ポケットモンスター -Hello My Dream-   作:PrimeBlue

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32. エピソード:アイ ② ▼

「♪~♪~」

 

 気分良さげに紡がれる鼻歌が、穏やかな川のせせらぎに乗って響き渡る。

 川縁の大きな岩に腰を下ろして胡座をかき、手に持った釣り竿を握り直した。

 

「……さ~てと、今日こそは大物頼むよ~。もう三日連続でコイキングの塩焼きなんだから」

 

 期待のこめられた独り言を呟き、唇を舐めて白いインナーに隠れたお腹を擦る。

 三度の飯よりバトルが好きだが腹が減ってはバトルはできぬ、という矛盾した座右の銘を持つこの少女──トウコ。

 

 コイキングは骨と皮と鱗だけ、しかも鱗は硬くて食べられたものじゃないというのに虫歯知らずのがんじょうな歯でここまで食い繋いできた。

 川沿いに先へ進めばやがて町に着いて好物のジャンクフードを貪ることができる。が、結局途中で空腹に負け、今日も今日とてこうして釣りに励むのであった。

 

「! おっと」

 

 今か今かと獲物を待つ中、ふいに吹いた突風に煽られてボリュームのあるポニーテールが荒ぶる。被っていた白地の帽子が持っていかれそうになり、慌てて片手を頭に持っていって抑えた。

 

「……ん? おっ!」

 

 その時、もう片方の手で握っていた釣り竿から引っ張られる感触が伝わった。

 見れば浮かんでいたはずのウキが沈み、その水面下に覗く大きな影に釣り糸が引っ張られ竿がしなっている。

 

「よっしゃキタアアーッ!!」

 

 待ってましたとばかりに釣り竿を強く握り、でんこうせっかの勢いで立ち上がって急いでリールを巻く。

 

 重い。

 引っ張る力はそこまででもないが、今までかかった魚の中で一番重い。20キロ……いや、それ以上はあるだろうか?

 

「この手応え……もしかして幻の大物だったり!?」

 

 だが、力比べなら負けない自信がある。初めてもらったポケモンにして相棒のエンブオーとも相撲で良い勝負ができるのだ。

 この程度であれば余裕も余裕、朝飯前。いや、今は昼時なので昼飯前か。

 

 

「だああらっしゃああああーーーっっ!!」

 

 

 両足で踏ん張り、気合一声と共に渾身の力で引き上げる!

 大きな水飛沫と共に獲物が外気に晒され、水滴の軌跡を作りながら宙を舞った。

 

「……え?」

 

 釣り上げて地面に下ろした獲物の姿を見て、目を丸くするトウコ。

 大物も大物。それはまだ十にも満たないであろう少年だったのだ。

 その細い腕にはわるぎつねポケモンのゾロア──その中でも珍しい色違いが抱かれている。

 双方共やつれてボロボロな風体をしており、特に気絶しているゾロアの方は痛々しいほど傷だらけであった。

 

「う~ん。いくらアタシが釣り下手とはいえ、まさか人間を釣るとは思わなかったなぁ」

 

 困ったように帽子のツバを握って被り直し、釣り竿をその場に置いて今日のランチになりそうにもない少年の元へ駆け寄る。

 

「ゲホッゲホッ……」

「おーい、キミ大丈夫? どういうわけで川流れしてたのかはひとまず置いとくとして、とりあえずまずはそのゾロアを──」

「──ッ!」

 

 トウコが満身創痍のゾロアに応急手当てをするべく手を差し伸べようとしたその瞬間、咳き込んでいた少年がその手を叩き除けた。

 

「わ、渡さ、ないぞっ……!」

「あ、ちょっと!」

 

 何やら錯乱している様子の少年はそのままフラフラと立ち上がる。

 そして、川近くの森の奥へと逃げ去ってしまった。

 

「ったく、しょうがないなぁ」

 

 やれやれと頭に手をやるトウコ。

 傍に置いていたピンクのショルダーバックを拾い、急いで少年の後を追い始め──

 

「……あれ、どっち行ったっけ?」

 

 すぐに見失うのだった。

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……っ!」

 

