ポケットモンスター -Hello My Dream- 作:PrimeBlue
足がつかない。視界は気泡に覆われて真っ白。口を開けば、大量の水が我先にと流れ込んでくる。
力なく浮かぶ手が、叩き起こさんとばかりに力強く掴まれた。
「──ったくもう! ホントに世話が焼けるんだから!」
フルーラは溺れているナオトの手を引っ張り、自分の方へと引き寄せた。意識のないナオトをそのまま抱え、何とか流れに飲まれないように体勢を整える。
「イーブイ! しっかり掴まって! 離しちゃダメよ!」
「……ブッ!」
フルーラの肩にしがみついているイーブイが鳴き声を返す。何とか這い上がれそうな岸がないか探すが、右も左も見えるのはそびえ立つ崖。
舌打ちをしたくなるのを抑えながら前方に目を向けると、まずいことにすぐ先は滝になっていた。
逃れる術もなく、二人は宙に放り出される。
30メートルほどの高さから滝壺に叩きつけられたが、幸い大事には至らなかった。しかし、衝撃でフルーラはナオトの身体を手放してしまった。
(しまっ──)
慌てて水面に顔を出すフルーラ。川の流れは先ほどまでとは打って変わって緩やかになっている。
「イーブイ! あんたはここで待ってて!」
「ブ、ブイッ」
肩にかけたポシェットごとイーブイを放る。ナオトを助けるため、フルーラは大きく息を吸って再び水の中に潜った。
くぐもった滝の落ちる音に包まれる中必死に辺りを見回すが、滝壺のすぐ傍とあって気泡が多く視界は最悪。それでも目を凝らして周囲を探る。そして下を見下ろすと、滝壺深くまで落ちかけているナオトを見つけた。
(……ナオト!)
フルーラはすぐさま両足の裏で水を蹴り、水圧を物ともせずに10メートルの深さを底へ底へと潜っていく。気泡の隙間に見えるナオトから一瞬たりとも目を離さず。
そして底に辿り着き、素早く彼の身体を抱えて浮上しようとする。
(──!?)
だが、浮上できない。
水面へ向けて水を蹴っても蹴っても、まるで上から押しつけられているかのように底へと戻されてしまうのだ。
フルーラはナオトを助けたい一心で、滝壺の危険さを失念してしまっていた。
滝壺は落下してきた水の流れと川底から水面へと向かう流れが繋がって、いわば対流のような構造になっているのである。その流れに捕まってしまったら最後、水面に上がることは叶わない。
(冗談じゃないわ! まだ海に還るには早すぎるんだから!)
生き物は死を迎えると、全ての生命の源である海へと還る。小さい頃に長老から言い聞かされた話を、フルーラは泡を払うように頭を振って消し去る。
なんとか浮上すべく、底に押し戻された状態から流れの外側へと逃れようと必死に泳ぐ。が、ナオトという人間一人を抱えている状況では思うようにいかない。
もし彼を手放せば、恐らくは助かるだろう。
それでも、フルーラは決して彼を抱える手を放さなかった。
島育ちのフルーラは当然泳ぎが得意で、その技術たるや大人顔負け。アーシア島では一番長く水の中に潜っていられる。
だが、そんな彼女でも限界はある。
(……や、ば)
だんだんと、そして急激に苦しくなっていく。まるで、這い寄ってきた死が足を掴んだかのように。
ついに限界を迎え、開いた口からごぽりと泡が零れる。
それでもフルーラは最後の力を振り絞り、はるか上へ向けて手を伸ばす。
水面に差す陽の光が目に入る。その輝きは、決して届かないということを彼女に突きつけているようであった。
意識が、遠のいていく──
「──シャワッ!」
刹那、水中を照らす陽光を遮るようにして黒い影がフルーラの目の前に飛び込んできた。
何だと瞬きする間に水に溶け込むかのようにして姿を消す影。かと思えば、フルーラとナオトの身体はまるで下から押し上げられるようにしてあっという間に水面へと浮上していった。
「──はぁっ! ゲホッ、ゲホッ」
なんとか水面へ浮上し終え、滝壺から離れるフルーラ。咳き込みながらも、空気を求めて必死に呼吸する。
さすがのフルーラも危機一髪の状況から逃れたばかりでは泳ぐ気力もなく、気を失っているナオトを抱えながらしばし緩やかな川の流れに身を任せた。そんな彼女の元へ、水面に生じた波が意思を持っているかのように近づいてくる。思わず身構えるが、波の動きは目の前でピタリと止まった。そして、水面が膨れ上がる。
