真っ暗だった。
そして肌寒い。
そんな場所に一路はいた。
いるんだと思った。
「そっか・・・。」
自分が今、どういった状態に置かれているのかを理解して、そして小さく溜め息。
自分は死ぬのだ。
或いは、既に死んだのだと。
そう理解する。
己が死に逝く者だと理解するという事は、死を受け入れる事と同意義だ。
つまり、今の一路の状態は、既に生のしがらみから解き放たれてしまったという事になる。
「・・・死後の世界ってあるみたいな雰囲気だね、これは。」
但し、真っ暗である。
上下左右も認識出来ない。
もし、死後の世界があるというなら、母に会えるだろうか?
ただ先人達の言うように、天国と地獄も存在していたら、きっと自分は・・・。
「はぁ・・・。」
結局、これからどうしたらいいのか全く解らずに途方に暮れるしかなかった。
脱力していても、膝だけはつかなかったのは、座り込んだらもう二度と立てなくなりそうだったからだ。
まぁ、既に死んでいるのだから、二度と立てなくなってもきっと困りはしないんだろうなぁと思いながら。
「初めまして、檜山 一路さん。」
がっくりと俯いたところにかけられた声。
何処かで聞いたようなその声に、一路は顔を上げる。
見た事もない女性。
長いエメラルド色の髪に美しい瞳。
一路と目が合うと、その女性はにっこりと微笑む。
(天使・・・?)
初めて見た天使は和服美人だった!
そんなナレーションが脳内で再生されてゆく。
自分が日本人だから、天使も日本スタイル?なんてくだらない事を思ったりも。
「あれ?何処かでお会いし・・・た事、あるわけないですね。」
和服の天使と面識などあるわけがない。
大体、こんなに美人だったら、忘れるはずもない。
けれど、何故だか何処かで会った事のあるような・・・。
「さぁ?どうでしょう?」
返ってきたのは、肯定も否定もしない実に曖昧な答えと微笑みだけだった。
まるで一路の反応を窺がって楽しんでいるかのようだ。
しかし、何度考えたところで、一路の脳ミソは疑問の答えを弾き出してはくれない。
「では、参りましょうか。」
一路から一向に次の言葉が紡ぎ出される気配がないのを感じ取ると、その天使(仮)は一路に向け手を差し伸べる。
雪のように白くほっそりとした指。
その手をじぃっと見つめながら、一路はこの行動の意図を考えてみる。
「あの?」
自分の脳ミソがヨーグルトにでもなったかと心の中で思いつつ聞き返す。
自分に向けられている手の平、三途の川の渡り賃金?案内料を渡せとか?など考えた結果、正しい反応というものを導き出す事は当然出来なかった。
「ふふっ♪行きますよ。」
きゅっと天使が一路の手を握った途端、真っ暗だった世界が一面の草原へと変わる。
花、風の感覚。
そして真昼間のような眩い光。
何もかもが塗り替えられていく。
目をしばたいて、その光景を見回す一路の驚きように満足した様に、傍らの女性は微笑む。
一路は一路で、流石死後の世界、何でもありだと一人納得していた。
「貴方は先程から落ち着いていますね。」
「僕がですか?・・・あの、すっごく驚いているんですケド・・・。」
手品レベルでは済まされない変化に驚きの連続で寿命が縮まりそうだと言おうとして、自分のアホさ加減に気づくと同時に、ほら、やっぱり落ち着いてないと思った。
「そうではありませんよ。死というモノにです。後悔はないのですか?」
いざ死ぬとなったら、どんな人間も何かしら想う事があるだろう。
突然に、自分から行動したとはいえ、死を迎える事になったのなら、尚の事。
だが・・・。
「後悔は・・・ない・・・かな。」
一路にしてはかなり考えてから。
「それは何故か聞いても?」
花畑の中で手を繋いだまま見つめ合う二人。
