眠りから覚めると、血が染み付いている木の床が視界に入りました。少し遠くには、金属でできた色々な道具があります。
寝起きということもあり、つい上体を起こそうとしてしまいましたが、足元でフェリュさんが作業をしていることに気付き、すぐさま動きそうになった体の一部、何から何まで全てを静止させました。
「うーん……悩むなー…」
フェリュさんは鋭利な刃物を、血でべっとりになっている左手で回しながらそう呟きます。
きっと私に、どのような傷をつけるのか悩んでいるのでしょう。
「んーー、思いつかないことだし……レイラ――って、起きてたんだ。早速だけどあれ、やってくれる?」
私は言葉で返事をせずに、行動で返事をしました。手足に繋がれている鎖の擦れる音を立てながら立ち上がり、近くに置いてあった刃物に気をつけ、膝を抱えて座ります。
「ありがと、そのままじっとしててくれ」
そう言って、あれだけ手が動いていなかったフェリュさんが打って変わって、手際よく私の腕や足に新しい切り傷を作っています。
そして数分後――。
「よし、完成っと! いやぁー、まさにイメージ通りだよー。似合ってる似合ってる!」
完成…ですか? いつもは爪を剥がしたり、骨を折ったり、皮膚を焼いたり、痣を作ったりを組み合わせているのに、今回は切り傷だけですよ?
それらの疑問が顔に出ていたからか、それともただの独り言なのか、フェリュさんは嬉々として答えます。
「数日前だったかな? 一種類だけの傷ならどうなるんだろう、ってある日突然思いついてさー。にしても予想以上だよ! やっぱりレイラは僕が見込んだだけのことはあるね」
それからフェリュさんの話は続き、一時間ほど経つと用事があるとのことでこの部屋から出て行きました。
私は疲労感が少しあったので、床の上に倒れて寝ることにしました。
次に目覚めた時、濃い茶色の天井が私の瞳に映りました。
寝ぼけているだけかと思いましたが、何回もパチクリとまばたきをしたので見間違えではありません。知らない天井です。
私はここがどこなのか気になったので、周りを見ようと起き上がります。
広さは私がこの前まで居た部屋と同じぐらいで、ベッドは私が使っているもの以外はありません。周りには椅子が一つ置いてあります。
体には数箇所白い布が巻かれていて、鎖があったはずの所には何も縛られていません。
結局、私にはここがどこなのか見当がつきませんでした。分かることといえば、私をここに移動させた人はフェリュさんではないことくらいです。
これ以上考えていても何も思いつきそうにありませんね。まだ疲れが残っていることですし、起きていても何もすることがありません。もうひと寝入りするとしましょう。
私は寝る姿勢に入ろうとしましたが、ドアを軽く叩く音がしたのでそのまま起きることにしました。
ドア越しから「入るよ」と言って入ってきたのは白い服を着た男の人でした。見覚えはありません。
男の人は椅子に座りながら、私に話しかけてきます。
「目が覚めたみたいだね。なかなか起きないものだから心配していたよ」
この人の穏やかな口調と優しさを感じる声色は、あの人と似たものを感じました。久しぶりにその顔がふと頭の中をよぎります。まぁ、昔の記憶なのでかなりうろ覚えで、ですが。
男の人は続けて言います。
「起きたばかりで戸惑っていると思うが、まずは安心してほしい。ここには君に酷いことをする人はいないよ」
酷いことというのは、例えばどういったことなのでしょうか。あまりに曖昧で分かりません。
でもまぁ、きっとこの人にとっては私に安心してもらえればそれでよいのでしょう。私は理解したということを相手に伝えるため、頷きます。
「」コクッ
「分かってくれたかい? ではまず、ここがどういう場所なのか、どうして君がここにいるのか、順を追って説明しよう」
この人が言うには、私が住んでいた家の貴族が大きな罪を犯したそうで、家族全員皆殺しにするため憲兵がその貴族の家を襲撃。その際、監禁されていた私を発見し、この病院に連れてきたそうです。
この病院は奴隷となっている子を助けるための施設で、誰かが引き取ってくれるまで面倒を見るらしく、今回私の担当になったのがこの男の人とのこと。
「――君は重傷だったため、医者である私に担当を任せられたんだ。何か質問はあるかな?」
今話してもらった事とは関係の無い質問ですが、手足に巻いてあるこの白い布が気になります。
私は布を医者の人に見せるようにして、手を前に出します。
「……? あ、それは包帯といって、傷口を保護するんだ」
最初は意味が分からなかったみたいですが、伝わったようです。
これは包帯というんですか。傷口を保護するために付けているのであれば、私には必要ありませんね。だってもう、治っているでしょうから。
私は包帯を取って傷一つない腕を確認します。
「なっ――!?」
すると、医者の人が乱暴に立ち上がり、現実を疑っているかのように私の腕を凝視します。そこまでびっくりすることなのでしょうか?
