体育の授業が終わった全は、自分と一路の使っていた防具一式をきちんと片付け、二人分の竹刀を持ってジャージ姿て廊下を歩いていた。
芽衣の様子と、一路の速さを見た限り、とっくに保健室で大事なしと保健医に告げられたであろう事は明白だ。
(それにしても・・・。)
全は思い出す。
芽衣の報せを聞いた時の一路の表情を。
あの尋常ではない様子は、きっと様々な事をそれとは望まずに思い出したのだと。
フラッシュバックに近いあの症状は、実は全も知り合いのソレを何度か目にした事がある。
一路の場合は、それ程重症には見えなかったが、それでもあれはトラウマに近いものとして、彼の心に深く刻み込まれているのだろう。
総じて一路が真面目で優しく、そして不器用だという事の表れだ。
その事自体は、全には良いとも言えないが、悪い事でもないと断言できる。
だから、力になりたいのだ。
お弁当の件で彼をからかったが、羨ましいと言った事の半分以上は冗談だ。
「いいよなぁ、アレくらいの支えがあってもさぁ。」
芽衣にも言ったように、幸せになる権利は誰にでもある。
確かにこの世界自体は不公平に満ち溢れている。
だからって、その権利を邪魔したり、あげつらったりする必要はない。
寧ろ、そんな事をして何のメリットがあるだろう?
そんな事をする暇があるなら、幸せになる権利を追求する方がまだ建設的だ。
ほんの少し、そんな客観的に冷めた目で世の中を見つつも、楽しむ事が出来るのが、的田 全という人間だった。
「お?」
全は視界の先にスーツ姿の女性を見つけ、歩を早める。
濃紺のタイトスカートに白のカットソー。
その上に黄色いブルゾンを羽織ったパンプスの女性。
「センセ~、何処行くの~?」
にへらぁっと笑いながら、担任であるその女性に近づく。
「あら、的田君。私はこれから雨木さんの所にね、何か倒れたって言うじゃない?一応、担任としてね。」
「ふ~ん、アイツのトコへねぇ~。ところで、センセ?」
自分を見る女教師の前で、能面のように笑みを貼り付けたまま全は口を開く。
「センセって、名前なんてーの?」
「え?」
僅かだが、表情が曇ったのを全は見逃さない。
全の予想通りだったからだ。
「いっちー、あ、一路のヤツがね、酷ぇの。三者面談までやった担任の名前覚えてねぇっつーんだぜ?ド忘れにしたって酷くね?」
「ほ、本当?ちょっとソレは悲しいわね。」
「んでさ、おかしい事に、"オレも思い出せない"んだよネ、センセの名前。」
体育の授業中、それとなく一路以外の級友にも全は、同じ質問をしてみたが、結果は一路と同じだった。
この教師の名を
担任なのにだ。
「迂闊だったな?いっちーは転入生だから、浅かったみたいだぜ?"認識操作"。」
全は持っていた竹刀の袋を教師
「お陰でオレもおかしいって気づけたぜ。」
担任としての自分の存在への認識・注意を逸らせ薄くする細工。
本来なら、担任の名前を覚えていない事を変だと思うはずだが、それ自体を不思議と感じさせないように促す。
だが、転入して間もない一路にはその効果は薄く、担任の名前を覚えていないという不思議さに気づいた。
だから、全も疑問を持つに至ったのだ。
名前を覚えてない事はあり得ない。
ここがミソだ。
覚えさせないように操作するのではなく、覚えていない事を変だと思う事を操作する。
間接的であればある程、婉曲的操作であればある程、違和感を感じる確率が低くなるからだ。
「で、アンタは何処の誰で何が目的だ?仲間はいるのか?本当の担任を何処へやった?」
最初から潜入したのならば、彼女を排除するだけでコトが済む。
当然、被害も少ない。
しかし、本物の担任と何処かですり替わったのならば厄介だ。
人質がいる事とイコールなのだから。
生きていて欲しくはあるが、もう既にというならば全自身の行動は楽になる。
「そっちこそ、何者なの?」
「質問してんのはこっちだ。」
竹刀袋に入れたままのソレをぐいと肉薄させる。
竹刀袋に入ったままというのが緊張感を高めていた。
果たしてその中に入っているものは、人を殺める事が可能なモノなのかという事に。
「言えないなら、言えないで言いたくなるようにするまでだ・・・ま、目的はなんとなく解るが。」
大体の予想はついていたが、不確定要素を減らせるなら、減らせるだけ減らすに越した事はない。
もはや学生とは言えない冷たい目で、全は告げる。
これは脅しではないと。
「予想外だったわ。まさか、あなたが
悔しそうに唇を歪める女とは裏腹に、今度は全が表情を変える。
「海賊だって?!、ちょ、ちょっと待て!アンタ所属を言え!」
全が声を荒げる中、女は自分に攻撃の意思はないと示す為にゆっくりと手を懐に入れ、ごそごそとしながら、全にとっては見慣れた四角いキューブとパスケースのようなも取り出して、中身を全に見せる。
「
地球が存在する銀河を含み、樹雷も所属している銀河連盟の司法機関だ。
彼女はそこに所属する一員らしい。
IDもキューブもそれを示している。
そして、その偽造が如何に難しいのかも全は知っていた。
故に・・・。
「て、コトは・・・。」
全は身体中から嫌な汗がどっと吹き出る。
「ヤベェ・・・ヤベェぞセンセ!!」