授業後、廊下を歩きながら全が考えていた事と同じような事をその人物も考えていた。
この世は不公平で満ちていて、些細な主張の違い、人種の違いでも争いが始まる。
場合によっては、種を根絶するまで止める事はないだろう。
それはちょっとした生まれの差で大いに変わる事もある。
保健室の前で佇んでいたその人物には、中にいる者達の会話を聞き、ずっと繰り返し自分自身と問答をしていた。
一体、芽衣と一路と自分は、何処でその差が生まれたのだろうか?
どうして、こんな風に違ったのだろうかと。
二人の会話が中で途切れたところで、戸を開く。
「誰?全?」
不安そうな声が聞こえた。
勿論、その問いに返事はない。
一方、一路は返答が返ってこなかった事を訝しげに思ったが、まだ警戒はしていないかった。
優しい優しい一路の、彼のその微笑みを思い出した人物は、意を決して手にした光る物体を握り締め動く。
そこに至って、一路も動く。
別に何かを見て動いたわけではない。
ただ一路は、その感覚を知っていた。
つい最近、教えられたばかりのものだったからだ。
それは上空から落ちてきた小石と共に。
"殺気"だ。
二人が同時にトップスピードに入り、現れた侵入者の手に持つ物に芽衣が息を呑んだ後に見た光景。
「ッ!どうして!」
侵入者である
それは自分の持っていた小刀が深々と一路の胸に突き刺さっていた光景。
「・・・どうして。」
一泊遅れて同じ様に声を上げる芽衣。
信じられるはずもない。
そこにいたのは灯華だった。
見慣れた制服姿の灯華。
今日だって一路にお弁当を作って来ていた彼女が何故?
理由が思い当たらない。
タチの悪い夢でも見ているかのようだ。
芽衣の横たわるベッドの端にぺたりと尻餅をつく一路。
「・・・ダメだよ・・・とう・・・か、ちゃ・・・きみは・・・こんなこと、できるこじゃ・・・な・・・。」
最後まで言葉を言えずに、口からこふりと血を溢す。
傷が深い証拠だ。
だが、一路の顔には笑みの表情があった。
自分を刺した人間に微笑む一路に、灯華はどうしていいのか解らずに首を振るだけ。
『折角なら、仲良くなりたいじゃない?』
身体が小刻みに震える。
『ありがとう。』
そう微笑んでお弁当を受け取る一路。
『灯華ちゃん。』
短い時間の中での一路に関しての灯華の記憶。
今、その本人が目の前で死にかけている。
その原因は全て自分。
それでも灯華の目の前の一路は微笑んでいる。
本当に、一体何がこの違いを生んでしまったのだろう・・・。
「・・・とう、か・・・ちゃ・・・。」
もう一度、灯華の名前を呼ぼうとした一路は、ブツリと何かが切れたように・・・。
「雨木!」
同じタイミングで保健室の戸が壊れんばかりの音がして、全がずかずかと入って来る音が聞こえる。
そこでようやく正気を取り戻しとばかりに、出入り口とは反対、保健室の窓へ向かって灯華は身を躍らせた。
素早い身のこなしで灯華が逃げるのと、全が中に入って事態を視界に入れたのはほぼ同時だったろうか。
勿論、目に入った光景に全も息を呑む。
「いっちー?!」
しかし、彼は灯華や芽衣のように固まって動けないという事はなかった。
胸に突き立てられた小刀を握ったまま意識を失っている一路に駆け寄り、素早く状態を確認するが、詳しく確認しなくとも重体なのは明らかだ。
(肺までイってるか?)
「全・・・あ、あのね・・・。」
よく知った顔である全を見て、少しだけ冷静さを取り戻した芽衣が状況を説明しようとするが、口がうまく動かない。
全も、なんとか喋ろうとする芽衣を制した。
「雨木、オマエは先生と一緒に家に戻れ。」
芽衣にかけられていた薄い掛け布団でそっと一路を包みながら、ぶっきらぼうに告げる。
その姿に何時もの学校での全の姿はカケラも感じられない。
刺さっている小刀はそのままに一路を抱き上げる。
下手に抜くと大出血する恐れがあるし、もしかしたら他の臓器を傷つけてしまうかも知れないと判断した。
「ぜ、全は?」
「一路を助ける。」
助けてみせる。
母を亡くし、学校を転校し、心機一転とこれまで何とか頑張ってみせようとしていた一路の人生が、こんな終わり方ではあんまりではないか!
他人の人生ではあるが、全には到底納得が出来ない。
「これはオレの責任だ。」
自分が変な勘違いさえしなければという自責の念もある。
だが、そんなちっぽけなプライドは、一路の生死の前ではクソみたいなものだ。
死んでしまっては詫びる事すら出来ない。
何もかも終わり。
「いいな?」
芽衣が頷くか、否かのタイミングで全は一路を横抱きに抱え上げたまま、灯華が出て行った同じ窓から飛び出す。
そして、あっという間にその姿が見えなくなってしまう。
残された芽衣には、ただ一路が助かってくれる事を・・・それだけしか出来なかった。