ポケットモンスター -Hello My Dream-   作:PrimeBlue

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念の為初めにお伝えしますが、今までの話と比べて少しばかり表現が過激です。
ご了承ください。



31. エピソード:アイ ① ▼

『生き物は、身体が痛い時以外は涙を流さないって。悲しみで涙を流すのは、人間だけだって』

 

『ありがとう、あなたの涙……でも、泣かないで。あなたは生きてるの』

 

『生きているって、ね……きっと楽しいことなんだから』

 

 

 

 

 

 ──ここは、どこ? わたしは、だれ?

 

 前も、後ろも──左も右も、よく分からない。

 自分の手も、足も──どこを向いているのか、分からない。

 真っ暗闇の中をふわふわと浮かび、彷徨っている。

 

 この暗闇に来る前はどこにいただろうか?

 冷たい何かに包まれて、ただただその中を浮かんでいた気がする。

 今と、何も変わらない。

 

 ……ううん、違う。

 

 今と違って一人じゃなかった。

 わたしと同じみたいに生まれた子達が、ワン、ツー、スリー。

 でも、みんなツー。みんな同じ。

 

 けれども消えてしまった。

 消えては生まれて、生まれては消えて。

 そして最後には二度と生まれてこなくなった。

 

 でも、一人だけ。

 一人だけ残ってる。

 

 可愛くて、何でもよく知りたがって。

 わたしのために涙を流してくれた子。

 

 そう。その子の名前は────

 

 

 

 

 

 ──ヒュッ

 

 唐突に、本当に唐突に感覚が蘇った。

 暖かい何かに照らされ、目の前をまた別の何かが吹き過ぎていく。

 

 あれは、お日様? これは、風?

 今わたしが吸っているのは、空気?

 

 初めての感覚が沢山で戸惑いを隠せない。

 ずっと──そう、水の中にいて、直に呼吸をしたのだって初めてなのだから。

 

 暗闇から一転して開けた視界。

 上には青く澄み渡った空と白い雲。

 下には見渡す限りの豊かな森が緑の絨毯を広げていた。

 

 空を飛んでいるのだ。

 そのことに気づき、仰向けになって吹き過ぎる風に身を委ね始める。

 教えてもらったことを元に生み出した幻ではなく、本物の風だ。本物のお日様だ。

 

 なんて気持ちいいんだろう! なんて眩しくて暖かいんだろう!

 生きてるって、なんて素晴らしいんだろう!

 

 ──はたと気づく。

 なんで、わたしは生きているんだろう?

 

 消えていく意識の中、あの子に涙をもらってお別れをしたはず。

 なのにこうして生きている。その記憶を持ったまま。

 それも水の中ではなく、本当の外の世界にいるのだ。

 

 考えれば考えるほど、疑問は増えて尽きることはない。

 でも、あれこれ考えるくらいであれば、今はこの心地よさに浸っていたかった。

 

 しばらくそうしていると、ふいに喉の乾きを覚えた。

 これも初めての感覚だ。なにせ、今までずっと水の中で過ごしていたのだから。

 

 食事なんて一度も口にしたことはなく、いつもガラス越しに研究所の人達が食事をしているのを見ているだけ。

 たまにこっそりミルクとケーキを食べている甘い物好きの人もいただろうか?

 甘いってどんな感じなのか、ちっとも知らないけれど。

 

 ケーキのことを考えていたら、無性に喉の乾きが強まってきた。

 水が欲しい。水が飲みたい。

 

 カラカラに乾いた口と朦朧とする意識の中、視線の先に町が見えてくる。

 小さくも大きくもない、何の変哲もない町だ。

 その町の中心にある広場、そこにある大きな噴水に目を奪われた。

 

 一直線に町へと降りていき、ふよふよと噴水に近づいていく。

 思わず喉を鳴らし、がっつくようにして流れ落ちる水に口をつけた。

 

 ごくごくと飲み干し、その美味しさに舌鼓を打つ。

 水がこんなにも美味しいだなんて知らなかった。

 乾きが癒えていき、冷たいそれが身体中に染み渡っていく。

 

