「いやーいきなりいなくなったもんだから、ほんとこの一週間寂しかったー。でもこうして会えて嬉しいよ」
フェリュさんはニコニコしながら話します。
え…と…? いや、なんでフェリュさんが生きてるんですか? 医者の人が家族全員皆殺しにされたとか、憲兵が家を襲撃したとか言っていた気が…。さすがに聞き違いじゃありませんよね?
フェリュさんだけたまたま生き延びることができた…は、偶然にしては出来すぎていますし…憲兵がそんなミスをするでしょうか。
……おや? 今気付きましたが、フェリュさんの服装がいつも着ていたのと違いますね。前までの派手さがなくなって、何だかしょぼくなってます。
なんといいますか…周りと溶け込めるような、そんな服装になっています。
「信じられないって顔してるね…まぁそれもそっか。うーんなんて言えばいいかな……レイラはさ、僕の家に初めて来た日のこと覚えてる?」
フェリュさんの家…ですか? 何となくですけど…暗い部屋に連れてかれて、手足に鎖を巻かれて、傷をつけられて…そんな感じだった気がします。
「」コクッ
「じゃあその時、僕がこんなことを言ったのを覚えてるかな? 僕は――」
……あっ…。
『僕は不思議な力を持っているんだ』
思い出しました。あの日以降それらしい事を言っていなかったのですっかり忘れていましたが、そんなことを言ってその不思議な力を見せてくれましたね。
確かにあんなことができるなら、私が知らない何かしらの力を使って生きていてもおかしくないです。
「納得した?」
「」コクッ
それに対し、フェリュさんは「よかった」と胸をなでおろして私にこんな質問をしました。
「ところで見た感じ一人で歩いてたみたいだけど、どこに行くの?」
医者の人に字を教えてもらいに病院に行くんです、とどうやって説明しましょうか…。さっきみたいに本の中にある字を一文字ずつ探していると大変ですし、そう簡単に見つからないんですよね…。
とりあえず、本を開いて分からない文字に指をさし、教えて欲しいという意思を示しましょう。
「……へー、こういう内容なんだ。いかにもレイラが好みそう…じゃないな、表現が違った。いかにもレイラが選びそうな内容だね」
え? そうなんですか? 私は適当に、一番厚そうな本を選んだだけですよ。それに掃除に関してはあまり興味ありません。
「ってか、レイラって字読めないよね? ああでも孤児院の先生にでも学ばせてもらえるだろうから問題ないのか」
違いますよ。リヴァイさんに教えてもらったんです。
どうやらフェリュさんは病院に住んでいるのだと勘違いしているようですね。まぁ無理もありませんが。
誤解は解いておきたいです。私は病院ではなく、調査兵団本部で暮らしていると伝えるため、首を振って否定し持っていた紙を渡します。
「違うの? ……え? は? ちょ、ちょっと待って。本当?」
あからさまに動揺し、フェリュさんは自分の目を擦ってもう一度紙をマジマジと見て「うわ…ガチだ」と言います。
「……これって調査兵団本部に住んでるって意味だよね?」
「」コクッ
「……どんな経緯があればそんな場所に住むことになるんだよ…」
フェリュさんの気持ち、分かります。本当に、なぜリヴァイさんは私を引き取りたいなどと提案したのでしょうか。
『リヴァイが赤の他人を助ける』
私を助けるため…? でも、私に助けられる要素なんてないですから、もっと別の理由だと思います。見当はつきませんが。
「あー話を戻すけど、どこに行くのかって問いにレイラは本を開いて見せたってことは、文字が分からないから学びに行こうとした――で、合ってる?」
「」コクッ
正確に言えば分からない文字があったから学びに行こうとした、なんですけど、読めると言っても半分以下なので間違いではありませんね。
「学びに行こうとした場所っていうのは、多分だけど元々住んでた孤児院だよね? それ以外に接点のある場所ないし」
「」コクッ
フェリュさんから状況説明を問われた時、上手く伝えられるか不安でしたが、ちゃんと伝わったみたいで良かったです。
「……あのさ、もしよかったらだけど、字、僕が教えようか? 他に約束事とかがなければだけど」
用事は字について以外ありませんね。それによくよく考えてみれば医者の人が病院に居て暇であるとは限りませんし…フェリュさんに教えてもらいましょう。
「」コクッ
「じゃああそこに座ろっか」
フェリュさんが指名した近くの川辺の階段に座り、分からない文字を出てきた順から教えてもらいました。
教え方はリヴァイさんより上手で、その証拠に覚えられた字は増えています。しかし、なかなか全部覚えきれないものですね。なるべく早く覚えて、迷惑をかけないようにしたいのですが。