 少年──ナオトは朦朧とする意識の中で精一杯狭い歩幅を広げて走り続ける。

 覚束ない足取りながらも、腕に抱いたゾロアだけは決して離さずに。

 

「う、あっ!?」

 

 今まで何度も転びそうになっていたところで、ついに地面から突き出た小石に足を取られて転んでしまう。

 倒れながらも身体を捻り、何とかゾロアが自分の下敷きにならないようにした。

 

「……っ、ぐ」

 

 転んだ体勢のまましばらく動けなくなるが、何とか地面に手を突いて起き上がろうとする。

 

「ッ!!」

 

 が、突如鋭い痛みが襲い、声にならない悲鳴を上げた。

 痛みの根源を見ると、映ったのは大きく擦り剥いた右膝。出血は少ないが、赤黒く腫れ上がっていて一目で打撲していることが分かった。

 

 それでも立ち上がるナオト。

 プルプルとシキジカのように震えながらも立つことはできたが、とても走れそうにもない。

 

「──こ……辺り……!」

「エー……して……」

 

 そこへ、草むらを掻き分ける音と共に何かを探すような話し声が耳に届く。

 ハッ! と顔を上げて唇を噛む。もうこれ以上は逃げられない。

 

 顔を水滴が垂れ落ちる中、うるさいほどに鳴り響く胸の音を抑えて辺りを見回し、手頃そうな木陰の穴を見つける。ポケモンの巣穴だろうが、その主は不在のようだ。

 痛む足を引きずってその穴に近づき、奥の木の葉が積もった場所にゾロアをそっと隠す。

 

「……ミュ、ウ」

「ごめん、ここに隠れててくれ。絶対出てきちゃ駄目だからな」

 

 丁度意識を取り戻して瞼を少し開けたゾロアにナオトは優しくそう言い渡した。

 何か言いたそうに口をパクパクとさせている彼女を置いて、すぐさま離れる。

 

「──あらあら、大丈夫? ずぶ濡れじゃない」

 

 ナオトはビクリと肩を震わせる。

 声のした方向を振り返ると、そこにはあの二人組の姿があった。

 

「それで? あのゾロアはどこへ隠したのかしら?」

「……いないよ。川に落ちた時に離しちゃって、それっきりだ」

 

 震えながらも、毅然とした態度で答える。

 対するリオンという名の銀髪の女性は眉をピクリと上げた。

 

「ふ~ん、そう…………アリアドス、サイコキネシス」

「アァリッ」

 

 傍に控えていたアリアドスが命令に従い、その身体を青く発光させて強い念力を放つ。

 

「!? う、ああああっ!」

 

 念力に身体を拘束され、宙に浮き上がるナオト。

 玩具のように身体を引っ張ったり振り回され、苦しさと痛みに悶える。

 

「ちょっとリオン。子供相手にやり過ぎじゃない?」

「うるさいわね。ザンナー姉さんがやらないんだから私がやってるんじゃない。ほら、さっさと吐きなさい。エーフィの鼻で近くにいることは分かってるんだから」

 

 ザンナーという名の金髪の姉に文句をぶつけ、アリアドスにサイコキネシスの出力をさらに強めさせるリオン。

 

「ぐ、う……い、言うもん、かっ!」

 

 

 

 

 

 ナオトが苦悶の声を上げる中、木陰の穴からその光景を覗き見る。

 

 助けなきゃ……助けなきゃっ!

 

 けれどそのためには、相手と同じく暴力が必要となる。

 それが痛みを伴うことは身を持って体験した。

 

 だから、怖い。

 自分が他の誰かに暴力を振るうことが。

 

 …………でもっ! 

