全力で。とか、軽い感じで、とかってことです。それとも特に意識はしてませんか?」
そう言われて蓮は考えてみた。
普段意識しない時の回復はいつもどうしていたか。
「えっと、健康になるようなイメージで使ってた。かな……」
「健康なイメージ……」
蓮の頭をポンポンと撫でながら万里花は考える。蓮は心のざわざわ感が治まってきていた。
「……昨夜の嫌なイメージが残っていた。というのはどうでしょうか」
「昨日のが? ……でも、健康ではなかったと自分でも思うぞ」
蓮は昨日の状態を健康だとイメージして回復を使ったのではないか。という解釈でとらえた。
「ええ。それはそうなんですけど、蓮くんのイメージが大事なら、気分が沈んでる状態で回復を使ったら影響があると思いませんか?」
「……あるかもしれない」
万里花のおかげで昨晩の辛さのほとんどは治まったが、それでも全快というほどではない。
だから、万里花の言う通り昨日あった出来事が回復のイメージに悪影響を与えていたとしてもおかしくはない。
「蓮くん。蓮くんのその回復。普段から使うのやめませんか?」
「……え?」
万里花は蓮と視線を合わせながら諭すように語り掛ける。
「蓮くんのその力は便利です。私も助けて貰いました。でも、そんな頻繁に使うのは却って不健康になると思います」
「いや……でも、治るんだぞ……?」
「怪我も疲労もすぐに無くせるのは凄いと思います。でもね、蓮くん。普通の人はその力が無くても生きてます。大怪我をしたとか、難病に罹ったとかならない限り使うのを控えませんか?」
「……すぐに治すのは悪いことかな」
ばつが悪くなり、
「悪くはありませんよ。でも、今まで
「……心当たりは、ある」
心当たりどころかその通りであった。
食欲は餓死を回避するために回復できるし、睡眠だって回復を使えば一晩寝たのと同じだけの効果を得れる。
だから万里花と再会するまで食事は適当だったし、夜に眠れないのはよくあることだった。
「健康のために使ってる回復が却って不健康になってたのか……」
「薬と一緒です。大量に飲んでも逆効果、適量が一番ということです」
「…………わかった。気をつける」
今まで使っていた力を
「はい♪ 安心してください! これからはその力が無くても健康でいられる生活にしてみせますから!」
「…………ん?」
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「え、引越し……?」
朝の支度(洗顔、着替えなど)を済ませた俺と万里花は、テーブルを挟んで向かいあっていた。
回復を使ってしまったため食欲が無くなった俺は、飲み物だけでもと勧められたホットミルクをちびちび飲みながら万里花の話を聞いていた。
「お引越しです! こうして私と蓮くんは恋人同士に……恋人に、えへへ。……こほん」
万里花はデレデレとした表情からキリッとした表情に切り替える。
……まだ頬が緩んでいるように見える。
「なったわけです! なので、お隣さん……もとい、一緒に暮らしても問題はなくなったということです」
「いや……。いや、そういう話はあったけど……」
その話はもう少し経ってからというか、恋人になった次の日にお世話になるっていうのは気が引ける。
が、そんな俺の内心を見通してか、万里花がどんどん魅力的な誘い文句を告げる。
「これから毎日一緒にご飯食べれますよ」
それはとても魅力的な誘いだ。
回復を常用しないようにするためにも、食事は大事な要素になるだろう。
「毎日一緒に寝れますよ」
それは……ちょっと困る、かもしれない。心拍数的な意味で。
「私とずっと一緒は嫌、ですか?」
「嫌じゃない」
そんなことを聞かれて嫌と断れるわけがない。
お風呂まで一緒とかになったら困るけれども。……でも、それを拒める自信もないのが不安である。
俺の答えを聞いて万里花がにこりと微笑む。
「思い立ったが吉日といいます。今日のうちにお引越しを済ませてしまいましょう!」
万里花が立ち上がりながら宣言する。
まだ午前中とはいえ、中々過密なスケジュールになりそうだ。
「あっ、でも引越しってなったら……」
引越しをする場合、あの父親に連絡しろと言われたばかりだ。
親に連絡しなければいけない、という事は理解しているが、昨日の今日で連絡するというのは少し勇気がいる……。
「大丈夫です。父が連絡済みです」
「嘘でしょ!!?」
というか、まだ何も言ってないのに!