 そうして夢中で飲み続けている中、ふと水に映った『わたし』の姿が視界に入る。

 

 ──瞬間、目を見開いて思わず水から口を離した。

 

 目が大きくて手が短く、足は長い。頭には突起のような二つの耳。体長以上に長い尻尾。

 そして、水色に染まった小さな身体。

 

 

「ミュウ?」

 

 

 漏らした言葉は、そんな鳴き声に変わって口から出た。

 

「お、おい……あれ見ろよ」

「嘘、あれって……!」

 

 気づけば、辺りに人が沢山集まってきている。

 皆一様にして目を見開き、ざわめきの声を漏らしながら『わたし』に注目していた。

 

「間違いない……ミュウだ!」

「あの幻のポケモンの? でも、目撃情報だと色はピンクだって……」

「つまり、色違いってこと? 信じられない!」

 

 興奮した様子で何やら言葉を交わしている。

 戸惑いを隠せずに辺りを見回す『わたし』。

 

 ミュウ? どこかで聞いた名前だ。

 その名前は、()()()の名前によく似ていた。

 

 ──そこへ、赤と白に塗り分けられたボールが鋭い勢いで飛んでくる。

 

「ミュッ!?」

 

 飛んできたボールを『わたし』は反射的に避けた。

 

「ちっ、外した!」

「おい! 俺が先に見つけたんだぞ!」

「はあ? 私が一番に見つけたのよ!」

「知るか! 早いモン勝ちだ!」

 

 言い合いを始める人達。

 それを皮切りにして、次々にボールが『わたし』に向けて投げられ始めた。

 

「ミュ、ミュウッ」

 

 数え切れない数のボールが飛び込んでくる。

 本能的に危機を感じ、必死の思いでその中を掻い潜った。

 

「ナットレイ! はっぱカッター!」

 

 その声に反応して、振り向く。

 三本の棘がついた触手が生えた円盤のような形をした生き物。

 あれは──そう、ポケモンだ。

 

「ナットォ!」

 

 そのポケモンが身体を震わせて何かを飛ばしてきた。

 太陽の光を反射して光る鋭利な草の葉が、束となって目の前に迫ってくる。

 

「ミュ、ア゛ァッ!」

 

 はっぱカッターが身体の節々を裂き、幾つもの傷をつけていく。

 

 ──痛い! 痛い! 痛い!

 

 傷ついた場所が焼けるように熱い。

 初めての痛みの感覚に、目尻から涙が溢れる。

 痛い時に涙が流れるというのは本当だったんだ、なんて考えている余裕は全くなかった。

 

「よしっ、行け! モンスターボール!」

「させるか! ダゲキ!」

「ダゲッ!」

 

 投げられたボールを、人に似た姿をした青い肌のポケモンがその拳で弾き飛ばした。

 ボールを投げた男はポケモンに命令した者を睨みつけ、襟首を掴んで文句をぶつける。

 

「お前、何しやがんだ!」

「うるせぇ! ダゲキ、からてチョップだ!」

 

 人間の命令に従って、猛然と迫ってくるダゲキというポケモン。

 

「ミュ、ウッ!」

 

 痛む身体に耐えながら、すぐさま飛び上がって振り下ろされた拳を避けた。

 しかし、避けた先でも数え切れないほどのボールが飛び込んでくる。

 

「アタシのよ! アタシのッ!」

「どけっつってんだろ! 邪魔だ!」

 

 周りの者を乱暴に押しやりながら、迫る人間達。

 皆目を血走らせ、その口元は一生に一度あるかないかという機会を前に笑みが零れている。

 その鬼気迫る勢いを前にして、怖くなった『わたし』は無我夢中でその場から逃げ出した。

 

「逃げたぞ!」

「ちょっと! 誰かトラックに轢かれたわよ!」

「知るか! ちゃんと前見てねえからだろ!」

「待て! ミュウ!」

 

 恐怖、なんて感情はとっくの昔に忘れてしまったと思っていた。

 最初に恐怖を感じたのは、辛うじて燃えていた命の灯火が初めて消えそうになった時。

 一番最初に生み出されて消えていった『わたし』から記憶だけ受け継いで、それを何度も何度も繰り返していく内に何時しか何も感じなくなっていた。

 