 

 

 

 

 

「……ちっ、ホントに強情な子ね」

 

 何時まで経っても口を固く閉じたままのナオトに、怒りを通り越して呆れた顔を浮かべるリオン。

 もはや彼は意識を失う寸前だ。

 

「いい加減にしなさいよリオン。ボウヤ、よく聞きなさいな。あのゾロアは──」

「──アリッ!?」

 

 ザンナーが何事か話そうとしたその時、アリアドスが突如横から攻撃を受けて吹き飛んだ。

 それによってサイコキネシスが中断され、ナオトは地面にドサリと落ちて気を失う。

 

「……ュウッ……ュウッ」

 

 アリアドスを吹き飛ばした下手人、それは二人組の──ザンナーとリオンのターゲット。

 四肢は震え、荒い息遣いを零しながらも、ゾロアはナオトを守るように彼女らの前に立ち塞がる。

 

「やっと出てきてくれたわ。大人しくゲットされる気になった……わけじゃなさそうね」

 

 ザンナーがゾロアを見て溜息を吐く。

 恐怖で瞳孔が開いているが、それでもリオン達から視線を離さない。その目からは弱々しくもはっきりとした戦う意志が感じ取れた。

 

「ふんっ、無駄な足掻きってことが分からないのかしら? 姉さん」

「はいはい。エーフィ、スピードスター」

「エ、フィ!」

 

 命令を受けたエーフィ。一鳴きし、その額にある赤い宝石から星型の光線が発射される。

 

「ミュ、アアッッ!!」

 

 避ける術もなくそれをまともに受け、ゾロアは後ろ向きに転がっていく。

 倒れているナオトの身体にぶつかり、彼と並ぶ形で力尽きてしまう。

 

「これでやっと活動資金で頭を悩ますこともなくなるわね」

「ねえリオン。別にゲットしなくたっていいんじゃない? まつ毛とか一部分だけでも一生分は稼げると思うんだけど」

「誰のせいでお金に困ってると思ってるのよ? いつも姉さんが後先考えず贅沢三昧してるからでしょうが! それに私の目的は姉さんと違ってお金や宝石じゃなくて、もっと崇高な物なの!」

 

 日和る姉に普段の分も含んだ怒りを乗せて文句を吐き飛ばすリオン。

 そして乱暴な手つきでモンスターボールを取り出し、構えた。

 

「さあ、ゲットよ! モンスターボール!」

 

 投擲されるボール。目標はもちろん、倒れて動かないゾロア。

 ボールは綺麗な放物線を描き、そのまま寸分違わず目標へ向けて飛んでいく。

 そして──

 

 

 ────パシッ!

 

 

「……は?」

  

 そして、横から伸びた手にキャッチされた。

 

「──いけないなぁ、お姉さん方。人のポケモンをとったら泥棒って習わなかった?」

 

 ボールを止めたのは、ふんわりとしたポニーテールに青いホットパンツを履いた少女。

 帽子のツバを握って上げ、隠れていたその不敵な目をザンナー達に向けた。

 

「何貴方? 急に現れて」

「お生憎、そのポケモンは野生よ。むしろ私達はゲットの邪魔をされた方なのだけど」

「あ、そう……でも、退くわけにはいかないかな」

 

 少女──トウコはチラリと後ろで倒れているナオト少年とゾロアを見やる。

 意識を失っているというのに、少年の手は確かに傍らで横になっているゾロアを守るように添えられていた。

 

「…………」

 

 トウコがよそ見をしているその隙に、リオンが目配せして復帰したアリアドスを忍び寄らせる。

 

「……例え野生でも、ゲットされてなくっても、トレーナーとポケモンは絆を結べる」

 

 嬉しそうに小さく笑みを浮かべ、ザンナー達の方を振り向くトウコ。

 

「それを見せてくれたこの子達を放ってさよならバイバイなんて、ポケモントレーナーが廃るってね!」

 

 そう啖呵を切りながら手に持ったままのモンスターボールを縮小させ、今まさに糸を吐こうと上体を起こしていたアリアドスに投げつけた!