「……え?」
そこからゆっくりと顔を出したのは、ヒレのような形の耳に水色の鱗で覆われたポケモンであった。
どこからどう見てもフルーラの知らないポケモンだ。しかし、どういうわけか彼女はそのポケモンに既視感を覚えた。知らないのに、けれど知っているような不思議な感覚。
「あんた、もしかして……イーブイ?」
水色のポケモンは、返事をする代わりにピシャリとヒレのついた尻尾で水面を叩いた。その様は、まるで人魚を彷彿とさせた。
そう。目の前のポケモンは紛れもなくフルーラのイーブイ。ポシェットに入っていたみずのいしを使って、進化したのだ。
進化したイーブイを認識したのか、フルーラのポケットに入ったままになっているポケモン図鑑の解説が再生──ナオトの言う通り、耐水性はバツグンのようだ──される。
『シャワーズ。あわはきポケモン。イーブイの進化系。体の細胞の作りが水の分子に似ているので、水に溶けることができる』
「そっか。私達を助けるために……ありがとう、シャワーズ」
先程の黒い影はこのシャワーズだったのだ。水に溶けた状態で、フルーラ達を上へと押し上げたのである。
感極まったフルーラは、未だ意識を失ったままのナオトを抱えながらもう片方の手でシャワーズを抱き寄せた。シャワーズは若干うっとおしそうにしながらも受け入れてくれている。どうやら、性格は進化する前とあまり変わらないようだ。
「……?」
その時、空から粉のような物が降り注ぎ、水の光に反射して煌めいた。
顔を上げてみると、蝶の姿をしたポケモンが二匹。片方はピンク色の身体をしており、もう片方は藍色の身体に黄色いスカーフを首に巻いている。
二匹はフルーラ達を案ずるように見下ろすと、鱗粉を纏った羽を羽ばたかせて川下の方へと飛んでいった。
何気なくそれを目で追っていたフルーラは、その先が岩山を貫流した洞窟となっているのに気づく。その中には、水に浸っていない岩岸があった。
「あそこで休めそうだわ。シャワーズ、ナオトを運ぶの手伝ってくれる?」
「シャア」
フルーラはシャワーズは協力して死に体のナオトを泳いで運んだ。
岩岸に上がって、安堵の溜息を吐く。洞内は鍾乳洞になっており、奥行きの広い空間が広がっていた。陽が当たらないおかげでひんやりとしており、死に目に会って激しくなっていた動悸を落ち着かせてくれる。
ナオトの方は未だ意識を失ったままだが、幸い水は飲んでいないらしくしっかりと呼吸している。人工呼吸の必要はなさそうだ。さすが腐ってもトレーナーといったところか。ほんの少し残念なようなほっとしたような気持ちを抱きながら、一応横向きにして寝かせておく。
「……うっ」
しばしぼうっと天井から垂れ下がる鍾乳石などを眺めていると、寝かせていたナオトが意識を取り戻した。
「ナオト、大丈夫?」
「ああ、なんとか……ここは?」
「洞窟の中。川の流れに削られて出来たんでしょうね」
ナオトはまだ意識がはっきりしていないのか、少しばかり目の前を流れる川をぼうっと眺めた。そして、泳げない自分がどうして助かったかを察してバツが悪そうに首に手を添える。
「……悪い、僕のこと助けてくれたんだよな?」
「まあ、そうだけど。でも助かったのはこの子のおかげよ」
「この子?」
言われてフルーラの視線を辿ると、そこにはシャワーズがいた。水に足をつけたまま、毛繕いならぬ鱗繕いをしている。その仕草を見て、ナオトはフルーラのイーブイを思い浮かべた。
「ひょっとして、イーブイか?」
「ええ。みずのいしで進化して、滝壺から私達を助けてくれたの」
「そうか……ありがとう、シャワーズ」
お礼を言うと、シャワーズはフルーラにしたように尻尾を振って答えた。それを見て、くすりと笑みを浮かべるナオト。
「──よい、しょ」
そろそろ意識もはっきりとしてきたところで、隣に座っているフルーラがおもむろにびしょ濡れの服を脱ぎ出した。ナオトは慌ててそっぽを向いて彼女を視線から外す。
「ちょっ!? お前また──」