時間の概念が限りなく広く長く薄い中、どれくらい見つめ合っただろうか。
「・・・護れたから、かな。短い付き合いだけど、それでもこんな僕に優しくしてくれた人を護れたから。」
脳裏に優しい言葉をくれた芽衣の顔が浮かぶ。
それも鮮明に。
「護られた方にしてみれば、僕が代わりに死んだんだって苦しむかも知れない。それは悪いなって思うけど・・・きっと何時かまた元気になってくれると思う。それが彼女の心の傷になるなら、僕の事を忘れたって構わない・・・僕はそれを歓迎するし、願ってる。」
また元気に全に怒ったり、笑ったり、周りを明るい気持ちにしてくれる事を。
一路はそれだけを望む。
「て、コレは僕の我が儘だ。うん、どう考えても我が儘だね・・・。」
自分だって、母の事を忘れられなかったし、立ち直るのに時間がかかった。
しかし、死んだ事によってその母にすら会えるかも知れないという淡い期待もある。
これは自分の我が儘で、場合によっては酷く卑怯な考えなのかも知れないとまで思う。
それでも、もし自分が仮に母に出会えたとしたら、胸を張って自分の最期について話せる気がした。
(なんて我が儘なんだろう、僕は。)
自己犠牲も甚だしいし、自己満足の塊だ。
残される者の苦痛、辛さは一番嫌という程解っているくせに。
「・・・人は、やはり不思議な生き物ですね。」
目の前の存在が人間ではないのだろうと思ってはいたが、いざ本人の口からそう言われると違和感がある。
普通に会話出来ているし、身体的特徴も(天使の羽根がないのに今更ながら気づいた)自分達と変わっている点が少ないせいだろう。
「あ・・・でも・・・。」
「?」
「やっぱり後悔はあるかな。一つだけ。」
「一つだけ?」
たった一つの心残り。
何だというのか、興味を以って一路を促す。
「・・・灯華ちゃん。」
悲痛そうな彼女の表情。
無愛想でクールな彼女のあの取り乱した表情は、忘れようにも忘れられない。
「僕を刺した子なんですけど・・・彼女が心配で・・・。」
あの時の灯華は、一路の行動に驚いていた。
つまり、彼女は一路を刺そうなんて思っていなかったのだ。
一路でないのだとしたら、彼女の標的は芽衣という事になる。
全く関係ない一路を巻き込んだ事を、気にしていなかったらあんな表情にはならない。
それを彼女が気に病まないという事は到底ないだろうと一路は思う。
確かに芽衣を殺そうとしたのも彼女本人なのだが、少なくとも一路の知っている彼女はそういう子じゃない。
「貴方を刺した人なのでしょう?なのに?」
首を傾げる女性は、相変わらず静かに笑みをたたえたままだった。
まるで問いの答えが出るまでもなく解っているかのように。
「でも、彼女、泣いてた気がするから・・・。」
彼女はまた芽衣を狙うのだろうか・・・。
そしてまたあんな顔をするのだろうか・・・。
「だからこそ、友として並び立てる事に私は喜びを感じるのです。」
「え?」
その口振りは、やはり何処かで出会った事があるかのように思える。
しかし、それ以前に目の前の彼女は今までの笑みとは違って、いかにも満足そうに見えた。
「ならば・・・。」
一路の手を離し、彼の眼前で一つ、
「貴方はどうすべきかもう解っていますね?」
もう一度打たれる拍手に、一路の周りに敷き詰められるようにして咲く花が散り、宙に舞う。
「僕は・・・僕は、まだ・・・。」
次々と、次々と花は一路の周囲を舞い、やがてそれは花吹雪となり、一路から目の前の女性を覆い隠してしまう。
いや、覆い隠されたのは一路の方かも知れない。
「貴方がお母上と会うのは、まだまだずっと先ですよ?」
よく通る女性の声が辺り響いて、そして・・・。
次回で、一区切りとなります。