「成程、成程。いや、それはとんだ御足労を。」
柔和な笑みを浮かべる勝仁は、対面した見るからにビジネスマン風の男に茶を勧める。
勿論、そのお茶は砂沙美が煎れたものだ。
「いえ、息子が世話になっているのですから、ご挨拶に伺うのは当然の事です。」
生真面目に唇を結んだまま、恐縮する男。
その男の様子を外からこそこそと覗き見しているのは、阿重霞と魎呼だ。
「チッ。よく言うぜ、仕事だか何だか知らねぇけどよ、今の今までおっぽといて何が当然の事だってんだ。」
顔に不満だとか気に入らないとデカデカと書かれた表情で、一路の父と名乗った男を睨む。
「声が大きいですわよ、魎呼さん。けれど、どうしてなかなか生真面目そうな方ですのね、お顔はそんなに似てらっしゃるようには見えませんから、一路さんはお母様似という事に・・・。」
「まぁ、一路はあんな無愛想ヅラはしねぇな。」
全く同じ意見に二人は頷く。
「なんのなんの、何というか儂が言うのも何ですが、出来た息子さんで、世話をするどころか、こちらこそ畑仕事だの何だのを手伝ってもらっている次第で。」
実際、そのどれも一路は真面目に、そして体験する事の新鮮さや楽しさを感じながら興味を持ってやっているのだから、大したものである。
「本当は・・・。」
「ん?」
「本当は、そういう事を私が親としてすべき事なのでしょうね・・・息子をここに連れて来ようと思ったのもそういうところからなのですが・・・。」
湯呑から立ち昇る湯気に視線を落とし、沈痛な面持ちで呟く様子に魎呼と阿重霞は互いの顔を見合わせた。
互いの顔に書いてあるのは、"だったら何故?"という疑問だ。
「ん?キミタチ、何をやってるんだい?」
疑問符を浮かべていた二人に後ろから声をかけた信幸は、あっという間に二人に拘束され、口を塞がれる。
モゴモゴと情けない姿を晒しながら、只事ではない二人の様子と視線につられて、その先を見る。
「恥ずかしい話、どこをどうしていいのか解らなくなってしまいましてね。妻に先立たれた後、息子に何と声をかければいいのか・・・。」
「・・・・・・。」
父の自嘲の言葉に対して勝仁は何も返さない。
目の前の男にだって、彼なりの父としての考えだとか矜持がある。
一度、その全てをここで吐き出させてやるのもいいのだはないか?
そう思ったからだ。
「親として、父として・・・いや、一人の人間として何を言わねばならないというのは理解しているはずなのですが・・・ふと、怖い事に取り憑かれたと申しましょうか?」
怖い事・・・とは?はて?そこにいる全ての人間、覗き見をしている者達を含めて皆一様に首を傾げる。
「私は"今までどうやって息子に接していたのだろう?"と。何と言いますか、距離感と言えばいいのでしょうか・・・。私は結局、妻を通しての息子しか見てなかったのではないか、妻がいなければどう見えるのだろうか、こんな自分が果たして父と呼べるのだろうかと・・・。」
言い替えれば、自分の息子なのだろうかという認識とも聞こえるその言葉に、いてもたってもいられなくなったのは覗き見をしていた二人の方だった。
特に魎呼の方は、今に突撃しようと腰を上げている。
しかし、その行動を制したのは、何の変哲もない男の手だった。
決して力尽くではない、そして優しく置かれた"父の手"だった。
自分の口を塞いでいた手をゆっくりと外し、無言のまま堂々と居間に進んでいく。
「泣けば良かったんじゃないですかねぇ?」
開口一番、居間にいる二人の席に乱入した信幸はそう苦笑した。
「あ、いや、すみません。お二人の話が聞こえてしまったものでね。」
本当はずっと聞いていたのだが、義父も気づいていただろう。
そでも今の自分の発言を止めぬというのだから、それでいいのだと信幸は考える。
「僕も息子が幼い時に妻に先立たれましてね。いやはや情けない事に今も思い出すと本当に情けない。」
「あなたも?」
思わぬ同志の登場に驚く一方で、何事も無かったかのようにどっかと勝仁の横に腰を下ろす。