「違うわよ。このままだと風邪引いちゃうから、脱いで乾かすの。ほら、あんたも脱ぎなさい」
「脱げって……お前は水着着てるからいいだろうけ──ハ、ハクシュッ!」
手を伸ばしてくるフルーラに抵抗しようとしていたところで、くしゃみをしてしまうナオト。身体はブルブルと小刻みに震えている。洞窟の中は思ったよりも冷え込むのだ。
「言わんこっちゃない。全部じゃなくてもいいから、上だけでも脱ぎなさいよ。ほらっ」
「分かっ、分かったって。自分で脱ぐから!」
渋々上着を脱ぎ始めるナオト。洞窟の外であれば陽の下に晒されてすぐに乾くだろうが、生憎崖に囲まれていてそれができるスペースはないのだ。
しかし、下が水着だからといってこうも羞恥心が無いのもいかがなものだろうか。島育ちの人間とは皆こうなのか? ナオトは気恥ずかしさに耐えながらも文句を乗せた視線を向けようとしたが、フルーラの水着姿が視界に入るとすぐにまた目を反らした。シャワーズが呆れた目をしているように見えるのは気のせいだろう。
「湿気のせいで全然乾きそうにないわね。火を焚きたいところだけど、燃やせそうな物も道具もないし……」
「そ、それなら大丈夫さ」
適当な岩に濡れた衣服を広げていたフルーラの零した言葉に対して、ナオトはベルトのホルダーからモンスターボールを一つ手に取る。そして、手に握ったまま開いた。
「──ブスタァ!」
中から光と共に出てきたのは、赤い被毛をしたポケモンであった。長い耳と首の周りを覆う襟巻きのような黄色い毛が特徴的である。
ナオトの連れているポケモンの中でもまだ顔合わせしていないポケモンだ。早速、ポケモン図鑑を出して確認するフルーラ。
『ブースター。ほのおポケモン。イーブイの進化系。吸い込んだ息は体内の炎袋で千七百度にまで熱せられて炎になる』
「この子もイーブイの進化系なんだ!」
「ああ。ブースター、悪いけど暖を取らせてもらってもいいか?」
「ブゥ」
ブースターは仕方ねえなとばかりに鼻を鳴らすと、ふかふかの襟巻きを広げた。すると、その身体に熱が帯び始める。
「わあ、あったかい。シャワーズもこっち来なさいよ」
「馬鹿。シャワーズはみずタイプだから必要ないって」
「あ、そっか」
ブースターから放出される熱で濡れた身体を乾かしながら、フルーラは自分の新しい体の具合を確かめるように川を泳いでいるシャワーズを見つめる。
「……ホント、ビックリよね。進化したら姿形も変わっちゃうなんて。性格も変わっちゃうことがあるんでしょ?」
「ああ。だから、進化させたくないトレーナーやしたくないっていうポケモンもいるんだよ」
「シャワーズも元々は進化したくないみたいだったわ。悪いことしちゃったかしら……」
「でも、自分自身で決めて進化したんだろ? それも僕らを助けるために。だったら、後ろめたさを持ったまま接するのはシャワーズに失礼だ」
ナオトの言葉に、フルーラは頷いて答えた。
そこで会話が途切れて、沈黙が訪れる。川の流れる音だけが、洞窟内で反響してナオト達の耳を打つ。
「……そ、そうだ。シャワーズの特性とか覚える技とか教えるよ。図鑑の情報はあくまで簡易的なものだから」
「あ、うん」
頭を掻いていたナオトが気まずさに耐えかねてか、そう言ってシャワーズの解説をし始めた。
「タケシからいわタイプのポケモンが身体を定期的に磨かなきゃいけないって教わったけど、みずタイプのポケモンも同じ感じで身体が乾燥しないように気をつけなきゃならないんだ。だから──」
気まずさを誤魔化すためか、いつにも増して解説に力が入るナオト。次第に、フルーラの水着のことも忘れて目の前のシャワーズのことを語るのに夢中になっていく。
そんな彼を微笑ましげに眺めているフルーラ。旅を始めた当初はポケモンのことにそこまで興味がなかったので彼の解説は聞き流しがちであったが、今は違う。ポケモンの話をしているナオトは普段よりも活き活きとしていて、フルーラはそんな彼を見ているのがなんとなく好きになっていた。
しかし、これだけポケモンのことが好きなのに、彼はポケモンバトルをする時なぜかいつも苦しげな表情をしている。フルーラはそれが少し気がかりになっていた。ナツカンジムでのスキルバトルではそんな節は見られなかったのもフルーラが首を傾げる要因の一つである。