 

「ア゛ッ!?」

 

 少女が投げたとは思えないほど凄まじい球速で飛び込んできたボールがアリアドスの腹に命中。 

 モンスターボールは縮小されている状態ではポケモンをゲットできない。腹に当たってもボールの勢いは止まらず、アリアドスはそのままボールに押される形で吹き飛ぶ。

 そして、その先に生えていた木に打ちつけられた。

 

「アリアドス! ……やってくれるじゃない。姉さん!」

「分かってるわよ。エーフィ!」

「エフィ!」

 

 ザンナーの呼びかけられ、エーフィがそのしなやかな足を運んで前に出る。

 

「出番だよ! エンブオー!」

 

 対して、トウコは懐からモンスターボールを取り出して投げる。

 ボールが宙で開き、漏れ出した光と共に大きな体格をしたシルエットがその姿を現した。

 

「ブオーッ!」

 

 おおひぶたポケモン、エンブオー。

 たくわえられた燃え盛る顎髭は灼熱の如く。

 それに負けずとも劣らない逆立った眉毛は角の如く。

 鍛え上げられた肉体は通常の個体より二回り以上も巨大、その様たるや鬼の如く。

 

「森を燃やさないように、ほどほどにね」

 

 トウコの声かけに、エンブオーはこくりと頷いて返す。

 

「エーフィ! サイケこうせん!」

「アリアドス! しっかりなさい! サイコキネシスよ!」

「フィイ!!」「ア、アリィッ!」

 

 ザンナーとリオンがそれぞれのポケモンに攻撃を命令する。

 二匹が同時にエンブオー目がけて弱点となるエスパータイプの攻撃を放った。

 

「スゥ……」

 

 迫る攻撃に対して、避けようともせず鼻で大きく息を吸い込むエンブオー。

 

 

「──ブォ!!」

 

 

 刹那、炎と共に鼻息を吐く。

 それだけでサイケこうせんとサイコキネシスはその威力を失い、掻き消されてしまった。

 

「なっ!?」

「……うっそぉ」

 

 リオンが思わず目を見開いて叫び、ザンナーは唖然としている。

 

「今度はこっちから行くよ。エンブオー、フレアドライブ!」

「エェン、ブオオオーッ!!」

 

 指示を受け、その身に業火を纏ったエンブオー。

 とてつもないパワーを脚に集中させて陥没させる勢いで地面を蹴り、一瞬にしてアリアドスに猛突。

 正面からまともに受けたアリアドスは声を上げる間もなく火達磨になって吹き飛んだ。

 

「アリアドス! ちっ……」

 

 リオンが舌打ちと共にアリアドスをモンスターボールに戻す。

 

「ちょっとリオン、やばいんじゃないコレ?」

「でも、フレアドライブは強力な分自分にもダメージが返ってくる技よ。連発は──「フレアドライブッ!」

 

 まだどうにかできると姉に向かって口を動かすリオン。

 しかしその最中、来ると思っていなかった再びのフレアドライブがエーフィを襲った。

 

「エ゛ッ!?」

「いたぁいっ!」

 

 吹き飛んできたエーフィにぶつかり、仰向けに倒れるザンナー。

 それを横目にしながらリオンは信じられないとばかりにトウコとエンブオーを見た。

 

「ごめんねぇ。相手が誰であろうと全力で行くのがアタシのポリシーだから」

「どういうこと!? だって──」

「残念だけど、アタシのエンブオーは反動ダメージを克服してるの。体力が続く限りフレアドライブを連発できるってわけ。ね、エンブオー」

「ブォ」

 

 トウコとエンブオー。双方共全く同じ動きで腕を組み、得意げな顔をザンナー達に送る。

 

「は、はぁ? デタラメも大概に……」

「リオン!」

「……分かってるわよ姉さん!」

 

 ふざけるなと言いたくなるのは分かるが、この状況はまずい。

 焦るザンナーの声にリオンは悔しげに顔を歪めながらも小さな玉を取り出し、指と指の間に挟む。地面に向けて投げられたそれは破裂して視界を覆い隠す煙幕をあっという間に広げていった。

 

「ええ、もう終わり? まあいいや、じゃあね~」

 

 煙に隠れて逃げていくザンナーとリオン。

 追って捕まえようと思えばできるが、今は後ろで倒れている少年とゾロアが最優先だ。

 

 トウコは煙が晴れるのを待たずエンブオーに少年を背負わせ、自分はゾロアを抱き上げる。

 そして、急いでポケモンセンターがある町へと向かった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

「……ッ!」

 