 四方八方から飛んでくるボールや攻撃を必死に避け、急いで町を離れていく。

 距離が開けたのに、背後からの怒声や罵声はまるですぐ近くにいるかのように聞こえる。

 それが恐ろしくて、怖くて。耳を塞いで、我武者羅に飛んで逃げた。

 

 山を越えて、森を越えて、また山を越えて。

 陽が沈んで、昇って、また沈んで。

 気がついたら、また別の町が目線の先に見えてきた。

 

 また襲われるかもしれない。怖い目に合うかもしれない。

 できることなら町を通り過ぎたかったが、お腹の虫がそれを許してくれなかった。

 喉の乾きに続いて、空腹を感じるのも初めてだったのだ。

 

「ミュウ……」

 

 そ~っと町に降り、どこかに食べ物がないか路地裏から大通りを覗く。

 キョロキョロと辺りを見回していると、思わず涎が垂れてきそうな芳しい匂いが鼻を擽った。

 匂いのする方向を見る。そこでは、何人かの人達が屋台に並んで何やら食べ物をもらっていた。

 

 あそこで食べ物がもらえるのだろうか?

 でも、このまま姿を晒したら、また同じ目に合ってしまう。

 

 そう考えていると、ふと視界の隅に灰色の毛並みをした小さなポケモンが目に入った。

 そのポケモンは傍にいる少年から何やら指示を受けると、宙に飛び上がって回転しその姿を金髪の女性へと変化させたのである。

 

「こら、ダメじゃないかゾロア! 化けるのはユリア姫じゃなくて海賊だってば!」

「ウゥ!」

 

 あのゾロアというポケモンは人間の姿に化けることができるようだ。

 不思議な光と共に変化していくその様を見た『わたし』は、自分にも同じようなことができないだろうかと考えた。

 

「ミュ?」

 

 すると、突然『わたし』の身体が白く輝き始めた。

 慌てふためく間もない内にその輝きは増していく。その最中、徐々に目線の高さが変わっていくことに気づいた。 

 やがて光が収まり、戸惑いながらも辺りを見回す。

 

「ミュ、ミュウ!?」

 

 路地裏の水溜りに映る『わたし』の姿を見て驚いた。

 そこには長い尻尾を持った水色のポケモンの姿ではなく、先ほどのゾロアというポケモンが化けた女性の姿があったのだ。

 しかし、所々汚れていて背丈は小さいし、髪の色は青い。未熟なせいか、完璧に変化はできていないようである。

 

 どうして姿が変えれたのかは分からないが、とにもかくにもこれで街中に出ても追いかけられる心配はないだろう。

 そう考えて路地裏から恐る恐る大通りに出てみた。大通りを歩いている人達は少し端の方で突っ立っている『わたし』を見て首を傾げながらも、目の前を通り過ぎていく。

 その様子を見て『わたし』は胸を撫で下ろし、安堵の溜息を吐いた。

 

 先ほどの屋台へと足を運び、列の最後尾に並ぶ。

 本当なら列を無視して今すぐにでも食べ物をもらいたかったが、なんとなく並ばないといけないと思ったのだ。

 そして列は徐々に進んでいき、ついに順番が回ってきた。

 

「お嬢ちゃん、ヤドンのしっぽの串焼き、何本欲しいんだい?」

「……」

 

 屋台の店員に聞かれ、とりあえず指を一本立てて答える。

 

「一本だけでいいのかい? それじゃ、お代は150円だよ」

「?」

 

 首を傾げる。お代と言われても何のことだか分からなかった。

 思い返してみれば、列に並んでいた人達は食べ物と引き換えに何かを渡していたような気がする。

 

「どうしたんだい、お嬢ちゃん。もしかしてお金持ってくるの忘れちゃった? それじゃあ、お母さんからお金もらってきたらまた来な」

 

 店員は優しくそう伝え、『わたし』の後ろに並んでいた人に注文を聞き始めた。

 

「……ミュウ」

 