「おい、ちゃんと聞いてるのか?」
「ええ、聞いてるわ。でもちょっと早口過ぎるがらもっと落ち着いて話してくれると嬉しいわね」
自分では早く話している自覚がないのか、「……そんなに早口だったか?」と首を傾げるナオト。
「そういえばなんだけど、洞窟に入る前に蝶みたいな姿をしたポケモンを見たの」
「それは多分バタフリーだな。カントー地方で蝶と言えば、そのポケモンしかいないよ」
ナオトの答えに、フルーラは「ふ~ん」と呟いて図鑑を確認する。
『バタフリー。ちょうちょポケモン。トランセルから一週間で進化する。雨の日でも飛ぶことのできる羽を持っている』
図鑑の画面に映った藍色のポケモンは、まさしくフルーラの見たポケモンであった。
だが、フルーラが見た二匹のバタフリーの内の一匹は体色が違っていた。恐らくピンク色の方がこの島出身で、もう片方は別の所から来たのだろう。黄色いスカーフを首に巻いていたのが気になるが。
──ゴゴゴッ
その時、洞窟の奥から何やら音と小さな振動が伝わってきた。
「な、何かしら」
「分からない。行ってみよう」
気になった二人は既に乾いていた服を着直し、ブースターとシャワーズを連れて懐中電灯を手に洞窟の奥へと入っていく。
洞窟の奥は、川が流れていく穴とそうでない穴に別れていた。穴は緩やかな上り坂になっている。
その穴を進んで川の流れる音が聞こえなくなってきたところで、奥の方から誰かが走ってくる音が耳に届く。懐中電灯を向けると、そこには背の高い男性の姿。
「──ッ」
何かから逃げるように走っていた男性は懐中電灯の明かりに照らされて足を止める。
「誰?」
「あの、一体何が──」
「──グオオオオッ!!」
何があったのか聞こうとしたが、その必要はなかった。
その男性の背後、横合いの壁を崩してイワークが顔を出したのだ。心なしか、身体を構成する岩の色が桃色がかっている。
「──!」
「────!!」
イワークが出てきた穴から、さらにズバットやその進化形のゴルバットが複数飛び出してきた。例によって、その体色は軒並みピンク色。どれも興奮していて、話が通じるような状態じゃない。
「ッ! ブースター! かえんほうしゃだ!」
「シャワーズ! みずでっぽう!」
「ブスタァ!」「シャワッ!」
ブースターのかえんほうしゃが宙を飛び交うズバット達を追い払い、シャワーズのみずでっぽうがイワークの鼻先を掠める。
「グオオッ!」
「「──! ──!」」
イワークとズバット達はブースター達の攻撃に怯み、出てきたばかりの穴へと逃げ帰っていった。
ひとまず何とかなったところで、男性の方に向き直る二人。男性はゆっくりと口を開く。
「助けてくれて感謝する。私はジラルダン。コレクターだ」
「コレクター?」
「そう。私はコレクター。世界中のありとあらゆる貴重な存在を集めている」
ジラルダンと名乗ったその男性は、紳士然とした物腰でナオト達に礼をした。先程まで追われていたにも関わらず、その顔は冷静なままだ。
この先に用があったのだが、先程のイワークとズバット達に襲われ、明かりになる物も落としてしまい困っていたのだという。
「君達もこの先に用があるのか?」
「用があるというか……」
「私達、橋から落ちて川を流れてきたんです。だから帰り道を探したくて」
「ならば、このまま進んで外に出るしかあるまい。迷惑ついでに、私も同行願えないだろうか?」
ジラルダンの申し出に、ナオト達は顔を見合わせる。
断る理由はないが、フルーラはなんとなくジラルダンに対して言葉にできない不審感を抱いていた。穏やかな態度の裏に、何か言い知れぬ狂気を感じ取ったのだ。表情からして、ナオトも同じ印象を受けたらしい。
「えっと、私達は──」
「分かりました。一緒に行きましょう」
「重ねて感謝する。用が済んだら、お礼に私のコレクションを見せてあげよう」
フルーラが何とかして断ろうとした時、横からナオトがそれを遮った。ジラルダンが笑みを浮かべる中、フルーラは眉をひそめてナオトを見る。
そして、懐中電灯を持ったナオトが先導する形で再び洞窟の奥へと進み始めた。
