「はい。」
委員長こと、灯華はその一言で一路の目の前に包みを差し出していた。
さも当然ながらに出されたそれは、勿論お弁当だ。
彼女の目には、それ以上の反応をするなという圧力がありはしたが。
「ねぇ、灯華ちゃん。放課後空いてるかな?」
「放課後?何故?」
圧力に屈せず・・・屈しそうにはなったが、折角ノイケにも相談に乗ってもらったんだしと、目的と手段があべこべになったような状態で口を開いた。
元々、言おうと思っていたので心構えが出来ていたともいえる。
「うん、ちょっとね。空いてれば一緒に付き合って欲しいかなと・・・。」
「・・・。」
沈黙が痛い。
重いのではなく、痛い。
痛いと言えば、視線も痛い。
一路を値踏みするようにも思える視線。
耐えるには相当の精神力を消費する。
かくいう一路もちょっぴり逃げ出したい気分に駆られるが、ちょっとした使命感と何よりクラスメートの栄養状態を心配して弁当を作っている人間が相手だと解っている。
「・・・放課後ね。解った。」
ぷしゅぅ~。
そんな音がして、一路から緊張という名の空気が漏れ出ていく気がした。
冷静に考えると、我ながら大胆な事をしたもんだと気づく。
同年代の女の子を誘う事なんて、今までの自分だったらあり得ない事だ。
それを成長と呼んでいいものかどうかはまた別の話しではあるけれど。
「いっちー、一発目は選択体育だぜ~。さっさと着替えんべ。」
それでもこうやってクラスメートが声をかけてくれる事が、気分を変えるにはとても良いという事だけは理解出来る。
「体育かぁ・・・苦手なんだよなぁ。」
「は?選択体育だろ?得意なモノを選べるから選択体育なんだぞ?」
何言ってんだ、熱でもあるのか?と訝しげに一路を見る全。
選択体育というのは、体育の授業を提示された幾つかの種目の中から生徒自身が選んでいいというもので、1学期と2学期ではそれぞれ違った種目が提示される事になる。
「得意なモノが一つもないから困ってるんだよ。」
「なぁ~る。」
これで合点がいったようだ。
ちなみに1学期は、柔道・剣道・ダンスの中から一つ。
2学期は、卓球・サッカー・バスケットの中から一つである。
一路はその中で剣道を選択していた。
柔よく剛を制すとはいえ、体格の大きくない一路に柔道は厳しいし、何より人数的な問題で女子と組むという可能性があるのが嫌だった。
授業でも女性に投げ技をかけるなんてしたくない。
ダンスは最早言わずもがなで、リズム感というものがそもそもない。
女子が一番多いので、選ぶ男子も多くはあるのだが。
という事で、消去法の末に選んだのが剣道である。
防具の付け方さえ覚えてしまえば、学校の授業は竹刀の取り扱いだけで難しいものではない。
基本は素振りがメインだ。
「いっちーは機敏そう見えんだけどなぁ。」
「どうだろ?」
喋りながら、ダラダラと剣道場へ向かう。
全が同じ剣道を選択していたのは、一路としても良かった。
「竹刀の素振りも早いしさっ。」
それは授業が始まっても同じで、会話は途切れずに互いに組んで攻め手と受け手で打ち合っても尚も続く。
「そうなの?左の方が右より筋力あるからじゃない?」
剣道は剣術から派生したものである。
竹刀に当たる刀は左脇に差す。
左利きというのは原則存在しない。
右手を
しかし、竹刀を振るう力を司っているのは、実は下に来る左手の方なのだ。
右手はその制御。
感覚的にはそうなのである。
「経験は~、あ~、ないわな。」
ちょっとした身のこなしから、経験がない事は全でも解った。
「だから!苦手って、言った、でしょっ?」
息を切らせながら素振りを続ける。
疲れるから話すのを止めればいいのにと誰もが思うところであった。
「まぁ、なぁ。」
「そっちは経験者みたいだね。」
一路の目から見ても全の所作は綺麗だ。
「経験つっても道場とか通ってねぇし、だから級も段もねぇよ。」
大体、段位は2段当たりで遊びのレベルから変わる。
少なくとも全はそのレベルに達しているのではないだろうか。
「まぁ、でも、どっちかっつーと、こんなのよりグーの殴り合いのが解り易くていいけどな。」
物騒な事を言うが、一路はそれはボクシングの事だろうかと首を傾げる。
防具の面と面越しでは、互いの表情は余程接近しないと解りづらい。
全の言葉の真意を一路が計りかねた。
だとしても、一路のド素人レベルから見れば、充分格上のレベルだ。
純粋に羨ましく思えた。
対して自分のショボイことショボイこと。
一通りの素振りを終えた後には、自分に才能がない事は明白だった。