「ねぇレイラ、少し休憩しない?」
二時間ほど経ってからでしょうか。フェリュさんがそんな話を持ちかけます。
私としてはまだ勉強していたいのですが、あくまでも私は教えてもらっている立場です。なのでフェリュさんが休憩したいというのであれば、私はそれに従いますよ。
「」コクッ
私がフェリュさんの意見に同意したのを確認すると、
「ならせっかくだし、あっちの方ををぶらつこうよ」
フェリュさんが指をさしている方向は、通ってきた大通りとは反対方向でした。
フェリュさんに先導してもらう形で進みます。こちらの方の大通りは、店の数が少なくなっていて、全体的にひとけが減っていました。先程まで賑わっていた音も小さくなっています。どうしてでしょうか。
「レイラと会ったあの通りって、この街の中では結構栄えてる部類に入るんだよ。多分街の中心部にあるから。だから中心から離れると、こんな感じで人通りが少なくなる――あくまでも僕の予想だけどね」
歩きながら、私が何も訊かずとも、フェリュさんは解説してくれました。
フェリュさんの説が正しければ、昨日出掛けた時にうろついた場所はシガンシナ区の真ん中辺り、ということになりますね。あそこはとても賑わっていましたから。
「レイラはさ、こういう人通りの少ない通りって好き?」
どちらかというと好きですね。
理由としてはああいう風に賑やかな場所が苦手だから、こっちのより静かな場所の方がマシというものです。
付け加えて言いますと、私は街の明るさに慣れているか慣れていないか関わり無く、あそこが苦手なのです。
私には適応できない場所だから。
適応したくない場所だから。
そして――何も感じることができないから。
私はあそこが苦手――いっそのこと嫌いと言ってもいいでしょう。
「」コクッ
「……ねぇ」
私の返答を横目で見ていたフェリュさんは、足を止めて私を見据えます。
私の眼を――見据えて言います。
「それって、本当?」
極めて真剣な眼差しです。私が嘘をついていないか、ほんの僅かな挙動をも見逃さないような――そんな眼をしています。
フェリュさんはなぜそんな目で見るのでしょうか。私が嘘をつかないことくらい、知っていると思ったのですが。どれくらいの期間かは定かではありませんが一緒に暮らしていましたし、私はフェリュさんに嘘をついたことはありません。
少し気にかかりますが、それをフェリュさんに訊くことはできませんし、仮にできたとしても今はフェリュさんの質問に答えるのが先です。
私は本当です、と首を動かそうとしたのですが、フェリュさんは遮り続けます――なんだかこれだと、はいかいいえか曖昧な内に遮られたみたいですね。いえまぁ、本当にそうかもしれませんが、私の感覚では――えーと。
あ、例えばの話、私が声を捨てていなかったとします。そんな前提だとすると、こんな感じになるのです。
私は「本当で――」と、そう言いかけたのですが、フェリュさんは遮り続けます――と。
「夜になれば、ここはあの街とそう変わりないだろう」
君はそれでも、こういう所が好きだって言える? と、フェリュさんは私に念押しします。
夜になればあの街に似る。確かに改めて周囲を見渡してみれば、フェリュさんの言う通りです。
建物や道の分かれ方が似ています。夜になれば背景が暗くなり、人の数がさらに減って――あとは治安が悪くなれば、あの街にあってもおかしくない通りになりますね。
……さっきはマシだから好ましい、そんな理由で肯定しましたが、違いました。私は、どちらかというと好き、というわけではありません。
「」コクッ
普通に好きです。
あの街に似ているから。
だから私は、こういう所が好きなんです。
「……そっか」
フェリュさんの漏らしたその一言には、微かに落胆した気持ちが込められているように聞こえました。
ですがすぐに切り替わり、そのような雰囲気を一切出すことなく、フェリュさんは私の手を取り歩きだします。
「実は見せたいものがあって、ここに連れて来たんだ。こっちだよ」
見せたいもの? どんなものなのか想像ができません。休憩がてらにぶらつきたい――そんな建前を使ってまで見せたいものとは、一体何でしょうか。
私はフェリュさんに引かれている手に進む方向を委ねました。フェリュさんは路地に入ります。
ひとけは完全になくなり暗さが増して、無音の中私達の足音だけが響いているので、いかにも犯罪が行われそうな空気が漂っていました。
あれからフェリュさんは口を閉じてしまい、背中しか見えないので、今どんな気持ちなのかが分かりません。しかし、嬉しそうではないことだけは分かりました。
……? 五分くらいでしょうか。それくらい歩いていると、いきなりフェリュさんは立ち止まります。どうかしましたか?