「ちょっとナオト。どういうつもり?」
ナオトの横に並び、ジラルダンに聞こえないよう声を潜めて文句を言うフルーラ。
「……ポケモンは何の理由も無しに人間を襲ったりなんかしない。もちろん、その人間がトレーナーでポケモンを連れていたのなら別だけど、それは本能で襲うのであって、狙うのは飽くまでトレーナーが連れてるポケモンなんだ」
つまり、ジラルダンには何かしらポケモンに襲われる理由があったということだ。
「明かりにビックリしたとかじゃなくて? ほら、クリスタルのイワークの時みたいに」
「もちろんその可能性もある。パッと見は悪さをしているようには見えないしな。でも、用とやらが済むまでは様子を見たいんだ」
先程まで自分達がポケモンに襲われていたというのに、それでもポケモンのために行動するナオト。
しょうがないなと思いつつも、フルーラはいつもより頼りがいのある雰囲気を見せるナオトの言うことに従うことにした。
「──いでッ!」
が、その後すぐにナオトは地面に足を滑らせて盛大に転んでしまう。ブースターとシャワーズがやれやれと首を振る中、フルーラは「ホント、かっこつかないんだから」と溜息を吐いてそんな彼に手を貸すのであった。
◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓
ジュンサーに連れられ──もとい連行されて、島の中心にある管理事務所に辿り着いたタケシとアイ達。
その道中、周りに生息しているポケモンが皆ピンク色をしていることに驚きの声を上げていた。
「それで、この島なんだけどね──」
事務所で腰を落ち着けたところで、ジュンサーがこの島について説明しようとする。
が、その時。
「ミャッ!?」
「どうした? アイちゃん」
突然アイが驚いたように短い悲鳴を上げた。
タケシが彼女の見ている方に目線をやると、そこにはゲンガー。しかし、様子がおかしい。
「ええッ!?」
「ゲン?」
なんと、ゲンガーの身体の一部がピンク色に染まっていたのだ。その手には、ピンク色の果実が握られている。
「ああ。その子、ピンカンの実を食べちゃったのね」
「ピンカンの実?」
「この島はピンカン島っていってね、この島にだけ群生しているピンカンの実を食べると色素が沈着しちゃうのよ。島のポケモンはみんなその実を食べて生活しているから……」
「なるほど。それでピンク色のポケモンばかりだったんですね」
ピンカンの実を代々食べ続けてきたことで、何時しか生まれながら体色がピンク色のポケモンが育つようになったのだという。
そんな珍しいポケモン達の存在が知られれば
「基本的に生息しているポケモンは島の外へ出さないようにしているんだけどね、空を飛ぶポケモンの一部は例外になっているの。特にここで育ったメスのバタフリーは産卵の時期が近づくと番を求めて島の外へ旅立って、またこの島に戻ってきて卵を産んでいくのよ」
ジュンサーの説明が続く。だが、後半の話をタケシは聞いていなかった。この島が保護区で一般人立ち入り禁止という話を聞いて、ナオト達のことを思い出したのだ。ジュンサーさんに見惚れていてすっかり忘れていた。
青い顔をしているタケシを見て、ジュンサーが「どうしたの?」と尋ねる。
「実は……」
◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓
しばらく足音を響かせながら洞窟の中を歩いていると、目線の先で光が漏れているのが見えてきた。
出口と分かると、光に向かって自然と早足になるナオト達。ジラルダンはゆっくりとした足取りでその後に続いた。
洞窟を出て、少しばかり眩んだ目を擦る。
光に慣れてきたナオト達の前には、樹高8メートル程もある神秘的な大樹がまるで迎えるようにしてそこにそびえていた。
「立派な樹……」
「ああ……」
その樹は幹が複雑に絡み合っており、さらに地面から露出した気根が幹に絡みついている。見ただけで歴史の深さと樹齢の長さを感じさせるほどの荘厳たる出で立ちであった。
そんな木の肌に、幾つものピンク色の物体が貼り付いていることに気づく。
「あれは……色は違うけど、トランセルだ!」
