「へぇ、カブって意外と浅く埋まってるものなんですね。」
天地に連れられて畑に来た一路は、目の前のカブを抜きながら一人感心する。
その言葉の意味がよく解らず反応に困っているように見える天地に対して一路は言葉を続けた。
「ほら、物語であるじゃないですか。」
童話の大きなカブのようにうんとこどっこいしょのイメージが天地の頭に浮かんだところで、一路の言わんとする事を理解する。
「あぁ、確かにね。抜けないっていうんだったら・・・オレなら大きな牛蒡にするかなぁ。」
一路の言いたい事に苦笑しながら、天地も実にアホな事を言って返す。
ひょろりとした牛蒡を大人数で引き抜く図を想像すると、やはりイマイチ絵にならない。
「う~ん、絵づらを考えると、やっぱり大きなカブか、大きな人参かなぁ。」
あははと笑う一路につられて、天地も笑う。
都会の人は畑仕事のような土に塗れるのを嫌がるといったイメージがあった天地は、存外楽しそうに額に汗する一路を微笑ましく思う。
「ミャウッ!」
「ん?今、変な鳴き声が・・・。」
「あぁ、多分、ウチにいるペットが人参畑の方にいるんだよ。人参が大好物でさぁ。一路君が大きな人参って言うのが聞こえたんじゃないかな。」
「食いしん坊さんなんですね。もしかして、それであの畑なんですか?」
柾木家の畑は大半が人参畑で占められていた。
思わず人参農家なんだろうか?と思う程に。
冷静に考えれば、柾木神社という立派な神社があるのだから、専業農家なわけがない。
「最初はそんなでもなかったんだけどね。畑自体、オレの趣味で。これが段々とハマってきちゃってね。そのうちに出荷してみたら、思いの他コアなファンがついちゃって。」
あれよあれよという間にとはよく言ったもんである。
「でも、趣味で作ってるからそんな量が卸せなくて、何時の間にか幻の人参とか皆が勝手に言い出しちゃって・・・大袈裟だよね?」
聞き方によっては、さり気ない自慢のようにも聞こえなくもないが、天地がそれを言うと全く嫌味に聞こえない。
ただ単に好きでやってるんだなぁと額面通りに受け止めるくらいだ。
(あ、そうか・・・。)
天地の静かな瞳と言動を見て、一路は理解する。
天地は"湖面にそびえる一本の樹木"なのだと。
大きく広がる、それでいて静かな水面。
そしてそれを覗き込めば、鏡のように自分の顔を写し出す。
彼に面白くない感情を持っていれば、先程の話も自慢話にしか聞こえないし、敵意があれば当然相手にもそう認識される。
もっとも天地の水のような心の広さは多少の力では波紋を広げない。
そして、彼に良い印象を持てば、当然同じように返ってくえる。
だが、かといって天地には自分がないと言うわけではない。
水面から顔を上げ、上を見ると一本、芯のある大樹がある。
だとしたら、最初に感じた恐怖は・・・なんだったのだろう?
余計に気になる。
心臓を鷲掴みにされたような・・・まるで生殺与奪を握られたかのような押し潰されるような・・・。
「一路君?」
「あ、すみません。ちゃんと働きます!」
せめて夕食分に値する仕事をせねば!
基本、一路の性分は真面目。
「いや、もう充分に夕飯の分は大丈夫だよ。少し休憩しようか。」
「はぁ。」
体験した事のない畑仕事にノリノリでやっていて気づかなかったが、そういえば腰が痛い気がしてきた。
「すまないね。魎呼と阿重霞さんが。あの二人、何かと喧嘩というか張り合いが始まっちゃうと、あぁだから。」
苦笑いの天地に対して一路が微笑む。
天地の気遣いは優し過ぎて、逆に恐縮してしまう。
「二人共、良かれと思ってやってくださってるので・・・それに僕も意外と嬉しいですから。」
「そぉかい?」
天地の顔は全く信じていない顔だ。
「嫌なら嫌でちゃんと言いますし、それに誰かにカマってもらうのって久し振り・・・。」
周りの大人はすぐに匙を投げた。
別にそれを恨んだりとかは全くない。
全ては自分が悪いというのは最初から解っている。
「そっか・・・。」
天地は魎呼や鷲羽達に聞いた一路の事情を思い出す。
物心がつく前と物心がついた後。
どちらが辛いだろうか?