 飛び起きるようにしてナオトは目を覚ました。

 消毒液の匂いが起き抜けの鼻をつく。

 

 周囲を見渡すと、清潔感漂う綺麗に掃除された広い空間が広がっていた。ポケモンセンターのロビーだ。

 ナオトは背もたれのないベンチソファに寝かされていたようである。

 

「おっ、起きた。だいじょぶ?」

 

 すぐ傍から声をかけられ、ビクッとしながら振り向く。

 振り向いた先の隣にはナオトよりも年上の少女が座っていた。挙動不審なナオトが面白かったのか、笑みを浮かべて少しばかり胸を揺らしている。

 

「えっ……あ、そうだ! ポケモンは!? ぼくの傍にポケモンがいただろ!? 黒くて小さ──痛っ!」

 

 前のめりになってその少女から聞き出そうとしたところで、動かした足が痛みが訴えた。見ると、打撲した右膝に包帯が巻かれている。

 

「コラッ、怪我してるんだからまずは落ち着く。ほら、深呼吸」

 

 今すぐにでも自分が助けたポケモンがどうなったか知りたいナオトであったが、少女の有無を言わさないという態度にオドオドしながらも大人しく従う。

 深く息を吸って、時間をかけて吐く。何度か繰り返して、幾分か落ち着いてきた。

 

「アタシはポケモントレーナーのトウコ。キミの名前は?」

「…………ナオト」

「じゃ、ナオくんね。あのゾロアなら今治療中──って、噂をすれば」

 

 話している途中でトウコはふいに言葉を切った。

 早く答えてくれと眉をひそめるナオトに首をクイッと動かして視線の先を示す。

 示された先を見るナオト。そこにはヒヤリングポケモンのタブンネを連れたジョーイ。治療が完了したゾロアをストレッチャーに寝かせて、丁度こちらに向かってくる所であった。

 

「おまちどおさま! お預かりしたゾロアはすっかり元気になりましたよ!」

「タブンネ♪」

 

 元気になったのかそうでないのかどっちなのか。

 とにかく回復したのであろうゾロアはキョロキョロと落ち着かない様子で辺りを見回している。

 

「良かった! 僕はナオト。えっと、ゾロアっていうポケモンなのか? とにかく、元気になってくれてホントに嬉しいよ!」

「ッ!」

 

 ナオトはすぐさま興奮した様子で右足を引きずりながら歩み寄り、心底安心した顔で上からゾロアの頭に触れようとする。

 しかし、ゾロアはビクリとしてその小さな身体を強張らせた。よく見れば、ぶるぶると小刻みに震えている。

 怖いのだろう。いくら助けてくれたと言っても、ナオトは自分を襲った者達と同じ人間なのだから。

 

 ナオトはもう一度深呼吸し、ゆっくりと動いてゾロアの視線の高さに合わせた。

 そっと、今度は下から、お腹の辺りから触れて抱き寄せる。

 

「……安心しろ。もうキミを襲う奴らはいないよ。大丈夫」

 

 静かに語りかけるようにして言葉を紡ぐ。

 背中を優しく撫で、繰り返し「大丈夫」と言い聞かす。

 

「…………ュウ」

 

 ナオトの懸命な慰めにゾロアはようやく自分が助かったのだと分かり、彼の頼りない身体に身を擦り寄せた。

 

「ジョーイさん、飛び込みで頼んじゃってすみません」

「丁度手が空いていたところだったから、気にしないで。ただ……」

「ただ?」

「……ううん、なんでもないわ」

 

 横でトウコと会話していたジョーイは何か気になることでもあるのか、言葉を濁した。

 検査の際、ゾロアをスキャンしても正常にデータが取得できなかったのである。機械が故障したのかと思ったが、他のポケモンは正常にスキャンできたのだ。

 

 だが、そんなことは些細なこと。

 傷ついたポケモンを治療するのがポケモンセンターのジョーイの仕事だ。

 ポケモンの命を救い、こうして人との絆が結ばれるところを見れたのだから、それで十分である。

 

「ゲンゲン~♪」

「え、あれ? ゲンガー、お前何で……」

 