「トランセルって、さっき言ってたバタフリーの進化前よね?」
フルーラがポケモン図鑑を取り出して確認してみる。
『トランセル。さなぎポケモン。キャタピーの進化系。全身を硬い殻で覆っている。この種類は、今まで発見されたポケモンの中で最も進化のスピードが早い』
さなぎポケモンのトランセルはいもむしポケモンのキャタピーが進化した姿で、本来は緑色の身体をしている。このトランセルは恐らくは、進化前のキャタピーの時からピンク色だったのだろう。
「でも、こんな沢山木に貼り付いて一体何してるのかしら?」
「きっと進化が近いんだよ」
野生のキャタピーは時期が来ると目の前の光景のように集団で一つの木に貼り付き、自身の吐いた糸を纏ってトランセルになる。そのままじっと動かずに時が経つのを待ち、最終的にはちょうちょポケモンのバタフリーに進化するのだ。
「ふむ。どうやら、間に合ったようだな。これこそ私の探していた物だ」
そこへ、追いついたジラルダンがナオト達の後ろに立った。ピンク色のトランセルが集まった大木を見て、感嘆の声を上げている。
通常のトランセルならまだしも、ピンク色のトランセルがバタフリーに進化するために一つの木に集っている光景は、恐らく世界中探してもこの島でしか見られないだろう。
「……あの、カメラとか持ってないんですか?」
「なぜかね?」
「だって、せっかくこんなトコまで来たんですから、写真ぐらい──」
「あっ!」
フルーラが純粋に疑問に思ったことをジラルダンに話していると、ふいにナオトが声を上げた。
見ると、木に貼り付いている一部のトランセルの身体にヒビが入り、そこから光が漏れ出している。丁度バタフリーに進化するところなのだ。イーブイが進化する瞬間を見逃したフルーラは、初めて目の前で見る進化に思わず釘付けになった。
「──え?」
しかしその時、突如どこからともなく現れた輪の形をした機械がトランセル達の貼り付いた木を取り囲んだ。
それらから青白い電撃のような物が飛び出し、木ごと丸々トランセル達を包み込む。それと同時に、トランセルの進化はピタリと止まってしまった。
「な、何なのコレ!?」
自然の神秘から一転して不可思議な人工的物体の出現に、フルーラが動揺して叫ぶ。
驚いていない人間は、ただ一人。
「……危ないところだった。進化されては、求めていたコレクションをみすみす取り逃すことになってしまう。この時期を逃すと、また一年先延ばしになるのだよ……だが、進化する直前の姿というのもそれはそれで価値が高まるか」
ジラルダンが、誰に向けるでもなくそう呟いた。
「どういうことだ!?」
「トランセルが進化のために集ったこの光景をそのままオブジェとし、私のコレクションに加えるのだよ」
掴み掛かる勢いで問うナオトに何をそんなに怒っているのかというような態度でジラルダンが答える。
あの輪のような機械から発する電磁波にはポケモンの身動きを封じることに加え、進化を抑制する特殊な波が含まれているらしい。
「君たちのおかげで、私のコレクションがまた一つ増えた。感謝する」
と、まるで自分が悪いことをしているなどとは露程も思っていない顔で言うジラルダン。
「ふざけるな! ポケモンを何だと思ってるんだ! 行くぞ、ブースター!」
「ブゥスッ!」
怒りをぶつけ、輪に拘束されているトランセル達の元へブースターと共に駆け出すナオト。一切表情を変えないこの男に何を言っても無駄だろうと判断したのだ。
「かえんほうしゃ!」
「ブスタァ!」
「私達も! シャワーズ、みずでっぽう!」
「シャワ!」
ブースターとシャワーズの技が機械に向けて放たれる。しかし、それから迸る電磁波の壁に防がれてしまった。
「無駄なことはやめたまえ。この檻は伝説のポケモンでさえ無力化する程強固に設計させたものだ。並のポケモンの攻撃など、徒労に終わるだけだぞ」
「そんなの、やってみなきゃ分からない! ブースター、フレアドライブだ!」
「ブウゥゥゥ……ブ、ブスタァ!」
炎を纏ったブースターが猛烈な勢いで機械に突撃する。凄まじい熱波と衝撃が周囲に伝わる。