ふと、初めて一路の事情を聞いた時に考えた事を思い出す。
(結局、どちらが不幸とかっていう風に考えてるみたいで嫌になったんだよな。)
どちらも悲しいに決まっている。
そういう結論しかないと思った。
「天地さんは、今が・・・って聞くまでもないですよね。」
それ故に、一路が聞きたい事も解る。
「あぁ。今、オレは幸せだよ。でも、やっぱり母さんの事を思い出すと辛い。でも、それは当たり前だろ?それでいいんじゃないかな。」
天地だって、母そっくりな姉の天女の姿を見ると切なくなる時はある。
そんなセンチメンタルも、魎呼と阿重霞達の喧騒を聞けば、感じている暇もなく何時もの日常が始まってしまう。
こっちが今の自分の日常。
それでいい。
「一路君?」
天地はあらたまって経験者、先輩として何かを言わなければならないと思ったのだが・・・。
だが、同じ境遇でも彼と自分は違うのだ。
同じ母を亡くしたとしても、同じ人ではない。
その後の境遇も。
そして天地と一路は全く違う人間なのだから。
「はい・・・。」
それでも何か、何かを言ってあげたい。
彼はこんなにも素直でいい子なのだから。
「泣いていいんだよ?辛いなら、さ。」
かく言う天地だって、母が亡くなってしばらくは泣きまくった。
よりにもよって魎呼が封印されていた洞の前で。
しかも、それが精神体の魎呼に見られていたのは不覚だったが。
それに成長してからも、一度だけ母そっくりの姉を、母と勘違いして泣いた事もある。
一路が泣くより年齢的にタチが悪い。
「天地さん・・・。」
「うん?」
「確かに辛くて・・・泣きたくなる事があります。泣きたくなって、泣いちゃう事もあって・・・それでその後に思うんです。じゃあ、愛した人を、妻を亡くした大人の父さんはどうしてるのかなって・・・。」
衝撃的だった。
天地にとってその一言は。
「それが・・・君が泣くのを我慢する理由かい?」
「いや、そういう事では・・・結局、泣いちゃうし・・・。」
特に最近は周りが優し過ぎて泣きそうになる事もしばしばだ。
「そういう事が言えるんだから、君は凄いよ。オレよりもずっと大人なんじゃないかなぁ。」
あははと苦笑した後・・・。
「でもね、いいんじゃないかな?泣くのは悪い事ではないと思うよ。泣きたい時は泣いて、笑う時は笑う。そうじゃないとさ、肝心な時に忘れちゃうよ?泣き方とか笑い方とか。」
その言葉に俯く事しか出来ない。
「誰もそれに文句なんて言う権利なんてない。」
「天地・・・さんは、考えないですか?・・・母は、自分を産んで・・・一緒にいて、幸せだったのかって・・・僕は母さんに何にも・・・。」
してあげられてない。
そう言おうとした時、一路の肩に天地の手が置かれた。
「だからさ。だからオレ達は生きてるんだろ?」
それが本当の答えで、正解かは解らないし、誰が答えられるわけではないけれど、しかし、一路が涙を堪えるのをやめる理由には充分だった。
(頑張り屋さんだな。)
魎呼達があれこれと世話を焼きたがるのも解る。
彼は優しくて健気なのだ。
そしてそのままに育った。
だから必要以上に周りが見えてしまう。
そんなところが、奇しくも先程の勝仁のように弟分とも言える
まぁ、彼は彼で色んな意味で大変だが、周りにいる女性達がいずれも才女なので、心配ではあるがなんとかやっているだろう。
そんな事を考えているうちに、一路もなんとか持ち直したみたいだ。
「落ち着いたかい?」
「はい、あ、あのっ。」
「まぁ、いいじゃないか。こういう日があっても。」
一路の礼の言葉も謝罪の言葉も天地は遮って、ぽんぽんと背中を優しく叩く。
「あとは食べるだけだ。」