「何も手につきませんでしたねぇ、僕は。まぁ、僕には頼りになる人達がいましたけどね。」
幼い時分の天地は、一人母を想い泣いていたのを何より魎呼が一番覚えている。
それを精神体のまま見ていたからだ。
いつしか、その涙を拭ってやりたい、そして成長を見守ってやりたいと、荒ぶる心の中に母性と愛情が芽生えていた。
「頼りになる人がいないってのは辛いですよね。でもね、貴方と同じように"息子さんにも頼りになる人はいない"んですよ。"父親以外には"。」
その言葉にはっとする男の表情を見て微笑む。
「その話を息子さんにしましたか?格好悪くても情けない親でも仕方がないんじゃないですか?互いに同じ大切な人を亡くしたんですよ?一緒に大泣きでもなんでもすりゃあいいじゃないですか。案外、父親の貴方が泣かない事で、息子さんも泣けなかったのかも知れませんよ?」
信幸は一路について詳しい事は知らない。
基本的に夕飯時に会うとか、天地や他の皆からの伝聞だ。
だが、信幸は恐らくきっと一路はそうだったんじゃないかと思う。
天地と一路では母を亡くした年齢が違う。
天地は幼かったから、毎日のように泣いていた。
泣いていたから、息子が妻を愛していて、愛していたからこそ、自分と同じように辛いんだというのが痛い程解った。
理解していたからこそ、何とかやってこられた。
では、泣けなかっただろう一路が母を愛していなかったのかというとそんなわけはない。
彼は分別がつきすぎていたのだろう。
だから、一人で耐えようとして、そして耐え切れなかったのだ。
それをどうして責められよう。
分別がついていたからといって、一路は子供なのだ。
ただ、信幸にしたってその悲しみを分ち合うだとか、そういう類いの事を、痛みを肩代わりしてやれない情けなさと負い目のようなものはあった。
天地に再婚の話を何とか切り出せて、そして娘の天女と同様に祝福された事で多少なりとも折り合いがついて緩和されたが、それでも自分の妻であった女性を忘れてはいない。
それは何というか、そう、何というかまた違った領域というか次元なのだ。
隣にいる義父にしたってそうなのだろうと思う。
「いやぁ、あはは、偉そうな事を言ってしまってすみません。でも、貴方を見てたらど~しても言いたくなっちゃって。ただね、その息子さん、一路君は元気にやってますよ。安心してください、素晴らしい息子さんだ。」
手を差し伸べれば、その先に必ず道は作れるとさえ教えてやれば、自分で立ち上がれた。
恐らく、必ず選び切り開いて進んでいけるタイプの人間なのだろうと思う。
ただ、ちょっと天地といい、一路といい、頑張り過ぎというか変に生真面目、堅物な所があるので心配だし、あんまり手助けというか、気の利いた事を言えないのが親としても大人としても甚だ情けないのだが。
「あ、ありがとうございます。」
「あ、いや、そんな頭をお上げになってくださいよ、いやだなぁ、困ったな。お義父さんも何か言ってくださいよー。」
「まぁ、ある意味で天地よりは見込みはあるの。」
何の見込みだよ!と周りの皆が心の中で突っ込む。
「二人共何してるんだい?あ、また覗き見だな?二人共、良くない・・・ぞ?」
信幸と同じように通りすがった天地が、魎呼と阿重霞を窘めようとしたのだが、何やら熱い視線を受けて固まってしまう。
「天地・・・オマエのオヤジ、何か凄ぇのな。」
「まさに謹言至極ですわ。」
うるうると感動している二人にたじろぎつつ、天地は何事かと二人が覗き見ていた居間を一瞥した後、事情を察したのか破顔する。
「"当然"じゃないか。」
そう言う天地は誇らしげに居間に行くと、勝仁に何か言われてペコペコと一路の父親に頭を下げている。
そんな様子を今度は呆然とした表情で見つめ、そして互いに顔を見合わせる。
「あれも・・・。」 「親子だからってコトかねぇ・・・。」
信幸さんは、終始ちゃらんぽらんに見えるけど、見えないトコというか解らないように色々と深く考えているタイプの優しい人だと思うのですよ。
じゃなきゃ、あんな美人な嫁さん二人も貰えないでしょ?(ヲイ)