最後に時間を区切って軽く試合のような手合わせをするのだが、そうなると一目瞭然で、一路の竹刀は全の防具に掠りもしない程に差が出た。
こうなるとショボ過ぎて全に悪いと思うくらいである。
「かっかっかっ、ダ○エルサン、剣道ハ心だヨ?ホラ、ライトハンド、レフトハーンド。」
完全にいい様にあしらわれている。
それでも一路は手を休めない。
「そっ、れはっ!剣道じゃなくて、空手だ、ミスターミ○ギ!」
息も絶え絶えに、それでも意地で反論する一路の頑固さに全は微笑む。
「お?このネタが解るなんて、なかなか通だね!ちなみにオレは4とリメイク版は認めねぇ。」
授業中だというのに会話の内容がそこはかとなくマニアックなお二人さん。
「そこは厨二病らしく斉○一の牙○とかじゃないの、フツー!」
もう限界と、最後の一振り。
「○突をチョイスするとはいい趣味だな。でも、残念~。突きは危険だから中学の試合では禁止技~。」
結局、これもあっさりといなされ、結局終始こんな調子で全にあしらわれ続けたまま。
「う~ん・・・当たりもしないなんて・・・・。」
防具を片付けながら、しきり首を傾げる。
どこまで自分はセンスがないのだろう。
勝てないのは当然としてまでも、もっと有効打があってもいいのにと。
「いっちーは振りが速いけど、動きが単調で解り易い。なんつーか、正直者の性格がばっちりと出てる。」
「なにそれ・・・。」
「かっかっかっ、悪いコトじゃないぜ?」
「そうだけど、何か・・・フクザツ・・・。」
褒められているのか、貶されているのか・・・。
正直そのどちらもなのだが、全の中では褒めている割合が若干多い。
何故なら、剣道はある一定のレベルまでは日々の練習でなんとかなるかも知れない。
だが性格はそうもいかないからだ。
「集中ってヤツだ。ほら、心静かに明鏡止水、火もまた涼しって言うだろ?」
「言わないよ、なにそれ。後半は心頭滅却でしょ?」
「そうとも言う。」
そうとしか言わないのだが、疲労もあるし、これ以上突っ込むとややこしい事になりそうなので止める事にした。
防具を片付け、自分の持ち込んだ竹刀を見つめる。
同じ事を言われたのを思い出したからだ。
『動画をかい?』
柾木家での夕食の後、一路はそう天地に願い出た。
勝仁に教えてもらった型が上手く出来なかったのが少し悔しかったからだ。
本来、何年もかけて習得するものなのだろうから、一朝一夕で一路に出来ないのは仕方ない。
だが、全く出来ないというのも悔しいのだ。
『・・・まぁ、いいか。』
樹雷の型を部外者に教える事を天地は一瞬渋ったが、勝仁も許可している事だし、神社の伝統芸能と勘違いしている一路の伝統を大事にする気持ちも蔑ろには出来ない。
何より、これは実戦に応用出来る型なのだ。
精神と身体を鍛えるのにも一路の為にはなる。
そう考えると否応は無かった。
『ただ、動画は・・・やっぱり恥ずかしいね。』
恥ずかしがる天地、それを時折邪魔する魎呼、その他にも色々と映り込んだりと大変だったがポイントを抑えて撮る事が出来た。
(あれも一つの精神修養だったっけ?)
家に帰ると洗濯と予習・復習。
特にやる事のない一路にとってこの動画は良い気分転換になる。
といっても、やる時は本当に集中して行うのが一路の美点だ。
ふと全の言葉がこの経緯を思い出されて、竹刀を持ったまま覚えた所までを再現してみる。
(これを何も考えずに無心で出来るようになると、身につけたって言うんだろうなぁ。)
動画と教えてもらった内容を思い出し、未だ不安定に身体を揺らしている一路には、そんな段階は夢のまた夢に感じる。
剣道にしろ、この型にしろ、本当に自分は不甲斐ない。
しかし、三者面談のあの日、鷲羽はやってみなきゃ解らないという彼にとっては重要な指針を言った。
だから・・・竹刀を握る手に力が入る。
「て、いっちー何してん?創作ダンス?」
全から見て創作ダンスにしか見えないという程度のレベルでしかないのが、現状。
現実はシビアだ。
ダサダサ。
「あはは・・・。」
考え事に夢中になって恥態を見られた一路にとって、ここは苦笑で誤魔化すしかない。
「そんな"型"なんかやってねぇで、さっさと行こうぜ、さっさと。」
はて?
今、全は型と言わなかっただろうか?
自分はそんな説明をしてはいないのに。
(剣道経験者だし、地元の神社の舞だから解ったのかな?)
全も昔からこの辺りに住んでいるのだし、舞を見た事があるのかも知れないと一路は理解する。
しかし、彼は一つだけ失念していた。
以前、柾木神社を知っているかという問いを既に一度しているという事を。
そして、その答えは"誰も知らない"という事だった事を・・・。