それに万里花は何時の間に連絡をしたんだ!? 俺が引越しを了承するのを見越していたとしても、恋人になったのが昨晩で、しかもそれは寝る直前の出来事だった。
起きた時も万里花と一緒にいたし、洗顔の時に離れていた時間を考えてもそんな暇は無かったと思う。厳さんが家に帰って来ているのなら今の話し合いに参加しているはずだ。
「どうゆうこと……?」
おかしいイントネーションになりながらも尋ねる。
「……実は、昨夜は寝付きが悪く、蓮くんが寝てる横で連絡していたのです」
「……おおー」
そこまでして貰ったことに罪悪感を抱きつつも、連絡しないで済んで少しほっとしてしまった。
……これは、もう特に問題がないということでいいのではなかろうか。
……なんだろう、気掛かりなこともなくなって、万里花と一緒に過ごせると思うとわくわくしてきた。
「よろしくお願いします!」
「お願いされました! ふふっ。忙しくなりますね」
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「ま、万里花……、万里花ぁ……。回復、回復使っちゃ駄目ですか……?」
「駄目です。その状態がみんなの普通なんですからね」
とても忙しい一日だった。
まず蓮の家で荷物整理。引越しを決めたのが今日だったので、荷造りから始めなければいけないのであった。
蓮一人の荷物とはいえ、それを一日で片付けるというのはそれなりの作業量になった。
荷造りは蓮が行い、荷物を運び出すのは橘家が手配した業者と分担したが、その時点で回復を制限した蓮は疲労が溜まっていた。
そこから住所変更などの手続きを行って、必要な家具の下見(ベッドなど)に行き、今は帰路についているという状況だった。
「まさか、まさかこんなに体力がないなんて思いもしなかった……」
「これから鍛えれば良いではありませんか。それに、今日はぐっすり寝れますよ」
マンションに着くまであと数分、という距離であるが蓮はふらふらしている。
万里花が蓮の腕を抱えるようにして支えていなければ、途中で座り込んでいたかもしれない。
「さ、頑張ってください。もうすぐ
「……我が家か……」
それを聞いて蓮に力が戻った。
帰ろうと思って、元気が沸くのは初めてのことだった。
「……着いた」
「……。蓮くんは後で来てくれませんか?」
「え?」
そこまで距離が離れていなかったこともあって、すぐにマンションまでたどり着いた蓮と万里花。
ロビーでエレベーターが来るのを待っている間に、万里花がそんなことを言い出した。
「一緒じゃ駄目なのか?」
「駄目ってことはないのですが……」
「……わかった。万里花のあとに行くよ」
「ありがとうございます♪ お先に失礼します♪」
「……ああ」
なんの意味があるのか検討も着かない蓮だったが、万里花のお願いなので特に疑うこともなく従った。
やがてエレベーターが戻って来たので、蓮も乗り込んだ。
「……それにしても、疲労回復をしない体はこんなに疲れるんだな……」
蓮は普段より倍ほど体が重く感じられたが、それでも回復を使う気にはならなかった。
万里花と約束した。というのも理由の1つだが、なにより安心して過ごせている日常に使う必要性を感じなかったのだ。
「でも、体力は付けないとな……」
しばらくは鍛えないと、と決意している間にエレベーターが最上階に到達した。
ぽーん、と音が鳴って扉が開く。
そこには先に戻っていた万里花がいた。
特に何か用意している様子もなく、何をする気なんだろうと蓮は万里花を見つめる。
「
「……っ」
優しい声音で言われたその言葉を、蓮は一瞬理解できなかった。
そうして、理解した瞬間笑いそうになってしまった。いや、
「ふふっ。ははは! なんだよ、それを言うために先に戻ったのか……。ほんとっ、万里花は!」
正面から万里花を抱きしめる。
でも万里花はまだ何も言葉を返さない。蓮の
一方、その言葉を返さなければならない蓮は万里花のぬくもりを感じて癒されていた。
そうして、ゆっくりと蓮の中に帰って来たという自覚が生まれる。
「