うんうんと、収穫物を詰め込んだ籠を見て頷くその向こう側から、車のエンジン音が聞こえる。
「あ、ノイケさん。」
そう呟くと、二人向こう側から一台の軽自動車がやって来るのが見えた。
白い軽トラ、その運転席の窓から、女性が手を振っている。
「丁度良かった。オレ達と荷物を載せて行ってもらうとしようか。」
そう気楽に笑う天地の一方で、一路は慌てて自分の顔をごしごしと擦る。
流石に初対面の女性に泣き顔を見せるというのは格好が悪い。
「丁度良いタイミングでしたね。お客様とご一緒に乗って行かれますか?」
二人の前で止まった軽トラから降りてきた理知的な女性。
今まで見て来た柾木家の女性陣の中で、誰にもあてはまらないタイプの女性だ。
ショートカットの美しい碧緑の髪に同じ色の瞳。
にっこりと笑う様は外見の年齢より幼く、可憐に見えるが、どちらかというとお嬢様然としている。
「あ、初めまして、檜山 一路と言います。えと、その・・・。」
目が合って慌てて自己紹介をして、そこではて、何と説明したらよいものかと考える。
友達というような感じでもないし、遠い親戚というわけでもない。
「最近ウチに遊びに来るようになった子で、連れて来たのはじっちゃんと魎呼なんだけど・・・まぁ、魎呼や鷲羽ちゃんのお気に入りってトコかな。」
言い澱む一路に代わって、説明をする天地の言葉に驚くノイケ。
「まぁっ!それは・・・
「え?」
「いえ、なんでも。
ぺこりと頭を下げるノイケに一路も習う。
彼女のフルネームは、神木 ノイケ 樹雷。
阿重霞や砂沙美と同じ、樹雷を取り仕切る四大皇家の一つの出なのだ。
といっても、彼女は養女なので直系ではないが、系図のみでいうと先の阿重霞・砂沙美両名の母方の叔母にあたる。
(今、一瞬、本音が・・・。)
そう思っても言わないところが天地の深い愛情(?)なのかも知れない。
「詳しい事はまた後で話そうか。砂沙美ちゃんも待ってるだろうし。」
この収穫物の何割かは、このまま夕食になるわけだ。
「そうですか。でも、その前に・・・。」
ノイケは車の座席に戻ると水筒を取り出す。
その間、一路はぽかーんと考えていた。
柾木家。
天地の周りには、極端な性格の人間ではあるが、美女ばかりである。
果たして、この女性達は天地と一体どういった関係なのだろう?
下世話かなぁとは思うが、ただの居候というのとはちょっと違う気がする。
家族という雰囲気、空気はあるが、一路が感じる各人のイメージはばらばらで個性的というか、統一感が全くない。
でも、家族なのである。
だからこそ、不思議に思ってしまう。
「って、冷たッ?!」
急にひんやりとした布をノイケにあてられて飛び上がった。
「あ、ごめんなさいね。でも、冷やしておかないと腫れてきてしまうかも知れないから・・・。」
水筒のお茶で濡らした手拭い。
それを一路の頬に押し当てて微笑むノイケ。
どうやら泣いていた事は、ノイケには筒抜けだったようで一路は赤面する。
「誰にも言ったりはしませんから。」
一路の余りにも可愛い反応に思わず吹き出しそうになりながら、ノイケは内緒ですと強調する。
お陰で一路は恥ずかし過ぎてゴシゴシと空いている方の頬を擦るしかない。
(カッコ悪スギ・・・。)
思わず泣いてもいいと無責任に言った天地を見てしまう。
ちなみに天地は一連の流れが始まってからずっと済まなさそうに頬を掻いたままだった。
一つだけ天地のフォローをするとすれば、ノイケはそれだけ気遣いの出来る聡い、所謂才女というヤツであったという事である。
「では、参りましょうか。」
結局、この場では誰にもノイケには勝てないという事だ。