意識が遠退く中、一輝の瞳には一人の女性の姿が写っていた。
純白の髪と肌、一対の剣を構えた美しい妙齢の女性の名はエーデルワイス。『世界最悪の犯罪者』にして『世界最強の剣士』と呼ばれる程の強さを持つ剣士だ。
巨門学園での合宿を終え、帰ってきた一輝達を待ち構えていたのは壊滅状態になった破軍学園と『暁学園』を名乗る数人の生徒達だった。
同じく暁学園の一人であったアリスが彼らを裏切り、一度は撃退したかに思えたが、それすらも読まれておりアリスは拐われ、一輝と珠雫が奪還の為彼らの本拠地である暁学園にまで来たのだ。
その際にエーデルワイスと遭遇。一目見ただけで今の実力では勝てないと理解した一輝は珠雫を先に行かせ、彼自身は全身全霊を以て『世界最強の剣士』に挑むこととなった。
結果、一輝は敗北してしまった。
所詮は学生騎士、如何に修羅場を潜ろうとも世界に名を轟かせる程の剣士を相手に勝てる程世の中甘くはない。霊装も壊され、自身も瀕死の重傷を負った。
しかし一輝もただではやられなかった。
浅い、傷と呼べるかも怪しいが、あのエーデルワイスを相手に一撃を与えることができたのだから。文字通り『一矢を報いた』のだ。
「本当、無理もするし、驚かしもするよな、こいつは」
倒れた一輝の傍、音もなく現れたのは仁だった。
彼は一輝の症状を診た後、すぐに《胡蝶の夢》で肉体の修復を行った。結果、一輝の身体は激闘の後とは思えない程に綺麗になった。
その様子を見たエーデルワイスの眉が僅かに動いた。
「ったく、ちょっとした買い出しに出て戻ったらあの有り様だろ? 流石に残ってたらあいつらに何か言われそうだし、不本意ながら弟子の方も気になったからこっちに来たんだが……随分と面白いことになってるな」
そう言い頭を掻く青年の姿は自身が知るものとは違った。しかし彼の異能であれば姿を偽ることなど造作もないだろう。
故に眼前の青年は則ち――。
「あ――」
間の抜けた声を残し、仁は一瞬で数十mも後方に飛ばされてしまった。
理由は言わずもがな、エーデルワイスが彼に斬り掛かったからだ。
初速や終速の概念がない彼女特有の動き故に、第三者からは仁が『何故か吹き飛んだ』ようにしか見えないだろう。実際は恐ろしく速い彼女の剣撃を受けた結果なのだが。
「逢って早々なんなんだよ……」
その吹き飛ばされたはずの仁は、気付けばエーデルワイスの後ろに立ってぼやいていた。手には孤狐丸が握られていることから何らかの伐刀絶技によるものだろう。
久しぶりの再会なのに散々な扱いだと嘆いていると。
「少し、付き合ってもらいます」
振り向くことなく、しかし確かな凛とした声でエーデルワイスはそう言った。
黒乃は寧音と自分が不在の間に学園で何が起きたのかを自身の異能で調べ、原因を突き止めた。そして寧音と二手に別れ自分は一輝達を追ってきたのだが……その選択を後悔しそうになった。
彼女は今、暁学園の近くにいる。そこで『何故か倒れていた』一輝を回収し、後は珠雫とアリスだけとなったのだが。
「く……! 冗談じゃないぞ、あいつら! 何がどうしたらこうなるんだ!」
暴風と呼べる威力、肌を通り抜け内臓にまで響くかのような衝撃。気を抜いたら飛ばされそうなそれが、断続的に何度も発生している。
発生源は間違いなく暁学園の敷地内。そして遠目だが元凶の二人を視認した。
一人はエーデルワイス。恐ろしい速度で縦横無尽に駆けているがどうにか黒乃の目でも確認できた。
もう一人は青と黒の中間、紺色の髪の男性。駆け回るエーデルワイスとは対照に彼は一歩も動いていないが応戦している。
黒乃は知っているあの男の正体を。
男の名前は
青﨑とは『黒鉄』の分家の一つである。この家はかなり古風であり、名前も当主は襲名式となっている。当代で最も強い者だけが『刄』の
そんな家柄か、青﨑の家は何よりも実力主義だ。これは青﨑が分家の中でも特に暗部の部分に位置する為だろう。
弱い者は生き残れない、弱い者は当主になってはいけない。
幼い頃より徹底して教育された彼らは何よりも強さを求める。誰よりも強く、どんな者でも殺せるように。
その環境は時として規格外の怪物を生み出すことすらある。
その一例が正に仁――刄だった。
そして彼は今偽りの殻を捨て、枷を解き放ち、『最強』の前に立ちはだかった――。
二人の激突により、何度も強い衝撃が生まれ、その余波が辺りに拡散している。
音すら発することなく超高速で動くエーデルワイスに対し、刄は超越的な感知能力である《大六感応》によって対処していた。
エーデルワイスの接近、攻撃の意図を察すると同時に、『そこに』斬撃が生まれる。それとエーデルワイスの剣がぶつかり合い度に凄まじい衝撃波が生じる。
