「痛ってぇ~、あの馬鹿力女。どうして、女ってあーなのかね。」
顔面に見事に刻まれた傷に防具の面が当たる度に全が顔を顰めるのを見て、一路は苦笑するしかない。
どう考えても発端になったのは、全自身の発言だ。
「あれは言い過ぎだよ。」
鈍感かも知れない(と思っている時点で既に鈍感な事に気づかない)一路ですら、禁句だと思って口に出さない言葉を全はすらすらと吐いてしまう。
正直と言ってあげればいいのだろうか?と首を捻るくらい。
「ばっか、嘘は言ってねぇべ?嘘はいかんが、真実なら仕方ないっ。」
体育の授業、竹刀を交わして、押し合いの練習を続けながら二人は器用に会話を始める。
既に慣れたもので、二人は息を合わせながら、授業に対しての力を抜く方法を学習していた。
「それにしても、いっちー、剣道上達したなぁ。」
「そう?」
「おぅ、キレがあるキレが。」
キレ!喉越し!
わけのわからない掛け声で、鍔競りをしていた竹刀を離し、面を入れ再び竹刀を合わせる。
交代交代でこれを繰り返すのが今日の練習だ。
「ビールじゃないんだから・・・最近、ちょっとずつ教えてもらって、家でも練習してる。」
その成果がようやく出始めたのか、全に褒められたのが嬉しくて仕方ない。
地味な練習だったが、きっちりと成果が出ているなら今後も続けるモチベーションが持てるというものだ。
「熱心だなぁ。」
「暇なだけっ。」
今度は一路が全に面を打つ。
一路の方が呼吸が先に上がるのは、基礎体力の差だ。
「そっか。マジメだなぁ、いっちー。」
「それもこれも全達のお陰だよ。」
「オレ等?」
なんかしたっけかなと首を傾げる全。
「全達が色々と世話を焼いてくれるから。」
それには当然、柾木家の人々も含まれている。
自分が、こんなにも弱い自分がブレずにいられるのは、どう考えても周りにいてくれる人達のお陰だ。
「だから、僕なんかが頑張ってられる。」
一人暮らしのような状態も。
細かく言えば、食事も日々の勉強も、寂しさも。
「ぬわぁ~に言ってんだよ。オレ等が世話を焼くのは、オレ等の勝手だべ?それに努力してんのはどう考えてもいっちー自身だろ?」
世話を焼きたいと思ったのは、自分達の勝手な都合。
必要、或いはそうしてやりたいからやっているだけの事だ。
それに応じるか、否かは一路次第で、それを断るのも一路自身の自由。
ともかく全が言いたいのは、それに対して努力で応えているのは一路自身の力だという事だ。
礼を言う程の事でもない。
ある意味で、何の偏見もなく一路を正等に評価しているのは全なのかも知れない。
「そうかなぁ?」
でも、一路は全のようにきっぱりと断言出来ない。
自信がない。
その証拠に自分は一度挫折して、逃げるようにこの地に来たのだから。
もう一度頑張ろうと試みてはいるが、それまでの時間をふいにしていると言ってもいい。
「先生にだって迷惑かけてるし。」
「先生?」
自分のような問題児(その認識はある)なら、教師に面倒をかけるのは解るが、どう考えても一路はそういうタイプじゃない。
全は首を傾げる。
もし、ここで面を喰らったら防御の薄い首筋に直撃していただろう。
ちなみにチョー痛い。
「ほら、三者面談の時。僕だけ追加でやったでしょう?担任の・・・・・・先生?」
「あぁ、なる程。んでも、それが教師の仕事だろうが。つか、いっちー?」
「何?」
「担任の名前、覚えてねーだろ?」
「あ、あははは~。」
結構フランクな担任ではあったが、全の指摘通りだからして、ここは笑って誤魔化すしかない。
まぁ、毎度毎度自分の自己紹介をするわけではないから、覚えにくいというのは解るが・・・。
「いっちー、そりゃねぇぜ。」
これには全も苦笑するしかない。
「なんかね、うん、ド忘れしちゃって・・・。」
面目ない。
これは何たる失態だろう。
三者面談までして言葉を交わしたうえに、あんな無理を通してもらったというのに。
「意外と天然なのな、いっちー。防具も緩んでんぞ。」
「え?あ、ちょっと待って付け直すから。」
指摘されて気づく辺りも、ドン臭い。
慌ててその場で直そうとしゃがみ込む。
籠手を外して、初心者の一路は更に面も外さないと、きちんと付け直す事は出来ない。
面倒だが、きちんと付け直さないとまた緩んでしまうから、仕方なく面も外す。
「担任の名前くらい覚えてやらんと可哀想だぜ?担任の名前は・・・。」
「名前は?」
胴の紐を緩め、位置を確かめた所で全を見上げる。
「名前はだな・・・。」
「雨木さんが倒れたぞ!」
口を開きかけた瞬間、そんな叫びが校庭の方から聞こえる。
「いっちー!」
一路の行動は早かった。
全が驚く程に。
持っていた防具は放り出され、裸足のまま校庭へと駆けてゆく。
呆気に取られた全が正気に戻って、一路の後を追いかけ、そして追いついた頃には、一路は人だかりの中から芽衣を抱え上げていた所だった。
「おい!道を空けてやってくれ!いっちー、保健室だ!」
人だかりの後からそう叫ぶしか全には出来なかった。
それしか出来ない自分自身、出遅れた事に少々気まずく思ったが、それよりも心配な事が全にはあった。
「大丈夫かしら?」
一路を見送る全の横に何時の間にか灯華が立っている。
「どっちがだ?」
その言葉に思わず問いかけてしまった。
何時もは出す事はない少し苛ついた声。
「どっち?倒れたのは雨木さんでしょう?」
そう、倒れたのは芽衣、間違いない。
だが、それ以上に心配な状況だと全は感じていた。
「いや・・・いっちーがな。」
全が呆気に取られて出遅れた原因は、一路の速さと表情の方だった。
血相を変えた顔、それも尋常じゃない程に顔面蒼白だったと言ってもいい。
ぱっと見て、芽衣は貧血か何かだろうが、だとすれば全には一路の方が余程重症に見えた。
しかし、まだ授業中。
様子を見たくとも授業に戻らねばならない。
一路の竹刀も置いたままだし、授業終了まで戻って来ないのならば防具も片付けなければ。
それ以外にも全にはやる事がある。
「委員長、アトで様子見に行く?あ、どっちかつーと、いっちーの。」
「言っている意味が解らないわ。」
「・・・多分、いっちーの方がダメージがデカいと思うんだわ。ああいう時は誰かがいないと、さ。」
それだけ言って全は武道場へと戻って行った。