成人の方おめでとうございます。
「う~ん、いっちーはいいヤツだなぁ。」
全はしみじみと呟く。
「宿題を写させてもらったからでしょう?」
隣には芽衣がいる。
帰る方向も同じで、昔からの知り合い同士だからだ。
普段からいる事が当たり前過ぎて、ついつい今も一緒に帰る事が多い。
「あ?うん、まぁ、それもある。あるっちゃあるんだが、う~ん・・・。」
再び唸り出す全に視線を送る。
見慣れた顔。
「何よ?」
「真面目でいいヤツなんだけどな、なんつーか、オマエの仮面優等生に近いような気がすんだよな。」
「誰が仮面優等生よ!」
その態度がそうだというのだが、また蹴ってあげましょうか?というように、全を見ていた彼女の視線が強いものへと変化したので、やめておくことにした。
「いやよ、オマエの場合は自分からそうしてるわけで、いっちーはそれとは何か違うんだよなぁ。そうある事が、さも当然みたくてさ・・・。」
果たしてそれが意識してやっているのか、それとも無意識なのか。
恐らく後者だろう。
「それは確かに・・・そうかも知れないわね。」
「優しいのは解るんよ。でもさ、必要以上にアレだとストレス溜まらんかなぁ、いっちー。」
無意識下で抑圧しているとしたら、何時か爆発しやしないだろうかと少し心配になる。
余計なお世話なのかも知れない。
「でも、それはそうなってしまうような大きな事があったからでしょう?元々優しいからこそ。少し解る気がするわ。想像したくはないけれど。」
例えば、何年も横にいるこの見慣れた間抜け
ずっと子供ではいられないし、いつかは離れ離れになってお互いの道を行くとしても、それは永遠の別れではない。
一路はそれを体験している。
芽衣はそう考えるとしたら、少しだけ、ほんの少しだけ納得出来る気がした。
「あ゛~、もうダメだ。今度こそいっちーを遊びに誘うぞ!やってやる!やってやるぞ、オレ様はっ!」
ぐっと拳を握り締め、一人、強く誓う。
当人抜きで考えるのにも限界がある。
だったら、こんなうだうだと考えていても仕方が無い。
「反対はしないけれど、アンタに全部任せるってのもなぁんか不安なのよね・・・。」
一人ハイテンションで息巻いている、そのハイテンション故に芽衣にとっても心配なのだ。
「なら、オマエも委員長みたいに、いっちーをカマえばいいじゃんか。」
「委員長ね。まさかあんな事をする人だとは思わなかったわ。」
誰かに頼られて渋々行動を起こす事はあっても、基本自分から主体的に動く事はしない。
それが自分を含めたクラスの皆の共通認識だ。
「いいんじゃね?委員長だって思う事があったんだって。オレ等だって、今こうしていっちーの事を話してるしな。嫌ならオマエも何かすりゃいーじゃん。」
「別に嫌だとは言ってないわよ、私は。」
その言葉に今度は全がじぃっと芽衣の顔に視線を送る。
「何よ?」
「別にいっちーのコト、嫌いじゃないんだろ?」
「まぁ・・・。」
その通りだ。
「というより、気になってる。」
「まぁ・・・。」
それもその通りだ。
どうにも歯切れが悪い。
嫌いではないし、気にもなる。
それが一体どういう感情に根ざしているのか、芽衣自身にも解らないのだ。
「というより、惚れた?」
「まぁ・・・て、なワケないでしょ、何を言わせるつもりよ!」
ここで、ようやく全にからかわれたというのを、彼のニヤニヤ顔を見て初めて気づいた芽衣は、途端に声を荒げた。
「なはは~。照れんな、照れんな。」
それだけ言うと全は脱兎の如く走り出す。
長年一緒にいるだけに、この後の芽衣の行動を読んでの事だ。
「待ちなさい!コラぁ~、蹴ってやるからそこに直れなさいっ!」
カチャリと扉の開く音がやけに部屋に大きく響く。
そして乱暴に扉が閉まる音がして、部屋の主が入ってきた。
部屋の真ん中にあるガラステーブル、そこに小さな包みをコトリと置いてから。