しかし、ジラルダンの言う檻から放たれる電磁波を破ることは出来ない。勢いを失ったブースターは弾かれてしまった。
「ブースター! くそっ、クリスタルのイワーク達も連れてきてれば……」
無意識の内に呟かれたナオトの言葉に反応して、ジラルダンが目を見開く。
「君は……クリスタルのイワークをゲットしたのかね?」
「……だったら、何だ?」
暗に肯定を返したナオトに、ジラルダンの鉄面皮が歓喜の色に染まる。
「素晴らしい……どうだろう? 君のクリスタルのイワークを私に譲ってはくれないか?」
「は?」
「譲ってくれるのであれば、このトランセル達は諦めよう。こちらはまたの機会があるが、クリスタルのイワークはそうもいかないのでね」
そう申し出るジラルダン。貴重さにおいて、他に同じような個体がいるかも分からないクリスタルのイワークの方が断然勝っていることだろう。
「……まさか、クリスタルのイワークに報奨金をかけてハンター達を集めたのはお前か?」
「その通りだ。ああ、もちろんその金も君に渡そう。どうかね? 悪い話ではないと思うが」
ジラルダンが期待の目線を寄越すが、もちろんナオトがその提案に首を縦に振ることはない。無視を決め込む。
しかし、このままではトランセル達を助けることはできない。一番威力のあるブースターのフレアドライブは自分にもダメージが返ってくるため、何度も撃つことはできない。
どうにかできないか。そう必死に考えるナオトの目に、まだオレンジ諸島に来て以来一度もベルトから手に取っていない最後のモンスターボールが映る。
震える手でそのモンスターボールを手に取ろうとするが、まるで何かを恐れているかのようにそれができないでいる。
「くそっ……」
何もできない自分の不甲斐なさに歯軋りをして、目を伏せてしまう。
「「──フリイィッ!」」
その時、闘志を奮わせるような鳴き声が響いた。
顔を上げて見ると、黄色いスカーフを巻いたバタフリーとピンク色のバタフリーがトランセル達を助けようと機械へ向けて必死にたいあたりを仕掛けていた。反動で傷付きながら、何度も何度も。
「ッ! シャワーズもたいあたりよ!」
「シャ!」
それに続く形で、フルーラもシャワーズに指示を飛ばす。
無論効果はないが、弾き返されたシャワーズはバタフリー達と同じように負けじとたいあたりを繰り返した。
「ナオト! 何勝手に諦めてんのよ! 私のシャワーズはまだ諦めてない! あのバタフリー達も!」
フルーラの叱りつける声がナオトの耳に届く。
「あんたのブースターだってそうよ! だったら……トレーナーの私達が諦めるわけにいかないじゃない! シャワーズ! 今度はオーロラビームよ!」
「シャワアァッ!」
そう叱咤して、次いでオーロラビームをシャワーズに指示するフルーラ。超低温の虹色の光線が放たれるが、やはり電磁波に遮られてトランセル達を捕える檻にダメージを与えられない。
(オーロラビーム……そうだ!)
フルーラとシャワーズの行動を見ていたナオトが、何かを思いついたのかハッとした表情をする。
「ブースター、かえんほうしゃだ! 関節部分を集中的に狙え!」
「ブゥ!」
すかさずブースターに指示を飛ばすナオト。ブースターの口から放射された炎が機械の関節部分を焼く。その箇所は電磁波による防御が他と比べて薄いようだ。それでも機械自体が強固に出来ているので壊れることはない。だが、一箇所に集中させたおかげか炎が当てられた部分は見て分かるほどに赤く熱せられた。
「フルーラ! 同じ所をシャワーズのオーロラビームで狙ってくれ!」
「……ッ、分かったわ! シャワーズ!」
「シャア!」
ナオトの指示を受けて、フルーラがシャワーズにオーロラビームを放たせる。ブースターと同じ箇所に寸分違わず直撃。かえんほうしゃで熱せられた関節部分を急激な速度で冷やす。
「よし! ブースター、もう一度……今度は最大パワーでフレアドライブだ!」
「ブゥッ! ブゥス、タアアァーー!!」
機械が十分に冷やされたことを確認したナオトがブースターにフレアドライブで突撃させる。
先ほどよりも凄まじい炎がブースターの身体に纏う。地面の草むらに焦げ跡を残しながら、一つの火の玉と化したブースターの全力が込められた突進がトランセル達を拘束する機械──薄く凍りついた関節部分を彗星の如く穿った。