 仕方無しに後ろ髪を引かれる思いで屋台から離れる。

 せめて良い匂いから逃れようと少し遠くにあるベンチに座るが、お腹の虫は鳴り止まない。

 少し気分が悪くなってきた。足を持ち上げ、体育座りの姿勢になって膝に顔を埋める。

 

 周りには沢山の人が行き交っていて、『わたし』は今彼らと同じ人間の姿になっている。

 なのに、どうして、こうも一人ぼっちの気分になってしまうのだろう。

 

 ……どうして、こんなに遠くに感じるのだろう。

 

「……?」

 

 ふいに美味しそうな匂いが鼻をくすぐった。先ほどの屋台から出ていたものと同じ匂いだ。

 思わずガバリと膝から顔を上げる『わたし』。目の前には屋台の串焼きがあった。

 

「これ、やるよ」

 

 差し出される串焼き。

 持っているのは、『わたし』と同じで汚れの目立つ青い髪をした少年だ。傍らには少年よりも大きなずんぐりとした体型のポケモンが立っている。

 

「……ほら」

 

 少年は押しつけるようにしてその串焼きを『わたし』の手に持たせ、背中を向けた。

 

「ゲンゲン」

 

 早々に立ち去っていく少年。一緒にいたポケモンは『遠慮せんでええからね』と言い残して、少年を追いかけていってしまった。

 

「……ミュウ」

 

 戸惑いながらも、手渡された串焼きをしげしげと見やる。

 やがてその芳しい匂いに我慢できなくなり、勢い良くパクつく。

 

「ンミュ、ミュッ……ミュウ!」

 

 濃厚なタレとプリプリとした柔らかいお肉。甘いマイルドな味が舌を鳴らす。

 空腹も相まって食べる手が止まらず、あっという間に食べ切ってしまった。

 初めて口に入れた食べ物の美味しさに感動して、タレのついた口元に自然と笑みが浮かぶ。

 

 もっと沢山食べたい気持ちはあったが、それよりもまず先ほどの串焼きをくれた少年にお礼が言いたい。食べ終わった串を持ったままベンチから降り、辺りを走って探し回る。 

 しかし、彼はとうに立ち去った後。当然ながら見つけることはできなかった。

 

「ミュ……」

 

 走り疲れて、人通りの少ない小道で立ち止まる。

 もう町を出ていってしまったのだろうか? 元の姿に戻って空から探してみようかとも思ったが、先のこともあってそうするのは躊躇してしまう。

 

 

「──こんなトコロにいたのね」

 

 

 考えあぐねいていると、後ろからゾワッとするような冷たい声が耳に届いた。

 恐る恐る振り向く。そこには二人組の女性がいた。片方は金髪、もう片方は銀髪だ。

 サングラスのようなモノを着けて、『わたし』の方を見ている。

 

「ようやく見つけたわ……ミュウ」

「!?」

 

 呟かれたその言葉を聞いた瞬間、踵を返して一目散に駆け出す。

 

「逃さないわ、アリアドス!」

「エーフィ!」

 

 モンスターボールが投げられて白い光が陽の陰になっている小道を照らすが、振り返らずにそのまま曲がり角を走り抜けていく。

 角を曲がり終えた先で姿を変える。元のミュウの姿ではなく、例の人間に化けることができるゾロアの姿に。

 持っていた串を口に咥えて人混みの中に紛れ込む。記憶にあるゾロアとは違いたてがみや眉の色が青く染まってしまっているが、これで二人組の目を誤魔化せるはず。

 

「エーフィ! サイケこうせん!」

「フィッ!」

 

 二又に分かれた尾を持つ浅紫色のポケモン。上品な出で立ちのそれが一鳴きすると、額の赤い宝石から不思議な色合いの光線が発射された。

 

「ミュッ!?」

 

 飛んできた光線が人混みの間を縫って迫り、ゾロアに化けた『わたし』の小さな身体に的確に命中する。

 口に咥えていた串がどこかに飛んでいく。

 

「な、何!?」

「おいおい、こんな場所でポケモンバトルか?」

 

 突然飛び込んできた黒い塊、そして舞い上がる塵埃。

 人々が困惑に駆られて眉をひそめ、足を止めた。

 

「ちょっと、どきなさいっ!」

「邪魔よ!」

 

 二人組が人混みを突き飛ばす勢いで乱暴に押し退け、追いかけてくる。

 必死の思いで立ち上がり、走り出す。

 

 どうして……どうして!?