「ふぅ・・・。」
自宅に帰ってきた安堵からか、少女は大きく溜め息をつく。
部屋の主の名は漁火 灯華。
机の上に置いたのは、今日一路に持って行った弁当だ。
灯華はそれに視線を移す事なく、自分が身に着けていた制服を脱ぎ始める。
制服はどうにも窮屈に感じて仕方が無い。
なんというか、学校に通う者が皆同じ格好という事、もっと言うならば、同じ制服なのに誰もがそれを当然といったように疑問のカケラも持たない事が気持ち悪い。
純白の下着姿の上からTシャツを着ただけの彼女は、他に何も着る事なく壁際の本棚へ向かう。
彼女の背丈より高い本棚にはビッシリと文庫・新書サイズの本がぎっちりと並べられていた。
その背表紙をなぞるよにして、今日読む本を選び始める。
本のジャンルとしては、宗教・哲学様々だが、学術書が大半を占めていた。
彼女の白い指がピクッと動き、ある一冊の前で止まる。
【星の王子さま】
彼女の本棚のラインナップの中で唯一といってもいいその物語の背表紙をじぃっと見つめた後、結局彼女は本を取る事はせず、本棚と反対側に身を踊らせた。
ギシリと簡素なパイプベットが彼女の体重を受け止めて、スプリングを軋ませる。
スプリングが彼女の体重を受けきり、仰向けになったままじぃっと天井を眺めてから寝返りを打つ。
「・・・。」
寝返りを打って視界に入ったのは、この部屋に入って一番最初にした事である弁当の包み。
一路は洗って返すと言ったのだが、『それじゃあ、明日も作って来られないじゃない。』そう言って奪うようにして持ち帰ってきたのだ。
「明日も・・・か・・・。」
元々、そんなつもりはなかったのに。
そもそも弁当なんて作るつもりも無かった。
『・・・母さんはいないんだ・・・その、去年亡くなって・・・。』
そう言った彼の一人暮らしは、今の自分のこの部屋と同じ状態で過ごしているのだろうかと想像すると、どうやら自分は少し同情してしまったのかも知れない。
初めて一路を見た時、不思議な雰囲気に興味を持った。
単純に困っていたというのもあったけれど・・・。
なるべく進んで人との交流を持たない自分にとっては珍しい事だった。
『な、なんか哲学的だね。でも、それは寂しいかなぁ。』
自分が感じた通り、不思議な事を言う人間だった。
『そっか。でもじゃあ、尚更僕が好きに呼んでもいいよね?僕が君を認識して興味が持てるように。』
自分に興味を持つなんて不思議というより、珍しい。
自分と話したところで、たいして面白くないのは自分自身解っているし、だからといってそれをどうこうしょうとも思っていない。
ただ、ふと、自分と同じような状況で過ごしている彼に弁当を持って行ったら、どうなるだろうか?何か変わるだろうか?
そんなリアクションを少しだけ考えたの、要するに気紛れだった。
気紛れとしか言えない。
だって、本当は自分と同じだなんて・・・そんな人間いるわけがないと解っていたから。
『ありがとう、灯華ちゃん。』
(それでも・・・"ちゃん"はないと思う・・・。)
名前に"ちゃん"をつけて呼ばれたのも意外だった。
自分の名にたいして思い入れがないと言ったのは本当だったけれど、それにちゃんをつけただけで、こんなにも名が実というか身を持つようになるとは思わなかった。
本気で拒否感というか、変な寒気が走った。
『ただ優しいだけだよ。』
「そんなワケ、ないじゃない・・・。」
一路が述べた言葉がぐるぐると脳裏を回る。
そういえば帰ってから、一路の事ばかりを考えている事に今頃気づいた。
『惚れた?』
本当に余計な一言を思い出した。
全の言葉に腹が立って、ベットからようやく立ち上がる。
「そうなワケ・・・ないじゃない。」
もう一度同じ事を呟いて、ストレートジーンズを履くと、弁当を掴み台所のシンクへ無造作に投げると家を出た。
明日の弁当の材料を買う為に・・・。