「何?」
自分を見つめる灯華。
いや、自分が灯華を見つめているからだろうか。
放課後、帰宅の用意を済ませた一路が、隣の席の灯華を見ると、同じように用意を終えたであろう灯華が自分を見ていた。
「いや・・・本当に待っててくれてるんだと思って・・・。」
「帰る。」
「うわぁぁぁっ、ごめんっ、本当にごめんなさい。」
約束を破るようなタイプでない事は一路自身しっかり解っているつもりだったが、いざ灯華が自分を待ち、自分を見ているというのはやはり意外と言うしかなかった。
「・・・それで?」
何の用?
用がないなら帰るわよ?
そんな主張をしている彼女の瞳に少し怯みつつ、一度深呼吸してから、なんとか彼女の目を見ようと建て直しを計る。
「ちょっと商店街の方まで案内して欲しいんだけど・・・?」
「何で?」
「な、何でって・・・。」
これは恐らく理由を尋ねているのではなく、何故相手が私なのかという事を聞いているのだろう。
この会話の流れ上、灯華でなければならない理由が存在していない。
さて、何と答えたらよいものか・・・。
と、言っても一路の取れる選択が少ないのは仕方がない。
「えぇと・・・灯華ちゃんがいいか・・・ら?」
何故、疑問形。
自分でも突っ込みたくなるような沈黙の後。
「そう。」
(これはいいってコトなのかな?)
いまいち解りづらい。
しかも、自分も半分開き直りのような答えを返したのも良くない。
大体、一路自身、こんなに行動的になって女の子を誘うという事など経験にないのだ。
やり方など、これが正解というものが解るわけがない。
「行かないの?」
「行く、行くよ!」
すたすたと教室を出る灯華の後を慌てて追いかける。
これじゃあ、どちらが誘ったのか解りはしない。
そんな二人の様子を見送る視線。
「どした?」
二人を追う視線の主に声をかけたのは全だ。
「あの二人、仲良いのね?」
「あん?あぁ。」
二人を見ていた芽衣と同じように二人を見た全は、特に驚くわけでもなく芽衣に相槌を返した。
「いいんじゃねぇの。悪い事でもなしに。」
「確かに悪い事ではないけど・・・。」
「そうだ、悪いこっちゃねぇ。どんな理由かは知らねぇし、聞き出そうとは思わんけど、こっちに引っ越して来て一人で頑張ってんだ、仲の良い人間の一人や二人、彼女の一人や二人だって作ってもいいだろ?」
「彼女を二人作っちゃダメだと思うけど?」
アンタって人は、と芽衣は全を非難めいた目で見る。
そんな視線を受けても、全はケロリとしたもんだ。
慣れたモノと言った方が正しい。
「色々と大変なんだろ、昼メシも作れないくらい。だから誰かが見兼ねて弁当作って来てもオレは良いと思うし、一路は苦労してるみたいだから、報われたっていい。オレは許ス!」
毅然とした体で胸を張る全。
「アンタに許可を貰う必要はないでしょうけど・・・。」
それにしたって二人の距離の縮まり方は尋常じゃない気が芽衣にはして、なにやら複雑な気分というか、乙女心というか・・・転入生、都会っ子。
学生生活の非日常が詰まった一路に対して同じような気持ちは、他のクラスメートも思っているのだが、お嬢様然とした芽衣に尻込みをしているだけなのだ。
「だって、一路は優しくてイイヤツだ。本人に自覚がないっつーか、無意識であぁなんだから、オレはいと思うよ。」
因果応報とは悪い事が返ってくるというイメージがあるが、全はイイヤツで、自分の事より他者を優先出来る一路の優しさは巡り巡ってもっと一路に返ってきてもいいと思っている。
「・・・珍しく、マトモな事を言うのね。」
本気で驚く芽衣に日頃の行いとはいえ、全は苦笑するしかなかった。
でも、なんだか、そういう事に関しては譲れないというか、納得が出来ない性分なのだから仕方ない。
「ほら、昔話とおんなじ。古来から善行する優しき者にはささやかな幸福をってな。」
罠から救われた鶴だって、笠を貰った地蔵だって恩を返す。
「"知らない"そんな話。」
半ば説得に路線が変わっている事に気づいた芽衣は、これで会話も終わりといった表情で教室を出て行く。
「解り易いっつーか、いやはや、いいねぇ、若者は。・・・って、待てよ~。」
肩を竦めつつも、全は芽衣の後を追う。
これを宥めるのは骨が折れると思いながら。
そして同じように骨を折る苦労をしているのが、一路だった。
お弁当のお礼をしたいだけなのに、無言で横を歩く灯華。
無口なのは知っていたが、想像以上に会話がない。
しかし、普段のクラスメートの会話だけを聞いている様子からして、恐らく灯華から話しかけてくるような事はないだろう。