「……」
私の疑問に、フェリュさんは答えません。口を閉じたままです。
何があったのか気になった私は、自分の目で確認することにしました。フェリュさんの隣に移動します。
そこには、私とフェリュさんの目の前には、一匹の黒い猫がぐったりと倒れていました――まるで死んでいるかのように、目を閉じています。
まぁここは路地ですし、衰弱している生き物、もしくは死体があってもそこまで珍しいことではないでしょう。なので私は不思議に思います。
なぜフェリュさんは微動だにしないのでしょうか。猫が邪魔なら避けて進めばいいだけなのに。表情を伺おうにも、何しろ周りが暗いのでどのような表情なのかが区別できません。シルエットになってます。
「……レイラ」
いつも通りのトーンで、フェリュさんは私を呼びました。
てっきり意外とフェリュさんは猫好きで、この黒猫が可哀想で哀れんでいたから硬直していたと思っていたのですが、どうやら違うようですね。もしも哀れんでいたなら、ここで私の名前なんて呼ばずに猫を拾い上げるでしょうし。
「この猫はまだ死んでない。けれどこのまま放っておいたら死ぬだろう。僕はこの猫を助けても助けなくてもどちらでもいいよ」
私の予想通り、フェリュさんは哀れんでないどころか、猫に対しての関心もないようです。
「だからレイラが助けたいと言うなら、この猫はレイラが助けたことになる――レイラ、君は猫を『助けたい』かい?」
……………………………あ、そっか。
対象は別に、動物でもいいんだ。
私には動物の感情なんて分かんない。
この仕草をしてたら喜んでるとか、この仕草をしてたら悲しんでるとか、分かんない。
声も特定の鳴き声しか発しない。
だったら、助ける相手は動物でも――猫でもいい。
助けたい。早く助けたい。今すぐ助けたい――でももし、この子が助けられることを望んでいなかったとしたら――
「……きっとこの猫は、助けてくれた人に感謝するよ」
……なら、ならもう、迷うことなんてない――迷うことなんてありませんね。
助けたいです。フェリュさん、お願いです。この猫を助けてください。
「」コクッ
「……」
私の頷きを見たフェリュさんは、無言でその場にしゃがみ込み猫を触ります。そして数十秒後、猫を抱きかかえて立ち上がりました。
「とりあえず延命はさせたけど、お腹空かせてるみたいだから、食べ物をあげないとまたさっきみたいになると思う。だから屋台で何か食べれそうなものを買いにいこうか」
「」コクッ
私達は急いで路地から出て、たまたま近くにあった魚屋さんでフェリュさんに魚を買ってもらい、ゆっくり食事ができる場所――先程まで勉強をしていた川辺の階段で食べさせていました。
黒猫は私の膝の上に座り、すごい速さで頬張っています。相当お腹が空いていたのでしょう。それにすごく美味しそうに食べています。魚が好きなのでしょうか。喜んでもらえて良かったです。
食べ終わると、黒猫は眠ってしまいました。その寝顔はとても幸せそうです。あそこで私が助けなければ、こんな顔をすることなく最期を迎えていたでしょう。本当に、助けられて良かったです。
「嬉しい?」
「」コクッ
はい。嬉しいです。
最近ぽっかり空いていた心の穴も満たされました。
「そっか、良かった……ところでさ、夕方に差し掛かってる頃だし、そろそろ調査兵団本部に帰った方がいいんじゃない?」
あ、そういえばハンジさんから暗くなる前に帰ってと言われてるんでした。
……猫を持って帰ったとしても、飼っていい許可は出ないですよね…。仮に出たとしても、お世話の仕方が分かりません…。もうちょっとこの幸せを噛み締めたかったのですが…。
「僕がその猫を預かってようか?」
え、いいんですか? ではお言葉に甘えて…お願いします。
「」コクッ
「了解。会いたくなったらまたシガンシナ区に来なよ。いつでもこの川辺で待ってるから」
「」コクッ
分かりました。明日の昼ぐらいに再び来ます。
それから私は本と紙を持ち、フェリュさんと猫にお別れしました。帰る道順は覚えられていたので、特に迷子になることなくシガンシナ区を出て、私の家――調査兵団本部へと一直線に向かいます。
ここからは迷子にならないでしょう。結局ハンジさんに書いてもらったこの紙は使いませんでしたね。別の意味で役には立ちましたが。
今日、フェリュさんに会えて良かったです。字を教えてもらえましたし、猫を助けることができました。
……あれ? そういえば、路地に入る前にフェリュが何か言っていた気が…そもそも何で路地に入ったんでしたっけ?
……ん? 一時間前の記憶なのに忘れるなんて、おかしなこともあるもんですね。