それが瞬きの内に何合起きるのか。数えるのが嫌になる程の余波が黒乃を襲う。
「エーデルワイスはともかく、刄の奴、更に威力と精度が上がっているのか」
黒乃は刄のあの伐刀絶技を知っている。
《閃刃》。斬撃そのものを生み出すという剣を扱う者にあるまじき伐刀絶技だ。彼は世界に残すであろう剣撃の軌跡を思い描くだけで現実に反映させることが出来る。勿論ただ『思った』だけでは実現は出来ない。
その切れ味を、速度を、鋭さを、一撃の重さを、より確かに明確な物にすることでそれは実現可能な領域に至るのだ。
現実の剣撃と変わらない、もしくは凌駕するものをイメージするのは極めて困難だ。しかし刄はそれを一瞬の内に幾つも繰り出すことが出来る上、その一つ一つが刀華の《雷切》や一輝の《雷光》と同等……いやそれ以上の威力を秘めている。
しかも黒乃の目が確かなら今エーデルワイスに向けて放っている全てが重刃――僅かなズレを与えることにより斬撃を
おまけに《大六感応》の恩恵か、視認せずとも恐ろしい精密性を持っており、並の伐刀者ならこれだけで完封されるだろう。
それを真っ向から迎え打つエーデルワイスもエーデルワイスだが、そんなものをポンポンと連発して放つ刄も刄だ。
「前から思っていたが、何処が
嘆きたくなった黒乃の心情を察することが出来る者は生憎と今この場にいなかった。
――《
具現化能力が変異し不安定になったことにより、使い方次第では幻すら扱うことができるようになった稀有な能力。
ただしその分使用難度も跳ね上がっており、極めることが出来た者はいない。故に『欠陥』とされるのだが、刄は前例を覆し、その異能を以て青﨑の当主に上り詰め、伐刀者ランクAに至った。
欠落具現の特徴は相反する二つの能力を孕んでいることにある。
夢と
その二つをよく理解し、それぞれの長所と短所を把握し、そしてそれらの融和を試みる。
すると必然、相反する二つの境界すらも自在に出来るようになった。
その最たる物が《胡蝶の夢》だ。不要と感じたものは幻想となり、必要と思ったものは現実となる。境界を曖昧にした空間を作り出すことでそのどちらにも出来る。
幻想は現実となり、現実は幻想となる。
故に《胡蝶の夢》。
「――《閃刃百花》」
二人の動きを注視していた黒乃は、刄の口がその言葉を紡いだと同時に一輝を抱え、その場を離れた。
直後。刄とエーデルワイスを中心とした空間、半径十mを無数の銀の斬撃が埋め尽くした。
一瞬、ペンで塗りたくったかのような異様の光景。銀色の球体が出来上がったが、それはすぐに姿を変える。
「《相乗裂波》」
狭い範囲で放たれた無数のエネルギーがぶつかり合い、より巨大なエネルギーに変じ、徐々に広がっていく。辺り一帯を薙ぎ払う程にまで強大になり、今までとは比にならない衝撃波が生まれた
それは建物だけでなく、地面も木も吹き飛ばす程。
結果、無数の閃刃を放った範囲の数倍以上の空間がたった数秒で荒れ地と化した。
黒乃はこれを読んでいたから一輝を連れて避難したのだ。事実、彼女が直前までいた位置にまで余波は及んでいた。
衝撃は収まり、開けた視界の先には無傷の刄とエーデルワイスがいる。
先に放った刄が使った伐刀絶技は《閃刃百花》と《相乗裂波》という。
《閃刃百花》はその数が示す通り、百もの斬撃を瞬時に放つ伐刀絶技だ。一撃ですら鋭く重い閃刃を百も一瞬で作るのは至難の業。よって準備に最低でも三秒は掛かる。とはいえ、他の事を行いつつの並列同時進行でも可能な辺り、そこまで隙が生まれることがなく、彼の概念と想いから生まれた刃はその一つ一つがダイヤモンドですら切り裂く威力を誇っている。
《相乗裂波》は自らが生み出した技同士をぶつける事で相乗作用を起こし、より強大なエネルギーに変えるというものだ。普通は狙ってもそうそう出来るものではないが、刄の異能と魔力制御を以てすれば造作もないことだ。
二つとも必殺ともいえる伐刀絶技だ。並の伐刀者どころか場合によってはAランクの者ですら危険を感じる。
そんなものを立て続けに受けたエーデルワイスの表情は、しかし涼しいものだった。皮膚を掠めたり服が所々破れたりはしているが、その程度。
『世界最強』の名は伊達ではない。
その姿に落胆も焦燥も抱くことなく、刄はただただ孤狐丸を握り直す。
二人とも理解しているのだ。
――ここまでは
纏う空気が変わる。それに当てられたかのように大気は震え、地面には亀裂が入った。まるで世界が悲鳴を上げているかのようだ。
次の一手からは文字通り別次元の領域と化す。