 何で姿を変えてるのに分かるの!?

 

「アリアドス! ナイトヘッド!」

「アリアァ!」

 

 繰り出される追手の技を転がるようにして避ける。

 わざと再び人混みのある場所を選び、人間の足藪に潜り込む。もみくちゃにされ、踏みつけられそうになりながらも無我夢中で走り続けた。

 

「!?」 

 

 しかし、同じように人混みを横から通り抜けようとしていた人の振るった足にお腹を蹴り上げられ、ぽーんと宙を天高く飛んで人混みの外へ出る。

 

「あら? 見失ったわ」

「何ぼおっとしてるのよ姉さん! まだ近くにいるはずよ、エーフィで痕跡を辿って!」

 

 幸か不幸か、それによって二人組は『わたし』の姿を見失った。

 今の内に遠くへ逃げなければ。

 

「……っ」

 

 せっかく食べた串焼きも吐いてしまった。

 じんじんと痛むお腹。閉じた瞳から涙が溢れ始める。

 

 痛みに耐えながら這いずるようにして立ち上がり、町の外に広がる森の中へと逃げ込むのだった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 ──きゅるるるぅ……

 

「はぁ……」

 

 眉を下げ、げんなりとした顔でお腹を擦る。

 もちろんそれで腹の虫が鳴り止むはずもなく、再び空腹を訴えるべく森の中に喚き声を響かせた。

 

「ゲン、ゲンゲラ」

「ありがとうゲンガー……って、オレンの実か」

 

 ゲンガーが近くに木々に生っていた実を何個か採って来てくれた。

 それは青い色をしたオレンの実。色んな味が混在しており、人間が食すには適さないと言われているのだ。

 

「ゲン……」

「ああ、悪い。大丈夫だよ。せっかくゲンガーが採ってきてくれたんだもんな」

 

 申し訳なさそうにしているゲンガーに謝り、手近な岩に座ってオレンの実にかぶりついた。

 果汁が口内を満たし、様々な味が一気に広がっていく。

 辛くて、渋くて、甘くて、苦くて、酸っぱい。味覚情報過多になりながらも、我慢して無理矢理飲み込む。味はともかく、これで空腹と喉の乾きを一緒に解消できる。

 

 この少年、ナオト。未だ六歳。

 故郷のカノコタウンをゲンガーと一緒にさよならバイバイしてからここまで、ずっと野宿を繰り返してきていた。

 周りの大人の手伝いをして貯めたお小遣いもほぼ底を尽いている。美味しそうな匂いに釣られてなけなしのお金で買った串焼きも、偶然見かけた女の子にあげてしまった。自分と同じように汚れた身なりをしていて、何となく放っておけなかったのだ。

 

「ごめんな。お前と半分こするはずだったのに」

「ゲンガァ」

 

 ええことしたんやから気にせんでええよ、とゲンガーは笑ってそのずんぐりとした身体を横に振る。

 

 六歳という年齢は本当ならまだ旅に出てはいけない年齢だ。

 十歳にならなければポケモン取扱免許も許されず、特別な理由なくポケモンを連れたりモンスターボールを所持することはできない。

 野生のポケモンが飛び出してくるこの世界でポケモンを連れずに旅に出るのは自殺行為も良いところなのだ。

 幸い、ナオトにはゲンガーがいるが……それでもろくに計画も立てられない幼児の一人旅は無理と言われてもしょうがなかった。現にこうして困窮しているのだから。

 

 何時まで経ってもまともな職に就かずポケモンマスターを目指すと豪語する父親に愛想を尽かした母親が去り、その父親もゴースト──後にゲンガーに進化した──を残してトレーナー修行の旅に出てしまった。

 それから施設に預けられ、普通の学校に通いながら大人の手伝いをする日々。

 トレーナーズスクールに通っている近所の少年から事あるごとに学んだ知識をひけらかされ、「キミ知らないの? こんなの基本だろ」と言われ続ける毎日。

 

 ついに限界が来て十歳になる前に飛び出してしまったが、ナオトは後悔していなかった。

 ゲンガーと共に色んな所を旅して回って自力でポケモンの知識を学び、立派なトレーナーとなるのだ。

 ナオトにとっては、人間よりもポケモンの方が信頼できる存在なのだから。

 

 

 ──ドンッ……!