 そこへ、ロビーの奥の方からナオトのゲンガーが姿を現した。

 彼の短い両手には大皿と重ねた小皿。大皿には出来たてのケーキが乗っていた。イチゴではなくモモンの実が使われているショートケーキだ。

 

「ああ、その子。ついでに治療をお願いしたんだけど、すぐ回復したみたいでさ」

「調理場に飛び込んで勝手に作り始めたのよ」

「え? す、すみません。コイツこういうの作るのが好きで……」

「いいのよ。材料なら有り余ってるから」

 

 ゲンガーはケーキを机に置き、切り分けた一切れを小皿へ。

 そして、その小皿を困惑した様子でいるゾロアに差し出した。

 

「ゲンガァ!」

「……?」

「ああ、食べていいぞ。ゲンガーは自分の作ったものをご馳走するのが好きなんだ」

「そうなの? じゃあいっただきまーす!」

 

 横から出てきたトウコが大皿に乗ったケーキを切り分け、手掴みでワイルドにかぶりつく。

 それを見たナオトは若干引き気味になりながらも、遠慮するなよとゾロアに手で促す。

 

 初めて嗅いだ香り。

 記憶の中にあるケーキ。研究所の人がこっそり食べていたケーキだ。

 ゾロアはおずおずと言った様子でその小さな口を開け、ケーキを食べた。

 

「……!」

 

 口に入れた瞬間に甘い味が口内をとろけさす。濃厚なホイップ。モモンの実の爽やかな甘み。ほっぺが落ちてしまいそう。甘いって、こんな感じなんだ。

 最初に食べた串焼きとはまた別の美味しさ。ゾロアにとって──いや、『わたし』にとってはがっついて食べたくなるほどの……つまり、好みの味だった。

 

 生きているって、苦しいことなのかもしれない。辛いのかもしれない。

 でも、こんな美味しいモノが食べられて。今こうして()()()()()ことができて、良かったと思えたのは確かだ。

 

「あ、あれ? 何で泣いてるんだ? ゲンガー、お前何か変なモノ入れたんじゃないだろうな?」

「ゲン!? ゲンゲラ!」

 

 ケーキを咀嚼しながらポロリと涙を零した『わたし』に、ナオトとゲンガーがあたふたし始める。悲しくない、痛くもないのに流れた涙だ。

 

「ミュ……ミャア!」

 

 美味しいよと伝えるために鳴き声を出そうとして、咄嗟に誤魔化す。

 このナオトという少年なら、もしかしたら『わたし』の正体がミュウだと知っても何も変わらないかもしれない。

 でも、それでも。あの恐怖を思い出すと、正体を晒すことはできなかった。

 

「えあ、まもむう」

 

 ケーキを貪っているトウコが何やらもごもごと話している。

 

「……飲み込んでから話してもらえますか?」

「んっぐ。でさ、ナオくん。その子どうするの?」

「えっと、できれば同じゾロアの群れに返してあげたいけど……」

「それだとまた例の二人組みたいな連中に狙われちゃうかもなぁ。色違いだし」

 

 確かにそうだ。

 それに一匹で彷徨っていたところを襲われたということなら、色違いだから群れから仲間外れにされたという可能性もあるかもしれない。

 

「じゃあ、その……トウコ、さんが」

「う~ん。アタシは別にそれでもいいけど……」

 

 トウコはチラリとゾロアに視線を送る。

 その視線を受けて、思わずナオトに身を寄せるゾロア。

 

「……その子は、違うみたいだね」

「え?」

 

 言われて、ナオトはゾロアを見下ろし、ゾロアも彼を見上げる。

 そしてトウコが言っている意味を理解した。

 

「で、でも、僕じゃコイツを守れないし……」

「だったら、強くなればいいんだよ! この子を、いや、この子と一緒にさ!」

「トウコちゃん。未成年のポケモンの取り扱いは……」

「大丈夫ですって! 事情があるわけだし、そもそももうゲンガーを連れてるんですから!」

 