それを誰よりも理解しているのは……黒乃だった。
「待て待て待て待て! 貴様ら! この辺り一帯地図から消すつもりかぁ!!」
自らの固有霊装、二丁拳銃型の霊装《エンノイア》を顕現させ二人の間に弾丸を放ち、制止の声を上げた。
彼女は直感的に悟った。このままこの二人を戦わせてはいけない。
片や『最強』とされる因果干渉の異能を持ち、デタラメなまでに卓逸した剣を振るう『世界最強の剣士』。
片や黒乃が知る中で『最も危険な異能』を使いこなし、果てなく強くなろうとする『規格外の怪物』。
断言しよう。どちらか片方だけでも黒乃の手には余る超越者だ。如何に『時間』という超常的な能力を手にしようとも、『人間』の枠に収まっている彼女ではこの二人を倒すことは出来ない。
故に本当の意味での仲裁なぞ不可能だ。
言葉が届くのであればそれに越したことはないが、果たして……。
『………………』
数秒の沈黙が流れた。
だが黒乃からすればそれは数分にすら感じた。
全く生きた心地がしない、全身から嫌な汗が吹き出ている。動悸がここまで激しくなったのは一体いつ以来だ。
走馬灯すら見てしまいそうな、そんな絶望的な時間が経過し、動きを見せたのは――エーデルワイスだった。
「なっ……!」
予備動作というものを必要としない彼女は、いつの間にか黒乃の背後に立っていた。
「動かないでください、《
危機感を覚え、アクションを起こそうとした黒乃をエーデルワイスの声が止める。
絶体絶命。そんな言葉が黒乃の頭を過った。
しかし。
「…………おい」
それから何の動きもないのだ。
ただエーデルワイスが黒乃の後ろに隠れただけ、それを刄が呆然と見ていた。
「貴様は何がしたいんだ?」
「あ、動いてはダメですよ」
だからなんでだ。
そんな言葉が口から出そうになったが、それよりも先にエーデルワイスは恥ずかしそうに小さな声で言った。
「その、今の私の姿を、できる限り彼には見せたくはないので……」
「――は?」
鳩が豆鉄砲でも食らったかのように黒乃は唖然とした。
いや、待て、ちょっと待て。こいつは何を言ってるんだ。
「ああ、やっぱりか」
それで合点がいったのは刄だった。
何故か逢ってそうそう満足に顔を合わせてもくれず、戦う羽目になった理由。
暫く逢っていなかったからそのせいかとも思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
深く考える必要はなく、思っていた以上に至極単純だった。
「お前、また食い過ぎたのか?」
「う――!!」
刄の容赦ない事実の一撃が、本日初の
そう、つまる話。エーデルワイスは刄と最後に逢った日から少しだけ体重が増えてしまったのだ。
人によっては気にしないレベルかもしれないが、エーデルワイス当人からすれば
「あと一日……! あと一日さえあれば……落とせていたんです!」
理由はある。
ある少年の気を引こうとお菓子を山のように作ったのだが、量が量の為か全部は貰ってはくれず、自分で処理する羽目になり気付けば許容範囲をオーバーしていたのだ。
ダイエットはした。順調であり、明日には元の体重に戻るはずだったのだが……悲しきかなその前に刄と再会することになってしまった。
「痩せます! ちゃんと体重減らしますから! 離婚だけは!」
「いや、その気はないから」
ちなみに彼女がここまで必死になっている理由は刄と夫婦の関係にある為だ。
彼女なりに夫の目を気にしているようで、愛想を尽かされないように色々と気をつけているらしい。
なお、多少体重が増えた所で今更刄が愛想を尽かすはずがない上、離婚など選択肢としては全くないのだが、彼女には彼女の矜持があるのだろう。
「……本当に変わったな、お前」
かつてのクールなお前はどこ行った。
そんなことを思いつつ黒乃は一番の重荷が降りたことに胸を撫で下ろした。
ついに妻登場。はい、皆の予想通りのあの人です。意外性なくてゴメンね。
結婚したせいか、何故か色ボケになってしまいポンコツ感増してしまった……。
ついでに旦那の実名判明回。
ちなみに『青﨑刄』としてのスペックはこんな感じ。
伐刀者ランク:A
攻撃力:B+
防御力:A
魔力量:B+
魔力制御:A
身体能力:A
運:E
黒乃や寧音に比べると少し劣ってる感あるけど、その分異能がわりとエグい性能してるのでトントン。
『欠落具現』は分かり易くいうと現実にも幻想にも干渉できるし、その境界すらも操れる能力。完全に極めた上でその気になれば、因果とか関係なく『想ったことを実現できる』やべーやつ。ただし、扱い辛さも全異能中トップクラスなので実は刄もまだ極め切れていない。