 

 

「……え?」

 

 そうしてゲンガーとオレンの実を食べていると、突然大きな音が響き渡った。

 森がざわめき始め、こばとポケモンのマメパト達が木の葉を散らしながら一斉に飛び立つ。

 

「行ってみよう、ゲンガー!」

「ゲンッ!」

 

 

 

 

 

 ──走る。

 自分の身長よりも高く伸びた草藪を掻き分け、切り傷を作りながら。

 ──走る。

 ボロボロで泥だらけの足を必死に動かして。

 

「今よ! アリアドス、いとをはく!」

「アァリッ!」

 

 後方から悪意と興奮の混じった声が響く。

 数瞬遅れて粘ついた糸が背中を襲った。

 

「ミュ!?」

 

 それによって四肢を拘束されてしまい、顔面から地面に突っ込んで跳ねる。

 懸命に起き上がろうとするが、足が動かせない。それどころか、首や鼻にも粘着質で固い糸が絡んで呼吸すらままならない状態であった。

 

「ようやく止まってくれたわ。もう全身汗だく。早くシャワー浴びたぁい」

「ちょっとザンナー姉さん。途中から歩いてたでしょ!?」

「だって、疲れたんだもの」

 

 二人組が何やら言い争いをしているが、耳に入らない。

 

 ──怖い、痛い、苦しい……!

 生きるって、生きているって……こんなにも辛いものなの?

 わたしは……あの子に嘘をついてしまったの?

 

「はぁ、もうしょうがないわね。さっさとゲットしちゃいましょう」

 

 二人組の内の一人、銀髪の女性が懐からモンスターボールを取り出した。

 振りかぶり、糸が絡んで動けない『わたし』目がけて投げようとする。

 

 

「──やめろっ!!」

 

 

 刹那、傍の草むらから少年が飛び出した。

 彼は絡んでいる糸を剥ぎ取り、倒れている『わたし』を抱き上げる。

 

「何、貴方? 邪魔しないでちょうだい!」

「まあ待ちないよリオン。ボウヤ、お姉さん達はトレーナーなの。ただポケモンをゲットしようとしてるだけで、ひどいことなんて何にもしちゃいな──」

「嫌がっているポケモンを無理矢理ゲットすることがひどくないなんて、そんなわけあるか! それにそもそも、二対一なんて卑怯だろ!」

 

 少年は庇うようにして抱えた『わたし』を腕で隠した。

 朦朧とする意識の中で、瞼を開けて見上げる。その少年は、串焼きをくれた青い髪の少年であった。

 

「……あら、残念。ちょっと可愛い子だから優しくしてあげようと思ったのに」

「ほらね姉さん。こういう子供は痛い目を見ないと分からないのよ。アリアドス!」

 

 リオンと呼ばれた銀髪の女性が後ろに控えていたポケモンを呼び、少年を指し示す。

 

「ナイトヘッ──」

「ゲンガー! ヘドロばくだんだ!」

 

 命令を口にしようとするが、それを遮るように少年が声を響かせた。

 同時に少年の影から例のずんぐりとした体型のポケモンがぬるりと姿を現す。

 

「ゲンゲラッ!」 

 

 そのポケモン──ゲンガーが放ったヘドロばくだんによって二人組とそのポケモン達は頭からヘドロを被る。

 

「きゃああっ!?」

「ヤダ、何これ汚なぁい!」

「エ、フィ」「リリッ!」

 

 ヘドロを取り除こうとしている彼女らを残し、少年は『わたし』を抱えたままゲンガーと共に森の奥へと駆け出した。

 

「ちょっと! 待ちなさい!」

 