 トウコとジョーイが話す中、ナオトは俯いてトウコの言った言葉を頭の中で反芻させる。

 今のままじゃ、ゾロアどころかゲンガーも守れない。

 ポケモンと一緒にいたいなら、ポケモントレーナーになりたいなら、このままじゃ駄目だ。 

 だから、強くなりたい。ゾロアと──ポケモン達と一緒に。

 

 ゾロアもまた、トウコの言葉を聞いて考える。

 この少年と一緒にいたい。でも、弱いままでは先の二の舞になってしまう。 

 だから、強くなりたい。少年と──ナオトと一緒に。

 

「ゾロア……って、あれ?」

 

 ナオトがゾロアに自分の意志を伝えようと顔を上げると、彼女は何やら机に置いてあった冊子を広げてそこに書かれてある文字に目を通し始めていた。

 少ししてお目当てのモノを見つけたのか、嬉しそうにそれを手で示す。

 

 指しているのはたった一文字。発音は"アイ"。

 

「……アイ? もしかして、アイって呼んでほしいのか?」

 

 ナオトの問いかけに、ゾロアは頷いて答える。

 

「……分かった、アイ。僕と……僕と一緒に、来てくれるか?」

「ミャウ!」

 

 こうして、一人と一匹は出会った。

 それからナオト達はトウコの旅について行き、それから四年後に彼女と別れてカロス地方に居を構える。

 そして、カロスリーグに挑戦するために再び旅立つのだ。いつの間にか青い髪の少女に化けるようになったゾロアと一緒に。

 

 その旅で様々な出会いを繰り広げ、色々なことを経験していく。

 もちろん、それは良いこともあれば悪いことも、苦しいことも辛いこともある。

 いつもいつでもうまく行くなんて、保証はどこにもないのだから。

 

 でも、その旅で『わたし』が──アイが、生きていて楽しいと思えるようになったのは、間違いない。

 

 

 

 生きているって……やっぱり、楽しいことなんだよ。

 

 ね? ミュウツー。

 




重い。元が重い話なのでしょうがないけど。
それはともかくとして、連載再開はどれくらい先になるか分かりません。
もしかしたらモチベーションの関係で再開しないままということも十分有り得るので、そのつもりでお願いします。

■ゾロア(アイ)
正体は『ミュウツーの逆襲 完全版』及び『ミュウツーの誕生』で登場したフジ博士の娘、アイ。
フジ博士は交通事故で亡くなったアイの完璧なコピーを作るため、クローン技術の研究を重ねていた。ロケット団の要請でミュウツーを生み出そうとしていたのも元はアイのためであったが、何時しか彼女の存在を忘れ手段は目的に変わる。
研究が不完全なため、人間のコピーは四年しかその生命を保てない。アイのコピーであるアイツ―は幾度も生まれては死を迎えた。
このSSのアイはそうして犠牲となったコピー達の内、ミュウツーと接触した個体がミュウとして生まれ変わった存在である。

■ミュウ
このSSにおいてミュウは学者達が謳う全てのポケモンの遺伝子を持つという存在ではなく、どんな存在にもなれるポケモンである。
幼くして不幸な死を遂げた者は稀にミュウとして生まれ変わり、自由に世界を旅して回る。その旅の中で自分がなりたいと思った存在に改めて転生するのだ。
そのため、ミュウとして存在している期間は短く、個体数も少ない。時々ミュウのままでいることを望む個体もいるらしい。
通常ならミュウになった時点で生前の記憶を失うが、アイの場合は特殊な環境・状態であったためにバグのような現象を起こし、記憶を失わず色違いの個体となってしまった。

■トウコ
まだ十歳の頃。しかし、この時点でチャンピオンのアデクは既に下している。
チャンピオンリーグマスターの座を即返上し、放浪の旅をしていたところでナオトに出会った。
なお、トウコがアデクに勝利したためにチャンピオンの彼とバトルするという約束をしていたシューティーは早々に約束を反故にされた結果原作より性格が悪くなっている。
後、食べたコイキングの骨はもちろんキレイキレイにして川に流した。

■トウコのエンブオー
水を克服したサンドがいるのだから、反動ダメージを克服したポケモンがいても何らおかしくはない。



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