「アナタは結局、何がしたいの?」
と、思った矢先に灯華から話しかけてきた。
「うん・・・したい事があるから誘ったのはそうなんだけれど・・・灯華ちゃんは何でお弁当を作ってくれたの?」
「気紛れ。」
即答。
しかし、その潔い即答っぷりに一路は逆に安堵していた。
即答したという事は、正真正銘、本気でそう思っているのだろう。
下手な同情とか、そういう反応だったら、一路のショックは計り知れなかった。
母が亡くなったのは辛いが、同情されたくはないし、腫物のように扱われたくはなかった。
柾木家の人々がしてくれたように。
「そっか。じゃあ、僕にお礼をさせてくれないかな?」
灯華の言葉は、一路の心も軽くしていた。
軽くなったその勢いを利用して、本題を一気に切り出す。
これまた即答で断られたらヘコむので、彼女と目を合わせる事はせずに。
「別にお礼が欲しくてしたわけじゃないわ。」
その証拠に気紛れと答えたばかりである。
灯華にしてみれば、お節介と突っぱねられる事はあっても、お礼を貰えるだなんて思ってもみない事だ。
気紛れなうえに自己満足で成り立っていた行動なのだから。
「あぁ、うん、そうなんだろうね。でも、僕はお礼がしたいんだ。」
それでも一路は引き下がらない。
それだけ感謝しているだ。
そして、ここにきてようやく一路が意外と頑固者だという事を灯華は知る事になる。
「譲らないのね?そういう人には見えなかったのに。」
その声には明らかに呆れた調子が含まれていたが、それもこれも自分が蒔いた種。
強く出られない一面もある。
最悪、一路を振り切って置き去りにして帰るというテもある。
そんな思いもあった。
「かな?それだけ嬉しかったんだよ・・・顔の見える人の手料理って、こっちに来るまで無かったから・・・。」
砂沙美の夕飯に灯華のお弁当。
比べる事なくどちらも涙が出る程嬉しかったし、美味しかった。
「だからなのかな・・・あ、ほら、これは僕の気紛れだと思ってさ。灯華ちゃんは欲しい物とかないの?」
「ないわ。」
これまた即答。
ただ、一路の言葉に何処か自分の心が波立つのを灯華は戸惑いつつあった。
「あっても、アナタにはどうにも出来ないモノだもの。」
口が滑った。
言い過ぎた。
2つの反省が灯華の頭を過ぎって、思わず一路を見つめる。
困惑して、少し泣きそうにも見える表情。
それが余計に心をざわつかせる。
「・・・そっか。」
落胆。
落胆はしたが、灯華の事だからきっと本当にそうなのだろうと一路は素直に納得してしまった。
何故だか、彼女の言葉を丸々信用してしまう。
灯華は隠したりする事はあるが、きっと嘘は口にしない。
そう、ただ言わないだけ。
今までの会話だって、無視したり答えなかったりされた事は一度だってない。
必ず何かしらの反応があった。
興味がない事でも、『興味ないわ。』という意思表示の言葉が必ず存在していた。
「ザンネン。」
一路は笑う。
仕方が無いと諦める。
押し付けがましく物を贈ったとしても喜ばれないし、邪魔なだけだ。
だから灯華に微笑む。
彼女は何一つ悪い事をしたわけじゃなかったから。
「そんなに残念?」
どうして彼はこんなに自分に拘るのだろう?
そしてどうして自分はこんなに彼に拘っているのだろう?
矛盾している感覚にとらわれ、整理しきれなくなった灯華は目を逸らす。
どうしたらいいか解らなかった。
渋々礼を受け取る?それとも頑として断る?
どちらも正しくて、正しくない気がした。
今まで遭遇した事がない案件だからだろうか?
自分が彼から礼を貰ったら、彼は嬉しい?
では、自分は・・・?
(どうなの?)
どんな気持ちになるのだろうか。
「・・・アレ。」
「え?」
逸らした視線の先にあった物。
気づいたら、それを指差していた。
「アレがいい。」
ショーウィンドウ越しに飾られていたソレを指差して、半ばヤケ気味に・・・。
「アレが欲しいから・・・アレにして!」
どうだ!これで満足かっ!と言わんばかりに。
灯華にしてみれば、人生でベスト5に入るだろう大声を出す。
「あ、あ、うん、アレだね?ちょっと待ってて!」
現金にもぱぁっと表情を明るくした一路は息せきかけてその店へと駆け込んで行く。
何を言っているかショーウィンドウ越しでは解らないが、店員にしきりに何かを言っているのが見える。
そんな一路の姿をじぃっと眺めて・・・ただ無機質に、そして急速に落ち着きを取り戻す。
心が冷えていく・・・。
「・・・馬鹿みたい。」
次回! 天災(けして誤字ではない)動く!