拝啓妻へ   作:朝人

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七話

 黒鉄珠雫はかつての師である一ノ瀬仁が苦手である。

 それは幼き日に修行と称し、生き地獄を味わわされたせいだ。

 いくら父の頼みで、当人が生意気な子供だったとしても、まだ十歳にも満たない幼い少女が経験するには過酷過ぎるものをこれでもかと言わんばかりに与えたのだ。

 結果として、彼女は歳不相応に強くなったが、心には深い傷を負うこととなった。

 その時のトラウマは今尚珠雫の心に根付いている。

 だからこそ、彼とはなるべく顔を合わせない様にしていた。

 大好きな一輝()(ついでにステラ)が彼に個別指導を受けていると聞かされた時も、兄とトラウマ()を天秤にかけた結果僅かにトラウマが勝ってしまい、彼らの下には足を運ぶことはなかった。

 それほどまでに珠雫にとって彼は恐怖の象徴なのだ。

 だがしかし、つい先日ある出来事によって、その『恐怖』へと向き合わなければいけないと、そう決心する事となった。

 

 

 

「お願いします師匠(せんせい)、私を鍛えて下さい」

 

 仁は頭に手をやりため息を吐いた。

 場所は教室から職員室に向かう途中にある空き教室。時間は授業が終わってすぐの事だ。

 教室を出た直後、神妙な顔をした珠雫に呼び止められた。真剣な眼差しから今は使われていない空き教室に移動したのだ。

 そしてそこに着て扉を閉めて早々珠雫は上記の言葉を放ち頭を下げた。

 

「……一応、理由を聞こうか」

 

 プライドの高い彼女がこうまでする理由。それに心当たりはあるが、当人の口から直接訊いてみたかった。

 

「――強くなりたいからです」

 

 一点の迷いもなく、言い切った。

 つい昨日のことだ。珠雫は破軍学園序列一位の生徒、東堂刀華と試合、完膚なきまでに敗北した。

 伐刀者ランクは互いに同じBランク。細かいステータスは違えどそこは変わらない。

 同格同士がぶつかり合い、勝敗を決する大きな要因はやはり経験だろう。確かに珠雫は一年の中では抜きん出た才覚の持ち主だ、努力も怠らず強くなっている。

 しかしそれでも、経験の差というものはそう簡単に埋めれるものではない。珠雫と刀華では二年も歳の差がある、この差は思っている以上に大きいのだ。

 もし、この差を埋めようとするなら、短期間で自分と同格かそれ以上の相手と何十、何百と戦い続けるか。

 あとはそう……想像を絶する地獄のような環境に身を置くくらいだろう。

 そして珠雫が取ったのは両者だ。

 生半可な鍛え方では足りないと感じた彼女は、かつての師の下に来、頭を下げたのだ。

 

「俺である理由は?」

 

 教師は他にもいる。世界レベルの実力者だっている。そんな中敢えて仁を選んだ理由は何か?

 

「師匠なら『確実』に強くしてくれると知っているからです」

 

 即答。

 仁はかつて珠雫を育てた、一ヶ月という短期間でCランクにまでその才を伸ばした。

 確かに当時の事を思い返すと今でも恐ろしく、出来れば忘れていたい。

 しかしその『実績』があるからこそ、珠雫にとって仁は師として最適だと理解している。

 

「……一応断っておくが、仮に今から強くなった所で昨日の勝敗は変わらないし、お前が今年の七星剣舞祭の本選に出ることは出来ない。それは承知の上か?」

 

 仮の話として、仁が珠雫を育てるとしよう。彼女の頑張り次第にもよるが、今より確実に強くはなるだろう。

 しかし、七星剣舞祭の予選は戦績によって決まる、トーナメント形式だ。現在残っている者達は皆黒星がない。つまり、もうどうしようと黒星が着いてしまった珠雫が今年の七星剣舞祭本選に出るのは無理なのだ。

 七星剣舞祭は年に一度。つまり、今年出れないということは次の機会は来年になるのだ。

 それまでの間、静かに、しかし厳しい環境に身を置いてひたすら研鑽だけの日々に暮れる。果たして彼女に耐えることが出来るのか?