急激な温度差によって脆くなった機械の関節はその衝撃によって見事に砕け、トランセル達を覆っていた青白い電磁波は打ち消された。
「やったわ! ナオト!」
「ああ!」
声を上げて喜ぶナオトとフルーラ。
それと同時に、解放されたトランセル達の進化が再開される。ヒビの入った身体が割れ、中から光と共に羽の生えた進化体──バタフリーが現れた。進化前と同じく、ピンク色の姿だ。
「フリ~」
「フリ、フリィ~」
進化を遂げた何匹ものバタフリー達。そんな彼らを迎えた黄色のスカーフを巻いたバタフリーとその相方が先導する形で空を飛び回り始める。
羽を羽ばたかせる度に舞う鱗粉が、太陽の光を受けて昼間の空に星を作る。
「わあ……」
その神秘的な光景に、バタフリー達を救った喜びや興奮も忘れて見惚れる二人。
彼らはひとしきり飛び回り終えると、島の外を目指して天高く舞い始めた。黄色のスカーフを巻いたバタフリーが一度だけナオト達の方を振り向き、感謝するように小さくお辞儀する。
そして、煌めく軌跡を残しながら大勢のピンク色のバタフリー達と共に島を飛び去っていった。
「…………ッ、そうだ。ジラルダン!」
しばらくフルーラとそれを見送っていたナオトは、はたと気づいて後ろを振り返る。しかし、そこにいるはずのジラルダンはいつの間にかその姿をくらましていたのだった。
「──おーい! ナオトー! フルーラ!」
そこへ、どこかからタケシの声が二人の耳に届く。
声のした方を振り向くと、丘の向こうからアイが手を振りながら走ってくるのが見えた。その後ろにはタケシとジュンサーの乗るジープが停まっている。
「ミャウ!」
「アイ! あ、いてっ!」
アイはイリュージョンを解いて本来の姿に戻り、嬉しそうにナオトの胸に飛び込んだ。それを受けて、踏ん張りが効かずに仰向けに倒れるナオト。
「……っもう。ほら、大丈夫?」
フルーラはそんな彼に笑みを浮かべ、やれやれと助け起こすのであった。
──そんな彼らの様子を影で見ていた者が一人。ずぶ濡れのままの身体からポタリと雫が落ちた。
「……あのジラルダンとかいう奴。確かロケット団に資金提供してる資産家だったはず。あの機械はウチの特務工作部に開発させた物ってわけね」
◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓
どことも分からない施設の廊下。所々作りかけのような部分が見え隠れしている。
空色を覗かせる窓の側を、ジラルダンが靴音を響かせながら歩いていた。形の良い顎に手を添えて、何やらブツブツと呟いている。
「熱対策はおろか、耐久性も十分とは言えない。これでは彼らをコレクションに加えることなど到底不可能だ。改良を依頼しなければ……」
オタク君の話をちゃんと聞いてくれるフルーラ。
クラスの陰キャ男子を勘違いさせそう。
■温度差を利用した破壊
無印編第171話『ブラッキー! やみよのたたかい!!』でサトシもやってた手法。
色々とツッコミはなしの方向で。
■ジラルダン
コレクターを名乗る紳士然とした男。
世界中の貴重な物を集めており、ポンカン島のクリスタルのイワークに報奨金をかけた張本人。
オレンジ諸島に来た本来の目的は別にあるようだが……?
■フルーラのシャワーズ
フルーラのイーブイが彼女らを助けるためにみずのいしで進化した。
相変わらず気が強くてぶっきらぼうだが、なんだかんだ面倒見が良い。
■ナオトのブースター
ナオトがカロス地方でゲットした。
勝ち気で自信過剰な性格をしており、シャワーズとはタイプ的にも性格的にも相性が悪い。
■二匹のバタフリー
ナオト達に加勢してくれたつがいと思われるバタフリー。
黄色いスカーフを巻いたバタフリーは元々誰かのポケモンだった可能性がある。
きっと、そのトレーナーは良いトレーナーだったのだろう。ナオトもいつか会える時が来るのかもしれない。
■ロケット団の特務工作部
アニポケ番外編『ライコウ雷の伝説』に登場したバショウ・ブソンなどが所属している。
なお、彼らが登場する予定はない。