「……さ、触ってもいいかな?」
「」コクッ
医者の人は恐る恐る私の腕を、傷があったであろう場所に手を当てています。
「ほ、本当に治っている…。信じられない…」
怪我が早く治ることは自覚していましたが、まさかここまで驚かられるとは思いませんでした。私の方が驚きです。
医者の人からはこのことを他言しないよう促されました。別に隠すほどのことではないと思うのですが、ここは素直に従いましょう。
そのあとはこの施設での決まり事を教えられ、改めて自己紹介をされました。
「――そういえば、まだ聞いていなかったね。君には名前はあるのかな?」
「」コクッ
「ではその名前を教えてほしい」
そう言われても、私には名前を伝える方法が分かりません。どうすればいいのでしょうか。手で喉を当てても分かりにくいですし…あ、声を出したら分かってくれるかもしれません。
「 」
声が出ない私の口からは、空っぽの音だけが発せられました。
数日後――。
今日は久しぶりに外に出掛けます。医者の人と初めてのお散歩です。
部屋でお昼ご飯を食べながら医者の人から注意事項を聞き、外出用の服に着替えて玄関の前まで来ました。
「もう一度言う確認するけど、私と手を離さないこと。興味が出るものがあったら指をさして教えること。気分が悪くなったらすぐに私の服を掴むこと。いいね?」
「」コクッ
「よし、じゃあ行こうか」
医者の人は玄関のドアを開きます。
そこには、石で敷き詰められた道路の上を、大人から子供までもが歩き回っていました。あちこちには赤い屋根と白いレンガの家が建てられていて、太陽の光で照らされている明るい街並みという印象を受けます。
私は医者の人の手を握り、病院から出ました。
すごく、すごくすごく眩しいです。全身で陽の光を浴びると、こんなにも目が眩むものなのですか。予想外です。
それから数十分、医者の人に付いて行かれるがまま歩きます。
次第に太陽の眩しさには慣れてきましたが、街の明るさには慣れませんでした。
通りがかる人々は表情を豊かにして喋り、怪我をしている者はほとんど居らず、どこを見ても犯罪が行われていない。
そんなこの街を、私は慣れることができませんでした。
「さて、もう疲れてきた頃だろう。そろそろ帰るかい?」
疲れている訳ではありませんが、特にこれといって何もありませんし…そうですね。もう帰りましょうか。
そう思い頷こうとすると、
パカラッパカラッ
と、知らない音が聴こえてきました。耳を澄ませてみると、その音が大量に重なっていることが分かります。
音がする方向を見ると、人だかりができていました。なぜ人が集まっているのでしょうか。私は気になったので、そちらに指をさします。
「……あそこに行きたいのかい?」
医者の人は気が進まないような顔をしています。なおさら私は何があるのか気になりました。
「」コクッ
「……分かった、怖くなったら私の後ろ来るんだよ」
そして、私は医者の人と離れないように手を掴み、人ごみを掻き分けて一番前の列にたどり着きました。そこで見たのは――
茶色い動物を引き連れ、血塗れになって歩を進める調査兵団の姿でした。誰しもが負傷していて、誰しもが絶望した顔をしています。
医者の人から壁の外には人を食べる巨人がいると聞かされてはいましたが、まさか兵士がここまでボロボロになるとは…。それほどまでに巨人が強いということですね。
それはさておき、さっきの音はあの茶色い動物の足音でしょうか。なんという名前の動物なのでしょう。それに向かって指をさします。
「この人達は調査兵といってね、巨人の謎を解くために壁外に行くんだ。この有様を見るに、今帰ってきたみたいだね」
いえ、そのことを聞いているわけじゃありません。そんなこと見れば分かります。
私は首を振り、もう一度茶色い動物を指します。
「」フリフリ
「ん? あ、あぁ…あの頭のことか…。あれには振れないであげよう。何十人もの死体を見てしまえばああもなるさ。だから――」
違います。ハゲた人はどうでもいいです。私が気になっているのはあの動物なんです。
「」フリフリ
「そうじゃない? だとすると…なるほど。あの人の濃ゆくて太い眉毛が面白いって話だね。しかもそれに対しての目の細さが…。もうこれは凄いとしか言い様がない」
違います。違うんですけど何ですかそれ、すごく気になります。そんな人見たことありません。
動物より興味の湧いたその人を見つけるため、医者の人の視線を追って調査兵団の人達の顔を一人一人観察します。
しかしなかなか見つかりません。本当にそんな人がいるのでしょうか。そんなことを考えつつ黙々と探していると、一人の兵士と目が合いました。
他の男性よりも少し小柄で、目も眉毛も細く鋭い目付きをしています。この人でもなさそうです。私は隣の人の顔を見ようとしました。
「おい、お前…」
ですがその目を合した兵士から声を掛けられ、再度男の人と顔を見合わせます。
その人は何故か、わざわざ私に近づき足を止め、目を見開いて信じられないものを見るかのような表情をしていました。
「もしかして…」
男の人は過去の記憶から絞り込むように、
「レ、レイ…ラ……なのか?」
私の名前を口に出しました。