 

「はい。だから師匠に頼みにきたんです」

 

 答えは是。

 己の弱さを認め、更に強くあろうとする気概。そしてその為には雌伏の時を耐える覚悟。

 今の珠雫の胸の内にはそれが秘められている。

 

「なら、相応の態度で示せ」

 

「…………」

 

 その想いを汲み取り、珠雫が本気であることを理解した仁はそう言い放ち、扉へと向かう。

 その姿に誠意が足りなかったか、それとも自分の覚悟を認めて貰えなかったのか。どちらにせよ、彼の心には届かなかったのか……そう思い、落胆し――

 

「今夜二十時、第二訓練所」

 

「――え?」

 

 俯きそうになった時、その言葉が耳に入り顔を上げた。

 

「お前の覚悟見せてみろ、どうするかはそれから決める」

 

 一瞬だけ振り向くとそれだけ言い仁は教室から出ていった。

 残された珠雫は向けられた眼と言葉から彼の心意を汲む。

 つまり、「本気ならば力を見せて俺を納得させろ」ということらしい。

 曲がりなりにもかつての『弟子』だからなのか、問答無用に切り捨てるような真似はしないのだろう。しかし頼まれたからといって素直に手を貸す程甘くもない。

 指導や授業ならまだしも、珠雫はそれ以上を求めている。ならば、それに耐えることが出来るか見定めるのは師の務めだ。

 

「――はい、必ず期待に応えてみせます」

 

 既に去った相手に向け、珠雫は静かに返した。

 師が与えたチャンスを逃さぬ為、師からの期待を裏切らぬ為。

 自分にも言い聞かせるように強く、そう宣言した。

 

 

 

「まったく、だからって一人で行こうとするなんて」

 

 時間は過ぎ、約束の二十時に差し掛かろうかとしていた。

 指定された場所、第二訓練所には当事者である珠雫と仁の他に、ルームメイトのアリス、それから理事長である黒乃と臨時講師の寧音の姿があった。

 アリスは珠雫からある程度説明された結果心配だからとついてきた。本当は一輝とステラも呼ぼうとしたのだが、珠雫がどうしてもと言い二人が来るのを拒んだのだ。自分の問題であることや一人で挑みたいという想いがあるからだろう。事情を知られた上に面倒見の良さが祟り、ついて来られたが、一人ならまだ許容範囲ということにして同伴を許した。

 黒乃に関しては『万が一』を想定した仁が呼んだのだが、寧音は関しては預り知らぬ。恐らく仁が黒乃に連絡した際に近くにいて、そのまま見物がてら来たのだろう。

 広い訓練所に、しかし当初予定していたよりも多い人数集まった。

 珠雫と仁は訓練所の中央で向かい合っている。手には既に霊装が握られている。

 そのすぐ近くには黒乃が待機していた。有事の際には駆け付けれる為だろう。

 観客席にはアリスと寧音の二人がいた。

 来たはいいものの、相変わらず仁が絡むと不機嫌になる寧音は、アリスの独り言にも反応せず黙って中央にいる二人――いや、仁を見ていた。

 その様子にやれやれと苦笑を浮かべたアリスは、もう一人の方――珠雫に視線を向けた。

 

「改めて確認だ。お前の希望もあり、実戦形式で行う。霊装も幻想形態ではなく実像形態だ」

 

「はい」

 

 実戦形式と実像形態の提案は珠雫からだ。彼に鍛えて貰いたいと言っている以上、幻想形態なんて半端ものは珠雫自身が許せない。

 

「死ぬか意識を失うことがお前の敗北条件」

 

 意識を失うだけならまだいいが、この試練は文字通り『命懸け』だ。最悪死ぬことすらあり得るだろう。その為の保険として黒乃を呼んだが、出来ることなら彼女の出番がない事が一番だろう。

 

「勝利条件だが、俺に勝つ――というのは無理だろうな。ま、妥当な所で一当てするか、もしくは――」

 

 そこで言葉を切り、左手で指を鳴らす。

 すると、仁の周辺を一陣の風が吹いた。

 

「この円から俺を出すことだ」

 

 それが止むと彼を囲むように半径五十cm程の円が地面に描かれていた。

 

「はい。分かりました、師匠」

 

 確認し、心の内で反芻すると珠雫は頷いた。

 第三者が聞けば舐めてるとしか思えない条件だが、この場にいる全員が理解している。

 珠雫は過去の経験から、アリスは師の実体験から、そして黒乃と寧音は実際に刃を交えたことがあるから分かる。

 この条件ですら、珠雫が勝てる可能性は五分もないということを。

 だがしかし、それでも――挑まねばならない。

 敬愛する(一輝)に置いていかれない為に、あの(ステラ)に負けられない為に、姉のように慕う(アリス)を守れる為に。

 ――これらを為すには『力』が必要だから。

 

「両者合意の上だな」

 

 最終確認として、黒乃が訊く。

 両者は応えず沈黙。しかし珠雫が霊装を構え、仁の纏っている空気の“質”が変わったことで黒乃は合意したと判断する。

 

「では……始め!」

 

静寂が支配した空間に、黒乃の凛とした声が響き渡った。

 




一騎、ステラ→指導
珠雫→再度弟子入り希望
この差何気に大きかったりする。

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