 後ろから怒声が響くが、気にせず走る。

 ……いや、違う。『わたし』を抱える少年の腕は、これ以上ないほど震えている。

 怖いのだ。でも、それでも、その小さな身体と同じ小さな勇気を振り絞って『わたし』を助けようとしてくれている。

 

 少年にとってもこの森は慣れ親しんだものはないらしく、ただひたすらに二人組から離れるべく奥へと突き進む。

 途中、石に躓いて片方の靴が脱げてしまったが、拾っている暇はないと立ち止まらず。草木を掻き分けて、我武者羅に逃げ続けた。

 

「あっ!」

 

 しかし、その足は意志に反して止まってしまう。

 視界を覆うほどの草薮を抜けた先は断崖絶壁。その谷底には激しい勢いで川が流れていた。

 

「──サイケこうせん!」

 

 どうすべきかと逡巡する少年の耳に声が届くと同時に風を切る音が通り過ぎる。

 

「ゲェッ!?」

「ゲンガー!」

 

 背中から奇襲を受けたゲンガーが少年の元に転がっていく。

 倒れたゲンガーは起き上がろうとするが、できない。その目はグルグルと渦を巻いている。サイケこうせんを受けてこんらん状態になってしまったのだ。

 

「っ……戻れ、ゲンガー!」

 

 少年がモンスターボールを取り出してゲンガーに赤い光を当てる。その光に包まれて、彼はボールの中へと収納された。

 その間に、まだヘドロの残っている二人組が草木を掻き分ける音と共にその姿を現す。後ろにはエーフィとアリアドスが控えている。

 

「さあ、もう諦めなさい。大人しくそのポケモンを渡しさえすれば、このヘドロの分は許してあげなくもないわよ」

「ダメよリオン、それだけじゃ許せないわ。強情ボウヤにはお姉さんからキツ~いお仕置きをしてあげないと」

 

 二人組がじりじりと近づいてくる。

 わざと恐怖心を煽るかのように、ゆっくりと。

 

 少年は後ずさりするが、その足が崖に落ちかけて慌てて元の位置に戻す。

 首だけ後ろを向き、崖下を覗く。小石と砂が崖を垂直に落ちていき、遥か下の川に吸い込まれていくのが見えた。

 顔を青褪めさせ、ごくりと唾を飲み込む少年。

 しかし、それでも諦めの色を見せない鋭い目つきを二人組に向けた。

 

「……ちょっと、まさか」

「あっ!」

 

 少年のしようとしていることを察した二人組が駆け出す。

 

 ──その一瞬前に、少年は『わたし』を抱えたまま地を蹴って、飛んだ。

 そのまま重力に従って崖を落ちていき、ドボンッと小さな水柱を立てて川の流れに消えてしまうのだった。




ということで、一旦完結はしておりますが前話で説明した通り先行してナオトとアイの出会いを投稿しました。
後編は明日投稿します。

■ナオト
イッシュ地方のカノコタウン出身。
両親が身勝手な理由で蒸発し、保護施設に預けられていたが六歳で飛び出す。
剣盾で言うとビートみたいな生い立ち。
六歳という年齢はサトシが「ポケモンキャンプ行きたい!」とはしゃいでいる年なので、それを考えるとかなり無謀である。

■ザンナー・リオン
『水の都の護神 ラティアスとラティオス』に登場した怪盗姉妹。
映画劇中では世界一の怪盗と呼ばれているが、この話ではまだ駆け出しの頃。
ザンナーの散財癖のせいで活動資金不足のため、突然現れた噂のミュウをつけ狙う。

■ゾロアとそのトレーナー
BW編第38話『ゾロア・ザ・ムービー! ポケモンナイトの伝説!!』に登場したルークとゾロア。
彼がゾロアと出会ったのは回想を考慮するとそこまで幼い頃ではないので、時系列的にこの時点でゾロアと映画作りに励んでいるのはおかしいが、まあ気にしない。

■ナットレイ
覚えないはずのはっぱカッターを使っている。
これは作者のミスだが、アニポケは平気で覚えないはずの技を度々使うことがあるので、アニポケらしさを重視してそのままにしておきます。
感想で指摘してくれた方に感謝。


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